第二十二話 覚悟はできているか?
バルナ卿の調査に同行して最初に向かったのは、今回崩落した橋脚の上部。崩落したのは橋脚の下部にあたる一部と、橋脚を支えるように接続していた岩壁部分。街道が通る最上部には今のところ支障はないが、いつここまで亀裂が達するかは未知数だ。そのために通行を制限する形で、修繕工事が進められていた。
調査に来るまでにリヴァルタ渓谷橋の地図が頭に入れてあるようで、案内もつけずにバルナ卿は先頭を迷いもなく歩いていく。
私たちが居た資料室から目的地と聞いている第二橋脚の上部の部屋へは、真っ直ぐに通路が繋がっているわけではない。そもそも今いる第一橋脚部分は、クラウス方面に位置していて、渓谷へ張り出した岩壁が橋にのめり込んでいる箇所もあるために、橋の内部はとても複雑な造りになっていた。エリアによっては、その岩壁から網の目のように掘り進められた坑道にも繋がっているらしい。今はそういう通路は塞がれているとはいえ、万が一迷い込んでしまったら、二度と戻れないほど。そのあたりは一介の会計士である私には、把握しきれるものではない。
いくつか曲がり道と階段を経る間に、たくさんの人たちとすれ違う。工事は中断しているとはいえ、崩落した岩を片付ける作業や、新たに届く資材の仕分けなど、やることはたくさんあるのだろう。彼ら全てに見張られているとは思えないけれども、先ほどのシュベレノア様の件もあるだけに、視線には敏感にならざるを得ない。それはダンちゃんも同じだったようで、いつも以上に厳しい目つきで周囲を警戒しているようだった。
そうしてしばらく歩いた後に辿り着いたのは、街道と橋脚の間にある部屋。そこはいつ崩れるか分からないので立ち入り禁止になっているのだが、バルナ卿は気にする様子もなく立ち入る。
「構造上、この部屋を支えているのは橋脚ではなく、側面の崖壁なので心配はいらない。ここからロープを使って降りて、橋脚上部の被害状況を見てくる」
いきなりそう言うと、バルナ卿は部下に指示を出す。自らは窓から身を乗り出して、深い谷底の方を覗き込んでいる。しばらくそうして眺めていたと思えば、身を引いた彼の胴に部下の人たちが、ロープを結びつけていくではないか。ぎょっとしながらそのロープの先を目で追うと、奥の廊下に続く窓にしっかりとくくりつけられていて、どうやら本当に窓から降りるつもりなのだと悟る。
驚くのは私ばかりで、イオニアスさんはその様子を平然と見守っている。
「……大丈夫なんですか?」
イオニアスさんに小声で訊ねると、彼もまた小さい声で私の疑問に答えてくれた。
「いつものことです、父は自分で動く人なので、身体も鍛えているはずですから心配ありません」
聞き終わらない内に、バルナ卿は躊躇せずに窓の外に消えてしまった。
ロープが軋みながら動く分、卿が下へ降りている証拠なのだ。そのロープを、厚手の革手袋をした部下が掴み支えて、後方のもう一人が繋いだ縄が外れないよう見張っている。
私は慌てて窓に駆け寄り、先ほど卿がしていたのと同じように下を覗くと、ロープを腕に巻き付けて壁に足をつけて立つ卿がいた。位置はちょうど部屋の下の階と、橋脚の境目だろうか。
ふとバルナ卿が止まった姿勢のまま、顔を横に向けて何かに気を取られている。
彼の目線の先にあるのは……例の資材昇降機だ。イオニアスさんが一目見ただけで制作者を悟ったのだから、彼らの父親が気づかないわけがないのだ。
私が悪さをしたわけでもないのに、何だかバツが悪いのはどうしてだろう。バルナ卿の反応が気になるところだが、窓辺の方の設計士が窓の外を覗く私に、声をかけてくる。
「手が離せませんので、記録をお願いします。卿から聞いた言葉を私が繰り返します。あなた方はそれを残らず記録してください」
「は、はい、お任せください」
今はまだリュシアンの事は後回しだ。私は窓辺から少し離れて、事前に渡されていたノートを開き、そこに黒鉛のペンでメモを取る。
彼らの口から出るのは、使われているらしき石やその他の資材の名前、大きさや個数、その他意味はよく分からないままに、単語を書き連ねること約三十分ほどだろうか。
