第四話 初出勤は波乱の予感
いよいよ初出勤となった日の朝、前回と同様に城の通用門前で、ハインド卿の迎えを待っていた。
私はレースのついた白いブラウスに、シンプルなリボンタイ、新調した紺のジャケットワンピースを合わせた。会計士という職種に相応しくあるよう、シンプルなブーツに、目立つ金髪を編み上げてまとめ、なるべく貞淑な印象となるよう努めている。大きな鞄を抱えているのは目立つかもしれないが、初回は愛用の事務用品が入っているので、仕方ないと諦めた。それから指には、昨日急遽買った金の指輪をはめている。これで不用意に声を掛ける者もいなければ、王子殿下の側にいたとしても、私は彼に近づこうとする邪な女ではありませんよと無言のアピール、つまり保険となるだろう。
「よし、完璧」
「なにが?」
「わっ!」
振り向くと、そこには迎えに来てくれたハインド卿が立っていた。約束の時間よりずいぶんと早い。身分の高貴な人ほど遅れてくるものだと思っていただけに、驚きもひとしおだ。
「独り言に返事を返されると、驚くのでやめてください、ハインド卿」
「驚かせるつもりはなかったんだ、悪かったよ。早めに来て正解だったね、おはようコレット。待たせたかな?」
「おはようございます。私もいま来たばかりです、本日からよろしくお願いいたします」
私は笑みを貼り付けて、挨拶をする。ハインド卿は一昨日会った時と同じように、裾の長いジャケットの下に長剣が見える。
「うん、こちらこそよろしく……今日は少し印象が違うね」
私は高い位置からマジマジと見下ろされる。
一応、小ぎれいにして来たつもりだけれど、おかしかったろうか。服のほつれ、髪の乱れを確認していると。
「あ、いや。どこかおかしい訳ではないんだ、ただ、せっかく華やかな金の髪だから、上げない方がいいかなって」
「え? でも、成人女性はこれが正式で……」
「うん、そうだね……まあ、僕の考えすぎかもしれないし。通行証を作ったから渡しておくよ」
いったいどうしたのだろう、そう思いつつも通行証を受け取り、促されるままに彼の後を追って城門をくぐった。
以前通されたのと同じ道を通り、次第に王城の奥、装飾の煌びやかな辺りまで来ると、ようやくハインド卿が口を開いた。
「きみの希望通り、限られた人としか顔を会わせずにすむ仕事場を用意した。さあ、ここを曲がるから道順を覚えておいて」
絨毯の敷き詰められた廊下を進み、中庭が望める通路に出る。ここまでは以前来た通りだが、今日はそこから脇に逸れる細い通路に入った。
そこに入ると、すぐに大きな扉が現れ、その前を衛兵が二人立っていて、貰った通行証を見せる。すると二人が大きな扉を開けてくれて、ハインド卿と共にくぐった。
扉があるのでそこが部屋かと思えばそうではなく、再び通路が続いている。
窓が一切ないその通路をしばらく行くと、再び扉が現れる。いったい何重に仕切られているのか。
そこにも一人、衛兵が立っていて私たちを認めると、衛兵が扉を叩いた。すると中から「入れ」という返事が聞こえる。
「この先の部屋が、今日からあなたの仕事場です」
ハインド卿がなぜか申し訳なさそうに言いながら、扉を押した。
そこは以前訪れた書棚で囲われたような部屋とは、また様相ががらりと違っていた。床は磨かれた大理石、その上に配置された調度品は一層豪華で、白を基調としたもので揃えられている。その白を一層美しく引き立てるように、金細工が散りばめられ、どこもかしこも触ったら指紋が付きそうだし、とにかく何かあっても責任を負えないし、近寄りたくない。
そんな圧倒的豪華さに足を止めていると、奥から声がかかる。
「突っ立ってないで、早く入って来い」
その声は、一昨日も聞いた王子殿下のものだ。
仕事場というからには彼も居て当然だろうけれど、私はその声の方を向いてぎょっとする。なぜなら白いシャツ姿にジャケットを肩に羽織って釦も止めずにいるという、非常にラフな格好をした殿下が、大股でこちらに歩いてくるのだから。
そしてどうしたことか、殿下は近づくにつれて表情を険しくして、私に手を伸ばした。その大きな手が、私の頭をがっしりと掴む。
「で、殿下……?」
「少しの間、動くな」
短くそう言うと、殿下は私の頭をごそごそと両手でまさぐり、編み込んだ髪の間に差し込んであったピンを探し当てると、それらを容赦なく引き抜いたのだ。
すると当然、はらはらと金の髪がほどけて、顔と肩にほどけて落ちる。
「な、な、何するんですか! せっかく綺麗にまとめてきたのに!」
ぼさぼさになっているだろう髪を両手で押さえながら、目の前の王子殿下に文句をぶつける。身分差があるからって……いや、あるからこそこういう失礼な態度はどうなの?。
すると王子は、気が済んだのか険しい表情は消えたものの、悪びれる様子もなく言い放った。
「今後、髪はまとめることは許さない。常に下ろしておくように」
は? 机に向かって書類仕事をするのに、髪を下ろせと?
