第四十四話 一番大切な人
通された個室で待ったのは、一時間ほどだったろうか。
思っていたよりも早くレリアナが来てくれたので、押し寄せる後悔や不安、畏れからすぐに逃れることができた。
「色々と忙しいのに、来てくれてありがとうレリアナ」
「……なに言ってるのよ、いつでも呼んでと言ったのは私よ。それより、大丈夫?」
部屋に入ってくるなり、私の側に駆け寄って、心配そうに顔をのぞき込むレリアナ。
「そんなに、酷い顔してる?」
「酷いというか、疲れてる……なにか辛いことがあった?」
レリアナはそう言いながら、連れていた従者に簡単な食事を用意させるよう告げて、私の側に座った。
誰かと会食でもしていたのだろうか。夜会の時よりは大人しいものだけれども、よそ行きのドレスを着て、肘までの長い手袋をつけていた。
「辛いことなんて、なにもなかったわ」
言葉にして、自分がしたことの罪深さを知る。
殿下の側は、辛いことなんてひとつもなかった。なのに私は、譲れないもののために、殿下を傷つけてしまったかもしれない。でもだからこそ、必ず目的を達しなければならないのだ。
私は自分の頬を両手で叩き、深く息をついてから背筋を伸ばした。
「レリアナに、協力してほしいことがあるの!」
そんな私にレリアナは驚き、そしてすぐに呆れたように笑う。
「ああ嫌だ、あんたがそういう顔をした時は、マジでヤバい話に決まってる。そして絶対に、何があってもあんたは引かないのよ……」
「そうだっけ?」
「そうよ何度、巻き込まれてきたと思ってるのよ」
「……そう、そうだね」
レリアナを、確実に巻き込む。でも、私が巻き込まなくとも、レリアナはセシウス=ブラッドとは一蓮托生。
「今度も、巻き込むと思う。それでも、レリアナの最悪を回避できると思う。だからお願い、協力して」
「私にできることなら、ね。まずは詳しく話を聞こうか?」
私はレリアナに人払いを頼み、それから詳しく話をする。
殿下とデルサルト卿の王位継承権争いに、セシウス=ブラッドもブライス伯爵を通じてかかわっていて、しかも彼らが女性を攫うなどの罪を犯していること。それに私も偶然巻き込まれ、殿下が証拠を掴んでいること。もしブラッド=マーティン商会がそれに深く関わっているのなら、いずれ罪を問われることになる。
それらの話を聞き、レリアナはどんどん青ざめていく。
「……本当に、女性が攫われているの?」
「被害届けから、人数も名前も、全て殿下は把握しているわ。救出されていないのは、あと三人。そのうち二人は、リンジー=ブライスの元にいるの」
「…………なんですって?」
「リンジー=ブライス本人が、あの夜会で私に言ったの。カナリアを二羽、預かっているって」
「ちょ、ちょっとまって、あのワインをかけた時? でもなんでコレットに?」
レリアナが混乱するのも仕方がないことだ。だって彼女にも話していないのだから。
「私の本当の名前は、コレット=ノーランドというの。リンジー=ブライスは約五年間、父の再婚相手であり私の継母だったわ」
私の言葉に、レリアナは大きな目をこぼれそうなくらい見開いて、言葉を失っている。
「攫われた女性たちの特徴は、金髪と紫の瞳。たぶん、私の身代わりなんだと思う。だから私は、残りの三人を助けたい。これを見て、レリアナ」
私はレリアナに皺だらけになった小さなメモを見せる。
「明日、この場所に行きたいの、殿下に知られないように」
「ええ、こんどは殿下?」
「うん、言ってなかったね、私は役所を辞めて、殿下の元で私財会計士をしていたの」
レリアナはしばらく、口を開けては閉じを繰り返し、何かを感情に乗せて言おうとしたようだったが、結局あきらめたようにひとつ息をつく。
「……だから、あの夜会に忍び込んでたの? もしかしてそれは殿下の指示なの?」
「違う、私から頼み込んだの。リンジー=ブライスに接触したかったから」
レリアナが頭を抱えている。
「突拍子もない情報が一度に多すぎて、整理がつかないわ。追々、細かいところは説明してもらうけど、とりあえずあなたは何をしたいの?」
「うん、レリアナは話が早くて助かる。あのね、明日この場所に行けば、リンジーの配下の者が居るはず。そこで私をリンジーに売ってほしいの」
「はあっ?!」
「あ、売るっていうのは金銭のやり取りではなくてね、売り込んで欲しいのよ。金髪紫目の女性を見つけたから、献上しますって」
「つまり、ブライス伯爵家に入り込みたいと?」
