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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
【第二部】第一章 賭けの続き

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第四話 特別

2025.1改稿

 大きな荷物を抱えて入ってきたバギンズ子爵は、どっこいしょとかけ声をかけながら最奥の立派な椅子に身を任せた。

 その様子から、大層お疲れなのだろうと察した私は、ちょうど昼食用に用意してくれてあったポットからお茶を注いで、バギンズ子爵の前に差し出した。


「おお、助かるよ」


 厚手のコートを脱ぎ、それを受け取る間に、少しぬるくなったお茶を飲み干すバギンズ子爵。私は追って入ってきた書記官に上着を渡して、お茶のおかわりを注ぐ。


「ずいぶんお疲れですね。今日は帰城ではなく、そのままお休みされると聞いていましたが、大丈夫ですか?」

「そりゃ、儂も休みたいところだよ。だが人使いの荒い殿下のおかげで、そうはいかなくてね」


 バギンズ子爵は書記官から渡されたハンカチを受け取り、額の汗を拭う。


「お食事はとられましたか? ちょうど私、いただいていたところだったんです。バケットサンドですが、とても美味しいですよ」

「助かるよ、ひとついただこう」


 ふにゃりと微笑むバギンズ子爵は、本当に気の良いお爺ちゃんだ。どんなに忙しくても急かされても危機的状況でも、動じたところを見たことがない。低い爵位にもかかわらず、多くの実績を積んで顧問まで成り上がった苦労人なせいか、後進の面倒見がよい。だからか、会計局本院で働く者で、彼のことを悪く言う人はいない。

 まるでお爺ちゃんと孫のように並んで食べていると、バギンズ子爵はふと思い出したように言う。


「そうだ、後で書類が届くだろうが、先に伝えておこうと思ったのだった。イオニアス君、きみ明後日から出張だよ」

「……一週間後、ではなく?」


 子爵が戻ったことで、私の相手をする必要がなくなったと判断したのか、イオニアスさんは退室しようと持ち込んでいた書類を片付けていた。その手を止めて、驚いたように聞き返す。


「悪いが、殿下の視察が早まってね。緊急事態への対応だが、どうせなら予定通り会計士も同行させることにした。恐らく十日ほどかかるだろう、準備しておいて」

「はい……承知いたしました」


 その言葉に驚いたのは、イオニアスさんだけではなかった。

 頭に入っているだけの殿下の予定を思い出してみるが、一週間後に予定していたのは三日間で、そんな長い視察の予定ではなかったはず。

 昨日の、無理を押して開かれた会議のことが思い出された。


「バギンズ子爵、その早まった視察って、リヴァルタ渓谷橋ですか?」


 横から口を挟んでしまったが、バギンズ子爵は気にした様子もなく、片方の白い眉を上げて口角を上げる。


「よく知っていたね。そう、アルシュ領都ギレンと商業都市であるクラウス市を結ぶ街道にある、リヴァルタ渓谷橋だ。先日、修復作業中に、大きな崩落事故があったと知らせが入ったんだよ。数人が渓谷の洞窟に取り残されていて……」

「バギンズ子爵」


 なぜか、子爵の言葉をエルさんが遮る。

 するとバギンズ子爵は「おっと」と、口を塞ぐようにバケットサンドを放り込んだ。


「……エルさん?」


 その二人の様子から、殿下がこの件を、わざと口止めをしていたのだと悟る。

 だが責めるような私の視線にも、エルさんは素知らぬ顔をして部屋の隅に立っている。長い前髪で隠れているけれど、絶対に目を逸らしているに違いない。

 彼ら護衛は、殿下の意向に決して逆らわない。ここで問いただしても口を割らないだろう。ならばと、子爵が少し硬めのバケットを咀嚼し、飲み込んだのを確認すると。


「バギンズ子爵、教えてください。取り残された人の救助に、兵を出すということですか。その指揮に殿下が自ら向かい、ついでに本来の視察も済ませてしまうつもりってことは、延期するわけにはいかない、ようは見逃せない何かがあるわけですよね。しかも本院会計士が必要なほどの」

「建前は、殿下が負債事業となっているリヴァルタ渓谷橋の補修事業を引き継ぐことによる、確認作業。儂からはなんとも」


 バギンズ子爵は、髭を片手で押さえながら、お茶を啜る。


「分かりました、建前は大事ですものね。ではバギンズ子爵、特別講義をお願い致します。今日から始めた、殿下の公務処理に関してのイオニアスさんからの説明は、大変参考になります。ですが実地で覚えるのも大事かと思うんですよね。勉強ついでに、お忙しい会計局本院のお手伝いも兼ねて、私も派遣してください、建前で」

