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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第七章 二度目の逃亡

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第四十三話 決意

 殿下が行っていたベルゼ王国との硝石を巡る交易交渉を、デルサルト卿に譲ることになったと聞かされたのは、会計院本院へ出向いた時のことだった。

 イオニアスさんと仕事の話をしていると、にわかに本院が騒がしくなった。人の出入りが激しくなり、イオニアスさんの所属している部署内でも、ひそひそと人々が小声で相談しあっている。そんな様子が気になったのは私だけではないようで、イオニアスさんが「少しだけ待っていてください」と言い、席を立って同僚の方へ。

 しばらくして戻ってきたイオニアスさんから聞いたのが、殿下が進めていたはずの交渉を、そっくりそのままデルサルト卿が攫っていったという噂だった。


「そんな急に……おかしくないでしょうか」

「ベルゼ国王からの、強い希望だそうですよ。今日になって、本国から使節団へ手紙が届いたらしく……そうなると殿下から強く出ることはできないでしょうね。ベルゼとしては国と国との交渉にすぎず、誰が窓口となるかは、あくまでもこちら側の事情でしかありません」

「それはそうですけど……」

「コレットさんのお気持ちは分かりますが、殿下のことですから、強く出ても得られるものがないと判断され、退かれたのではないでしょうか」


 冷静なイオニアスさんの言葉には、少しも反論の余地はない。確かに、交渉は誰がしたとしても結果として良いものになればいい。引き継いだデルサルト卿が、殿下と同じように今後のことをしっかりと考えていてくれればいいだけのこと。

 けれども、私はジョエル=デルサルト卿のことは知らない。少なくとも、殿下が王位を譲る気が起きない相手なわけで。


「会計院も、しばらく混乱するかもしれません。交渉に殿下が乗り気だったので、殿下のサポートにかなり人員を割いてきました。それを急にデルサルト卿へと移るわけですから、人も、予算も、計画そのものも見直しを迫られるでしょう」

「……そうですね。イオニアスさんも、殿下の公務の変更で忙しくなりますね」


 すると、無表情が多いイオニアスさんが珍しく、苦笑いを浮かべて「なにかあったら遠慮せず、いつでもいらしてください」そう言ってくれた。

 私は会計院を出ると、更に慌ただしい行政棟を抜けて、帰路につく。

 その途中、例の中庭に面した渡り廊下にさしかかったところで、前方から見覚えのある大きな人影を見つけてしまい、とっさに柱の陰に隠れてしまった。

 条件反射というか、本能的な反応だったけれども……声が聞こえてきた時点で、自分の反射神経に感謝する。


「さすが我らのジョエル閣下というところだ、あの口だけが達者な殿下では、我が国が真に強い国となれる日は永遠に来ないだろう」

「グレゴリオ将軍の言うとおりです。殿下は文官にばかり目をかけ、軍事をおろそかにしすぎでしょう。これではいつかベルゼに足元を見られるばかり。本来は我らが主導権を握り、ベルゼを従えるだけの国力差があるというのに」

「対等な関係などと、はっ! 笑わせてくれる」


 笑い声とともに、大柄な軍人たちが横を歩くのを、私は息をひそめてやり過ごす。

 こんな政治の中枢で、あんな事をあからさまに言うなんて、どうかしている。今回のことで、自分たちが殿下に勝ったとでも思っているのだろう。

 どういった根拠で、そこまで強気になれるのか……


「ベルゼに対しては、こちらに切り札がある。交渉権を得た時点で、閣下の思う通りだろうよ。先達て寝返った連中は、首を洗って待っているがいい」


 吐き捨てるように言うグレゴリオ将軍が、遠く行政棟に入っていくのを見届けるまで、私はその場を動けなかった。

 


 仕事部屋に戻っても、もちろん殿下は留守。護衛も入り口を守る一人以外、出払っている。こういう日は珍しいというか、滅多にない。

 私は仕事の机に向かい、最近新しく作ったノートを開く。

 びっしりと文字が書き込まれたそれは、仕事の手順を細かく書き記した、私なりの引き継ぎ資料だ。これを見てもらえれば、いずれ殿下の私財を管理する女性に、役立ててもらえるだろうと急いで作った。

