第三十八話 夜会のはじまり
週が明けてすぐの日に、かつて近衛に在籍していた高官が主催する夜会が予定されていた。それは現役の近衛騎士で活躍した者に、勲章を与えられたことを祝う名目で開かれる。だから軍からも将軍や顧問たち、いわゆる軍閥と呼ばれる貴族家が集まる会だ。
そういう理由から、その夜会にブライス家が出席するのは、自然なことなのだそう。つまりそこに私が紛れ込むというのは、虎の穴に兎が投げ込まれるのと同然なのだと殿下から猛反対にあった。
でもそれは、私が殿下の私財会計士、彼の配下の者だと分かったらという話なのだ。
まずは殿下を説得すべく、王宮の夜会給仕が着る制服を着てみせることにした。使用人のことは使用人を頼るのが一番なので、アデルさんに用意してもらった。
「あらあら、まあまあ、お可愛いらしいですコレットさん」
目立つカナリア色のジャケットと細身のズボンに身をつつみ、同じ色の生地に黒と赤いラインの入った筒状の帽子を被る。髪はその帽子の中でまとめ、毛先を出して短い髪を演出する。すると鏡に映るのは、とっくに成人したはずの私が、見習い給仕少年にしか見えない。
ついでに化粧で眉を太めにすると、もうどこから見ても男の子だ。
「殿下! これなら新人給仕係で通用すると思うんですけど、どうですか?」
私室の方で休憩を取っていた殿下の前に走っていき、ポーズを気取ってみせる。
いつものテラスの長椅子で寝転がっていた殿下が、呆れた様子で上から下まで眺める。思ったよりもジャケットが丈夫に出来ているので、晒しを巻かなくても胸が隠れる。いや、隠すほどの物量がないと言ってしまえばそれまでなのだけれども。
「……コレット、どうしてお前は、そう無駄に行動力があるのか」
殿下がむくりと起き上がり、深いため息をつく。
「よく考えてみてくださいよ、相手から警戒される人物ができる諜報なんて、限られてるでしょう? いい機会だから、出席者の中を歩き回って、面白い噂話とか聞いて回ってあげます。下っ端の見習い給仕なんかがうろちょろしてても、誰も気に留めませんよ。こんな私を見て誰なのか気づくとしたら、レスターくらいなものです」
「その弟が一番心配なんだが」
そう言われて、改めて会場で出会ったレスターの反応を予想してみる。
…………手紙、書いておくべきか。
「とにかく、業務外のことなら好きにしていいでしょう? 護衛も必要ありません」
「そういうわけにいくまい……だが、本当にやる気なのか?」
「ええ、どうしてもはっきりさせたいので」
殿下は複雑そうな顔をする。
夜会にリンジー=ブライスが出席すると知ったその日のうちに、私は殿下に修道院での帳簿のやり取りを打ち明けた。継母が受け継いだノーランド家の事業は、負債を抱えていたものばかりだったこと。一方では収益が見込めていたものは、ブライス家に譲り渡されていた。破格の値段で売却されていたのならまだ良い方で、酷いものはタダで譲渡されていたものまであった。そういったものを惜しんでも、上手く契約を交わされていたため戻ることはないだろう。だから私は、せめて残った事業の負債を弁済するために、修道院へ寄付という形をとってお金を渡していたことを伝えた。ただし、継母とは帳簿だけのやり取りなので、この十年会っていないことも。
「修道院を早々に売却しなかったのは、単に面倒だっただけとは考えられないか。コレットを思ってのことではないだろう」
「私に対してどう思っているのかなんて、そんなことはどうだっていいんです。あんなあからさまな帳簿を、わざわざ私に見せた意味を、私は知りたいんです」
「いったい、どうやって聞き出すつもりだ? 給仕に化けたらコレットだと気づかないだろう」
「化けたから、気づくはずです。だって十年間、あの人は私に会ってないんですから」
自信をもってそう言うと、殿下が目を見開いた。その反応に、殿下から見ても今の私が、十年前を彷彿とさせる姿になっていることが分かる。
あの日、男装をした私がそのまま大きくなったようなこの姿。かつてノーランド伯爵家で食べ物もろくに食べられず、痩せ細った私は、髪を切らなくても男の子のような容姿だった。
「だがリンジー=ブライスがお前を捕らえるつもりだったら? 口封じをするべきと考えてもおかしくない。それにコレット=ノーランドが生きていることを知るのは、リンジーのみとは限らない」
「いいえ、ブライス伯爵に私の存在を知られていたなら、私は真っ先に殺されているでしょうから、それはないですよ。爵位を失っても、娘である私に相続権があったのですから。それを死んだことにして誤魔化した彼女にとっても、私のことをバラしたら、ブライス家での立場を失う原因となるはずです」
「……例え接触が可能だったとしても、おまえの知りたいことについて素直に口を割るとは限らないぞ?」
「それならそれでいいです。でも、私が表に出てきたことを知ったら、さぞ驚いて動揺するでしょうね。それって殿下の思うつぼではないですか?」
殿下は考え込む。彼はとても合理的な人だ。目的に沿っているならば、利用できるものは利用するだろう。
そんな期待通りに、殿下はため息交じりだったが良い返答を口にした。
「分かった……だが、接触は私の合図を得てからだ。いいな?」
「はい、ありがとうございます殿下!」
喜んで殿下の手を取ってお礼を言うと、もの凄く嫌そうな顔をされる。
「その姿は嫌な記憶を刺激される、さっさと着替えてこい」
「ええー、気に入ってるのに。動きやすくて、本当に男の人って得ですよねえ」
