第六話 秘密と可愛い弟と不滅の誓い
私、コレット=レイビィには、誰にも言えない秘密があった。
それは生い立ちについてだ。かつて私は、美しい母と優しい父に囲まれて、何不自由なく暮らしていた。常に美しく着飾って、誕生日には食べきれないほどの食事やプレゼント、屋敷の誰もが優しく、可愛らしいと甘やかした。
私の本当の名前は、コレット=ノーランド伯爵令嬢。生まれて十歳を迎えるまでは、そう呼ばれていた。
不幸があるとしたら、物心ついてしばらく経った頃に、母が儚くなってしまったこと。だが父は変わらず優しかったし、母の代わりに、新しい伯爵夫人が屋敷にやってきて、継母の連れ子という、可愛い弟を得た。
そんなノーランド伯爵家の歯車が狂いだしたのは、父であるロナウド=ノーランドの急死がきっかけだった。それは私が十歳を迎える前。事業の視察からの帰り道、馬車が悪路で立ち往生し、運悪く土砂崩れに巻き込まれたのだ。
伯爵家の跡取りは、唯一の血の繋がった私だけ。だが私はまだ十にも満たない子供。当然、家のすべてを継母が取り仕切り始めた。だが一ヵ月も経ないうちに、使用人たちが総入れ替えされてしまい、体の不調を理由に私は離れの塔に閉じ込められてしまった。出してと泣こうが叫ぼうが、継母は取り合ってくれず、幼い私にどうすることもできなかった。
そんな私にとっての救いは、義弟のレスターだけだった。
継母に取りなしてくれたり、私の居る塔に来ては、好きな食べ物を差し入れをしてくれた。本当に、心根の素直な良い子だ。私を「姉さん」と呼び慕ってくれて、そんな状況にも絶望することなく過ごせたのは、レスターがいてくれたからだ。
そうして三ヶ月も塔で過ごしているうちに、私はすっかり達観してしまっていた。元々、逞しい性分だったのもあるだろう。使用人たちが入れ替わったことをいいことに、こっそり塔を抜け出すようになった。レスターはそのことがバレたら、私が折檻でも受けないかとおろおろしていたが、自ら長い髪の毛を切り、レスターのお古の服を着て堂々と歩いた。
こんな正体不明な子供が厨房に入り、仕入れの商人にまぎれて出入りしていても、使用人たちの統制が取れていないせいで誰にも咎められなかった。しかも様子を伺っていると、どうやら新しい使用人たちは、継母すらも軽んじているほど。これは後から知ったのだが、父ロナウド=ノーランド伯爵を死に追いやった悪女、家だけでなく社交界でもそう継母が噂されていたのが原因だったようだ。
けれどもそれを知らない子供だった私は、あることを企てる。きっかけは、義弟レスターが王子殿下の側近候補として、他の家の子供たちとともに王城に招かれたことだった。そこに私も入り込み、王様に己の窮状を訴えるという作戦だ。
招かれるのは貴族家の男児。ちょうど変装のために髪を短くして、しかも痩せ細った自分は、男児にしか見えない。そうして城へ向かうノーランド家の馬車に、私は忍び込んだ。
この企みを知るのは、レスターのみ。彼は怯えていたけれど、私が大丈夫と説得したのだ。あの時の私は、いわゆる子供特有の、根拠のない自信に満ちあふれていた。本当に、今考えても無謀としか言い様がない。
忍び込んだ王城の控え室から出た私は、恐れ多くも宮殿の方に向かって歩いたのだ。そうして入りこめた美しい庭園の一角で、偶然に燃えるような赤銅色の髪をした少年と出会った。彼は琥珀色の瞳で背の低い痩せ細った私を見て、咎めることもなく、手を引いてさらに奥に招いたのだ。
「顔色が悪い、ちゃんと食事はとっているのか?」
そう言って、綺麗な細工のあるガラス瓶の蓋を開け、飴を掴んで私に持たせたのだ。
「側近候補に招かれたのなら、健康管理はしっかりせねば。それも勤めだと、トレーゼ叔父上が言っていたぞ」
