第四十五話 再会
クラリスをレリアナに託して、私は継母の従者とともにとりあえずは王都を出ることにした。レリアナにセシウスの所有している馬車を用意してもらい、それに乗って隣領の宿場まで行き、そこで馬車を乗り換えてブライス領へ向かう。
私たちの提案に最初は驚きつつも、従者の男は受け入れた。最初からクラリスを逃がすつもりだった継母は、かなり信用のおける者を追跡者に選んだようだ。彼の主人であるリンジー=ブライスに危害を加えるつもりがないこと、屋敷からの逃亡者を見つけて帰れば主人の立場が守られることを説明すると、納得してくれた。
私はそうして、宿場から丸一日かけて彼とともに、ブライス領の領主館へ向かった。
一方でレリアナは、上手くセシウスに事情を説明して、殿下に証拠であるクラリスを法務院へ届けることを請け負ってもらった。上手くいくだろうか……ううん。婚約者の保身をはかるためでもある、きっと彼女らしく立ち回り殿下の庇護を得られると信じている。
問題は、私への追っ手がかかるかどうか。途中で止められてしまうと、残りの二人を移動させられてしまうかもしれない。でもきっと殿下なら私と同じ事を考えて、私情は挟まずに動くだろう。
どこまで通用するか分からないけれど、できる限りクラリスとして誤魔化して入り込み、時間を稼ぐ。そしてできたら、ベルゼ王国との密約の内容を知らなければ。
そうした緊張のなか、私と従者は順調にブライス領へ入ることができた。
領主の屋敷に到着する前に、私以上に緊張した面持ちの従者に話しかける。
「あなたのご主人は、あなたに戻ってくるなって言ったんじゃない?」
従者はハッとした顔を見せ、すぐに口を引き結んで俯く。
「悪いことをしたわ、巻き込んでしまって」
「それはいいんです。私は元より、リンジー様の元を離れるつもりはありませんでしたから。ですがそれがご命令だったので……」
「そう……それじゃ、一緒に叱られましょうか」
そう言って笑うと、従者は泣きそうな顔をしながら、ただ頷いていた。
リンジー=ブライスは……お母様は、自分がどう人に見られてしまうのか、それはよく知っている人だった。
幼い頃から、きつめの顔立ちのせいで、たくさん誤解されてきたという。
でもだからこそ、人の痛みや、弱さを理解できる人だった。
私を産んだ母シャロンは、ベルゼ王国の出だった。高貴な身分の祖父が、正妻がいるにもかかわらず身分が劣る祖母に手をつけて生まれたそうだ。そのせいで厭われ、国外に留学させるという体をとって、家から離されたらしい。そうして訪れたフェアリス王国での学生時代に出会ったのが、リンジー=ブライスであり、彼女の婚約者だった父、ノーランド伯爵令息だった。
母は、なじめないフェアリスでの生活のなかで、自分の居場所を作るためにも、学業に励んだようだった。それがまた貴族たちが通う学園では浮くことになり、容姿のせいで人が寄りつかないリンジーとは浮いた者同士、自然と仲良くなった。無二の親友、そういう間柄だったと、私は産みの母、育ての母、両方から聞かされている。
そんななか、母シャロンはリンジーを通じて父と知り合い、二人は惹かれ合った。母は苦悩したという。当然、リンジーもまた、悩んだに違いない。親同士が決めた婚約であったけれども、父と継母は決して嫌い合っていたわけじゃない。むしろ、自然と夫婦になっていくのだろうと受け入れていたというのだから。
そんな微妙な三人の関係も、やがて崩れる日が来る。母シャロンに熱烈に求婚する者が現れたらしい。その人は高貴な身分だったけれども、それでも母の気持ちが父からその人に傾くことはなかったらしい。それで父もようやく、真剣に母との将来を考えるようになったらしい。その恋の障害がまさか、陛下だったとは聞かされていなかったけれども……
