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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第六章 悪の華は夜に輝く

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第四十話 カナリア

 広間に戻ってすぐ、レリアナは探しに来た男性に手を引かれて行った。

 相手はセシウス=ブラッドその人だろう。まだ二十代半ばといった若い男性で、商人らしいタイをつけたスーツに身を包んでいたが、華やかな装いの慣れた風な見目の良い人だった。いかにもレリアナ好みといったところだ。

 そんな婚約者に何かをささやかれながら、手を取り合ってダンスを始める彼女は、とても幸せそうだった。そんな彼女を、熱い眼差しで見つめるセシウスも、それが偽りにはとても見えない。

 レリアナは私のことを唯一の友人と言ったが、それは私も同じ。彼女の幸せを、祈る気持ちが募る。

 そうして見守っていると、踊り終わったレリアナたちが向かう先に、リンジー=ブライスとジョエル=デルサルト卿が並び立っていた。

 私は表情を崩さずに歩く。

 途中で何個かのグラスを減らしながら、偶然を装って彼らの側まで近づくと、なんとか声が耳に入る。


「可愛らしいお嬢さんを、ようやく紹介してくださったのねセシウス……あらまあ、緊張しなくても大丈夫よ」


 凜とした高い声が、レリアナに向けられていた。

 それを受けて、緊張気味にレリアナがスカートを摘まみ、丁寧に淑女の挨拶をする。


「セシウスは、分を弁えている賢い男です。しっかりとしたお嬢さんを選んだはずです、私が保証しましょう、マダム。どうぞお声がけしてやってください」

「ジョエル様は、よほど彼に期待なさってるのね、いいわ。レリアナ嬢、近く私の屋敷にいらっしゃい、どこに出しても恥ずかしくないよう、磨いてさしあげます」

「……ありがとうございます」


 レリアナが恐縮しながらそう答えると、リンジーは満足したように手にしていた金の扇子を開き、微笑んだ。

 きつめの目元が細まり、今にも蛇のごとくレリアナを丸呑みしそうにすら見える。


「マダム、よろしければ私とも、一曲どうでしょう」


 年上の女性にダンスの誘いをするデルサルト卿。だがリンジー=ブライスは、その手を一瞥すると。


「あら、私はもう夜会では大人しくしていると、父と約束をしておりますのよ。わたくしがこの手を取ると、卒倒するご令嬢がどれほどこの会場にいることか……」

「あなたに勝る華は、おりませぬ」


 するとリンジーは扇子で口元を隠しながら、小さく声をあげて笑った。ひとしきり笑い終えると、ぱちりと扇子を閉じて手を差し伸べるデルサルト卿の後ろに目を向けた。


「今夜は、愉快だわ。若くて有望な殿方に、乞われるのは気分がいいもの」


 デルサルト卿の後ろからリンジーに近づき、同じように手を差し伸べたのは殿下だった。

 それに遅ればせながら気づいたデルサルト卿が、渋い表情を浮かべている。


「夜を彩る美しい蝶のようなお方、ぜひ私と一曲踊っていただきたい」


 殿下が真っ直ぐそう言うと、リンジーはなんと素直にその手を取ったのだった。

 もちろん、周囲はざわめく。

 デルサルト卿の誘いを断り、殿下の手を取るなど、誰も予想していなかったのだ。だがそれも一瞬のことで、自由奔放と噂されているリンジー=ブライスのやることだ、予想外でもないだろう。そういった小さな声が私の耳に届く。

 ざわめきが止まないなか、二人は音楽に合わせて広い場所に移動し、そこで殿下が彼女の腰に手を回し、踊り始めた。

 二人が踊りながら、小さい声で会話をしているのが見て取れる。予定通り、殿下は彼女に揺さぶりをかけているのだろう。だけどそれを知っているはずなのに、まるで取りそろえたかのように赤で統一された二人を見ているのが、どうしてか辛くなる。

 そうして後ずさった拍子に、参加者の一人に背中が触れてしまった。


「わ、すみません」


 思わず声に出して謝ったけれども、グラスの乗ったトレイが傾き、酒がこぼれてしまった。そのしぶきが、ぶつかった男性の足に飛んだのだ。

 まずい、やってしまった。そう思った次の瞬間には、空いていた方の腕を掴まれ、締め上げられていた。


「い、痛……」


 苦痛に顔を歪ませながら見る相手は、以前廊下でジェストさんとともに声をかけられた、グレゴリオ将軍その人だった。怒っているのか、それとも酒のせいなのか分からないけれども、顔を赤らめながら、私の足が床から離れそうになるほどに引き上げられた。


「貴様、見習いとはいえ、教育がなっとらん!」

「す、みません……」

「言葉使いまで乱れておるとは、王宮は使用人の管理すらまともにできぬのか」


 ぎりぎりと掴まれた腕が締め上げられ、痛みで声も出ないなか、ふいに解放されて床に落ちた。

 何があったのかと見上げると、グレゴリオ将軍の腕を、どこに潜んでいたのか護衛のジェストさんが逆に掴んで締め上げていたのだ。


「なにをする、貴様っ!」


 怒りにまかせて声を荒げるグレゴリオ将軍だったが、掴まれた腕は離れることはなく、身を捩っている。そんな大柄の将軍を片手で掴むジェストさんは、無表情のまま。

 どうやら、珍しくジェストさんが怒っているらしい。


「些細なことで騒ぎを起こす方が、よほどしつけがなってないと思うが?」


 殿下の低い声が広間に響く。

 気づけば音楽が止み、踊っていたはずの殿下が厳しい表情で、すぐ側まで来ていた。


「何をおっしゃられているのか分かりかねます。むしろ私が、人に酒をかけるような無礼な小僧を躾けて……」

「見習いの失態を、わざわざ将軍職につくほどの貴殿が、その力をもって締め上げることに、どのような正義があるというのか。酔った勢いとて、そのような理屈が通ると思うな」


