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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
【第二部】第一章 賭けの続き

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第二話 やきもち

本日同時二話更新、こちらは二話目です

※2025.1改稿

 カフェで手土産を用意してもらい、私は渋るダンちゃんを引き連れて城に戻った。

 確か、殿下は近々どこかへ視察に出かけるという話をしていたはずだ。それがもしかしたら、レリアナの言っていたアルシュ領の事業かもしれない。それなら早いほうがいい気がしたのだ。

 どうしても問いたださないといけないと思ったのは、なぜか胸騒ぎもあったから。

 包んでもらった焼き菓子を手に、殿下の部屋の前まで戻った時だった。


「コレット待て……誰も、いないのはおかしい」


 常にダンちゃんが居る奥の扉の前には、誰も立っていなかった。それどころか扉がほんの少しだけ開いていて。

 ぞわりと背筋に寒気が走ったのは、横にいたダンちゃんの気配が変わったから。

 見上げるダンちゃんは細い目でじっと扉を見据え、そして右手でレザー製の鼻マスクを外す。そしてクンと鼻を鳴らしたかと思ったら。


「……殿下!」


 ダンちゃんが驚いたような声出して、扉を大きく開き、走り出した。

 私は驚きながらもその後に続く。すると室内から悲鳴のような声が聞こえてきた。


「殿下、しっかりしてください……おい、医者を呼べ‼」


 護衛の二人の元に駆けつけるダンちゃんの後を追い、走った先で、息が止まる。

 床に身を横たえてぐったりとする殿下、それを支える護衛頭のハルさんと、侍女たちに医師を呼ぶよう叫ぶ護衛のエルさん。

 私が足を止めたそこには、割れた食器と二つのカップ、カトラリーが散乱し、並べられていたのだろうスープが溢れて、床の絨毯に濃い染みを作る。私は持っていた包みを手から落とし、反対に走り去る侍女とすれ違いながら、殿下の元へと足を踏み出そうとした。


「来るな、コレット……そこにいろ」


 ハルさんに起こされながら、殿下が真っ青な顔色で私に言うと、苦しそうに咳き込んだ。その殿下の背中をハルさんがさすり、すぐに吐くよう声をかけている。

 毒を、口にしたのだ、殿下が。

 そう考えるだけで、全身が震える。


「大丈夫ですコレットさん、殿下は毒に耐性があります。それよりコレットさんが触れる方が危険です。落ちているものに触れないよう、対処するまで近寄らないでください」


 青い顔をしてなお、ハルさんの言う通りだと言いたげに頷く殿下。

 何も返すことができず固まる私を、アデルさんが駆け寄ってきて支えてくれている。

 その間に、ダンちゃんは殿下が口にした食事の残骸に顔を寄せ、匂いを嗅ぐ。そしてすぐに顔を上げて言った。


「エル、毒の成分は青いレゼレルヴだ。混じり物はない、殿下なら耐性がある。早急に吐かせれば大丈夫だ」


 ダンちゃんがそう叫ぶと、黒髪の護衛エルさんが「分かった」とすぐに侍女たちに桶と大量の水を用意するよう指示する。

 人が走り回る中、私だけが動けずにただ震えるばかりで。気づいたらダンちゃんに抱え上げられて殿下の部屋から連れ出されていた。

 私が寝泊まりしている個室に入り、そっと寝台の上に下ろされて座る。


「……大丈夫か?」


 様子を窺うようなダンちゃんに、小さく頷いてみせる。


「ありがとう、少し、落ち着いたと思う。だからダンちゃんは、殿下の元へ……」


 自分には何もできることはない。震えて立っているだけでは、殿下に余計な心配をかけてしまっただろう。だからダンちゃんの判断は正しい。


「あちらが落ち着いたら、アデルさんにすぐに来てもらうようにする。コレットは絶対にここから動かないで」

「うん、そうさせてもらいます……」


 膝の上で握りしめる手に、ダンちゃんが落としていた焼き菓子の袋を持たせてくれた。いつの間に拾っていたのだろう。


「すごくいい匂いで、気が散るからここに置いていくよ」

 さっきまで鋭かった細い目が、いつものように穏やかだった。心配ないのだと、ダンちゃんが不器用に伝えてくれている。そういう所は、やっぱり私よりずっと年上なのだなと思う。