だが父の心変わりを知るやいなや、ブライス伯爵の動きは速かった。すぐに父の方から婚約破棄させて、多額の婚約違約金を支払わせたのだ。当時、祖父の代から続く事業のおかげで、ノーランド伯爵家の財産はかなりのものだった。その上でリンジーを傷物扱いにして、別の貴族に持参金も持たせずに嫁がせたらしい。自分の娘を、都合のいい道具かなにかかと勘違いしているのだろうか。それだけじゃない、ノーランド伯爵家に嫁ぎやすいように、ティセリウス伯爵に働きかけて母シャロンを養子にさせたのも、ブライス伯爵だというのだから、用意周到すぎる。
でもこの行動に、私はずっとひっかかっている。いくら多額の違約金目当てだとしても、母シャロンを排除した方が、リンジーを通じてノーランド家の財産を、いずれ好きにできたかもしれないのに。
「そろそろ着きます、準備はいいですか」
従者に声を掛けられ、私は気持ちを引き締める。
「はい、なるべく黙っているので、よろしくお願いします」
馬車は屋敷の敷地に入った。
敷地内とはいえ長い道のりをそのまま馬車で進み、いくつかの門をくぐる時に従者が警護兵と言葉を交わし、窓から私の顔を確認されたが、とくに不審がられることもなく通された。そうして馬車が到着したのは、大きく聳える母屋とは別の、離れの建物だった。
屋敷は様式こそ貴族の邸宅に倣っているが、とてこぢんまりとしたものだった。まさかあの夜会で人々の衆目を集めたリンジーが、ここに住んでいるとは思えない。警護の者も立ってはいない玄関を従者の彼が開けると、しばらくしてようやく執事のような男が警護の者とともにやってきた。
「ようやく、戻りましたか。リンジー様が首を長くしてお待ちになっている、早くしろ」
横柄にそう言うと、深くフードを被る私を横柄な目で見て、聞こえるように舌打ちをした。
「きついお仕置きを覚悟してのことだろうな、まったく世話を焼かせやがって」
忌々しそうにそう言って、背を向けた。
私と従者はそんな男の後を、黙って歩く。エントランスには侍女もいるが、どうやら執事の男を恐れているようで、まるで主にするかのように頭を下げて、視界から逃げていく。
どうやら彼が、ここの監視をしているブライス伯爵の最も息のかかった者なのだろう。
連れて来られたのは、最奥にある広い部屋だった。入ると調度品がこれまでの屋敷の様子とは打って変わって、見るからに上質なもので取りそろえられている。白と金の色調で整えられていて、そこかしこに花が飾られている。まるで別の世界のようだった。
その部屋の奥から、侍女を従えた女性、リンジー=ブライスが現れる。
「このような時間に、なにごとか」
黒髪を下ろした女主人が、気怠そうに尋ねると、執事は深々と腰を折るのだが、顔はしっかりと上げたままだ。
「逃げ出した者を連れて従者が戻りましたことを、お知らせいたします」
「……なんと」
執事の言葉を聞いて眉を寄せ、つかつかと私たちの元に歩み寄ると、従者の前で持っていた扇子で、彼の頬を叩いた。
「いったい、いつまで待たせるの。本当に役に立たない子ね」
「申し訳、ありません」
「おまえが遅いから、もうお父様に頼んで新しい従者を手配してもらったわ、本当に愚図なんだから」
「お待ちを、こうして女を連れて戻ったのです、どうか私に免じてお許しを」
苛立ったような様子の女主人を諫めたのは、執事だった。だがその顔は、殊勝なものには見えない。
「お許しをいただけますれば、私の方でこの者を……」
「あら珍しく殊勝なことを。この者もおまえの配下、いっそのことおまえごと仕置きをしてやろうかしら」
すると執事は慌てて後ずさる。
「いいえ、とんでもない。リンジー様のものに私が手を出すわけは……それでは私はこれで失礼いたします、旦那様にご報告いたしませんと」
女主人の許可も得ずに、逃げるように部屋を出る執事。本当に執事だろうかと疑うほどの、とんだ態度だ。
