第十九話 相応しい場所
2025.2改稿
三年以上前に聞いた、リュシアンの出資者がシュベレノア様だった?
言葉を失っている私たちに、リュシアンは忠告を繰り返す。
「王都に戻った方が良い。誰も信用するな……それが例え王子殿下でも」
リュシアンがリヴァルタ村の人たちと坑道に潜んでいるということは、どういう経緯があったかは分からないが、立ち退きを拒み反旗を翻した側だろう。
「殿下が、シュベレノア様につくと思っているのね?」
「当たり前だろう、彼女の狙いはまさに王子なんだぞ。あの不思議な……魔法のような魅了は効かなかったとしてもだ、王子がこんな辺境の村のために工事を中断するわけがない」
「なんでそう断言できるのよ、リュシアンは殿下に会ったこともないのに」
「なんでと言われても……デルサルト公爵子息を失墜させたとはいえ、元々は劣勢だった王子は、実績作りに焦っていると聞いた。だから工事を失敗させるなんてことは避けるはずだろう」
まだ処罰が公表されていないとはいえ、王位継承争いからデルサルト卿が外れたことは、リュシアンたちにも伝わっているようだ。
「より地位を盤石なものとするために、リヴァルタの事業を利用するつもりなのだろさ。ちょうど空いている王子妃の座を、侯爵令嬢が長く望んでいるんだ。餌としてぶら下げれば、言うことを聞くと思ってのことじゃないのか」
どうも、彼には情報が欠落している。
だがここは街道も不通になっている辺境の村。しかも隠れ住んでいる彼らに、偏った情報しか掴めないのも無理はない。だがそれは普通に暮らしている分ならばだ。
彼らは既に、領主一族とそこに同行している殿下の前で、宣戦布告をしてのけたのだ。
「リュシアン、確かな情報も掴めていないのに武力をもって蜂起して、危険な賭に出たの? 側には小さな子供もいるのに!?」
私の口調が変わったことに、リュシアンとて気づいたことだろう。たじろぐ空気が感じられたが、容赦する気にはなれなかった。
「事故の知らせを受けてすぐに救助のため、近衛を派遣すると決定したのは殿下よ。なのに村人がどうなってもいいと思っているですって?」
「なんでお前が怒るんだよ、そう考えるのが普通じゃないのか? それに、子供たちは親を亡くして天涯孤独だ、行き場がない。ここに居れば、俺が勉強を教えてやれるし、知らない土地で苦労する必要もないだろう?」
私は大きくため息をつく。
少し話して、分かったことがある。
「リュシアン、あなた首謀者ではないのね。それについては安心したけど、ある意味失望したわ」
「……は?」
「研究の成果である道具を提供しているけれど、あなたは解放軍に責任ある立場じゃないってことね?」
返答に窮する様子のリュシアンに向けて、それまで黙っていたイオニアスさんが声を上げる。
「コレットさんが怒るのも無理はない、それも分からないのかティル? 私たちには危険だと王都に帰るよう忠告するのに、その子供たちは危険に晒しても平気なのか?」
「いや……それは」
「それだけではない。殿下はシュベレノア嬢を婚約者に選ぶことはない、絶対に」
「そうなのか? それはやっぱり、噂通りに……」
室長に続いてこっちもか。げんなりする私の代わりに、イオイアスさんがすぐさま否定する。
「それは間違いだ、殿下は長年想っておられた女性に求婚されている。既に、妃を選ばれているのだ。それだけではない、殿下は民を見捨てるようなお方ではない。お前たちは正確な情報すら得ずに、殿下がいらした時を狙って行動を起こしたのだ。それがどれほど無謀な行動だというのが分からないのか!」
イオニアスさんの言葉に、暗い中でも分かるほどにリュシアンは驚いたような顔をしていた。
「ティル、どうして相談してくれなかった?」
「……兄さん?」
「家を出た時もそうだ、私がお前の苦痛を分かってやれなかったのは申し訳ないと思っている。だが言ってくれたら、私は何か助けてやれることがあったろう。今回のリヴァルタ村のことだって……領主が間違った選択をしたとしても、違う方法で助けを求めることだって出来たはずだ」
リュシアンは眉を寄せて、イオニアスさんの言葉を拒絶するかのように横を向く。
