第十話 襲撃
2025.1改稿
私とレスターが宿泊している家に戻ると、玄関でダンちゃんが待っていた。どうやら私が部屋に居ないことに気づいて、心配になって探しに行こうと思っていたらしい。
「ごめんなさい、ダンちゃん。早く起きたから外の空気を吸いに出ていたの」
彼は私のために護衛として居てくれているのだ、心配かけてはいけない。そう思って無事であることを伝える。するとダンちゃんは怒ることはないけれど、私に少しだけ近づいて鼻をくんと鳴らす。
「知らない匂いがする。何があった?」
誤魔化すつもりはなかったけれど、やっぱりダンちゃんの嗅覚は何でもお見通しらしい。
私はダンちゃんの能力をよく知っているから自然とそれを受け入れているが、レスターは驚きを隠せない様子だ。
「彼は、とっても鼻が利くのよ。玄関で話すより、食事をいただきながらにしましょう。出かける時間が迫っているから」
そう言って、二人を促した。
朝食の支度が終わる頃、イオニアスさんも支度を終えて出てきた。皆が揃ったところで、食事を取りながら、早朝に出会った少女のことを話して聞かせる。
小さな子供が取り残されていることに、イオニアスさんはとても心を痛めている様子だった。
「事情はまだ分からないけれど、ダディスからの情報だとクラウスの町から支援を受けているみたいだから、早急に刺激をするのも危険だと思うのよね。もちろん、今後も情報を得ることが前提だけども。ダンちゃんは、殿下から取り残された人たちの対応を、何か指示されている?」
「移住を拒否した住民よりも、そこに余所から集まる者たちの方を警戒している。どうも、力に長けた者ばかりのようだ。だからコレット、子供は不憫だがあまり接触することは好ましくない」
「……力に長けたって、つまりレスターやダンちゃんみたいな人たちってこと?」
ダンちゃんは、困ったような顔で言葉を濁す。
「ただ単に住む場所を求めて流れてきた、ならず者たちじゃないってことね。なら尚更、放っておけないじゃない、あんな小さな子供がそんな集団の中に残っているだなんて」
「姉さん、姉さんにはやるべき仕事があるでしょう。そう言って昨日、僕にここに来た理由を説明してくれたよね?」
レスターの言うことはもっともだ。あれもこれもと、欲張ったら全部が台無しになる。焦ってはいけないと思った矢先に、自分がこれだ。
「分かった、ダンちゃん。殿下にこのことを報告しておいてね。でも子供たちは、何とかしないといけないわ」
「子供たち……やっぱり姉さんは、子供があの少女だけじゃないと思う?」
「うん。パリスは言ったわよね、パンが『レーニィとリュシーの分もある?』って。他にも大人たちが居る中で、彼女が心配するなら同じ子供じゃないかしら」
「……コレット、僕と約束をして欲しい」
ダンちゃんが神妙な顔で、そう切り出す。
「僕か、レスター卿と一緒でないと、子供に会わないと」
「え? うん、それはもちろんかまわないけど……」
「そのパリスという子供の匂いに、微かだが火薬の匂いが混じっている」
思いがけないダンちゃんの言葉に、私たちは互いを見合わせる。
「子供に火薬を扱わせているのですか? ……それに、確かなんですか、その火薬の匂いというのは」
イオニアスさんがさすがに驚いたようで、口を挟んできた。
「ダンちゃんがそう言うなら、間違いないわ」
「残り香だから確証はないが、子供が触ったというより、常に火薬を扱う人間がその子の側にいるか、保管されている場所に長く居るかのどちらかだと思う」
「どちらにせよ、危険ですね……子供をそのような場所に置いておくのは」
「レスター、殿下は朝から来るのよね? 侯爵令嬢は?」
「僕が聞いているのは、直接リヴァルタ橋に令嬢が来るのを、殿下がこちらで迎えるという話だった。報告をするなら、朝早い時間がいいだろうね」
「私は部屋を出るなって言われているから、レスターかダンちゃんのどちらかが行ってくれる?」
そう伝えながら、私は昨夜のうちに封をした手紙を出す。
するとレスターがそれを受け取った。
「じゃあ直接パリスを見ている僕が報告するよ。それに何かあればダンジェンさんの方が、多勢相手になった場合は強いから」
「分かった、レスターにお願いするね」