「コレット、なにを言い出すんだよきみは」


 慌てたのはエルさんだった。

 でも理に適っていると思うんだよね、私がついていけばイオニアスさんの助けにもなれるだろうし、殿下の数少ない護衛を、お城に残る私のために割かなくていい。

 殿下がどういうつもりで私に内緒にしていたかは、おおよそ予測がつく。

 場所が、アルシュ領だからだ。

 アルシュ領を治めるのはこの国で四家しかない侯爵だ。そして殿下を昔から推す王子派の貴族。そしてレリアナが私へ注意を促した相手。


「止めても、着いていきますよ。方法はいくらでもありますから」


 そう言うと、エルさんは口をへの字にして首を横に振っている。しかし、早々に食事を終えたらしいバギンズ子爵は、私たちを見比べながら声をあげて笑った。


「まあ儂はそうなるだろうと一応、殿下には助言をしておいたがね。単身ブライス領まで乗り込むようなコレットだ、その気になったら誰が止められよう。それにどのような道を辿ろうとも、王妃という責務に就くからには、避けては通れぬこともある。目を覆い、道を整え、大事に隠そうとしても、いずれまた違う困難は巡ってくる。名も責も背負うのは本人……」


 バギンズ子爵が鷹揚に微笑みながらも、鋭い視線を私に向けた。


「覚悟を決めていると思ってよいかの、コレット?」


 私はしっかりと頷く。


「イオニアス、リヴァルタ渓谷橋の資料を、コレットに渡してあげて。コレットはそれを、明後日の早朝の出立までには、目を通しておくように。あとは儂がなんとかしよう」


 イオニアスさんが席を立ち、本院の資料室へと向かった。

 まさかバギンズ子爵が味方になってくれるとは。むしろ邪魔だと反対されるかもしれないと思っていたのに。ほっとしながら昼食を片付けていると、そのバスケットを引き取りながら、げんなりした様子のエルさんが言う。


「手続き上は子爵が手を回すとしても、殿下への説得は、ご自分でお願いしますね。僕は恐ろしいので、全力で逃げますから」

「もちろん。殿下の考えは、分かっていますから」

「分かっていて、その判断なの?」


 エルさんが呆れた風に肩をすくめる。

 殿下はずるい。自分は賭けの続きだからって、見えないところで懸命に努力しているくせに、私には何もさせないつもりなのだ。このままじっとして時が過ぎれば、私はベルゼ王国の王族として迎えられる。

 私の身分が固まってしまってからでは、生半可な覚悟でこの婚約に異を唱えられなくなる。だからこそ今、命まで狙われているのだろう。殿下が言う「護られていろ」というのは、そういうことなのだ。

 でもそれで、本当の意味で納得させられたと言えるのだろうか。

 むくむくと、なんとも言いようのない感情が胸に膨らむ。憤りと、残念さが混じったような……ほんの少しだけど嬉しいような気もしないことはないが、結局のところ怒りが勝って俄然やる気になった。

 イオニアスさんが急いで持ってきてくれた帳簿の束ねられた分厚い資料を、パラパラとめくる。そして両手を机に「ダン」と置いて立ち上がる。


「帰りますよ、エルさん。忙しくなりますから!」


 はいはいと言いながら側に寄って来たエルさんの手に、自分では持ちきれない分厚い資料をこれでもかと持たせる。


「……コレットさん、まさかそれら全ての資料を、明後日の朝までに読むつもりですか?」


 それらの資料を持ってきてくれたイオニアスさんが、この中から大事なものだけ抜き出すと言ってくれたのだが、私はそれを断ったのを気にしているようだ。


「いえ、朝までだとイオニアスさんが困るでしょう? 明日の夜までに読破しますので安心してください。では少し早いですが、私は戻らせていただきますね」


 そう言うと、イオニアスさんはすっと表情を消し「あなたも同類ですね」と呟きながら、顧問執務室から自分の職場に戻っていった。早まった視察の準備で、きっと忙しくなるのだろう。

 私も山のように書類を持ち、エルさんに「落とさないでくださいね」と念を押して、本院顧問執務室を出る。

 いつもの殿下の部屋の机に向かうのだけれど、部屋には誰も居なかった。この後、エルさんも殿下の元に合流するということだったので、私は部屋の外に出ないことを約束して、早速、持ち込んだ書類の読み込みに没頭することにした。

 リヴァルタ橋の補修事業が始まったのは、三年前のことだった。最初は老朽化による上部通行路とその下に埋め込まれた水路の煉瓦補修が、主な工事計画だったらしい。けれども、その作業が始まってすぐに、第二橋脚部分の基礎に亀裂が入っていることが発覚。上部の工事による負担がかかったせいで、この後に土台から崩れおちてしまい犠牲者を出した。救出作業を終えて工事を再開させようとしたが、当初の計画通りでは土台から崩壊するとの建設設計局からの指摘に、工事が中断。その後は場当たり的な補修ばかりで工事が進まず、通行制限のために、アルシュ領での物資の流通が減り景気が悪化。不満が領主へ向かったことでアルシュ領主が基礎部分の補修事業を政府に申請して、工事が再開。ただし基礎部分の補修のために渓谷にあった村の山林が削られ、畑が埋められることになり廃村が決められる。その廃村となった村の住民の一部が、元からあった渓谷橋の近くの坑道を占拠して生活を続けているということだった。