今回のことはイオニアスさんの言い分は尤もだが、過去の家出にはきっと複雑な何かがあるのだろう。
「リュシアン、解放軍とやらの方はどうにもならないけれど、子供たちの件ならば私にいい伝手があるの。王都によく知る修道院が経営する救護院があって、そこで私も勉強を教えたりしているわ。引き取り手がいない子供たちは、そこで預かってもらえる。だからせめて、いろいろと片付くまでは避難さてあげない?」
リュシアンとて、彼女たちを思いやっていないわけじゃないのだろう。それは悩むリュシアンの様子からもよく分かる。
「……俺の一存で決められない」
「なら、私を『中』に連れて行ってよ」
「コレット?」
慌てて声を出したのは、ダンちゃんだった。そんなダンちゃんに、手を向けて制止する。
「責任者に私から説明する。子供たちの事だけじゃない、殿下がリヴァルタ橋の工事を今のままで進めるつもりはなく、問題があれば中止するつもりでいることも」
「駄目だ、コレットが説明したくらいで納得できるくらいならば、こうはなっていない」
さすがにリュシアンを口先で騙すことは無理があるようだ。でも今はまだ、何もかも話してしまえるものでもない。
「それもリュシアンが判断することじゃないでしょう? それとも殿下を……王家と国家を敵に回したくて蜂起したの?」
「それは違う、俺たちの敵は『アルシュ』だ」
「ならば、私の提案を聞いて欲しい。返事は今晩、同じ時刻にここで待っているから!」
しばし考える様子だったリュシアンは、結局「訊くだけはしてやる」と了承したのだった。
そうして山に帰るリュシアンを、最後にイオニアスさんが呼び止める。
「明日、王都から後発の視察団がここに到着する。その中に、父が居る」
振り返ったリュシアンは、心配そうな兄とは反対に、口元に笑みを浮かべている。
「あの人が大事なのは兄さんだ。俺に興味なんてないだろうさ、気にしていない。それはあっちも同じだろう?」
「ティル……そんなことは」
否定しようとするイオニアスさんの方を慰めるかのようにもう一度笑ってみせると、リュシアンは暗闇の中に戻って行ってしまった。
結果は明日の零時。もう一度会えることを願って、私は山陰どころか森すら見えない漆黒の闇を眺めるしかなかった。
そうして突発的な再会を経て、明るくなってから渓谷橋に戻る時間を迎えた。
朝食を取る時にも思ったのだが、イオニアスさんの顔が酷い。きっと様々なことを考えてしまい、よく眠れなかったのだろう。
「大丈夫ですか?」
坂道を上る足取りは悪くないが、顔色が土気色な気がする。目の下にくまが出来ているのはいつものこととして……
「ご心配には及びません、私は今、とてもやる気に満ちています」
「え、そうなんですか……」
「はい、色々考えた末に、やはり私に出来ることといえば仕事しかありませんから。任されたことを完璧にこなすべく、臨みたいと思います」
なんか極振りしてきた。
逆に心配になるよ、イオニアスさん!
「あの、今晩のこともあるのでどうか、無理はなさらないでくださいね」
そうしていつも通りに会計資料室に向かった。既に資料室ではガレー室長と、その部下の会計士たちが揃っていた。昨夕の打ち合わせ通りガレー室長は早速、部下たちに指示を出して、侯爵様に確認をしてもらう会計書類の作成を始めているようだ。いつもよりも数日早い作業となるらしいが、既にシュベレノア様が殿下を伴ってギレンへ戻ることを通達されているらしく、不審さを感じさせずに済んでいるようだ。
そうして慌ただしくなっている横で、私たちもまとめる書類の整理を急ぐ。
視察団の到着は、正午前とのことだ。まとめた書類の内容を手際よく説明するためには、色々と準備がある。そうして忙しくしていると、時間はあっという間に過ぎていった。
時間になって私たちを呼びに来たのは、レスターだった。
「出迎えには、会計士も参加して欲しいそうだ。姉さんは、あくまでも助手だから、ここで待っていて」
「なぁんだ、私は待機?」