彼は一つ飴の包みを開けると、貰った飴を手にしたまま立ち尽くす私の口に放り込んだ。甘くて、少しだけ酸っぱい。口いっぱいになっている私を笑い、彼はさらに私の手を引っ張って庭に戻る。
その間も、おまえの名前は何だ、チェスの相手は務まるのかとか、最近剣術を習い始めたが師匠が厳しいから、弱そうなお前がいれば楽できそうだとか、矢継ぎ早に言葉がくる。
返事がないことを咎められると、口に飴を放り込んだのは誰だと手で伝える。すると彼は、それはもっともだと大らかに笑った。
「まだ迎えが来ないと言うことは、招待客が揃ってない証拠だな。もしかして、お前がここに居るせいかな……だったらちょうどいい、もっと遊んでやるからついてこい」
そう言うと、少年はにんまりと微笑んだ。
悪戯を思いついたという少年に手を引かれるまま、中庭をさらに進んだと思う。うろ覚えな部分もあるけれど、いくつか庭園を越えたその先に、美しい彫像があったことは鮮明に覚えている。一人の麗しい男性が両手を前に出し、祈りを捧げているかのような像だった。しかしその背中には羽が生えていて、頭上には虹色に輝く水晶でできた冠を戴いていた。
その像に見惚れていると、少年が特別だぞと念押しをした。
大きな像の膝部分に足をかけ、どうやらよじ登ろうとしているらしい。少年は私より年上のようだったが、上品な立ち振る舞いからとても木登りなど不向きなように見えた。だからまさか登るとは思わず「危ないよ」と注意を促すつもりだった。
像にしがみつき、その頭上の王冠に手を伸ばしていた少年の、足を支えるつもりで触れた。 そのとき、すさまじい音量の鐘の音が響いた。
「うわっ!」
「なに? 耳が、いたい」
突然響いた音の衝撃に、少年が像から滑り落ちた。私も、耳を塞ぐのに必死で少年を支えていた手を外してしまっていた。私たちは共に地面に投げ出されることになった。
そこに騒ぎを聞きつけた衛兵やら侍女たちが現れる。
落ちた少年を見た衛兵たちが彼に駆け寄るのを見て、私は何かとんでもない事をしでかしてしまったことに気づいた。それにここで見つかってしまったら、二度と塔から出られなくなるかもしれない。手を貸したレスターが叱られるだろう。それに何より、頭にガンガンと響く音から逃れたいというのもあって、すぐにその場を逃げ出した。
それからのことは、実は断片的にしか覚えていない。
音のせいで頭が割れるようだったし、元にいた控え室に辿りつく前に継母に見つかって、叱責され、馬車に押し込められたから。
やはり無謀なことを企んだ罰が当たったのか、三日ほど高熱にうなされ、回復した時には既に下町の今の父さん母さんの家に移され、ノーランド伯爵家が取り潰しになると知った。
令嬢だったコレット=ノーランドは、かねてから病を得て、例の王城に上がる寸前に亡くなったということにされた。そのおかげか、伯爵家が不審者を引き入れたという確固たる証拠は挙がらなかったようだ。コレット=ノーランドは書類上で死ぬことで、罪を免れたのだ。今更私がノーランド家の跡継ぎを名乗り出ても、どうにもならないだろう。あの時知り合った少年が、王子殿下その人だったと知らされた後では。
だから私は、時を同じくして娘を流行り病で失ったレイビィ家の娘として収まり、レイビィ家の本当の娘……コリンを身代わりにして生き残った。
継母は生家のブライス伯爵家に戻り、義弟レスターはバウアー男爵家に養子に出された。まさに、一族離散である。
そんな過去を思い出しながら、私はため息をつきつつ城門をくぐった。
王子の怒りを込めた告白の後、どうにか平静をとりつくろって仕事を続け、とりあえず本日の業務を終了した。