 そして私は引き出しの奥から、一枚の小さなメモを取り出す。

 皺になったものを手で伸ばしておいた。

 これは、あの日、ワインに濡れた制服を脱いだ時に、タイの結び目から小さな紙切れが出てきた。

 小さく折りたたまれた紙には数字が並んでいた。それが日付と時間、それから場所を示すものだろうことがすぐに分かった。そしてその日付は、もう明日に迫っている。

 あの夜会の日から、殿下の元を離れることを心に決めつつも、どこかその決意が揺れていた。こうして仕事を早めて、できる限りの準備をしながらも、あまりにもここが居心地が良すぎて……

 でも私なりに、殿下の助けになりたかったんだと、自分のことなのに今さら気づいた。

 最初は、早くここから逃げ出せるようにって、そんなことばかり思ってたのに。

 そんな自分の変化に呆れつつ、もう一つの引き出しから綺麗な便せんを取り出し、ペンを取った。

 殿下は、死んで存在を消した私を、十年も探してくれた。逃げた私の安否を、心配してくれた人。怒ってもいいのに、隠し事ばかりの私を責めなかった殿下に、最後の秘密を打ち明ける。これを読まれたら、どうなるか考えると、少し怖い。黙っていたことを、今度こそ怒られるだろうか。

 小さなメモをスカートのポケットに入れる。書き終えた手紙を四つに折り、その中に小さな鍵を挟む。そうしてからノートの背表紙の隙間に差し込んで隠した。


「私もそろそろ、年貢の納め時、かな」


 ため息とともに仕事道具を片付けはじめると、殿下がヴィンセント様を伴って部屋に戻ってきた。

 酷く疲れた様子で、深く椅子に座ってため息をつく。


「さっき、会計院のイオニアスさんに聞きました。大変なことになりましたね」

「……正直、何がどうなっているかさっぱり分からない」


 殿下が珍しく弱音を吐く。驚いてヴィンセント様をうかがうと、彼も疲れた様子で肩をすくめている。

 相手は、とりつく島もないのだろうか。私は疲れ切った殿下に、側に用意してあった水を差し出す。それを飲み干す殿下に、隠れて聞いたグレゴリオ将軍の言葉を伝えると。


「……既に、あちらは新王と繋がっているということか。完全に出遅れていたのか」

「諦めるんですか? 殿下らしくないですね」


 そう返すと、殿下から意味ありげに睨まれる。

 殿下はなにも使節団との交渉だけに時間を割かれているわけじゃない。例の行方不明の娘たちを売った、違法についての捜査も指揮を執っている。貴族がかかわっているからには、官吏だけでの捜査は難しい。そのためにトレーズ侯爵もそちらで証拠集めに奔走しているせいで、殿下にかかる負担は相当なものだ。

 けれども、ここで諦めるのは、つまり継承権を放棄するようなもので……


「そうだな、諦めるのもいいかもしれない。いっそ王にならなければ、もっと好きに動けることも多いだろうし」

「ええ、交渉のことだけじゃなくて、まさか王様になるのを諦めるんですか?」


 まさか、ここまで弱気な言葉を聞くなんて思ってもみなかった。いよいよどこか具合が悪いのかと心配になっていると、とんでもないことを言い出した。


「俺を選べと請うたおまえにも、無理だと断られたからな。こう立て続けではさすがに堪える」

「え、な……なにを言い出すんですかっ」


 背もたれに身をまかせ、天井を見上げながらそんなことを言う。いくら自暴自棄になっているとはいえ、なんてことを言うのだ、この人は。外交問題とソレを同列に語らないでよ。

