第十八話 邂逅
2025.2改稿
すっかり暗くなった道を、私とダンちゃん、イオニアスさんの三人で歩いてリヴァルタ村の宿泊所に向かった。
殿下は大急ぎでリヴァルタ橋を渡り、その先にあるロゼ寺院に戻って行った。短い時間だけれども、直接話せて良かった。殿下が来てくれたからこそ、ガレー室長も協力してくれる気になったのだろうし。
ダンちゃんが手に持つランプに行く手を照らされて、彼の後を辿るように下る坂道。私の後ろで黙って歩くイオニアスさんの方から、小さなため息が聞こえてきた気がして振り返る。
「そういえば、イオニアスさんは別れ際に殿下から何か言われていましたよね?」
「あ……はい。いえ……まあ」
考え事をしていたようで、イオニアスさんらしからぬ明瞭でない返事だった。
どうしたのだろうと思っていると、ダンちゃんが足を止めて私たちの方にランプを向ける。
「二人とも、暗い中で話すと足を滑らせるぞ。もうすぐそこだから、先に宿へ入ろう」
その指摘はもっともだ。細い月は出ているけれど、山陰に入ると辺りは漆黒の闇に包まれている。
それもそうだと、話は後にすることにして先を急ぐ。
そうして渓谷橋から谷に下った先の、宿に戻ってきたところで、先を急がせたダンちゃんが鼻をくんと鳴らしてから私たちを止めた。
「……何者かが、留守中に来たようだ。コレットとイオニアスはここで待っていて」
私とイオニアスさんは顔を見合わせる。
ダンちゃんの鼻には、見知らぬ匂いが感じられるようだ。けれどもそれは残り香で、既に時間が経過しているとのことで。
でももしかしたら、何か良からぬ仕掛けがされているかもしれないと、ダンちゃんは私たちをその場に待たせておいて、鍵を開けて宿泊所に入っていった。
「何者でしょうか……」
暗闇の中、不安からかイオニアスさんが呟く。
ダンちゃんの嗅覚を信用しているので、今すぐの危険が無いことは確かだろう。しかし私たちに用がある相手は、きっと限られている。私には予感があった。
そう時間を待たずして、宿泊所の玄関からダンちゃんが顔を出した。
「二人とも、大丈夫だから入ってきてくれ。危険なものは見当たらないが、広間の壁に置き手紙のようなものがあった」
「……手紙?」
私たちの留守中に侵入者があったのは確かなようだ。急いで中に入り、その手紙を確認したかったのだが、ダンちゃんに止められてしまう。
時間が遅いのもあって、先に食事を取ってからと言われてしまったのだ。
どうやらダンちゃんは、私の体調管理も殿下から任されているらしく、案外厳しい。ダンちゃんいわく、それは殿下とて例外ではないとのこと。忙しい中だからこそ、食事と睡眠はとれる時にとる。突発的に何かが起きた時に、そこが最も影響するのだと力説されている。
そうして三人で手分けして食事を準備して、お腹がいっぱいになった頃、ダンちゃんが見つけたという手紙……メモ程度のものだったけれども、それに目を通した。
隅がすり切れた、薄汚れた紙の一片。掌に乗る程度の大きさのそれに、似つかわしくない達筆な文字で『零時に兎の抜け穴で待つ』とあった。
「コレット、まさか誘いに乗るつもりか?」
「ダンちゃん……もう会わないでいるのは無理でしょう。パリスに名前を名乗った時点で、彼とは話をしなくちゃならないと思っていたわ」
これは、リュシアンからの手紙に間違いないだろう。それに指定された場所がこちら側、庭先のあの垣根ということで、敵意がないことを暗示しているのだと思う。それが普通かは分からないけれど、私が知るリュシアンならば考えていそうだ。
「ダンちゃん、絶対に無茶はしないから、お願い。協力して?」
「コレット……」
「それと、イオニアスさん。あなたもリュシアンに……いえ、弟のティルと会いますか?」
振り返ると、イオニアスさんは難しい顔をして立ち尽くしていた。
イオニアスさんの性格ならば、悩むのも当然だろう。彼は本当に仕事に忠実な人だから、例の解放軍とやらに加担している弟と、どう接していいのかと考えているのではないだろうか。