今はまだ正体がバレていないとはいえ、自分を探し出すことに執念を燃やす人の元で働くはめになるとは、さすがの私にも想像がつかない事態だ。このまま殿下の元で働いていて、もし探している人物が私なのだとバレたら……いやいや、万が一にも私ではなく他の人物という可能性も、なくはないが……
ぐるぐると悩みながら城門を背に歩いていると。
「姉さん!」
そう呼ばれて、腕を引かれた。
驚く間もなく、城下へ続く道から細い脇道へと連れ込まれる。暗い影になったそこで私を心配そうに見下ろすのは、かつて気が弱くて優しくて可愛いという形容詞が最も似合っていたはずの、義弟レスターだった。
「ラディス殿下の元で働くっていったいどういうことなの姉さん、手紙をもらってから生きた心地がしなかったよ!」
真剣な面持ちでそう問いかけるレスターは、すでに私よりも頭ひとつ分大きい。私の腕を掴む手も、すっかり剣ダコのあるごつごつとしたものになり、ふわふわ柔らかくて触るのが大好きだったマロンクリーム色の髪は、今やしっかりとした毛質だ。
だが私を心配して眉を寄せる様が、まるで子犬のように見えるのは、姉の贔屓目だろうか。
「心配かけてしまったのは謝るけれど、ここで声をかけるのはあなたにとっても良くないわ、レスター。あなたは近衛騎士に抜擢されたばかりじゃないの」
「姉さんより大事なものなんてないよ」
レスターとは離ればなれになってしまっても、お互いに姉と弟として手紙のやりとりをしている。血が繋がっていなくても、どんなに短い間だったとしても、私たちは確かに姉弟だったのだから。
「私は大丈夫よ、昔とは違って大人しくしてる。それに殿下の私財管理は、殿下に婚約者ができるまでよ、きっとあっという間に放免になるわ」
「そんなこと分からないだろう? 殿下はちょっと変わり者だから……それに、もし過去のことに気づかれたら」
レスターの酷く不安そうな顔に、私はもしかしたらと気づく。
「あなた、殿下について何か、思うところでもあるの?」
「え、……な、なんのこと?」
急に狼狽したような様子に、私は確信する。レスターは、何かを知っていると。彼は幼い頃から素直で隠し事ができない質だ。
とはいえ、王子が人を探していることは守秘義務と言っていたはず。ならばレスターの知っていることって何だろう?
「正直に、姉さんに言いなさい」
しぶしぶといった風なレスターの口から出た言葉に、私は目が点になる。
「殿下は、かなり前から男色疑惑があるんだ、だから姉さんみたいな中性的な女性、しかも過去の少年のようだった姉さんを知ったら、危ないじゃないか!」
…………はあ?
「年頃になってもそこまで凹凸がないなんて、姉さんくらいなもの…………いたっ!」
うんと背伸びして、レスターの頭をグーで叩いた。
凹凸がなくて悪かったわね。しかも今日、会うなり男に見えるから髪を下ろせと言われたばかりの、傷心の姉になんてことを!
「しばらく会わないうちに、近衛隊のむさ苦しい男たちに毒されちゃったのね、姉さん悲しい!」
いやでも、身の危険を感じるのは確かだ。レスターが言ったバカバカしい理由とは違うけれど。
どうしたってあの日の少年が私だと知られたら、罪に問われるだろう。死を偽って生き残ったこともそうだ。そうなったら、このお馬鹿だけど可愛い弟のせっかく得た騎士としての身分も持ち崩すことになる。
それはダメ。それだけは。
私は自分よりずっと小柄な姉に叱られて凹む、この義弟を守りたい。そしてここまで危険を承知で育ててくれた父さん母さんも。
絶っっ対に、バレてはならない。隠し通す。私はコレット=レイビィ。これまでも、これからも、ずっと。
コレット=レイビィとして生き残る。滅びてなるものか。それ以外に道はないのだと、改めて心に誓ったのだった。