ご明察。にっこり笑うと、レリアナの口からは大きなため息が吐き出されたのだった。
「どうしてそんな危険を冒すのよ、人攫いに関わっているなら、いずれリンジー様も罪に問われるわ。あんたに限って、直接手に掛けたいなんて言うわけないって思ってたけど……」
「知りたいんだ、私。どうして今更、私の身代わりを必要としているのかを。それが分かれば、殿下の交渉の助けになるだろうし」
「交渉?」
「レリアナも知ってるんじゃない? ベルゼ王国と和平式典に、華を添えるように硝石の交易条件を交渉してるの」
「……まあ、少しは」
歯切れの悪さから、セシウスがかなり関わっていることがバレバレだよ、レリアナ。
でもこれで、殿下の元を黙って去った甲斐があるということが分かった。
「ベルゼ王国とデルサルト卿との間で、密約があるみたいなの。それで殿下が交渉から外されたわ。それを探りたい」
「なんであんたが……」
レリアナがハッとした表情を見せる。
「もしかして、殿下がご執心の女性ができたって噂よね……まさかそれ、あんたなの?」
それはわざと流した噂だけどね。
私はレリアナに、かいつまんで説明する。殿下との十年前の出会い、宝冠にまつわる不幸と、そして死んだことになった伯爵令嬢としての自分、平民として愉しく暮らしていた間の殿下の苦悩と、探していてくれた理由を知ったこと。たくさんの嘘をついて何食わぬ顔をして過ごしていた私を、ひとつも責めなかった殿下へ、私ができること。
「でも本当にいいの? あんたが居なくなったって分かったら、殿下は……」
「大丈夫、手紙と鍵を残してきたから」
「鍵?」
「うん、そう。かつて私が継ぐはずだった父の事業を、ブライス伯爵が不当な手段で手に入れた時の証書をいくつか残してあるの。十年前はまだ子供だったから、抵抗ひとつできなかった。ううん、抵抗する前に危険から遠ざけられて……でもそれを殿下ならうまく使ってくれる、そのために証人の確保が必要なの」
「証人?」
「うん、子供だった私の代理人、リンジー=ブライス。私の一番、大切な人よ」
あの人の娘として過ごした五年間、私は本当に幸せだった。
産みの母を早く亡くし、母からの愛情というものを知らない私に、娘として愛してくれた人。事故に見せかけて夫を殺害した、実の父親ブライス伯爵から私を守るため、あの闇医者を雇い書類上で死亡にして、レイビィの両親に土下座をして、コリンと私のすり替えを行った張本人。それを隠し続けたままブライス家に残り、私とレスターを今まで守っていてくれた。
十年。一言で語るには、長すぎる時間。
どんな汚名を着せられても、虚勢を張り続けたあの人を。自分の身に危険が及ぶにもかかわらず、あの帳簿で危険を知らせてくれた母を、私はどんなことをしてでも取り返したい。
レスター以外に初めて本心を語った。そんな震える私の手を、レリアナはぎゅっと握ってくれていた。
その日の晩は、レリアナと会った店に泊まらせてもらった。
表向きは料理店なのだが、実はブラッド=マーティン商会の所有する店だという。商談を行う時に、特別な客向けの宿泊部屋もあるらしく、その一室をレリアナが用意してくれた。
そこで一泊して、翌朝レリアナが再び馬車で迎えに来てくれて、メモにある場所に向かった。
目的地に着くまでの道すがら、レリアナが真剣な顔で話しはじめる。
「コレットに聞いた話を、まだセシウスに聞いてないの。彼は昨日から、デルサルト卿に呼び出されていて、会えてないから」
婚約者が捕まるかもしれないのだ、不安にならない方がおかしい。
「私ね、セシウスを見捨てられない。もし彼が罪に手を染めていたとしても、大きな商会の跡取りでなくても、一緒にいたいと思っているの」
「レリアナ……」
「彼ね、いまでこそ跡取りのような扱いだけど、旦那様の妾腹なの。追いやられるようにして、ベルゼ王国へ行ったみたい。だから、本当は自分の商会を持って独立するつもりだったらしいのよね。それがベルゼ王国で上手くやれたからって、呼び戻されて……まあ、そのおかげで私たちが出会ったんだけど。だから見返せるチャンスだからやってみるって、それを私も応援したくて……」
そんな事情があったんだ。
「分かった、レリアナ。レリアナとセシウスさんには、極力迷惑かけないようにするから……」
「違うわよ、そういう意味で言ったんじゃないわ、早とちりね」
怒られてしまった。じゃあどういう意味?
