第四十八話 対面
それから無事に執務室を脱出して離れの屋敷に戻ったところで、お母様も疲れた顔をして帰ってきた。
話を聞くと、殿下を迎えるために兵を配置したそうだ。そんなことをしたら反逆にならないのかと思うのだが、ブライス伯の潔白を信じるデルサルト卿を擁しているかぎり、正義は我にありというのがグレゴリオ将軍の言だそう。ただし実際にはデルサルト卿の指示がない限り、手は出せないということで、挑発の意味もあるのではというのがお母様の予想。
「そんなことよりも、デルサルト卿の前にあなたが出ることは、わたくしは許しません」
お母様はドレスに着替える私に、厳しい口調で訴える。
だが執務室での様子を思うに、私が出なければデルサルト卿はお母様をどう扱うか、予想がつく。それだけは避けねばならないと、お母様の侍女を説得して、身代わりの女性たちにあつらえてあったコルセットを借りて、既に着けている。
私が表に立てば、それこそベルゼ王国へ引き渡すまでは何とか時間稼ぎしようと思う。その後にどう扱われるか分からない状況で、まさか身代わりを立てるなんて出来るはずもなく、ましてやお母様をこれ以上危険な目に遭わせたくはない。
ということで、少しゆるめなドレスを調節しながらなんとか着こなし終わる。
「あなたはもう二度、デルサルト卿と会っているのですよ。殿下の側にいた会計士と同一人物と、すぐに知れてしまいます。そうなったら……」
「人質として、使われるかもしれませんね」
「わ、分かっているのでしたら、どうして!」
「隠れていたら、殿下に情報を伝えるのが遅れてしまいます」
「情報?」
「ええ、私が帳簿を隠し持っているだけじゃ、ダメなんです。私はただの会計士だから、数字は読めても、実際の領地のことを知らないし、過去の事象、統計、政治、全部揃ってこそ、確かな証拠になるんです。きっと殿下はそれを分かってるから、会計院の者を伴って来てる。その場で、あらゆる指示を出せるように、万全の準備をして向かって来てるんだと確信しました。だからいつでもすぐに渡すためにも、隠れていたらダメです」
私はレースをふんだんに使ったドレスの、コルセットに絞られた体に手を添える。
「ですがデルサルト卿は武人です、彼があなたを害そうという気になったら、ただでは済まないのですよ」
「それなんですけど……もしかしてデルサルト卿って」
言いかけたところで、部屋に執事が入ってきた。
ろくに声もかけず、不躾にずかずかと入り込むその男が、どれほどお母様を蔑ろに思っているのかと思うと怒りがこみ上げる。
「用意が整っているようでしたら、急ぎ宴の間へお越しください。閣下がお待ちです」
私たちはそれ以上、会話を続けることはできなくなり口を閉ざす。必死に止めようとしていたお母様も、どうすることもできずに私を連れて行くしかない。
執事は私を一瞥してから、先を行く。
宴席に着くということは、外の様子がどうなっているのか気になるが、確認することはできない。まあ、確認できたところで、自分に出来ることなどないのだけれど。
「閣下、ご希望の娘を連れて参りましてよ」
どう見てもブライス領の者ではなさそうな物々しい兵士が配置された、宴の間に着く。ただ一人、くつろいでいるジュエル=デルサルト卿へ、お母様が率先して挨拶に向かった。私はその後ろに控え、黙って頭を下げている。
「顔を上げて見せよ」
デルサルト卿の言葉を受け、私はまっすぐ顔を上げた。そしてスカートをつまみ、小さく膝を折る。
「コレット=ノーランドでございます」
化粧を施してもらっているとはいえ、そうそう顔つきが変わるわけではない。忘れていてくれればいいけれど。そう願いつつも、さすがに殿下がらみの私を忘れるほど、彼は馬鹿ではない。
驚きに目を見開き、そして静かに笑ったのだった。
「ふ……、なるほど、確かにおまえもその色だったな。これは誰の差し金だ? それとも偶然か?」
デルサルト卿は鋭い目を私に向けながら、つかつかと歩み寄り、私の腕を掴んだ。
「わざわざ虎の巣に、兎が飛び込んでくるとはな。まさかラディス自ら、お前を使ったのか?」
「……殿下は関係ありません、私はこの十年、平民として生きてまいりました。ですが先日、継母の使いから、ここに来れば確かな身分と贅沢な暮らしを約束してもらえると聞いて、自らここに来ました」
整った顔に凄みをきかせられると、やはり腐っても王族なのだと改めて思う。
冷たく澄んだ緑の瞳に睨まれると、身がすくみ背中にいやな汗をかく。怖じ気づかないよう気を張るが、微かに声が震える。
「では本当に、おまえがノーランド伯爵家の生き残りなのか」
「間違いありません」
「それで、レスター=バウアーがおまえを気に掛けていたのだな」
「……義理とはいえ、弟でございますので」
そう答えると、ようやくきつく掴まれていた腕を解放される。けれどもホッとするのもつかの間、デルサルト卿が兵士に指示して私を拘束させたのだった。
抵抗する間もなく両手を後ろに回して、手首を縛られてしまった。
「なにをいたします、拘束などせずとも非力な女にこのような」
お母様が抗議するも、デルサルト卿は鼻で笑う。