「考えているだけでは、結論は出せないんじゃないですか? それなら会って話してみたら、次の一歩くらいは開けるかもですよ」
「いえ、殿下にも申し上げた通り、弟とは会うつもりです。ですが……先ほど、殿下から教えていただいたのです。父が……ティルと犬猿の仲だった父が、後発の視察団に加わっていると」
「……え? お、お父さん?」
「はい、建設設計局の、土木課課長をしております。渓谷橋は専門外なので参加予定はなかったはずですが、後にベルゼ王国の鉱山開発責任者が来訪することになったそうで……父が山間部の街道や坑道などの整備を担当していることもあり、急遽決まったそうです」
そういえば、大昔にもう一つの宝冠の封印をしたのが、ベルゼ王国だった。その関係で技術者でも派遣されることになったのだろうか。
「反目しあっている父と弟が不用意に会うことになり、これ以上リヴァルタ事業へ差し障りが出るようなことがあってはなりません。知らせずに会うことになり問題が起こるならば、知らせるべきかと思うのですが、そのせいで弟が逃げるのではないかと心配で……どう切り出したらいいのかと」
頭を抱えて苦悶の表情を浮かべるイオニアスさんなんて珍しい。
真面目が服を着ているような彼にとって、この状況下で身内の喧嘩が勃発した日には、卒倒ものなのだろう。
「ご、ご心痛、お察しいたします……」
さすがに不憫すぎて、かける言葉がない。
だがダンちゃんはそんなイオニアスさんに、淡々と問いかける。
「イオニアスは、弟が見つかって迷惑だったか? このような場所でなければ、歓迎できたか?」
「そんなことは、決してありません。生きて……無事に居てくれたことには心から安堵しています。ご迷惑をかけている手前、あまり口にはできませんが」
その言葉に、ダンちゃんの目が一層細くなる。
「だったらまずは、それを伝えるところから始めたらいい」
イオニアスさんは驚いたような顔でダンちゃんを見上げて、それから小さく頷いた。
「そうですね……確かに」
「でしたらその件も含めて、三人で作戦会議ですね、あと三時間しかありません」
そうして皆で話し合い、リュシアンとどう接触するか決め、あっという間に迎えた三時間後。
ただでさえ細く頼りなかった月が山陰に隠れてしまった、深夜。星が瞬く暗闇の中で、私は一人庭先の茂った垣根の前で待った。
見渡す限り闇が広がる、かつてはリヴァルタ村の家々があった渓谷に、灯る明かりは宿泊所として使っている背後の家のみ。ランプが揺れる灯りすら見えない中、本当にリュシアンが来るのだろうかと心配になった頃、目の前の茂みが風もないのに突然揺れた。
驚いて一歩下がると、私の腕を誰かが掴んだ。
「……っ、リュシアン?」
「ああ、俺だ、コレット=レイビィ」
目の前にぬっと立ち上がった人影は、思ったよりも大きくて。でも暗闇の中では、暗い色の髪と服装なせいか、シルエットしか分からない。
しかし向こうからは、しっかり私が見えていたようで。
「こんな僅かな星の光すら集めて、相変わらず派手な頭だなおまえ」
遠慮ない物言いに、顔は見えずとも彼がリュシアンだと確信する。
私の緊張が解けるのと同時だった。後ろに気配を消して座っていたダンちゃんが、ランプに火を入れる音がした。
反射的に離れていく手を、私が握り返して掴まえる。
「ここまで来たのに尻尾巻いて逃げる気?」
「……いや、逃げやしないが、その大男に睨まれたらさすがにビビるだろ」
リュシアンが私の頭の上に視線を向ける。
ダンちゃんの容姿は、意図せずとも威嚇してしまうのはいつものこと。
「彼はダンちゃん、友だちだから安心して」
ダンちゃんが彼にランプを向ける。
その明かりに照らされているのは、三年前に見たのと同じ茶色い毛玉のような髪をした、細面の同級生に間違いない。神経質そうな細い鼻筋、不健康そうなこけた頬、普通に整っている顔立ちだから笑えばいいのに、相変わらず口をへの字にして私を見下ろしている。