「私が必ずセシウスを説得する。その上であんたに協力をするから、いざという時には殿下に口添えよろしくってこと!」
にんまり笑う彼女は、相変わらずのちゃっかり者のレリアナのままだった。
「リンジー様があんたの味方だってんなら、私もそっちに付いて生き残りをかけるわ」
「さすが、レリアナ」
「ところで、コレット。そろそろ指定の場所に着くけど、いったいそこで何があるの? 本当にリンジー様の手の者が来てるの?」
「たぶん、攫った残りの三人のうち、一人を解放するんだと思う」
驚いたレリアナに、あくまでも予測だけどと続ける。
「カナリアを二羽預かっている。そう言ったということは、残りの一羽は逃がした。それをわざと王都で、尻尾を掴ませるつもりなんだと思う」
「ちょっと待って、それじゃリンジー様が罪に問われるじゃないの、自殺行為をするなんて」
「それくらい、たぶん向こうが切羽詰まってるのよ。一刻も猶予がない、だから私は行かなきゃならないの」
私は馬車の窓から、目的地である市場通りを眺めながら、覚悟を決めた。
少し離れた所に馬車を止めさせて、私はレリアナとともに市場のある通りに入った。そこは四番通り市場と呼ばれている。そこを交差する通りにはそれぞれ名前がつけられていて、そのうちの一つが五番筋と呼ばれている。そこは旅館が立ち並ぶことで有名な通りだ。外から行商に来る者や、平民の旅行客などが利用する安い宿ばかり。当然ながら、夜の店もいくつかあり、女の子は両親から、あの通りには近寄らないよう教えられるものだ。
そのうちの一つの宿に入り、番台に立つ年配の女性に声をかける。
「二一番部屋に泊まる客に呼ばれた者だけど、入ってもいい?」
じろりと私を見てから、その女性は顎でクイと階段の方を示す。
「ああ聞いてるよ。二階の一番奥だよ。言っておくけど、ここは連れ込み宿じゃないんだ、用が済んだらさっさと出ていってくれよ」
「ええ、もちろんです、ありがとう」
そう答えてレリアナとともに階段を上がる。そうしてたどり着いた部屋で待っていたのは、見知らぬ若い男と、震えながら膝をかかえている金髪紫の瞳の女性の二人だった。
若い男性は、私の予想通り、リンジー=ブライスの従者をしている者だった。彼女の指示で、密かにブライス家から女性を脱出させてここまで連れてきたという。そして女性は、ひどく怯えていたものの、さほど衰弱というような症状は見られない。
「もう、大丈夫。あなたは保護されて、かならず家族の元に帰れるわ安心して」
従者の彼に頼んで飲み物を持って来させて、私とレリアナが震える彼女の横に寄り添い、安心させる。
女性の名は、クラリス。ティセリウス領の領主館がある街の、貧しい家の娘だった。父親が市場で小さな露店を持っているが、その手伝いだけでは家計の足しにならないので、商家の使用人たちの子守りをして、働いていたという。その子守りの帰り道に、何者かに襲われて気づいたら、目隠しをされたまま馬車で見知らぬ場所に運ばれていたという。
「目隠しを外されたのは、粗末な家の小さな部屋でした。そこには、他に二人の女性がいました」
「……その人たちも、あなたと同じ金髪で、紫の瞳?」
私が聞くと、クラリスは改めて私を見て、そして明らかに動揺している。
「私も、ティセリウス領で攫われそうになったの。あなたと同じ色を持っていたから」