 今回の崩落で閉じ込められているというのは、工事関係者だけではなく、この廃村の住民も含まれるのかもしれない。

 何があって、村に留まろうとしたのだろうか。村民たちには、移住のための家や資金は渡されているはず。書類にはそれらの支出がしっかりと記載されている。

 そりゃあ、住み慣れた場所に固執する人は出るだろう。けれども用意された土地は、渓谷よりも豊かなクラウスの町。それほど悪い話ではないと思う。


「……お金の流れだけでは分からない何かが、あるのかな。だから殿下は視察を予定していたのかも」

「ああ、その通りだ」


 独り言に返事を返され、「ぎゃっ」と叫びながら頭を上げると、殿下が机の前で腕を組んで立っていた。


「で、殿下、びっくりするじゃないですか……心臓が止まるかと思いましたよ」

「私に言うことは、それだけか?」


 ああ、鋭い眼差しのまま身を乗り出して来ないでください。書類、書類が崩れますから。


「言いたいことは山ほどありますよ。でも私が、今いちばん腹が立つのは、殿下が何も言ってくれないことです」


 書類を手で押さえながら、真正面から殿下とにらみ合う。

 しかし殿下も引く気は無いようだ。


「バギンズが、会計局本院から派遣する会計士名簿を回してきた。それも楽しそうに。いったい何を考えている、コレット。命を狙われていたという自覚をしたのではなかったのか?」

「しましたよ、充分。だから一緒に行くって決めました」

「……その理屈が分からんと言っている。わざわざ渦中に身を投じるような馬鹿な真似はよせ」

「馬鹿な真似って……私が行っても、殿下の役に立たないって言うんですか?」

「そんなことは、今は言ってないだろう!」


 そうやって言い合っている殿下の後ろから、ぞろぞろと護衛さんたちも戻って来る。ハルさんとエルさんが、真剣な面持ちで何やら話ながら。その後ろをダンちゃんが黙って付き従い、その横にはここしばらく行政局に詰めていたヴィンセント様も加わっている。彼だけじゃない。近衛隊長に再就任してしばらく殿下の元を離れていた、ジェストさんまで来ていた。殿下の最側近が揃い踏みだ。


「コレット、余所見をせず俺の話を聞け」


 視界を塞ぐように、殿下は更に身を乗り出してくる。

 自然と退いていた私の背には、書棚、逃げ場はない。というのに、殿下は書棚に長い左腕を押しつけている。

 ど、どういうつもり? と殿下の肩越しに、皆に助けを請おうと背を伸ばすのだけれど、苦笑いを浮かべるヴィンセント様。するとハルさんが顔を赤らめるエルさんに目配せし、二人とも背を向けてしまう。それを受けてジェストさんが、側で突っ立っていたダンちゃんの肩を掴んで、一緒に振り返ってしまった。


「こちらを見ろ、コレット」


 気づくと頬に手を添えられていて、すぐ目の前に迫っていた殿下は真剣で、でもどこか頼りなげな顔。 

 勝手なことをしている自覚も少しはあるから、当然彼も怒っているかと思って喧嘩腰だったのに、殿下のそんな表情を見てしまったら言葉なんて出なくて。

 気づけば彼の顔は目の前で、頬を包むように手を添えた殿下によって、触れそうな位置から動けなくなっている。

 ちょ、ちょっと、み、みんなの前ですよ!

 私が頬を染めながら、視線で抗議を訴え、手で押し返そうとするも、殿下はびくともせず、退いてくれそうもない。


「……コレットが役立たずならば、俺もこれほど苦労しない」

「う、嘘です、そう思っていたら、どうして私もあっちに混ぜてくれないんですか」


 そう言うと殿下は、後方で背を向けて待つ側近たちに視線を送った後で、再び私を見て大きな溜息をもらした。


「何故あれらと同列になりたいと願うのか。それにおまえを特別扱いしてなにが悪い」


 開き直られた。そういう事じゃなくてっ……。


「殿下の言う特別って、何もさせずに篭にしまっておくことですか? 私だって殿下の役に立てるし、自分の立場くらい自分で……」


 自分で認めさせる。

 そう言おうとしたけど言えなかったのは、ぐいと近づいた殿下の唇が、額に押し付けられていたせいで。

 今度こそ真っ赤になっていると、殿下は悪魔的笑みを浮かべ、そして私の胸元を指で押した。


「な……にを」

「驚いて心臓が止まるかと思ったか? 奇遇だな、俺もだ。目の前で(ここ)に、剣が突きつけられ倒れたおまえを見た時のことだが」


 はっとして息を呑む。

 殿下は、何一つ反論できなくなった私を解放し、背を向けて待つ皆の元へと行ってしまった。

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