そんなことを言いながら着替えに向かうと、殿下から呼び止められた。
「当日は絶対に、女だとバレるなよ」
「はーい、了解しました」
給仕のことなんて誰も気にしないと思うのだけれど、殿下は慎重なのだから。
そして迎えた夜会当日。
殿下は煌びやかな正装に身を包んで、これまた薔薇のように美しいドレス姿のカタリーナ様を伴って、パーティー会場へ向かっていった。
私はというと、アデルさんからの紹介という形で、給仕係に潜り込んでいた。一応見習いということで、帽子の横に着けられた羽は黄色。見習い期間を終えた者たちは、赤い羽根をつけていた。
会場はお城の一階、中央行政棟の南部分の広間と、そこから繋がる庭にかけての一帯だ。
参加者も近衛や軍部の兵とその家族、関係が深い貴族たちは確かに多いが、思っていたよりも大人数で都合がよい。そんな人でごった返す広間を、酒の入ったグラスを並べたトレイを片手に持ちながら、決められたコースを歩いて回る。
参加者から呼び止められ、酒を渡しながら歩き、広間から庭へ、庭から再び広間へとひたすら周回するのが、見習い給仕の仕事だった。
もちろん、殿下に約束した通り、抜かりなく聞き耳をたてている。
若い近衛たちの話題は、今日称えられる勲章授与者の評判、次に名が上がる者の予想、そんなところが多い。貴族たちの方は、やはりティセリウス伯爵の処遇がひそひそと話されている。表向きには、彼を非難するものだが、本当のところは分からない。
「そこのお前、飲み物をもらいたい、こちらに来い」
一際、人だかりが大きい辺りから、声がかかる。
私は呼ばれるままにトレイを持って近寄ると、人垣が割れる。すると私を呼んだ人物を見て、私は息をのむ。
なんと人垣の中心に居たのは、ジョエル=デルサルト卿。
彼は見習い給仕である私を一瞥すると、「これだけでは行き渡らないな」そう言って、他の給仕にも声をかけてから、私のトレイからグラスを取った。すると周囲を取り囲んでいた人も手を出し、あっという間に私の持つトレイが空になる。
次の給仕がやって来たのを見計らい、私はその人垣から離れるべく後ずさったのだけれども。
「まて、おまえ……見習いか?」
背を向けたとたんにデルサルト卿に呼び止められ、ドキリとしてしまう。
そっと振り返り、小さく頷く。
「どこかで会ったような気がするのだが……」
「いえ、僕は今日から入らせてもらった新人ですので」
「……そうか、気のせいだったか。呼び止めて悪かった」
「いいえ、失礼いたします」
一礼をして、その場を逃げ出した。後ろから、デルサルト卿を取り囲む近衛たちが、酔った勢いだろうか「殿下のようなご趣味に目覚められたかと驚きました」「まさか閣下に限って」との声と、笑い声が続いた。
ああ、危ない、危ない。
あの一団には近づかないでおこうと、注意することにした。そうして再びトレイにグラスを並べて戻ると、広間の人々が急に一斉に黙り、広間の奥に目を向けていた。
どうやら、殿下が登場したことによる、驚いた人々の反応だったようだ。私は広間の隅に控え、王宮から広間に降りる階段の方を眺めた。
王族だけが纏うことが許されている、紫紺のマントに、白と金を基調とした衣装の殿下は、どこからどう見ても高貴な人物で、いつもは厳しいだけのように感じられるその顔立ちは、このような場で見ると、誰であろうと屈服することはない、そんな威厳あるものだった。
なんというか、彼は間違いなく「王子殿下」だったんだと、改めて思った。
その隣には、ベージュに染められた絹をふんだんに使ったドレスを纏うカタリーナ様。その立ち姿は、殿下の紋章にある薔薇を象ったと言われてもおかしくない美しさだ。二人並ぶと一対の絵画のよう。
なんだか、さっきまで一緒にいたのは夢だったのかしらと思うほどに、二人が遠く感じた。 いや、元々遠い存在だったはずなのに、最近の日常がおかしくなっていただけなんだけども……
気を取り直して再び広間の人だかりの間を縫って歩いた。
人々の関心は、どうして殿下がこの夜会を選んで出席したのかということに、移っていた。ただでさえ貴族との交流は仕事上のみで、夜会は出席を控えていた殿下。この会の目的は近衛騎士を労るものなので、王族が出席することに何の不思議はないのだけれども。
そして人々の関心は、もう一人の王位継承権を持つ人物、デルサルト卿がこの場にもいること。その二人がどういうタイミングで言葉を交わすのか、それが気になって仕方がない様子だった。
一通り歩いて庭に出たところで、再び私は呼び止められた。
「姉さん」
木陰に呼び寄せられ、人目に触れない場所まで来ると、その人物はレスターだった。
久しぶりに見る騎士としての正装は、レスターをいつも以上に立派に見せた。そして制服の胸には、昨日与えられたばかりの勲章が輝いていた。
「レスター、おめでとう。姉さんは鼻が高いわ」
変装していることも忘れてお祝いを告げると、レスターはただ立ち尽くすだけだった。
どうしたのだろう、いつもならば犬のように褒めて褒めてと甘えてくるのに。
体調でも悪いのだろうか、そう心配になって手を伸ばすと。
「……ごめん、姉さん。僕はもう」
レスターの顔が歪んだ。
それと同時に、広間の方で歓声が上がる。
新たに誰かが登場したのだ。そこまで話題になるのは、殿下が既にいるならあとは一人。
リンジー=ブライス。
広間の明るさと、苦しそうなレスター。私はその正反対の事象に、困惑するしかなかった。




