第二十六話 目指す世界
シュベレノアは格子のかかる窓越しに、ラディスたちの反応などおかまいなしで喋り続ける。
「わたくしならばもっと上手く立ち回れますのよ。ラディス様に反目する貴族たちを味方につけられる、そんなわたくしを排除しようとなさるなど、どれほど愚かなことかお分かりになられませんのね……昔から変わらず弱くてらっしゃる。お身体だけならまだしも、心根までそのようで玉座に就かれるおつもりですか」
「味方につけるとは、石の力を借りて心酔させることを言っているのか?」
その言葉に、シュベレノアの目が細められた。小さな覗き穴からは口元は見えないが、口元が弧を描いているのだろう。
「石ではありませんわ、王妃の宝冠です。王と並ぶべき者だけが所有できる、もうひとつの王の徴」
「名などどうだっていい、それは人の心を操り、歪みを生む。決して王が持つべきものではない」
「お黙りになって!」
声を荒げるシュベレノアの顔には、一瞬にて憎悪が浮かぶ。
「だから……これだからあなたは弱いと申し上げているのです……人の心など元からうつろいやすいもの、それを少し定めて差し上げているだけ。歪みなどと蔑まれるいわれはございません。わたくしを王として支え尽くす以外は、普通に暮らしておりますのよ……いいえ、むしろ清廉で争いもなく、穏やかな人生を得ているのですから、感謝されてもいいくらい」
「それは……本心で言っているのか?!」
ラディスは憤りを噛みしめるように問うが、彼の真意はシュベレノアに響くことはなかったようだった。怯む様子もなく、高らかに宣言する。
「わたくしは、全てにおいて頂に立つに相応しい存在。だからこそ、この宝冠がわたくしの元に来たのです……直ぐにそれが正しかったと証明されることでしょう」
「直ぐに? これ以上、何をする気だ」
ラディスの問いには答えず、すっとシュベレノアは暗闇に溶けるように後ずさる。
「待て、シュベレノア!」
「そこで指をくわえて見ているといいわ、己の弱さを恥じながら」
笑い声とともに揺れるランプの灯りが遠のき、石階段を降りる足音が響く。
そうして塔の一室に閉じ込められたラディスとハルムートは、その足音が遠のき、階下で重い戸が閉まるのを聞く。
そうしてから、ラディスは深いため息をつく。
シュベレノアが地位に執着する様をまざまざと見せつけられ、少なからずラディスは衝撃を受けていた。
幼い頃に出会ったシュベレノアは、酷く人見知りで寡黙な少女だった。父親に連れられて王城を訪れる時は、だいたいが王家主催の祝宴、新年の宴など。そうして会う機会は年に二、三度ほどだが、会う度に見せる少女の成長は印象に残っていた。強ばっていた表情が次第にはにかむようになり、次第に花が咲くように華やかになっていった。そうしたなかでも、口数は少なかったものの、他者の犠牲を顧みない愚者の片鱗を、ラディスは感じたことがない。
彼女が選び取った道は、破滅へ繋がる。どうして、いつから。そんな疑問がもたげるも、ラディスにはそれを彼女へ直接問うことはなかった。恐らく、これからも無いだろう。
ラディスとシュベレノアの目指す先は、まったく異なる世界だ。
そして今は少しも猶予はない。ラディスは側に立つ護衛ハルムートに目配せしてから、背後の寝台の方へと向き直る。
「想定していたとはいえ、本当に自分の父親を幽閉していたとはな……少しでも話が通じるといいのだが」
ハルムートは頷き、ラディスに先んじて寝台に歩を進める。
その部屋の照明は少ないので薄暗いものの煤がついてなくて良質な油が使われているようであり、置かれている家具は上質なもので、敷き詰められた絨毯は毛足が長く暖炉の横には充分な薪が用意されている。
天蓋から下がる布も、おそらく絹だろう。その布をハルムートが掴み、ラディスの方を伺いながら捲ると、寝具の中で座る男が深々と頭を下げていたのだった。
「およそ一年ぶりになるな、トーラス=アルシュ候。無事だったか」
寝具に頭をこすりつけるかのように下げたアルシュ侯爵の肩が、小さく揺れている。
「殿下……このような事態になっても無様にも生きながらえておりますことを、どうお詫びすればいいか」
「詫びなどいい、顔を上げてくれ。無事か?」
その問いに、アルシュ候は伏したまま咽び泣く。
「そのような……そのようなお言葉、私にはもったいなく……我が娘にあのような無礼な振る舞いをさせておきながら、何も出来ず申し訳ございません」
ラディスはアルシュ侯爵、トーラス=アルシュの痩せて骨張った肩に手を置き、崩れ落ちた身体を支えた。
「いい、そなたが謝る必要はない。シュベレノアを罰するのは簡単だ。だが彼女を傷つけてしまえば、石の力で魅了された者たちの精神へどう影響するか分からない。それもあって候も抵抗せずここに幽閉されているのではないのか?」