レスターが素直にダンちゃんに護衛を譲る。近衛として殿下の元に派遣されることになっているレスターは、護衛官たちとたまに訓練をしているという。そのなかで、ダンちゃんとも組み手をして、簡単に負けてしまったらしい。
ダンちゃんは普段、守衛として動かぬ山だが、かつては『殺戮熊』とあだ名されているほどの強者だそう。掴まえた相手を怪力で簡単に落としてしまい、まるで屍の山を作るかのごとく勝ち続けてその名になっただけで、優しいダンちゃんは訓練といえども長い戦闘は苦痛なのだ。
そうして私たちは、再び坂を登ってリヴァルタ橋の会計資料室へ向かった。部屋に着く頃には、続々と工事夫たちがリヴァルタ橋に馬車でやって来て、今日の作業の準備にとりかかっていた。
会計資料室には昨夕まで作業をしたまま、付箋の差し込まれた資料が出しっぱなし。これは夜の間に不正をされないよう、わざとそうしてある。資料に手が加えられてないのを確認して、私とイオニアスさんは今日の打ち合わせを始める。
レリアナの手紙から得た情報は、道すがらイオニアスさんに伝えてある。帳簿だけでなく実際に納品されて使われた資材の確認をしたいが、それには現場に降りて行かねばならない。そうそう証拠を残してあるとも思えないので、現在行われている不正については、これから証拠を掴むつもりで目を光らせるしかない。
それらの情報を持ってレスターが会計資料室を出てから、そう時間が経たないうちに、何やら外が騒がしくなった。
「シュベレノア様が、殿下とともにもうお越しになられただと?」
ガレー室長が、大きな声でそう叫んでいた。
何故か予定していたよりもずっと早く、侯爵令嬢が到着したようだ。しかも殿下とともに。リヴァルタ橋の方でも受け入れの準備が整っていなかったようで、私たちがいる室内にもばたばたと人が行き交う足音が聞こえるほど。
私は慌てて会計資料室を出ていくガレー室長と会計助手たちを見送り、こっそり窓に近づく。
監獄に使われていたような中層の部屋には小さな窓しかなくて、しかも人が行き交う街道は頭上。当然ながら、侯爵令嬢の姿など見えるはずもなく。
「残念、騒がしい声が聞こえるだけでした」
そう私が残念そうに言うと、イオニアスさんが呆れた様子でノートを私に渡してくる。
「侯爵令嬢が、気になりますか?」
「うーん……どんな人なのかは気になりますね。貴族のご令嬢は、カタリーナ様とアメリア様くらいしか知りませんけれど、家同士の政略結婚があると聞いて……ご本人はどう思っているのかなって」
ノートを受け取って開くと、書き出さねばならない仕入れ資材の項目がずらりと並んでいる。これらの単価を求めるために、しばらく資料からの書き出しと計算が続くことになりそう。
しかしやりがいがある仕事に、腕まくりをして臨む。
「……侯爵令嬢シュベレノア=アルシュ様は、殿下と同じ歳で、南部の華と称されるほど可憐な方だそうです。いわゆる格式高い貴族家の娘として、装いを整え、家のために動くことを教えられている方とみていいでしょう。殿下に召されるよう願っていた侯爵様の言う通りに、成人なされるまではよく王宮にもいらっしゃり、殿下にご挨拶なされる機会はカタリーナ様を除けば、最も多かったのではないかと思います」
「イオニアスさんは、よくご存知ですね」
「いえ、この程度のことは王宮勤めであれば、誰にも耳にする程度です」
「ふうん……じゃあリーナ様を除けば、誰もが殿下の妃となるのはシュベレノア様が有力だと見ていたってことですか?」
「侯爵令嬢がどう考えていたかは分かりかねますが……まあ一般的にはそう見られていたのでしょうね、でも当の殿下は、その気はまったく無かったのではないかと」
あっさり言い放つイオニアスさん。
「でもアルシュ侯爵家は今でこそ力を失っているけれど、建国以来の由緒正しい家柄ですよね、殿下の後ろ盾としてはこれ以上ない家柄です」
「だからこそ、ですよ。これは私の勝手な感想なのですが……かつての殿下からは、王位への関心がないようにしか感じられませんでした。ですがもし、シュベレノア様を婚約者に迎えることになっていたら、私はきっとそうは思いませんでしたよ」
「ああなるほど、そういうことですか」
つまりジョエル=デルサルト卿に王位を渡してもいいと考えていた殿下は、シュベレノア様を迎えることで権力的に敵対する気があると、刺激したくなかった?