イオニアスさんのお父さんにも会いたかったのにな。ちょっと残念ではあるものの、レスターが「姉さんを殺そうとする奴の前に連れて行くわけがない」と聞く耳を持たない。
その替わりと言っては何だけれども、別の仕事を請け負った。
それは伝書鳩に手紙を託して放つこと。定期的な伝令のやり取りはしているけれども、殿下は用心のために鳩も飛ばしている。毎日、一羽ずつ、ヴィンセント様に向けて。
今日の分を預かることで、私は出迎えを諦めてダンちゃんと留守番をすることになった。
どうせシュベレノア様が居なくなれば、会うことになるだろうし。
そう考え直して、賑やかな声が外から聞こえる中、資料室でダンちゃんと二人でお茶を啜る。お茶菓子は、レスターがロゼの修道院横のお店で買ってきてくれた、焼き菓子だ。
街道が塞がれて以来、あまり物資がないリヴァルタ周辺の中でも、ロゼは比較的豊かな町だそう。砂糖も不足がちとはいえ、手に入らないほどではないらしい。
「甘くて美味しい。レスターってば、私の好みをよく分かっている!」
甘いクッキー生地の中央をくぼませ、そこに木の実ジャムを乗せて焼いているおかげで、甘酸っぱさもあって美味しい。お茶のおかわりを淹れようとしたのだけれども、茶葉が切れてしまっていた。
「確か、ここはネズミが出るからと、茶葉のような物は別棟の倉庫にあると言っていた。僕が取りに行ってくる」
「そこまでしなくても……あ、ついでに私も一緒に行くわ。倉庫の少し先に、鳩のいる部屋があったし」
「……だが」
ダンちゃんが、上を見上げる。
直接見えるわけじゃないけれども、橋の上にある街道に人が集まっている。そこからすぐ下の広間に移って、報告を受ける予定だ。
「まだあと二時間はかかるはずだから、令嬢に遭遇する可能性はないわ。今のうちに一度に用事を済ませちゃいましょうよ」
「……わかった。その代わり、僕から離れないように」
そうしてダンちゃんと私は、手紙を手に会計資料室を出たのだった。
石組みでできた細い廊下を橋の中央に向かってしばらく歩くと、広い部屋がある。そこは修復事業に拘わる人たちが使う、様々な道具や食料が保管されている。盗難を防ぐために人が立っていて、身分と必要なものを告げると出してくれる仕組みになっている。
すぐに茶葉の入った袋を出してくれて、それをダンちゃんが持ってさらに私たちは進む。
倉庫が橋の真ん中ぐらいなので、少し対岸寄りの場所になる。広い開口部の見える廊下の横に、殿下が連れてきた鳩たちの篭が置かれていた。
ぴゅうと風が石壁をすり抜けて、音を立てる。
谷から拭き上げる風は思っていたより強く、ばたばたと音をたてて私の服を揺らす。
開口部の外は絶壁で、そこには鉄製のレールが谷底へ伸びていた。それがリュシアンの作った昇降機のガイドレールなのだ。
「コレット、風に煽られて危ないから、もっと中へ」
ダンちゃんに呼ばれて、私は後ずさる。
数歩中に入っただけで、風が穏やかになるようで、篭の鳩たちは羽を揺らすことなく止まり木に並んでいた。
その篭にダンちゃんが手を入れて、すぐ手前にいた一羽を掴んで取り出す。
羽をばたつかせて可哀想なので、私は丸めて筒に入っていた手紙をその鳩の足にくくりつける。
「鳩さん、王都までちょっと遠いけれど、頑張ってね」
丸い目は私の声に気づいてさえいないが、ダンちゃんが窓の開口部へと近づけると、翼を広げていつでも飛び立つつもりのようだ。
いきなり放り出されて壁にぶつからないよう、ダンちゃんが勢いよく鳩を投げた。
すると少しの放物線を描いてから、すぐに羽を広げて北に向けて羽ばたき、旋回していく。
「前にも思ったけれど、鳩はすぐに帰る場所が分かるなんて、凄いわよね」
南向きの窓からはすぐに見えなくなる鳩に感心し、そう口にした。
まさか思いもかけない返答があるとは考えもせずに。
「己の相応しい居場所を知っているだけ、鳩はましね。おまえとは違い」
身体が、緊張で強ばった。
そんな私を庇うように、ダンちゃんが動く。その人と、私を隔てるように。
「平民の身で、王子殿下の私財会計士を任されているというのは、おまえか」
大きな背の向こうから聞こえた声は、高く凜として、酷く冷たいものだった。