ラディスの言葉に、驚いたように顔を上げるアルシュ候。
その顔の頬は痩け、酷いクマが刻まれている。顔色は土気色であり、侯爵自ら無様と口にした理由のひとつでもあるのだろう。だが領を治める長として、最も優先させるべきは領土とそこに住まう民。少なくとも、アルシュ候はそれを忘れてはいないようで「痛み入ります」と答える様に、ラディスは安堵する。
ラディスはハルムートに目配せをして侯爵を楽な姿勢で座らせると、自らは寝台の端に腰を下ろす。
だがアルシュ候はそれらの僅かな動作でも咳き込み、浅く掠れた呼吸を繰り返す。
その姿を見てラディスは、わざとシュベレノアを煽ってここに来たことが正解だったと悟る。
「このアルシュで何が起こったのか、聞かせてくれ……シュベレノアがそなたを幽閉するに至ったのは、今回のリヴァルタ橋補修工事が始まった頃だな?」
ラディスの問いに、アルシュ候は「そこまでご存知でしたか」と呟いた後、小さく頷いた。
やはりコレットが指摘した通り、ガレーが会計士長を引き継いでから、筆跡がすぐ変わっていたのだ。その事を告げると。
「きっかけは、胸の苦しさで倒れたことでした。元から懸念があった心の病の悪化と信じておりましたが、シュベレノアの手の者から毒を盛られ……」
アルシュ侯がおかしいと気づいたのは、診察に訪れた主治医の様子からだという。病の詳細について訊ねるも、病の悪化は深刻で身体を動かすことは危険なのだと判を押したように一字一句違わぬ返答をいくつか繰り返すのみ。年老いた医師とはいえ、アルシュ候との付き合いは長い。異変を感じて執事に調査をさせようとしたが、執事からは何もおかしな点はないとの報告を受けた。体調が芳しくないのも事実であり、候は仕方なく指示通りに寝室で療養をすることをになった。
「ちょうど補修工事が始まった頃、約半年ほど前のことでした。仕方なく工事の指揮を含めて、仕事の指示を寝室から出しておりましたが……ある日を境に使用人たちの様子もおかしくなったのです」
「どのように?」
「まるで、人形と話をしているかのようで……いえ、確かにこちらの問いかけにはそれまで通り、その者らしく返答はするのです。ですが感情が無い……違う、ある一点には高揚すら見えるのに、それ以外には興味がないというように、酷く極端でした」
「その一点というのは、シュベレノアに関してだろうか」
ラディスの言葉に、アルシュ候は項垂れる。
「……はい、その通りです」
「では封印されていたはずの宝冠を手に入れたのは、その頃か」
返答に詰まるアルシュ候の顔には、驚き、そして焦りが浮かんでいた。例え毒を盛られようとも、溺愛していた娘の罪を白日の下に晒すのは憚られる様子だった。
だがラディスはそれを赦さなかった。
「そなたは幽閉されていても、今アルシュ侯爵領で何が起きているのかは、おおよそ把握しているはずだ。毒を盛られたことに気づいたのは、まだシュベレノアに操られていない使用人が残っていたからだろう? 全てを把握することははままならなくても、最悪の想定はできているはず。いくら娘を溺愛していようと、此度のことで庇いたてすることは罷りならぬ」
ラディスがそう言い切ると、アルシュ候は観念したように顔を覆いながら天を仰いだ。
「宝冠を……かつて宝冠に使われていたとされる宝玉を見つけたのは、三年前でございます」
三年。予想外の言葉に、ラディスとハルムートは顔を見合わせる。
だが最初にリヴァルタ橋で崩落事故が起きたのも、三年前だ。
「場所はリヴァルタ橋第二橋脚基礎部分の地下でした。亀裂によってその存在が判明したものの、その時はまだ扉と鍵を設置して再度封印することに決めたのですが……」
「今回の工事中に、まさか掘り起こしたか?」
「私は、亀裂を塞ぎ再び人目に晒されないようにするために、補修工事を利用するつもりでした。ですがシュベレノアは、己に心酔する者たちを使って密かに橋脚を破壊し、宝冠を取り出したのです」
ラディスは内心、舌打ちをする。
橋脚の基礎部分、しかもそれが建つ地下を掘ったのならば、それが今回の事故をも誘発した可能性があるからだ。
「それからは先ほどもお話した通り、私が急な病に倒れ、何が起きたのかと困惑しているうちに、病状が悪化し部屋に閉じ込められたのです。異変を察した者たちと協力して調査していたのですが、あっという間に城内は全て掌握され……」
「それで、候はガレーを雇うことにしたのか」
「……ガレーのこともご存知でしたか」
「あれはシュベレノアの魅了が効かない。候と直接契約を結んだと証言している」
「はい、彼を目にした時のシュベレノアの反応を見て、先に逃した者たちとの連絡係として使うことを決めました。娘に気づかれないように資金を作り動かすには、それ以外にないと」