気づけばバルナ卿が窓の外から、這い上がって戻って来た。彼はずっとぶら下がっていて、最後は縄を引いてもらったとはいえ這い上がってきたにもかかわらず、涼しい顔だ。
そして私が書いたノートに一旦目を通し、何やら難しい顔をするのだが、すぐに移動すると告げて、今度は橋を降りることになった。
なんというか、絵に描いたような職務人間だ。イオニアスさんがまるで二人いるかのよう。
「思っていたよりも、日が陰るのが早いな」
橋脚の立つ地は、谷の中腹にあたる。それでも切り立った崖に囲まれたそこは、バルナ卿の言うとおり、あと一時間もしないうちに暗闇に包まれてしまうだろう。
橋の足元には山から滾々と湧き出る水が集まった沢があり、橋脚の立つ地を過ぎた辺りで合流し、川となってさらに深い渓谷へと流れていく。小さいとはいえ沢を渡るには、自然の岩と岩を伝って行くことになる。工事のために簡易橋がかけられているので、そこを渡って行くことになる。
今回の崩落で沢にはさらに大小様々の石材や煉瓦がまだ落ちていて、暗くなったらなおさら危険なのだろうと感じた。
木を組んで渡しただけの、一人ずつ並んで渡るしかない細い橋を渡りきると、中州の橋脚近くは小石が散乱して足場がとても悪かった。それを見てダンちゃんが、私の前で膝を折って背を向けた。
「転んで怪我をしてはいけない、コレットは僕が背負う。イオニアスは僕の足跡を追って来るといい、近衛は前後に」
そこまでしなくても大丈夫だよと言ったが、譲らないダンちゃん。仕方なく彼に背負われて先を行く逞しい設計士たちを追いかける。
そうして辿り着いた先は、私が三人いても手が回らないほどの太い橋脚の裏側。すぐそこに迫る岩壁との隙間、岩壁にぽっかりと扉のような古い木戸があった。
いや、扉と言っていいのかは分からない。鍵穴どころか引き手すらない、木の板がはまっているだけだ。
「……ここは?」
躊躇なく木戸に手をかけるバルナ卿へ、ダンちゃんが問うと。
「過去の、設計図にどうしても不可解な部屋が記載されていました。この橋脚はそこに手を加えるとどうしても強度を欠くので、修復工事でここに手をつけていないか確認せねばならないと……」
バルナ卿がふいに言葉を切る。
どうしたのかと見守っていると、再び卿の手とともに扉が動いたのだ。がたついたような木戸と岩の間にできた隙間に指を入れてさらに引くと、軋むような音をたてながら開いたのだ。
橋の裏で陰になる部分、ただでさえ薄暗くなっている中、そのぽっかりと空いた空間の先は真っ暗で、何も見えない。
どうするのだろうと思っていると、バルナ卿の横にいた設計士が、鞄の中から小さめのランプを取り出して火を灯す。それを受け取った卿が、穴の中へ向けるとそこにはがらんと空洞があった。
人がすっぽりと入れるほどの空間があるだけで……
そう思っていると、バルナ卿がふと下部へランプを向ける。すると空間は下へ続いていた。
「これって……階段、ですか?」
とても細い縦穴があり、その中にまるで梯子のような急な階段があり、奥に続いている。
バルナ卿は膝をつき、穴の中にランプを差し入れて、中を覗き込む。
だがすぐに立ち上がり、扉が嵌まっていた方の岩壁の内側を手で触る。ぱらぱらと落ちる砂のような石くずを指で触っていたかと思うと、バルナ卿が厳しい表情で唸った。
「ロレンソンは、正気を失ったとしか思えない」
ロレンソンとは、誰だっけ?
首を傾げた私に、ダンちゃんが「補修工事責任者のことだ」と教えてくれた。
ああそうだった、確か建築設計局に所属している人だ。殿下が指揮を執ることになって、就任した人で。ということは、卿たちの同僚ということで……
でもロレンソン男爵は、アルシュ家の遠縁だ。
「バルナ卿、ここにこんな大きな穴が開いているって、危ないのでは……?」
「ええ、おそらくここに手をつけたのが崩落の原因の一つでしょう。一番古い設計図には、ここに小さな空洞がありました。橋脚内部に人が入る空間があること自体、そもそも無理がある。それをここまで掘って大きくしてしまっては……」
「補修のための工事に入っていたのが仇になったってことですか?」
「それはまだ……因果そのものも疑ってかからねばなりません」
因果そのもの……?
