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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第二章 リヴァルタ渓谷の秘密

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第十一話 リュシアン

2025.2改稿

 黒っぽい影がふわふわと舞い降りる様は、まるで童話の中の世界に彷徨い込んだみたいだった。

 でも目をこらして見ていると、影は大きな傘を二つ連ねたような形をしていて、それらを結ぶ紐の下に人がぶら下がっている。

 人が空を飛ぶだなんて、所詮は机上の空論だとお前もそう言いたいのか。そう叫ぶ声を、私は思い出していた。



「また君は、そのような夢物語にどっぷりと浸かっているのか。人が空を飛ぶなど、天地がひっくり返ってもありえないだろう!」


 聞き慣れた教師の声で足を止めたのは、授業が終わってすっかり人気の無くなった学校の教室の前だった。

 私はまだ市街地に作られた庶民が通う学校の最終学年に在籍していた、十六歳の頃だった。あと半年ほどで卒業を迎える予定だったのだけれど、最終試験を前に、いくつか調べ物が必要になって学校に残っていた日のこと。

 庶民の学校は学費が安いとはいえ、全ての子供が通えるわけではない。家業が忙しくて時間がないもの、学費どころか日々の食費すら稼がないとままならない者などは、早々に早期卒業をしていく。そんな事情だから、授業が終わってまで残っている生徒は少なく、たいがいが私か……今、教師に問い詰められている彼、リュシアン=シェリーくらいだ。


「君は卒業後、建築設計局へ採用されるのではなかったのか?」


 建築設計局は、数ある行政局の中でも最優秀者が集まる場所だ。もし教え子がそのような場所に就職したのなら、学校としても誉れといえる。しかもリュシアンが得意としているのは、機械工学だ。他も優秀だが、その科目では常に群を抜いていて教師も舌を巻くほど。もし建築設計局に入れたのなら、二年の試用期間中にさらに上級な学問を学べる。幾つもの新しい技術が入ってきている今、彼のような人材はこれからもっと必要とされるに違いない。いや、そうでなくては、彼に試験の順位で負け続けた私の立場がない。

 けれども、彼リュシアンは、教師の言葉を鼻で笑う。


「俺は、死んでも建築設計局なんかには入らない」

「は……なにを言って……いいかリュシアン、これはすこぶる名誉なことだと分かっているのか?」

「だから、俺はそうじゃないって言っているだろう、先生。俺は発明家として生計を立てていくよ。それにこれ見てよ、大きな傘を二つ並べて繋げたような形にしてみたんだ、そうするとより効率的に空気を受けて揚力を発生させる。俺の計算上では素材の強化さえ目処が立てば、人は高い空を滑空するかのごとく飛べるようになる。もう最初の実験も成功させている。これに興味を持ってくれている貴族がいて……」

「リュシアン、いいかげんにしないか!」


 教師の一喝が飛ぶ。

 こちらからは彼の丸い大きなくせ毛頭が見えるだけで、表情はまったく見えないけれど、リュシアンはいつもの生意気そうな顔をしているのだろうか、それとも……


「発明家だと? それはつまり、きみは詐欺師になると言っているのも同じなのだ。相変わらず問題ばかり持ち込みおって……その成績さえなければとっくに追い出されているだろうに」