アルシュ候は、苦悩の表情を浮かべながら寝具を掴む手を握りしめる。
「不正をしてでも金を動かして、人を集めさせたのは私でございます。領主の代理人を引きずり落とすのは、王国に楯突く大罪。そうと知りながらも、どうしても娘を……シュベレノアを止めねばならないと考えて、アルシュ領唯一の騎士ヴァン・ダイクに謀反を命じました」
肩を震わせながら、アルシュ候は再び深く頭を下げる。
そうしてラディスは、アルシュ領とその領主を守るはずの騎士が不在の訳を知る。彼はトーラス=アルシュの命を受けて、反乱軍を率いているのだ。
だから彼らは自らを「アルシュ解放軍」と名乗っているのかと、ラディスは腑に落ちる。
「早くに母親を亡くした娘を哀れに思い、掛け値なしの愛情を与えてきたつもりでした。同時にアルシュ領主にふさわしくあるよう、始祖王の血を受け継ぐもう一つの血筋として、気高くあれと教えて育てたつもりが、どこで道を違えたのかあれは不相応な望みを抱くようになりました……殿下が王に立たぬのなら自らがと」
「ありえない! いくら祖王の血筋といえど、アルシュ家に継承権がないことは、赤子でも知っているはずです」
護衛であるハルムートが呆れた様子で、珍しく口を挟む。
「最初は、ただの憧れ……淡い恋心から言っているのかと思っていたのです。だから娘に請われるまま、王家に婚約の打診だけはいたしましたが……」
ラディスの方も、打診があったことは聞かされている。幼い頃から高位貴族令嬢とはそれとなく顔を合わせることがある。その後にはそういった打診が王家にされることもあると。アルシュ家からもあったがどうするかと父に聞かれ、首を横に振ったのはラディスだ。
「候ならば十年前の宝冠の徴のことは、聞かされていたはずだ」
「はい……殿下が徴を顕現されたことは。当然ながら諦めようとしないシュベレノアにも、伝えたのです。王とその伴侶たる王妃には、宝冠の徴が必要なのだと」
「まさか、私が顕現させた徴の相手がだれだろうと、もう一つの宝冠があれば取って交われるとでも?」
苦虫を噛みつぶすような顔で、アルシュ候は頷く。
「恐らく、先ほども口走っていた通り、取って変わろうと考えたのだと思います。最初は王妃の座を……今は」
畏れ多くて切った言葉を、ラディスが続ける。
「王妃が無理なら王になる、か」
今現在、継承者として名を連ねるのはラディスとジョエル=デルサルト、その父親である王弟デルサルト公爵の三人。万が一この三人が亡き者となれば、傍流としてアルシュとは違う侯爵家が二つあり、そこから王が立つことになるだろう。だがその二家では、権力を欲する者を抑えるには、正統性が足りない。血が薄すぎるのだ。
そこに新たな宝冠を手に、アルシュ家が台頭したとしたら、確かに一転して優勢となる可能性はある。
だが──。
「権力を欲するのは、それだけで罪ではないと私は考えている。力が無くば、どのように素晴らしい政でも、実行することは叶わぬのだから。だがあの魅了は、どのような理想、志を抱こうとも、受け入れることはできない」
ラディスの毅然とした言葉に、アルシュ候は再び天を仰ぐ。だが今度は絶望に顔を覆うことはない。そして深くひとつ息を吐くと、告げた。
「殿下、シュベレノアは工夫たちを操り、私兵とすることを厭わないでしょう。解放軍はヴァン=ダイクと魅了を逃れた僅かな領兵、そして逃げ延びたリヴァルタ村の者たちで構成されております。決して操られた工夫たちと衝突しないよう言い聞かせておりますが……」
「分かっている、そのようなことには私がさせない」
領内の反乱となれば、王族たるラディスは領主側を支援するのが定めである。領主にその権限を与えているのは王であり、その王を継承するつもりであるラディスだからこそ、法で縛られる条項がいくつもある。領主を守るのはその一つであり、かなり重要な縛りのひとつでもある。
だがその縛りを解くための綻びを見つけて、ラディスに提供したのがコレットだった。
「ガレーと彼が持参した証拠の書類が鍵だ。ハルムート、待機しているエルに信号を送れるか?」
ハルムートは室内を見回すと、上部に設けられた空気孔を見つけ、そこに椅子などを足がかりに手をかける。そして軽々と片手で懸垂をして、格子がはまるそこに顔をつけると外の様子を覗い、飛び降りると。
「壁が厚くて少々やっかいですが、何とかなりそうです」
ラディスはそれに頷くと、ハルムートが腰に下げていた袋からいくつかの道具を取り出して準備を始める。
それを不思議そうに眺めていたアルシュ候へ、ラディスは振り返る。
「これからは時間との闘いになるだろう。体調が芳しくない候には悪いが、協力してもらうぞ」
ごくりと喉を鳴らしながら、トーラス=アルシュは頷いたのだった。
次話からコレット視点に戻ります
 