「この者は私の前で、腰丈以上の高さの塀を、一飛びで乗り越えたのだぞ。継子がとんでもないじゃじゃ馬であることを、マダムはよく知っているのではないのか?」
それを聞いて、今度はお母様が驚いたように私を凝視する。
いや、うん。確かにやった、スカートで塀を跳び越えたのは事実。でも仕方がなかったのよ、お母様。人助けで一刻を争う時だったし、まさかそれが今日ここで効いてくるなんて思いもよらなかったんだから。睨んだような目をして呆れてるような、お母様……
「た、例えそうであっても、傷を付けるのは得策ではないでしょう」
「ああ、承知している。だがラディスを追い払うまでは、このままだ。足を縛られないだけでも、マシと思え」
そう言うとデルサルト卿はまるでこの屋敷の主のように振る舞う。使用人たちに指示を出して、料理を運ばせる。自らは酒を手にして、お母様を隣に座らせ、そして私を少し離れた席に座らされた。部屋の隅に立つ兵士たちに目をやるが、彼らの表情は変わった様子がない。普通、貴族令嬢を縛る上司を、諫めるのではないのかしら。
豪華な食事が運ばれてくるなか、それらの給仕を押しのけるようにして、グレゴリオ将軍が戻ってきた。将軍はすぐにデルサルト卿の元へ行き、領主館への入り口を兵士で固め、城壁のような高い塀と、櫓で殿下の襲来を警戒していると息巻いていた。
いやいや、仮にも施政者である殿下が襲来って、どういう感覚でものを言っているのか。呆れていると、私たちの方に気づいたようだ。視線を感じ、とっさに顔を背けていると。
「ああ、あれが例のノーランド伯爵家の娘、コレット=ノーランドだ。ラディスへの揺さぶりに使おうかと思うが、少々跳ねっ返りのようだから縛っておいた」
「ラディス王子への揺さぶり、ですか?」
デルサルト卿が余計なことを言ったせいか、興味を持った将軍がこちらにやってくる。私はそっぽを向いていたが、彼は簡単に回り込んで私の顔をのぞき見て、そして驚いた様子だった。
「この娘は、確か……」
「ああ、ラディスの雇った私財会計士だ。面白いことに、ノーランド伯爵令嬢は平民として名を偽り、暮らしていたのだ」
「それは、本当ですか」
グレゴリオ将軍は、すぐに鬼のような形相でお母様を睨みつけた。
「娘を死なせたとブライス伯が言っていたというのは、偽りだったということか」
お母様はいつもの様子で、つんと顎を高くして黙っている。
「ブライス伯は、本物が生きていることを知らずに王都へ向かった。謀ったのは、マダムだろう」
「貴様、どういうつもりだったのだ!」
お母様につかみかかろうとするグレゴリオ将軍。あの野太い男の腕で掴まれたことのある私だからこそ分かる、あんな馬鹿力で掴まれたらお母様がタダで済むわけがない。
後ろ手に縛られていることも忘れ、私は将軍に体当たりをする。
「んあ? 小娘が、小賢しい真似をするな!」
びくともしない将軍が、私を払いのけた。ふらりと床に落ちる私に、お母様が「コレット!」と叫んだのと同時だった。
「閣下、南方にラディス殿下一行がこちらに向かってくるのを確認しました!」
その声にデルサルト卿は口にしていたワインのグラスを置き、そしてグレゴリオ将軍は歓喜の表情を浮かべた。
「それはそれは、長旅を労って差し上げましょうぞ閣下。こちらには二十名の精鋭を配備し、出迎えの準備は万端」
将軍の言葉に頷くデルサルト卿。だが伝令は続ける。
「殿下が引き連れている騎兵の数、およそ二百! 旗印は国軍、国王陛下直下部隊の黄色、そして近衛王室警護隊を示す赤の二色です」
意気揚々だった将軍が言葉を失う。
だが畳みかけるように、もう一人の兵士が慌てた様子で入ってきて叫んだ。
「閣下、北方より所属不明の一団が、こちらに向かって進行中!」
「今度はなんだ、旗印は?!」
将軍の怒声に兵士は気圧されながらも、危機的状況が分かるのだろう。声を震わせながら続ける。
「武装した様子は見られませんが、多数の馬車と騎馬を引き連れております。馬車の形状、騎馬の並び方から、おそらくベルゼ王国のものではないかと……」
「ええい、どうしてこのタイミングで!」
苛つくグレゴリオ将軍を手で制すると、デルサルト卿が立ち上がった。
「見苦しく慌てるな、ロザン。国軍を束ねるのは我が父デルサルト公爵、そして近衛騎士団は私の指揮下にある。どのような手を使って連れて来たか知らぬが、いざという時に足を掬われるのはラディスの方だ。それとも貴様は、簡単に寝返るような兵士しか育てられなかったとでも言うのか?」
「いいえ……確かにおっしゃる通りです、軍と近衛の指揮系統は、我らにあります閣下」
冷静さを取り戻した将軍に頷くと、デルサルト卿は座り込んでいた私に手を伸ばし、腕を掴んで引き上げた。
「来い、浮き足だったラディスを、こちらから出迎えてやろうではないか」
声も、言葉も、これまで通り激高どころか穏やかにすら聞こえる、デルサルト卿。けれども、私を引きずるようにして歩く彼の横顔からは表情が消え、そして掴む手にギリギリと苛立ちが伝わる。
その顔立ちに似つかわしい細く長い指が、腕に冷たく食い込んでいた。