「……っくそ!」


 悪態をつくリュシアンの声を最後に、会話が途切れると、まるで怒っているのだと言い聞かせるかのような足音がひとつ、去って行く。

 私は、僅かに開いている教室の入り口の扉の影に入ったまま、歩き出す勇気が持てなかった。

 きっと、私もあの教師と同罪だ。

 私より優秀なリュシアンは、私が勝てない理由を忘れさせてくれるくらい、良いところに入局してくれないと困る。そう思っていたのだから。

 なんて勝手なのだろう。そう自己嫌悪に襲われた。

 でもそんな卑怯でライバルの私に、同情はされたくないだろう。そう思って、私もまたその場を後にした。

 そして彼は、いつしか学校に来なくなった。そしてあっけなく私が主席で卒業することになったのだ。

 忘れることができない最後の記憶は、佇む後ろ姿だった。




 空からふわふわ舞い、落下してくる傘は、あの日彼が目を輝かせて教師に訴えた、空を飛ぶ道具だ。

 私はレスターの制止を振り切って、窓に飛びつく。

 顔を隠した黒づくめの人間が、手にした紐を器用に操作しながら落下してくる。そして身体に着けてあった袋を谷に落としていく。すると落下傘よりも先に落ちた革袋が、ぼんと爆ぜる。 あちこちで爆ぜる爆薬の風が、私のいる部屋の窓にも入り込む。私にすら分かるほどの火薬の焼けた煙と匂いに、ハンカチで鼻を押さえるほど。

 窓の下で警戒していたダンちゃんには、相当きついはず。けれどもそんな様子を微塵も感じさせずに、私を抱えて窓から離れてしまう。


「コレット、どうして言うことを聞かない?」

「そうだよ、姉さん。あれがここに投げ込まれたら、こちらはひとたまりもない。すぐに避難しよう」


 レスターの提案に、ダンちゃんもイオニアスさんも同意する。

 けれども、私は首を横に振る。


「おかしいよ、襲ってくるならなんで火がついた爆薬を谷に落とすのよ、真っ先に窓に投げ込んだ方がいいはず。ううん、今は外に殿下たちがいるのだから……」


 そう言い募ったところで、爆発の風に煽られて、窓から小さな紙が風にのって入ってくる。


「見て、何か書いてあるよ」


 それは一枚ではなく、たくさんの千切れた紙。ひらひらと舞うそれを一枚手に取ると、何かが書かれている。

 ──工事の中止を求める


「……なんだろう、これ?」


 他を拾ってみると、そこには『アルシュ解放軍』とあった。ダンちゃんの足元に落ちた紙には『騙されるな』とあり、レスターが拾ったそれには『大罪を暴く』『目を覚ませ』とあった。

 違う。これは攻撃じゃない。宣戦布告だ。

 この日を狙った行動に違いない。アルシュ侯爵家と王族である殿下がここに揃う日を、選んだのだ。

 こうしていつでも襲いかかれることを示し、彼らの顔に泥を塗り、そして工事関係者にこの無数の紙を拾わせる。それが目的なのだ。実際に、最初の数回以外は、リヴァルタ橋に爆薬を当てていない。


「反逆……だよね、これ」


 私の呟きに、ダンちゃんとレスターは渋い表情を浮かべたまま返事に困っている。

 そしてイオニアスさんは、拾った紙を握りしめ、青い顔をしたまま立ち尽くす。

 リュシアン。

 こんな形で、かつてのライバルに再会したくないよ。どうか、あなたでないように。

 私はただそんなことを祈るしかなかった。



 それからリヴァルタ橋は混乱を極めた。空から飛来した賊たちは、そのまま渓谷の森に姿を消したのだ。殿下が近衛に指示して跡を追わせたが、橋の下は徒歩でしか進めない。かろうじて騎乗でリヴァルタ村まではたどり着いたそうだけど、その先は岩場と深い森と険しい沢の連続だ。捜査はすぐに打ち切られ、警戒を強化するしか手立てはなかった。

 殿下はもちろん、側にいたアルシュ侯爵令嬢も無事だったそうだ。

 令嬢はかなりショックを受けた様子ではあったようだけれど、殿下が側に居るから大丈夫だと、気丈に振る舞っていたそうだ。


「殿下は今や隠すことなく、帯剣なされているからね。必然的に殿下がご令嬢を庇うしかないだろうが、さすがに殿方にしなだれかかるご令嬢の儚げさは、貴婦人といった様で。絵になると言うべきなのか……コレットがあの二人を見なくて良かったよ、きっと妬いてしまうだろうからね」

「いーえ、残念ながら妬きませんよ、エルさん」


 バタバタしたまま夕刻を迎えることになった会計資料室に、今日はエルさんがやってきた。

 彼が持ってきた手紙をダンちゃんが受け取って、伝書鳩に持たせて放つ。その間、護衛をエルさんが交替している。護衛といっても、雑談して私の手を止まらせているのだから、邪魔でしかない。

