第九話 子兎パリス
2025.1改稿
もう誰にも顧みられなくなった古びた資料に、次々と付箋が挟まれていくのを、ガレー室長は二人の部下とともに渋い顔で眺めていた。
彼らは通常の業務の傍ら、私たちの求めに応じて資料を出して来たり、指示された項目や数字をメモに書き留めたりと手伝ってくれている。
そうして集中していると、時間が経つのも早いもので、気づいたら夕刻が迫っているようだった。窓から入る日差しがずいぶん傾き、赤く染まってきた頃に、ようやくレスターが会計資料室に到着したのだった。
「まさか本当に、ここまで来るとは思わなかった。どうして殿下は止めないんだ」
開口一番、言うことがそれなのか弟よ。
そしてふて腐れながらも、殿下からの手紙を渡してくれた。これで手紙が三通。先に届いた手紙もまだ未開封だ、これらは宿に行ってからゆっくり読もうと思う。
そうしてちょうど資料室の面々も終業であるようで、これから彼らは橋を渡った先の宿泊所へ向かうという。ここから馬車が出ているので、乗り遅れるとかつて監獄だったリヴァルタ橋の仮眠所で過ごさねばならないらしく、それだけは避けたいとのことだった。
ガレー室長たちが退室していったのを見送ると、面倒だから一人仮眠室に残ると言い出したイオニアスさんを引きずって、私たちも部屋を後にした。
「会計士っていうのはどこかおかしい人ばかりなのかな」
先頭を行くレスターがまだブツブツ文句を言っている。
「確かにイオニアスさんの仕事っぷりは変態級だけど、私はそこまでじゃないわよレスター」
「どうだか。それより、足元に気をつけて。もうすっかり暗くなったから」
レスターが坂道をカンテラで照らしながら、片手で私の手を引く。日が傾いて谷には既に暗い影がかかっている。
すっかり空気は冷たくて、廃村になった村にはぽつりぽつりと目印になる程度にしか、明かりが灯されていない。
「あのさ、今さら言うのもなんだけど……もうこれ村に泊まろうが監獄跡に泊まろうが、同じな気がしてこない?」
「大丈夫、道が暗いだけで宿泊の家はちゃんと整えてあるから」
「そう? それなら良いけど……」
思わず、周囲を見回してしまう。夜になってしまえば、きっと目を開けているかどうかも分からないほど、闇に包まれてしまうだろう。
そうして坂道を歩いて行くと、集落らしき場所にたどり着いた。数軒の家屋が残っているが、しんと静まりかえっていた。その家の間を通り、少し行くとようやく明かりが灯る家がある。どうやらそこが、私たちが宿泊する家らしい。
「荷物は届けさせてある。明るいうちに食事と、お湯の用意はしてもらってあるけど、温め直す必要があるから、姉さんたちは中で休んでいて」
そう言って招かれた家は、集落の中でも裕福だったみたい。調度品は残っているし、どれもさほど痛んでいる様子はない。二階造りだが、一階部分だけを使用するらしく、入ってすぐに広めのダイニングがあり、その奥に個室が三つ、最奥が厨房と洗い場だそう。警護の関係から、私の使う部屋は真ん中だそう。
私は荷ほどきも後回しで、簡素な寝台に座って三通の手紙を出した。
まずはレリアナの手紙から開けると、そこにはかつてガレー課長から受けた嫌味とセクハラまがいの言葉が並び、それについてのレリアナの不満が噴出している。そして終いには、禿げが広がる呪いが綴られていて、私は読みながらも吹き出してしまう。
「ふふっ……レリアナらしいなあ」
レリアナの方でも、ガレー課長が王都から離れた土地への出向が命じられた所までしか、把握していなかったらしい。ただ、その離れた土地というのが、どうもアルシュ領だったのではないかと噂もあったようだ。
それから、セシウスさんからの情報提供があった。最初の納品のために、荷馬車の手配について細かく口出しをされたという。リヴァルタ橋の補強のための資材は、重たいものだと石材だ。どうしても馬の疲労を考えると、一台に乗せる数が決まってくる。セシウスさんの計算では、四頭曳き馬車一台につき十二個が最も効率が良かった。けれども発注者からは十までにしろと指定されたのだ。そうなると馬車を追加せねばならず、費用が嵩む。そう反論したものの、費用は嵩んでもいいからそうしろと。
つまり馬車の台数に対して費用は払うので、余分になった資材を横流し、または浮いた経費の何割かを戻せという要求が待っているのではないかと、セシウスさんは懸念しているのだった。
これは……じっくり調べる必要がありそうだ。こういう不正は、帳簿だけを見ていても分からない。実際に現場での資材の不足があるかどうかも確認する必要がありそうだ。
続いて、ダディスからの調査報告の手紙を開く。そこには、レリアナの情報だけでは知ることができなかった、ガレー室長の細かい動きが記されていた。
やはり左遷となったガレー室長への辞令は、アルシュ領の庶民納税課への移動だったようだ。けれども彼はそれを受けることなく、役所を辞して王都を離れている。彼は独身なので、身軽といえば身軽だけども、自分から王都を離れるようなことをする人だったとは驚きだ。
けれども、さほど時間もかからずリヴァルタ渓谷橋の会計室長に収まっている。誰が彼と接触したのか……疑問を抱きながら読み進めると、知らなかった室長の経歴に驚く。なんとクラウスの町の町長が、ガレー室長の従弟だというのだ。そればかりか、ガレー室長が生まれ故郷が、アルシュ領の領都ギレンとある。
まって、じゃあ故郷の伝手を使って、ここでの仕事を得たということ?