 でも、その表情にはいつものような自信が抜け落ちていて。


「そんな殿下なら……王様を諦めるような殿下は、なおさら嫌です」


 そう言うと、眉を寄せたいつものような殿下がこちらを見る。


「なぜ、『無理』からまた『嫌』に戻る?」

「そこ? そこは別にたいした問題じゃないじゃないですか!」

「問題あるに決まってるだろう、微妙な拒絶感が増している」

「気のせいですってば……ってか、ヴィンセント様もいるのに、深掘りしないでください、恥ずかしい!」


 後ずさる私の腕を、殿下が掴む。


「コレット、逃げるな」


 そして探るように、ゆっくりと問う。その眼差しが真剣で、息ができない。


「もう二度と、逃げないでくれ」

「……逃げませんよ……殿下が、王様になるのなら」

「本当か?」


 掴まれている手首が、自分の頬が熱くて、つい視線を逸らしてしまう。でも、うん、そろそろやっぱり、年貢の納め時で。

 だから殿下をちゃんと見て、答えることにした。


「本当です、約束します……ぎゃああ!」


 引っ張られて気づいたら抱きしめられている。ちょ、本当に、勘弁してください。そう訴えるものの、殿下の力に敵うわけがなく。私の頬は殿下の肩に押しつけられ、逆に私の肩には殿下の熱い息がかかる。

 驚いたのと、恥ずかしいので、心臓が口から飛び出そうになる。

 でもすぐに解放されて、殿下の代わりに長椅子に座らされた。


「少し時間がかかりそうだが、待っていろコレット」


 動揺したのは私だけなのだろうか、殿下はいつものように不敵に笑って執務室へと向かった。

 残された私は、なんというか、後悔半分、照れ半分で座ったままでいるのだけれど、側でずっと見ていたヴィンセント様が、にこにこと微笑んでいる。


「コレット、きみずいぶん殿下の扱いが上手くなったね」

「……それは、どうも……」

「殿下の執念深さを、きみも分かってるとは思うけど」

「……は、ははは」

「でもまあ、ありがとう。感謝するよ。八方塞がりで、殿下もさすがに落ち込んでいたみたいだから」

「問題は解決したわけじゃないので、感謝される必要はないです」

「そうだね、でも陛下や殿下が言うところの『執念深さ』は、僕はとても尊いと思ってるんだ。だってそれは、百万の民を背負っていても、簡単に折れたり、諦めたりしないということでもあるから」


 そう言って、ヴィンセント様も疲れているだろうに、殿下の後を追っていった。

 一人、広い部屋に残された私は、薄れていく殿下の腕の熱さと、なかなか静まらない鼓動を惜しむように、自らの肩を抱く。押しつぶされそうな罪悪感とともに。




 日が傾き始めた頃、私はノートを片付け、仕事場を後にした。

 それから部屋で荷物をまとめて、一人だけ残っていた護衛さんに挨拶をする。


「今日はさすがに家に帰って休みますね、アデルさんか殿下にそう伝えておいてください」

「え、ああ、でも護衛をつけるよう言われてる。ちょっと待ってて、エルダンに伝言を出すから」

「はい、ここで待ってますね」


 にこやかに返事をすると、護衛が廊下を走っていった。

 その姿が見えなくなるのと同時に、私はその場を後にする。この混乱のなか、戻ってくるのに時間がかかるだろう。念のため、部屋の方に「明日も出勤しますので心配しないでください」とメモを残してある。

 そうして私は城門をくぐって、脇目もふらずに城下へ続く階段を急ぎ足で下りた。

 これは、殿下からの二度目の逃亡。

 もちろん、家には帰らない。

 城下町に降りてから、経路を調べて馬車に乗る。行き先はメモの場所とは違う、郊外の料理店。薄暗くなってくると、酒を出す店がこうこうと明かりを灯している。そのなかでも、ひときわ大きな店の入り口に立つ、案内係に声をかける。


「レリアナ=プラントからの紹介です。彼女に連絡を取ってもらえるかしら、私の名はコレット=レイビィよ」


 それだけで通用するか不安だったけれども、どうやらレリアナから話があったようだ。案内係はすぐに「確認します」と奥へ取り次ぎに行ってくれた。

 そうしてしばらく待つと、案内係よりもずっと上質な服を着た、年配の女性が出てきて私に頭を下げた。


「レリアナ様からうかがっております。どうぞこちらへ、すぐに折り返し連絡をいただけるはずです」

「ありがとう、お言葉に甘えて中で待たせていただきますね」


 そうして招かれるまま、私は店の大きな扉をくぐった。

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