この穴を広げたから崩落事故を誘発したのではなく?
私はハッとする。違う、そこじゃなくて。工事の最中に偶然この穴を開けたのじゃなくて、穴を開けるのが目的だとしたら。
「この穴の下を確認することはできないのですか?」
私の問いかけに、バルナ卿は空を見上げた。
つられるように私も見上げると、もう空は青から紺へと変わりつつあり、一番星が瞬いている。
もう夜が差し迫っているのだ。
「準備も無く地下へ潜るのは私たちでも躊躇うものです。明日、出直しましょう」
バルナ卿の言う通りだ。
扉を元に戻し、私たちは来た道を戻ることになった。
だがリヴァルタ渓谷から登る階段にさしかかったところで、バルナ卿が再び橋脚を見渡していた。どうしたのかと思ったら、彼は遠くを見たまま鼻で嗤ったのだ。
「最初は、アレのせいで負荷がかかっているのではと危惧していたが」
彼の視線の先には、昇ろうとしている第一橋脚から、先ほど訪れた沢に挟まれた第二橋脚、そしてギレン側の第三橋脚が見渡せる。もちろん、第三橋脚に寄り添うように建てられた、昇降機も丸見えなわけで……
「そこまで馬鹿をする奴ではありませんよ」
これまで無言を貫いていたイオニアスさんが言うと。
「それ以上の愚か者だがな」
吐き捨てるような言い方だった。
イオニアスさんは弟であるリュシアンを庇いたかったのだろう。けれどもそれをさせる前に、バルナ卿は怒気を強めて続けた。
「万が一でもあの馬鹿息子が殿下に反旗を翻したならば、私とお前はその責任を負わねばならない。首を差し出す覚悟は出来ているな?」
「……もちろんです」
真剣な空気に呑まれそうになる。
けれども、ちょっと待って。その理屈でいうと、私も王族相手に、詐称とか色々やらかしているわけで……。
固く冷え切った空気をどうにかせねば。
「まあまあ、お二人とも。今は確証がないことよりも、目の前の問題を一つずつ解決してからですよ。さあ定刻馬車が出てしまう前に戻りましょう」
話題を変えねば。
バルナ卿とイオニアスさんが死罪になると、バランス的に私も危なくなる気がして、ついお節介を焼く。
「そうそう、バルナ卿は工事責任者となっているロレンソン男爵のことを、ご存知なのですか?」
「ええ、ロレンソとはよく一緒に仕事をしてきたので。私は工事準備である地盤調査から基礎までを、彼は上物の設計工事が担当したり、よく存じ上げています」
「そういうことでしたか。それじゃ、ロレンソン男爵は信用できる方なのですね」
「……だったと言うべきでしょう」
階段を登る足取りは変わらず、前を向いたままバルナ卿はそう言った。
「どういうことですか?」
「残念ながら、先ほども申し上げた通り、彼は正気を失いました。良くも悪くも担当した事業について事細かに記録をする習慣のロレンソンが、この仕事に入ってから届く報告書は、どれも不明瞭な点ばかり。この事業の失敗は建築設計局そのものへの信頼失墜にも繋がりかねない、重要案件です。一切の不審を払拭するために、彼と仕事を受け持つことが多い私が、今回の調査を任されることになったのです」
建築設計局側の事情は、当然のことだろう。だがバルナ卿は「けれども」と続けた。
「まさかそこに不祥の息子が関わっているとは思ってもみなかったですが」
「か、関わるって……バルナ卿、まだ確証は……」
「気を回していただかなくても結構です。殿下の護衛頭から、息子が渓谷に隠れ住んでいることを知らされました。そしてあなたが護衛たちに守られている意味も」
「そ……そうですか」
「あれがここに滞在しているのなら、不穏な輩と関わっていることは間違いない。だからイオニアスにも責任を取る覚悟を問うたのです」
あー……せっかく変えた話題が回帰していく。
バルナ卿は間違いなく、リュシアンではなくイオニアスさん属性なのだなと悟る。これは間違いなく、リュシアンと喧嘩になる未来しか想像できない。そうなったら酷く面倒だ。
今晩は、もう一度彼と接触できる最後のチャンスかもしれない。
うん、リュシアンと子供たちの件は、私たちだけで何とかするのが最良だ。