そう考えながら先に目を通して、私は絶句する。
クラウスの町の住人たちはガレー室長と結託して、先ほどのレリアナの手紙であった浮かせた経費を得て物資を購入して、リヴァルタ渓谷へと密かに運び入れていると書いてあったのだ。それがあって、町でガレー室長の名前を出さないようにとの忠告だったらしい。
つまりリヴァルタ渓谷の洞窟に残っている人たちを支援しているのはクラウスの人間で、かれらに食料などを供給しているというのだ。
確か、ならず者が集まって来ているという話もあったような……とにかく報告書の続きを、私は食い入るように読む。
元々クラウスを含め、リヴァルタ渓谷は金鉱で働く者たちが作った町村だった。住処が違うのは、役割が違うだけのことで、昔から密に連携が取れている背景があるという。町の者たちは金鉱への食料や道具の供給で生計を立て、リヴァルタ村は鉱山で働く者たち。採掘で採れた金は橋を渡った先のロゼという町に運ばれる。ロゼというのは、殿下が泊まる大きな寺院がある場所だ。
目的は、残された人たちを助けることだけなのだろうか。
金鉱山は、もう鉱脈が掘りつくされて寂れていくばかり。そこにリヴァルタ橋の崩壊で、住むのすら危険になった山に執着する意味は?
移住に支援金があったはずなのに。もしかして、残っているのが移住もままならない、人だとか?
とにかく、今はまだ情報はそれだけだ。殿下にもこの情報は伝わっているはずだから、視察で色々と明るみになるだろう。
そうして一旦、気持ちを落ち着けてから、最後に殿下からの手紙の封を切る。
封筒を開けると、ほんのりと蝋燭の煤けた香りがした。寺院の、祈りのための蝋燭が側にある部屋で、書かれたのだろうか。
折りたたまれた紙を広げると、見覚えのある殿下の字。それを見てホッとしたのは一瞬のことで……
書かれているたった三行の文字に、私は「は?」と声を上げてしまった。
『明日、リヴァルタ橋にシュベレノア=アルシュ侯爵令嬢が来訪する予定になった。コレットは会計資料室を決して出ないように──ラディス=ロイド』
ペラリと紙を裏返してみるものの、それ以外は何も書かれていない。
いや、殿下にきめ細やかな手紙を要求したことはないけども。これだけ?
何を警戒して出ないよう言っているのかも分からないし、厳密に部屋から出ないってなると食事すら取れませんけど。
手紙って本当に、性格が出るなぁとため息をつく。
そうしてから私も、鞄から紙とペンを出した。そして殿下に張り合って、二行に収めた。
『窓から令嬢をのぞき見するくらいならOKですか? コレット=レイビィ』
ランプの火で蝋を溶かして封をすると、ちょうど食事の用意が出来たと知らせにダンちゃんが来てくれたので、明日には渡してねと託したのだった。
翌朝、まだ日も昇らない時間に目が覚めた。
部屋は暗いが、着替えてからダイニングに出て窓を開けると、空は白み始めている。
まだレスターやダンちゃん、イオニアスさんは寝ているだろう。起こすのも忍びないので、こっそりと家を抜け出した。
渓谷の朝の空気は、とても冷たく澄んでいて気持ちが良い。よく見たら、泊まっている家には小さいながらも庭があり、植木には寒い季節につける花が咲いている。
その花を愛でていると、庭木ががさがさと揺れる。
秋の木の実を採り、兎かリスがやって来ているのだろうかとそちらを見ると、ひょっこり顔を出したのは、小さな女の子だった。
……え?