 ぴしゃりと告げる殿下に、さすがのグレゴリオ将軍もすぐに言い返せないようで、唇を引き結ぶ。それをもってジェストさんが力を緩めたのか、将軍は腕を振り払ってから引き下がった。

 だがその顔には明らかに、殿下への不満、嘲りが混ざっているかのようで醜く歪んでいる。仮にも王子殿下に、いくらなんでもあからさまだろうに。

 けれども原因を作ってしまったのは私だ。駆けつけてくれた他の給仕の手を借りて立ち上がり、将軍に改めて頭を下げようとしたところで……


「わたくしの、愉しいダンスを邪魔したのは、いったいどなたかしら」


 リンジーの声がかかる。すると殿下にしていた慇懃な態度と顔色をころりと変え、将軍は彼女の前で膝を折った。


「失礼いたしましたマダム、この見習い小僧が……」


 大きな体を持つグレゴリオ将軍が、弁明をはじめたところでそれを遮るように、リンジーは他の給仕のところから赤いワインの入ったグラスを取ると、それをグレゴリオ将軍の頭へ、躊躇もせずにかけたのだった。

 周囲も、ワインをかけられた本人も、驚きのあまりリンジーを見上げたまま言葉を失う。

 それを気にした様子もなく、もうひとつのグラスを持ち、私の方にやってきた。


「わたくしは、五月蠅い殿方は好みませんの。それに心が狭いから、すぐに興が冷めてしまう質なのよ」


 そう言いながら、私の頭にもワインを垂らしたのだった。

 呆然と見上げる彼女は、さも愉しいと言いたげに口角を上げている。

 かけられたワインは、帽子には染みこまずにそのまま頬を伝い、顎から床にワインがぽたぽたと落ちる。それを一層険しい顔をした殿下が、何かを堪えるようなジェストさんが、そして青ざめて口を押さえるリーナ様がこちらを見つめて固まっている。

 それだけじゃない、さすがの異常事態に固まるのは近衛やそのパートナーたちも同じで、小さな悲鳴すら聞こえた。

 そして少し離れた所で、興味がなさそうにこちらを眺めるデルサルト卿、それから青ざめるレリアナ、その彼女を支えているセシウス氏。その横には、唇を噛んで耐えるレスターの姿もあった。


「あら、あなた……ちょうどワインと同じ色の瞳なのね。嫌いじゃない組み合わせね。その若さもいいわ……ふふ」


 空になったグラスを側の給仕に渡すと、リンジーはそう言いながらワインしたたる私の顔に指を添えた。

 そのまま頬を撫でながら首元に手を下ろすと、私の制服のネクタイを掴み、自分の方に引き寄せた。


 ──カナリアを二羽、わたくしが飼っていてよ?


 誰にも聞かれぬようにそっと耳打ちされたその言葉に、私は息を呑む。

 リンジーの奇抜な行動に誰も動けずにいたなか、最初に我に返ったのは殿下だった。


「マダム、そのくらいで許してやってもらえるだろうか。城の給仕の不始末は私が負う」

「あら、わたくしはいじめたつもりはなくてよ、この可愛いカナリアを、助けてあげましたのに」


 リンジーが私から手を離し、背を向けると、殿下は場を収めるよう動き出す。

 他の給仕には片付けを命じ、私に退出を指示するのだが。


「まて、その者の処分は私が……」


 グレゴリオ将軍が声を上げる。今更、まだ蒸し返すのかと忌々しくなっていると、そこに現れたのはブライス伯爵だった。


「リンジー、おまえには騒ぎを起こすなと言っておいたはずだ。それからロザン=グレゴリオ、おまえも少し頭を冷やせ」


 静かに落ち着いた声だったが、さすが軍閥の重鎮、その一言で将軍を大人しくさせてしまう。表情は微塵も動かず、何を考えているのかさっぱりとつかめない。

 だがグレゴリオ将軍は伯爵には素直に従い、若干焦った様子で殿下とリンジーに一礼し、部下と共に先に退室していった。

 私もまた、その場に残るのはふさわしくないので、将軍とは違う方向の出口に向かう。その後ろから、彼らの声が続いていた。


「わたくしは、騒ぎを起こしてはおりませんわ、むしろ収めたのです。殿下も、わたくしと同じく、可愛いカナリアを愛でておいでのようで……」

「リンジーいいかげんにしないか! ……殿下、どうぞ我が娘とあの者の無礼をお許しいただきたい」


 もう振り返ることは出来ないけれど、私の役目はこれで終了だろう。

 私もワインを被った甲斐があったというか、全部ではないけれども、知りたいことを得られた。これ以上、こんな場に用はない。

 後に続くジェストさんの気配に気づきながらも、濡れたままの顎を拭いながら、私は逃げるように長い廊下を走ったのだった。

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