第五話 探し人
「承知しました……必要ないのでしたら、私も助かります」
王子殿下の少々問題ありな発言を苦笑いでやり過ごして、私は早速だが仕事にとりかかる旨を告げる。するとハインド卿も同じ思いだったのだろう、私とさほど変わらない表情を浮かべながら、真新しい水色の会計士襟を手渡してくれた。会計士の身分を表す襟は、背中で二股に分かれていて、その二つの先端に紅玉と金の房が付けられているものだ。紅玉は殿下の髪色、金は瞳、つまりこれを着けているだけで、王子殿下配下の会計士だという証になるだろう。
その襟を取り付けると、私は書類の山の中から過去の台帳を引っ張り出して、早速仕事に取りかかる。
まずは最も過去に遡り、そこから順にざっと目を通す。最初こそしっかり項目ごとに仕分けされていた帳簿が、どうも途中からその手順がおぼつかない。そして最後の方に至っては、どこから出てきたのか怪しい数字が殴り書きのように連なり、なんとか計算だけは合わせてあるといった状態だ。ただしそれすらも一年前まで。
それからまだまとめられていない、領収書や納品書などの束をほどく。日付も項目も種類も何もかもごっちゃ混ぜになったそれらを、一から仕分けねばならない。
引き受けたからには、今から気が遠くなる作業が始まるのだと、覚悟を決める。
腕まくりをして、持参した鞄の中から色紙を取り出し、無駄に広い大理石に並べる。そこに手当たり次第、項目で振り分けていくことにした。
ずらっと並べると、とても三十では足りない仕分けに、気づけば用意された机の周辺一帯の大理石が、書類で覆い尽くされていた。
そこに配置するには、当然ながら這いつくばって手を伸ばす必要があり、届いたかと思ったら手前に自分の髪が落ちて散らばる。
地味にイライラが募るこの作業、舌打ちしたい気持ちを抑えて顔を上げると、長椅子で足組をして書類に目を通す殿下と目があった。
「あの、邪魔なんですけど」
「ここは私の居室だと言ったろう」
「いえ、殿下ではなくて、髪がです!」
本当のところ、殿下も邪魔です。こうした作業をやんごとなき身分の方に見られているのも、どうかと思う。でもそれは口にすべきではないと、私の生存本能が告げている。
だがさすがに殿下も目の前で広げられた書類を見せられたせいか、妥協する気が起きたようだ。
「お呼びでしょうか、殿下」
すると衝立の向こうで待ち構えていたのか、直ぐに年配の侍女がやってきた。
「あれの髪を整えてやってくれ。下ろしたまま、邪魔にならない程度に」
王子の言葉に、侍女は私の方を振り返る。
そして四つん這いになっている私を見て、一瞬動揺したかのような表情だ。だがすぐに堅いものに戻して「かしこまりました」と答えた。
侍女は他の者に道具を取りに行かせて、私へ向き直り頭を下げた。
「私は王子殿下付きの侍女頭、アデル=グランシェと申します、お見知りおきを」
「本日から殿下の私財会計を任されました、コレット=レイビィです」
雑然とした書類の隙間から立ち上がり、アデルさんに頭を下げる。すると「こちらへ」と促され、殿下の部屋にある猫足の上品な椅子に座らされる。そこで髪を櫛梳かされ、下を向いた時に髪が落ちないよう、両サイドをゆるく編み込んでもらった。
「コレットさん、さぞ驚かれたでしょう。ですが、明日からもこうしておけば、殿下はうるさくありませんよ」
アデルさんはどうやら、殿下が私の髪を崩したことを見ていたらしく、とても同情的だ。王子殿下の侍女頭とあってか、黙していると凜々しいお顔立ちで立ち姿も凛としている。なので一見怖い人かと思いきや、笑うと一気に柔らかい雰囲気になる人だった。
良かった、少なくとも身近にまともな人がいてくれて。
うんうんと頷いていると、殿下からの鋭い視線を感じる。まだダメ出しをされるのだろうかと身構えていると。
「会計について、何か分からないことはあるか?」
殿下にそう尋ねられ、私は床に分類分けして広げたままの、いくつかの領収書の束を見る。
仕分けを始めてかれこれ一時間ほどになる。これまで見たところ、たいていの支払い先は、私も庶民納税課に居た手前、知っているところが多い。だが特別な事情がないと知らないはずの取引先もあって……それらを王子殿下が利用していることに純粋な疑問がわいていた。
「お金の出入りをざっと見て、疑問に思ったことがあるんですけど」
「なんだ、言ってみろ」
私は迷いつつ、仕分けてもなお多く積もる紙の束を手にして、それらをめくる。
気になる取引先は、なんのことはない情報屋さん。市中でも利用する者は多い、だがその中でも、ここ『ダディス』という名の情報屋は、特殊な仕事を請け負うことで密かに知られている。父さんが使用人たちの身辺調査のために仕事が滞っていると言っていた。その身辺調査を請け負っているのが、ダディス。
そのダディスに、殿下は毎月といっていい頻度で、支払いをしている。しかも遠方調査の費用として、かなりの額を上乗せまでさせて。
「ええと……殿下は、誰かを探していらっしゃる?」
その言葉と同時に、何故か場の空気が凍り付く。
え? ……なんで?