「殿下と、一緒に食べたくて買って来たのだろう? すぐに良くなるから」

「本当? 殿下は……死なない?」


 ダンちゃんが一瞬、驚いたような顔で私を見る。

 不吉なことを言うなと怒られても仕方が無いことを口にしていると自覚がある。でも、私は怖いのだ。

 自分でも驚くくらい、怖くてどうしようもない。


「殿下は死なない、僕たちが必ず守る。そのためにエルダンは近衛の掌握に行っているし、ハルムートは殿下の側を絶対に離れない、エルもあらゆる場所に目を光らせている。僕も殿下とコレットに害を及ぼす者とは、闘う覚悟だ」

「……ありがとう。でもダンちゃんは加減してよね」

「分かっているよ」


 ダンちゃんは笑い、殿下の元へと戻っていった。

 私は寝台の上で、膝を抱えて目を伏せる。

 何を喋っているのかまでは聞き取れないけれど、まだ殿下の部屋では人が慌ただしく行き交っている足音や、物音がする。

 私の外出にダンちゃんを連れて行かなければ、きっと殿下は毒を飲むことはなかったろう。彼は、過剰嗅覚を持っている。出会った人の匂いだけでなく、食事に混ぜられた毒物ですら嗅ぎ分ける。その能力はとても役に立つけれど、本人にとっては酷く重荷なのだ。中に布を幾重にも重ね、さらに上から革製のマスクで塞いでさえ、人の何倍もの匂いの刺激に晒されている。そのせいで、日常生活がままならないほど。だから殿下の元で、常日頃は門番の役目を果たしている。殿下は限られた少ない人間しか側に置かないし、ダンちゃんにそれ以外の役目を強要しないから。