でも殿下を本当に支持して王位に就いてもらい、旨味を得たいのがアルシュ侯爵の本心だったとしたら、それはずいぶんヤキモキしたことだろう。そして今は、歯噛みしているかも。
そう考えたら、部屋を出るなと短く綴られた、殿下の手紙を思い出した。
やっぱり私は、邪魔だよね。
そんな話をしつつも、仕事を続けていた私たちの元に、レスターが戻って来た。殿下には無事に手紙を渡すことができたものの、詳しい話はハルさんに伝言を頼む程度しかできなかったのだと悔しげだ。
「本当は昼頃に、到着予定だったんだ。そこへ勝手に予定を早め、ロゼの寺院に押しかけてきたらしい。当然、目的は殿下だろうね」
「そりゃあ、リヴァルタ橋の事業はこれから殿下が全責任を持ってのぞむのだから、侯爵家としては最大限もてなすのが普通です」
「そうだけど、予定にないことをされたら迷惑だって、考えずとも分かることだよ、貴族令嬢ならば特に」
まあ、そりゃそうよね。実際、現場はてんてこ舞いなのだろう。出て行ったガレー室長が一向に戻ってくる気配もないのだから。
「で、レスターは噂の侯爵令嬢を見たの? どんな人だった?」
興味本位で聞くと、レスターは少しだけ不機嫌そうな表情を浮かべた。あらら、直ぐに顔に出る癖は直しなさいって、言われているのを姉さんは聞いているよ?
「いわゆる、美人だろうなと思う。露出の少ない外出用の赤のドレスは、殿下を意識しているのだろうね。こう……近寄りがたい気品はあるし、殿下にエスコートされるのも慣れた印象で。でもだからこそ、殿下の好みじゃないのが分かる」
ん? なぜあなたが殿下の好みなんて知っているの。いつの間にそんなに仲良くなったのよ、つい最近まで言い合っていたくせに。
「簡単だよ、姉さんとは真逆だから」
「…………は? どういう意味?」
レスターは斜め上に目線を向けながら、思い出しながら言う。
「……こう、淑やかで、男性の影に隠れているのが似合いそうな女性かな。清楚だけどしっかり化粧がされていて、コルセットで絞った華奢な腰に、豊満な女性らしい体つきはさ、まさに貴族の男性に好まれる典型だよ。こう思いついてあげるだけでも、姉さんとは真逆で……いたっ」
大事な古い資料を避けて、書き出し用に使っていたノートを振り上げて、ハニーブロンドをはたいた。
「なんでって、そういう意味じゃないわよ、レスターの馬鹿! 薄っぺらくて悪かったわね! お口の躾もジェストさんにしてもらいなさい!」
レスターの遠慮のない物言いに、私もいつも通りに窘める。それはいつもの事で、いつも通りのたあいもない平和なやり取りの延長だった。
けれどもその時、遠くから何かが破裂するような音がして、ほんの少しだけ遅れて足元からずしんと振動を感じた。
続くびりびりと細かい振動に書棚から埃が舞い落ち、これまで感じたこともない未知の揺れに、私だけでなく皆の顔に緊張が走り、一瞬にして暢気な空気が消え失せた。
「コレット、こっちへ!」
何が起きたのか把握する前に、ダンちゃんがそう叫ぶと、私の手を掴んで部屋の奥へと引っ張っていた。
ダンちゃんの力で身体がふわりと浮いて、気づくと咄嗟に反応したレスターの腕の中に投げ込まれている。そしてダンちゃんは素早く窓の下に入り込むと、身をかがめながら言う。
「風に乗って、火薬の匂いがする。まだ続く可能性がある。三人とも、なるべく頑丈な柱の側へ!」
けれども身構える前に、次の音と振動がやってきた。今度は頭の上の方だ。
どう考えてもただ事ではない。いったい何が起こっているのだろう。
唯一様子が窺える小さな窓からは、黒い煙が上がっているのが見えた。その煙の中に、何か黒いものが降りていく。
鳥じゃない。あれはいったい……?
そして室内には、二回目の振動のせいか、ぱらぱらと痛んだ古い漆喰の破片が剥がれ落ちてくる。
監獄に相応しい小さな窓を隔てた向こうとこちら、現実に恐ろしいことが起きているのだ。
私はただ戦きながら、四角い窓の外にいくつも飛来する、黒くて大きな影を見守るしかなかった。