殿下は私を凝視したまま動かず、アデルさんは目を細めながら口元を隠し、ハインド卿が困った顔で天上を仰ぐ。
まずいことを、聞いてしまったのだろうか。でも、言ってみろと促したのは殿下でしょう。
「コレット……なぜ、そう思った?」
重い空気のなか、口火を切ったのは殿下だった。
「ええと、支払い明細を見てです。こちらのダディスは、あまり知られてはいませんが、人捜しをする所でもありますから」
「それだけか?」
「あとは、遠方調査費も……それを使用人もさほどたくさん置いていなさそうな殿下が、事業収益の一割近くをつぎ込んでいるとなったら、普通に使用人に対する身辺調査なわけないです。私が以前、相談を受けた商会で隠し子騒ぎがあって、その時に同じように膨大な調査費用をダディスが請求していたのを見ていましたから…………はっ、まさか殿下も」
「隠し子などいるか!」
速攻、否定された。それも怒りながら。
「でも、人捜しは、否定されないんですね」
今度は、殿下も返答に困ったらしく、不機嫌そうに口を引き結んだ。
「殿下、私どもは会計士の判断能力を軽んじていたようですね」
ハインド卿がそう言うと、殿下もまた諦めたようにひとつため息をつく。
「いずれ教えるつもりではいたが、まさか仕事初日に指摘されるとは思わなかった。だがおまえの会計士としての知見は、認めよう」
まさか殿下に褒められるとは思わなかった。まあ素直に、嬉しい。だがそれも殿下の次の言葉を聞くまでの、束の間のことだった。
「お前の言う通りだ、コレット。私はある人物を探している。相手は十年前、この王城に忍び込み、貴族の子息として名を偽り、王子である私に近づいた少年を探している」
「十年……前?」
「ああそうだ。その少年は俺よりも少し年下で、ここに忍び込めるということは、貴族家の子息か、貴族家で使用人をしていた者だと考えられる。その少年は、あろうことか大罪を犯したのだ」
王子殿下は、今まさにその少年を目の前にしているかのごとく、その琥珀色の瞳に強い怒りの炎を乗せて語る。
「あ、あの……大罪とは、なにを?」
「決して許されることのない、取り返しのつかない罪だ。言葉にするのもおぞましい……」
真剣な殿下の表情に、私はただ気圧される。
怖じ気づいた私を気遣ってか、ハインド卿が殿下をなだめ、代わりにと詳細を語る。
「僕も当時、殿下の側に仕えていましたが、その少年は見ていないのです。ですがその少年は殿下に近づき、あっという間に打ち解けた後、王城にある『精霊王の宝冠』に殿下とともに触れたのです。そして宝冠は、王の印を顕在させました。その意味が、分かりますか?」
「いいえ……精霊王の宝冠が、王位の継承に関わっているのは、知っていますけど」
精霊王の宝冠を所有する者が、このフェアリス王国の君主の証であると伝えられている。でもその宝冠が、実際にあるかどうかは平民には分からない。あるとされているが、表に出されたことがないからだ。
その宝冠に、王の印?
「殿下が次の王と宝冠に認められた、そういう印が顕在したのです」
「それは、おめでとうござい……ま、す?」
語尾が疑問形になったのは、聞いたそばから殿下の表情に厳しさが増したせい。
「おめでたいことなどあるものか……いいかコレット、これも守秘義務事項だが覚えておけ。王の印は、王妃となる者と触れることによって顕在すると伝わっている。事実、父も母とともに触れてその印を顕在化させた」
「はあ……なるほ…………」
私は合槌しながら、事の重大さに気づく。
共に触る相手が……え、えええええ?
ってことは、殿下の相手が、その……少年ってことで。
「何としても、見つけねばならない。その少年を」
怖い怖い、悪魔のような笑みを浮かべる殿下を、事情を知るハインド卿とアデルさんがなだめようとオロオロしている。
「あ、あの、殿下、その人を見つけたとして……どうするつもりですか?」
「もちろん、相応の対処をすることになるだろう」
ひいい。精霊王の宝冠は、約束の石そのものでできている。ということは、契約を破棄する条件は、契約を達成するかどちらかの死。つまり……
でも、待って。だってそれ、もしかして……
私が驚きのあまり言葉を失っている間も、殿下は積もる思いを吐き出すかのように続ける。
「精霊王の宝冠は、いまだ印を顕在させたままだ。つまりあの少年は生きている。なんとしてでも見つけ出して、契約を解除せねばならない」
「そんな……ちょっと、それはさすがに酷くないですか⁉」
「そう言いたいのはこちらの方だ。男と結婚しろと言われたのだぞ、私が! この十年、どれほどの屈辱を味わったと思っている!」
ああ……駄目だ。死ぬ。
その『少年』、絶対死ぬわ。
烈火のごとく怒る殿下を、私は背筋に脂汗を流しながら見守るしかなかった。
だって少年、もしかして……いや、もしかしなくとも私だ。
脂汗が額を伝う。