するとクラリスは涙を浮かべながら、何度も頷く。
「そう、そうでした。でも一人は、私よりも銀に近い髪で、もう一人は青が強い瞳で……すぐに連れて行かれて……う、売るって、そう言ってて……助けてって泣いてたのに」
聞いているだけでも辛いその経験を、彼女の口から言わせねばならないことに、胸が痛む。けれども、少し離れたところで聞き耳を立てている従者が、止めさせる気配がない。
私は彼女の背を、ゆっくり撫でることしかできない。
しかし、私が哀れむよりも、彼女は強かった。続きを、自ら口にする。
「最初は、とてもガラの悪い男たちが見張っていました。でもしばらくしたら、とても身なりの良い男性がやってきて、馬車で別の所に連れて行かれました」
「……それは、どんな所?」
「大きな……貴族のお屋敷でした。私たちは、そこの離れで、監視を受けながら過ごしました。見たこともないくらい、綺麗な服と、豪華な食事が出されて……」
「まって、クラリス。私たち?」
「あ、はい……そこには、私の他に二人、同じ色の髪と瞳の色をした女性が、閉じ込められていました。彼女たちも、私と同じように攫われて来たって、言ってました」
これで分かっている行方不明者数と、一致した。
「それで、そこではどんなことをされてたのか、教えてもらえる?」
「はい……私たちは、まるで貴族のお嬢様のように扱われました。綺麗なドレスを着せられ、食べる物も見たこともないくらい美味しくて……でも、とても怖い人が私たちを監視していました」
「怖い人?」
「……黒髪の、人形のように綺麗な女の人です。その人が、私たちに文字を書かせる練習をさせたり、食事のマナーや、話し方、歩き方、返事の仕方、まるで貴族令嬢にでもさせるように躾をしようとして……他の二人は、私よりよほど育ちがいいのか、すぐに出来るのに、私はいつも失敗するから、恐ろしくて」
クラリスはついに涙をほろりと流す。
「どんなにお腹がいっぱいになっても、私は辛かった。気が抜けない毎日で、いつもビクビクしてて、家に帰りたくて泣いてました。そうしたら、他の二人が私を逃がしてくれて。でもすぐにその人に見つかって、ここに連れて来られたんです。やっぱりダメかと思ってて」
「クラリス落ち着いて、ここは王都よ?」
「……え?」
クラリスが驚いたように目を見開き、私と遠くに離れている従者を見比べる。
「あなたは、ここから出て法務院のトレーゼ侯爵に保護されてください。そこで今言ったのと同じ証言をしてください、そうすれば必ず家に帰れます」
「法務院……? そんなところにどうやって行けば?」
「彼女が、役所を通じて連絡を取ってくれます」
私がレリアナを指差す。
「街の警護兵はダメよレリアナ。必ず法務院に渡りをつけて欲しいの」
「ちょっと待って、私だってそこまでの伝手はないわ、無理よ」
「手紙を書くわ。納税課の新しい課長は私がどこに仕事に行ったか知ってるわ、そこから会計本院のイオニアスさんに連絡を取ってもらって。彼ならすぐに動いてくれる」
私は鞄から便せんとペンを取り出して、手早く保護を求める旨と、署名を入れる。
「分かったけど、あんたはどうするの」
「私は計画通り彼とともにブライス伯爵領へ向かうわ、逃げた彼女を連れ戻した振りをして潜り込む」
その提案に、最も驚いた顔をしたのは、レリアナでもクラリスでもなく、従者の彼だった
 