びっくりしているのは私だけじゃなく、その少女も植木の下で四つん這いになって。私を見上げたまま固まっている。
歳は十歳くらいだろうか。二つに縛った茶色い髪の、灰色をした大きな瞳が、こちらを見ている。小さく土で汚れた手には、植木の花と土と根っこがついたままのニンジン。
「かわいい、兎さんね」
そう言って微笑むと、少女もくったくなく笑った。
警戒されていないことを確認して、ゆっくりと私も膝を折ってしゃがむ。そして少女と目線を合わせた。
「私、コレットっていうの。あなたは?」
「……パリス」
おずおずと名乗る少女に、大丈夫だからと頷いてみせる。
「パリスは、リヴァルタ村の子ね? お野菜を採りに来たの?」
「きょ、今日はパリスが当番だから。ご飯、もう足りなくなってて……」
すると、小さな声が掻き消されるほどの、ぐうというお腹の音がする。
「お姉ちゃんがパンを持ってくるから、ここで待っていて?」
「パン……? パンがあるの? レーニィとリュシーの分もある?」
「うん、あるよ」
そう言うと、パリスの顔が明るく綻ぶ。
私は彼女をそのまま待たせて、家に走って戻る。するとちょうどレスターが起きてきたようで、ダイニングで出くわした。
「レスター、パン! パンとお水を用意して!」
驚いた顔をしたレスターだったが、どうやら私がお腹をすかせていると勘違いしたらしく、炊事場へ向かう。その後ろをついて行き、手頃な篭を見つけて、パンを入れさせる。
「ちょっと姉さん、食べるんじゃなかったの?」
「パリスにあげるの」
「……パリス? え?」
「急いでいるから……まあいいや、レスターも来て」
説明している間に、パリスが帰ってしまうかもしれないと思い、レスターも一緒に外に向かう。
すると植木の間で、パリスはまだ待っていてくれた。
「お待たせ」
声をかけながら近づくと、パリスは私の後ろについて来るレスターに気づいたようで、ビクッとなって植木の中に逃げようとした。
「まって、大丈夫よパリス、この人は私の弟なの。それにこれ、パンとお水を持ってきたわ」
「……おとうと?」
一度は枝葉にかくれたパリスが、「弟」という言葉に反応して、再びちょこんと顔を出す。
なんて可愛らしいのか。
抱きしめたくなってしまったが、そんなことをしたら余計に逃げられそうだったので、ゆっくりと近づき、篭を差し出す。
レスターもようやく彼女の存在に気づき、事態を察したようで、少し遠くで膝を折って待ってくれている。
パリスは篭と私、それからレスターを見る。
「わあ、きらきらしていて、王子様みたい」
首をかしげて言うパリス。
うんうん、そうでしょう。自慢の弟なの。
いや、今はそれどころじゃなかった。
「これ、貰ってもいいの?」
「そうよ、まだあるから、足りなかったら明日も来て?」
「王子様が来るせいでパンが来ないって言っていたよ。リュシーも間違うことあるのね」
パリスはそう呟くと、小さな手のニンジンと花を篭に入れてから、両手で大事そうに篭を抱えた。
「ありがとう、お姉ちゃん。またね」
「うん、またね、パリス」
そうして子ウサギのようなパリスは、茂みの中に戻っていった。
葉擦れは次第に遠ざかり、谷の絶壁の方へと向かった気がする。やはり、坑道に隠れ住む元村民に子供がいる。何かの事情があって、離れられないのだ。
振り返ると、レスターが難しい顔をして立っていた。
「すぐに保護した方が良かったんじゃないかな?」
「いいえ、彼女一人じゃないみたい。急に彼女だけが居なくなったら、敵意を感じさせてしまうわ。実際に、殿下の視察のせいで食料支援が届いてないみたいだし……」
「これは、要報告案件だね」
あの少女のように、健康で動ける者ばかりならいいけれど。
顔や膝、手を汚しながら野菜を採りに来た少女を思い出して、なんだか胸が切なくなった。