だがそんな様子を咎める様子もなく、執事の足音が遠ざかると、リンジー=ブライスはほっと息をついた。そして従者の頬を手で撫でた。
「どうして戻ったのですか、何か急な危険でも?」
その顔はそれまでと変わらず、きつめの表情のまま。だが声音は柔らかく、従者を気遣っているのが分かる。
それでいて私の方を向くと、じっと様子を観察していた。
「クラリス?」
そう名前を呼ばれて、深く被ったフードの内で固まったままでいると、従者の彼が私の肩に手を添えた。
「ここに居るのは、すべて信用がおける者ばかりです、大丈夫」
そう言われ、私は被っていたフードを脱いだ。
まっすぐ見上げる先には、驚いてその漆黒の瞳をこぼれそうなほど開く、母がいた。
手を伸ばせば、届く距離。
十年、求めた人が目の前にいる。それなのに、私は手を伸ばすのが精一杯で、声がかすれて。
「……か、さま」
「コレット」
そんな私を両手を広げて、受け止めてくれた。
「ああ、コレット、どうしてここに……ああでも、嬉しい……可愛いコレット、コレット」
繰り返し呼ばれる名が、今度こそ私のものなのが嬉しくて、いよいよ声が出なくなる。代わりに出るのは涙と嗚咽ばかりで、求めた人の胸にそれも全て消えて、ただ幼子のように母にしがみつく。
わんわんと子供のように泣いたのは、いつぶりくらいだろう。
しばらく泣いて、側にいた侍女に促されてお母様とともに長椅子に座る。そしてハンカチで顔を拭かれていると、温かいミルクを用意されてしまった。
それを照れながら飲み干し、話し始める。
「お母様が逃がしてくれたクラリスは、レリアナが法務院を通じて保護してくれたはずです」
「無事に、王都まで着けましたか……おまえも、危険を承知でよくやってくれました」
母が従者を労る。けれどもすぐに厳しい顔つきで、私の方へ向き直る。
「それにしても、どうしてあなたがここに来たのですか、せっかく安全な殿下の元にいると思って安心していましたのに」
「私の身代わりになった二人を、助け出すために。お母様が身を呈して匿っているのでしょう?」
「彼女たちを逃がす算段は、できているのです。あなたが危険を冒す必要など」
「当事者なのに? こうやってお母様に守られているうちに、私はもう成人しました。助けられるばかりじゃなくて、役に立ちたい」
「コレット……」
白く細い指が、私の髪を梳く。
「そうね、大きくなったわね。本当に、シャロンによく似てきて……誇らしいわ」
「中身も似たみたいよ、殿下の求婚を断ったから」
今度は目を見開くだけでなく、口もあんぐりと開いたまま固まる母に、クスリと笑ってしまった。
「陛下から直接、教えてもらったの、昔のことを」
「そうですか……陛下があなたに真実を」
お詫びとして、私の偽りを不問にしてくれたこと、それから宝冠の徴による婚姻の強制をしない約束をしてくれたことを告げると。
「歴史は繰り返すと言うけれど、本当にあなたはシャロンと同じ道を……」
「同じではないわ。陛下はシャロン母様を好きになったと言っていたけど、殿下は宝冠の徴のために仕方なくだから」
母が首を傾げる。
「徴に縛られる必要がないことは、殿下も承知の上でしょう? それでも求められたのなら、それは殿下の望みだと思いますが……」
今度は私が首を傾げる。
「徴に縛られる必要がない?」
「陛下は、徴を無視して王妃陛下とご成婚なされたのですもの」
「え?」
「陛下のための徴は、シャロンの死とともに消えているはず。それを再びあなたと殿下が顕在させた。違うのですか?」
ちょ、ちょっと待って。
思考が追いつかなくて固まっていると、母が困ったような顔をする。
「陛下がコレットに教えた昔のこととは、シャロンとの徴の件、なのですよね?」
き、きき、聞いてませんけどもぉーーー!