「お前の友だちは、普通じゃない奴ばっかりだな、昔から」
「それって自己紹介じゃないの、まあいいや。ところで一人? パリスは元気?」
「ああ、ガキは飯食って寝た」
「良かった、お腹空かせているんじゃないかと心配していたの」
「……なんで、お前がこんな所に来た? 庶民納税課で会計士していたはずだろうが」
リュシアンの問いに、私は少しだけ首を捻る。
「よく知っていたわね、内定もらう前に消えたくせに」
「お前が望んだ場所に行けないなら、誰も仕事にありつけないだろうに。どういう経緯でこんな仕事を任されたかは知らないが、悪いことは言わない、王都に帰れ」
「簡単に言わないでよ。でもそこまで言うなら理由は?」
「は? 昨日の襲撃を知らないわけがないだろう? ここは戦場になる、怪我をしたくなかったら帰れ!」
もしかして、リュシアンなりに心配してくれての、呼び出しだったのかしら。
昔から、態度や言葉は荒くてわかりにくいが、よく聞くとそれが誤解であることが多い。
「心配してくれるのは有り難いけれど、そうはいかないわ。仕事だし」
「し、心配しているわけじゃない、忠告だ」
「うん、そうね。でも心配するような事は起きないわよ、殿下が来ているし」
「だから心配してねえって言っているだろう、人の話を聞かない奴だな!」
「あ、そうだった、肝心なことを聞いてなかった。ねえリュシアン、あの水車の動力を使った昇降装置はあなたが作ったのでしょう?」
何故かリュシアンは、大きなため息をついて困った様子でこめかみを押さえていた。
「でも発明したのは、もっとずっと子供の頃なんですってね」
その言葉に、リュシアンは表情を消して顔を上げた。
「……誰から聞いた?」
「私が、話したよティル」
にわかに険しくなるリュシアンの声に応えたのは、イオニアスさんだった。
ダンちゃんの後ろから出てきた、イオニアスさんの姿が明かりに照らされると、リュシアンが大きく目を見開く。
「……兄さん?」
「ティル、突然いなくなって心配していたんだ。良かった、無事でいてくれて」
驚きの中に、狼狽の色を宿すリュシアン。
イオニアスさんが近づくと、彼は下がろうとして生け垣に背を阻まれる。「逃げるのでは」と心配していたイオニアスさんの勘は、正しかったようだ。
「ここで逃げたら、格好悪いですよリュシ……ティル=バルナ子爵令息様?」
私が横からそう言うと、ハッと正気に戻ったらしく、睨まれた。
睨むと言っても、子供がムッとして不機嫌になったような顔なので、怖くはない。
「兄さんも、ラディス王子とともに視察で来たのか?」
「そうだ、私は財務会計局本院の、殿下担当会計士をしている」
「コレットもか?」
私の方を向いて、今度は真剣に聞いてくるので、はっきりと分かるように頷いてみせる。 間違いではない、本院勤めではないけれど、殿下の会計士だ。
「二人とも、このリヴァルタ……いや、アルシュ侯爵領で何が起こっているのか分かっているのか?」
その問いには、私が答える。
「アルシュ解放軍とやらが、宣戦布告したことは知っているわ。空を飛ぶあれは……あなたがかつて実験を繰り返していた『落下傘』よね」
「……どうして知っている?」
「三年前、リュシアンが居なくなる直前に、教師と話しているのを聞いていたの。翼でもない、空を飛ぶ道具を作るって……」
リュシアンの顔から再び表情が消える。
「ああ……俺の研究を馬鹿馬鹿しいと一笑された、あの頭の悪い教師との会話を、まさかお前が聞いていたとは」
「もしかして、あの時言っていた支援者が、アルシュ侯爵様なの? だからあの後、リヴァルタ渓谷に来たんじゃないの?」
村の名簿では、あれからそう日を経ずに移住したことになっている。
だがリュシアンの返答は違った。
「違う、俺の研究に興味を持って多額の出資をしたのは、シュベレノア=アルシュだ」