 でも門番とは、人だけを遮るのではない。今回のように危険な異物も事前に弾くのが役目だ。なのに私のせいで、その役目を果たせなかった。肝心な時に。

 激しい後悔が襲う。

 浮かれていた自分が情けなくて、涙が滲みそうになる顔を抱えた膝にこすりつける。

 それからどれくらいの時が経っただろうか。私の元に、侍女頭のアデルさんがやって来た。


「コレットさん、殿下がお呼びです」


 報告があるだけで殿下に呼ばれるとは思ってもいなかったので、困惑していると。


「お顔を拝見しないと、不安でしょう? もう落ち着かれましたから、少しでしたら大丈夫ですよ」

「……本当に?」

「ええ、少し油断をしたとおっしゃっていました。つい空腹に負けて、毒味をさせる前に口になさったのだそうですよ」


 その言葉に、私は寝台を飛び降りた。


「……殿下がそう言ったんですか?」

「はい、コレットさんにそうお伝えするようにと」


 私は部屋を出て、殿下の元へ走った。

 彼が待っていたのは、寝室の衝立の奥、広い寝台の上ではなく、いつも気怠そうに書類を読みながらくつろぐ長椅子だった。

 平気そうにこちらを見る殿下の青白い顔色に、もう我慢がならなかった。

 ずんずん足音を立てながら殿下に近づくと、その腕を抱えて引っ張った。


「なんで横になってないんですか、寝台はすぐそこですよ!」


 引っ張っても私の力ではびくともしない。いや、殿下は動く気がないのだ。


「コレット、寝ている暇はない。この後は行政院で緊急会議がある」

「な……こんな時くらい、休んだらどうですか!」


 そう言いながら引っ張るが、逆に私が引かれて殿下の横に座らされてしまう。こういう時には、華奢な自分の体格を呪う。


「ねえ、ハルさんも言ってやってください、休めって!」


 ジェストさんに代わって就任した新しい護衛頭のハルムート=フェルザー、通称ハルさんは、苦笑いを浮かべて私たちの側に立っているだけだ。彼はこの前まで髭もじゃら、髪はいつも長めぼさぼさで、もっとずっと歳をとっているかと思ったらまだ三十五歳だった。髭を剃って、髪を整えたら、その黄味の強い金髪の下にある茶色の毛がよく見えて、まるで虎のよう。顔つきも精悍で、とんだイケおじさまだった。どうして隠していたのか聞いたら、たんに好きでやっていたらしい。本当に仕事以外のことには無精で、殿下が王太子になったら身なりを整えなければならないから、職場を辞めようかと本気で思っていたというくらいの、ずぼら筋金入りだ。

 そんなハルさんだが、殿下への忠誠はジェストさん級、堅物度は主である殿下といいとこ勝負。もちろん殿下に逆らって、私の意見を聞くわけもなかった。

 それならばと、もう一人を探してきょろきょろしていると。


「エルならば実行犯を確保しに行っている、ダンジェンも持ち場に戻らせた」


 殿下にはお見通しだった。

 私が観念して座り直すと、殿下がハルさんに目配せする。心配そうな顔のハルさんだったが、それでも何も言わずにその場を離れてしまい、私たちは二人きり。


「……どうして、予定を早めて戻った? 何かあったのか」

「私の心配をしている場合ですか……早く帰ってきて良かったです、私がダンちゃんを連れて行ったせいで、殿下が……」


 再び恐ろしい未来を思い浮かべて、顔が歪む。


「今回のことはジョエルの件が片付いて、私が油断していたせいだ、コレットが気にすることはない。それに使われていた毒は、昔からよく使われるもので真っ先に王族は慣らすし、死ぬことはない。警告のようなものだ」


 そう言う殿下の横顔には、まだ少しも血色が戻ってはいない。どうしてそこまでして休もうとしてくれないのだろう。

 そう思うと、いっそ腹が立つ。


「本当は、私が狙われていたんですよね?」


 殿下は驚いたように私を見て、そしてしばらく考えた後に大きく息を吐く。


「なぜ、そう思った?」

「だって、食器が二人分だったもの。殿下は、ここに私の分も用意させたってことですよね? わざとですか?」


 昨夕からダンちゃんを伴って家に帰宅して、休暇を終えて戻るのは今晩のはずだった。それなのに殿下は私がまだここで働いているように装っていたとしか考えられない。

 私という存在が気にくわない者がいるのは、レリアナに指摘されなくとも、当たり前だろうと思ってはいた。だけど嫌がらせ程度で、命を狙われるほどとまでとは考えていなかった。それは殿下が私に悟らせないようにしていたのだろう。そんなことにも気づかなかった自分に、一番腹が立つ。


「殿下が食べてダメージは負うものの死なず、一緒に食べた者は死ぬ毒ってことは、警告じゃなくて明確な殺意。そして本命は私じゃないですか、どう考えても」

「コレット」


 咎めるような声だが、否定はしない殿下。

 胸の奥が、いたい。

 私は泣きそうになる顔を見られないよう横を向いて、隣で私の様子を窺う殿下の、上着の裾を掴む。


「私なんかのために、死なないでください。そういうの、一番……嫌です」


 お母様、お父様は、突然いなくなってしまった。私にとって家族というのは、大切なものだけど、突然無くなってしまうものだった。死んでいなくとも、お継母様も、レスターも、会うことが出来なくなった。