 最初は、ちゃんと報告だったのだ。エルさんによると、あの不審者集団の攻撃で、死者どころか負傷者が一人も出ていなかったみたい。そして遠目ではっきりはしないが、それなりに訓練された集団であると思われるということ。

 近衛たちで回収した紙切れは、殿下が保管して調べているらしい。彼らの要求……つまり目的を知る手がかりになると考えているのだそう。


「それで、今朝レスターから伝えてもらったことについて、殿下は何か言っていましたか?」

「ああ、子供のことね……うん、これ預かってきた」


 エルさんがふいっと差し出した分厚い帳簿を受け取る。この大きなものを、いったいどこに隠してあったのか、出す所すらさっぱり見えなかった。


「なんですか、これ?」

「リヴァルタ村の名簿。漏れはあるらしいけど、廃村になる前まで、一応作られている。そこに移住費用を受け取った人物には、印がしてあるから」

「これで、パリスの名前を探せってことですか」

「うん、殿下は例のアルシュ解放軍とかいう連中の対応で、忙しくなりそうだから」

「まあ、そうでしょうねぇ……」


 私は預かった名簿を、なんとなく開いてみた。

 ずらりと書き連ねてある名前は、かつてリヴァルタ村で生活していた人たち。渓谷の厳しい自然のなかで、慎ましく真面目に、森の恵みを得る狩りや、たまに橋を補修したりして計を立てていた人たち。名前の脇に仕事が書かれている人も多い。その中から、ふとパリスの名前を見つけた。年齢は九歳。両親の欄には横線が引かれている。やっぱり家族を失ってしまい、取り残されたのだろう。

 そしてため息とともに閉じようとして、最後の頁が偶然にも開く。

 目に付いた名前に、私はなんとも言えない苦さが、胸に広がる。

 ──リュシアン=シェリー、土木設計技師。

 ふいにエルさんと目が合って、慌てて名簿を閉じる。


「どうしたの、コレット?」


 不思議そうに問うエルさんに、首を横に振って「なんでもない」と答えた。


「あ、そうだ。私も手紙を出したいんだけど、どうしたらいいのかな?」

「ああ、普通の手紙なら、確か受付け所があったはずだよ。それとも急ぎなら、殿下の手紙に追加させようか?」

「え、鳩に? いやいや、そんな重要な内容じゃないです。レリアナと、ラッセルさんに返事を書こうと思って」

「お友達の方は何ともならないけど、ダディスになら殿下が会う予定があったはずだよ。同席をしたらいい、殿下にも伝えておくよ」

「あ、はい……お願いします」


 そうしてダンちゃんが戻ってくるまでに、私はレリアナに宛てた手紙をしたためた。急ごしらえだけれど、回収は作業員たちが宿に帰る時と同時らしいので、今日のうちに間に合いそう。

 そうして書いた手紙に慌てて封をして、戻ってきたダンちゃんとともに、部屋を出た。 もう夕暮れが迫っているせいか、人が行き交う中層の階を渡り、いくつかの部屋を通り越した先に、手紙の受け付け場所があった。

 どうやら殿下のいる部屋も近いらしく、警護が厳重だ。それでも私とダンちゃんは止められることなく通過し、無事に手紙を出し終わった。

 間に合ったことにホッとして引き返そうとした時だった。振り返った後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。


「シュベリー、ここは我々に任せて、領都へ戻るんだ」


 殿下の、声だ。


「いいえ、ここはアルシュ領、私が不始末の責任を取らずラディス様に任せきりになるなど、あってはなりません」

「アルシュ家も標的になっている可能性がある、シュベリーは身の安全を図るべきだ」


 凜とした高い声音は、シュベレノア様だろう。なるほど……シュベリー。愛称で呼び合うほどには、近しい関係だったのだな。それもそうか、侯爵家という王家に一番近い身分なのだから。

 私は、振り返ることなく歩きながら、そんなことを呆然と考えていたのだった。

 今は、それどころじゃないのにな。

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