 一番大事なものは、いつだって突然失ってしまう。

 青い顔をして倒れた殿下を見た時に、私は身体の芯から震えるほど怖かった。

 彼は、私に求婚した。

 それって、殿下が私の大事な家族になるってことで。

 殿下が死んでしまったら、私はまた家族を失ってしまう。


「俺の判断は間違っていなかった。これからもコレットの移動には、ダンジェンをつける」

「殿下、そういうことを言いたかったわけじゃなくって」

「分かっている!」


 強く言い放ち、殿下は私の項に手を伸ばし、引き寄せた。


「必ず納得させて、黙らせる。少しの間だけでいい、護られていてくれ」


 抱き寄せられ、肩に押しつけられた頬から、殿下の体温を感じる。私のそれよりもずっと熱いのは、毒のせい。


「王宮に人を潜り込ませるのは貴族家ならば容易いだろう。どちらの派閥だとしても、好き勝手させてしまうのは、ジョエルに王位が渡っても仕方が無いと安穏としていた私の責任、私の甘さが招いた結果だ。二度とコレットに手出しできなくなるよう、ベルゼ王国との式典までには手を打つ」


 嘘だ、デルサルト派に私を狙う意味はない。私を排して王子妃に家門の娘を就かせたい、殿下を支持している貴族の方が理由としてありえる。


「手を打つってどうやって……殿下を支持してくれる派閥の貴族だったら、造反される切っ掛けに……」


 ハッとして殿下を押しのけ顔を上げる。


「まさか、それでリヴァルタ渓谷橋の補修工事を引き受けたんですか?!」


 すると殿下は急に表情を険しくする。


「レリアナ=プラントから聞いたか、だから予定を早めて戻ったのか?」

「はい、セシウスさんが事業開拓のために、かなりリスクの大きな仕事を請け負った、その責任者が殿下だからって」

「……ついでに、身辺に気をつけろと忠告されたか?」

「そうですけど、なんでそんなに不機嫌なんですか。前から思っていましたけど、殿下ってなんかレリアナの話が出ると、いつもそうですよね?」


 いつも硬い表情が多い殿下だけど、さらに憮然としている風に見える。

 今だって、私の指摘を否定もせずに、だからどうしたと開き直っている。


「デルサルト卿に加担する形になっていたセシウスさんならまだ分かりますよ、ブライス元伯爵と懇意なブラッド=マーティン商会の若頭取だったわけですから。でもレリアナは私の友人で、彼の婚約者なだけです。それに私を助けてくれた人ですよ?」


 筋が通らない自覚があったのだろうか、叱られた子供のように目線を外された。


「ああ、そうだな。分かっている、これは単に俺のやきもちだ」

「はあ? なんでレリアナ相手に、殿下がやきもちを焼く必要があるんですか」

「コレットが十年、誰にも明かさなかった秘密を最初に打ち明けた相手が、自分ではなくレリアナ=プラントだったな」

「は……はああ?」


 だって、殿下は秘密を隠しておきたかった相手ですから、当たり前でしょう!


「逃げた先も、頼った相手もだ、さすがに矜持を傷つけられた」


 駄目押しのように言われ、脱力してしまう。

 こんなことを言う人だとは思わなかった。思わず吹き出してしまった私に、殿下は。


「そうやって笑っていろ、コレット。ジョエルを追いやっただけで、満足するには足りない。賭けが終わる期限までに、私が王となることを全ての貴族に認めさせて、黙らせる。それは、妃に誰が相応しいかを含めてだ。アルシュ侯爵領のリヴァルタ渓谷橋修復事業は、そこまでの通過点に過ぎない」

「……忘れていましたけれど、殿下って」

「ああ、執念深いと言ったろう。だから、逃げられると思うなよ」

「青白い顔でそんな決意表明をされても……」


 こうなったら、殿下はやり遂げるのだろう。普通だったら引くほどの強引なその言い方に、殿下らしい愚直な優しさが見えてしまう私に、逃げ場はなさそう。

 だったら、私も決めなければならない。

 どういう自分が、彼の横に立つに相応しいのか。家族となってくれる彼を支えて共に歩むために、自分を変えていく覚悟を。



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