「お言葉ですが、それでは作業効率が悪いですし、子供じゃないんですから髪くらいまとめるのが普通で……」
「そんな風にまとめたら、おまえの顔立ちだと女かどうか分からなくなるだろう、髪は下ろしておけ。それから服装も男性用に間違えそうなジャケットは不可だ。これらは勤務条件に付け加える」
「女かどうか分からないって……失礼ですね、そりゃ顔立ちが女らしくないのは確かですけど、それと仕事とどういう関係があるっていうんですか。長いと邪魔なんです、特に書き仕事は。殿下も一度やってみたらいいんです、カツラ借りてきましょうか?」
売り言葉に買い言葉、つい納税課の勢いで喋ってしまったことに気づき、遅ればせながら口を噤むと。私と殿下の間に、ハインド卿が割って入ってくれたのだった。
「今のは、さすがに殿下が悪いですよ。コレットも、これには少々事情があるので、説明します。まずは仕事場へ」
苦笑いを浮かべながらそう促された。
殿下も、私の失礼な反論に怒るどころか、どこかばつが悪そうにしながら、踵を返してしまう。
「……わかりました」
私は手ぐしで髪を整えながら、ハインド卿に続いて豪華な部屋に歩を進めた。
どうやら仕事場は、その部屋を通り抜けた奥のようだった。
だがふと横を見ると、彫金の施された大きな衝立が右手にある。その横を通り過ぎるところで、再び私はぎょっとする。
なぜなら、隙間から大きな天蓋付きの寝台が見えたのだ。
見たこともない豪華なレースが張られたそこは、大の大人が四人は寝られるほどの大きさ。なんとなく嫌な予感がして周囲をよく観察すると、どうにもここが「仕事」をするような環境とは思えない。
その寝室らしき間を抜けると、もう一つ広い部屋に通される。そこには大きなソファやテーブル、チェストや小さな書棚があった。部屋の南側だろうか、丸い張り出し窓があり、そこから出られる先には、手の行き届いた中庭が見える。
そんな貴人の居室らしき煌びやかな空間の一角に、どこからどう見ても違和感しかない使い込まれた机が、一つ設置されている。しかも、どっさりと書類と本と封筒が積まれた状態で。
豪華絢爛な場所に、突如現れる見慣れた日常風景。目を背けたくなるほどのミスマッチ……
「コレット・レイビィ。ここがお前の仕事場だ……何かまだ、言いたそうな顔だな」
王子殿下の言葉に、私の顔は引きつっていたと思う。相手が相手だから言わないけど、心では叫んでいたもの。「なに言ってるのか、この人は?」って。
「あの、殿下。聞いてもよろしいでしょうか」
「なんだ、言ってみろ」
私はちらりと周囲の部屋を見る。
「ここはそもそも、どういったお部屋でしょうか」
「俺の私室だ」
「はあ⁉」
あ……いや。私はとりあえず両手で口を塞いで、横に立つハインド卿に目線で助けを請う。
「一応、僕は反対したんですよ?」
ハインド卿は肩をすくめながらも、否定しなかった。
「コレット・レイビィ。お前の要望通り、人に会わなくて済む場所を用意したんだ、文句を言われる筋合いはない」
殿下の言葉に、頭痛が。
目を伏せ、頭を抱えている私に、殿下は悪びれもせずに続けた。
「おまえが入ってきた通路は、あらかじめ定められた者しか決して通ることができない、いわば裏口にあたる。そこを通れば、出入りすら気づかれないはずだ。安心しろ」
「私は、どこか、人目につかない端っこでって、お願いしましたよね……」
「この向こうが、公務の執務室に繋がる部屋になる。実際に端っこだろうが」
さも正論のように言い放たれた。確かに、殿下のただっ広い私室の、端っこですけど。私が言ったのは、そういう意味じゃなーい!
困惑する私に助け船を出してくれるのは、やはりハインド卿で。
「申し訳ないですが、しばらくはここで我慢してください。恐らく最初は確認作業のため、殿下の指示が不可欠です。距離が近いのは効率がいいと思います。そのあと、落ち着く頃には別に用意させますので」
「……本当に、そこはお願いしますね」
王城で人と会わずに済ませたい、その「人」に、殿下が真っ先に入るんです。とは言えなかった所為で、こんな目に遭うとは。
私は唸りながらも観念し、与えられた机に向かった。
山のように積まれた書類、メモ書き、領収書のようなものの束。どうやら、帳簿よりも前の段階から始めなければならないようだ。ああもう、色んな意味でため息が出る。
「まずは契約書にサインを、よく読んでください」
ハインド卿から渡された紙の束を受け取り、細かく書かれた契約書に目を通す。主に守秘義務についての項目が多いが、想定していた以上の縛りは無い。あとは勤務日や時間について。王子の視察など不定期に行われる公務によって、調整することになりそうだ。
最後の項目は給金について。約束通り以前の三倍の給金に加えて、先日断ったはずの定期的な評定を設けての加算とやらも、盛り込まれていた。それだけでなく、殿下の都合により退職となった場合には、半年分の退職金がもらえるらしい。うん、殿下にはぜひとも頑張って早急に、良いお妃様候補を、見つけてもらいたいものだ。
「なにか不足はありませんか?」
「いいえ、私からは特に要望はありません」
「でしたらサインをお願いします」
ハインド卿にペンを渡され、私は素直に契約書にサインを書き込む。そして書き終わったそのペンを王子殿下が奪うと、私の名の下に殿下も自ら名を書き込んだ──ラディス=ロイド=クラウザーと。そしてハインド卿が差し出した印を名の横に押してから、契約書を渡される。
私が、王子殿下の次の言葉を待っていると。
「なんだ、まだ何か言いたそうだが」
「あの……これだけですか?」
「これだけとは? 契約に不満はないと言ったはずではなかったのか?」
「いえ、不満はないです。ただ、仕事内容から、約束の石での契約もされるのかと思って……」
殿下は私の言葉に、少しばかり間を置く。
「そんなものを使うつもりはない」
それは意外な言葉だった。そこらの商家や貴族家との契約とは訳が違うと思っていたから、まさか約束の石無しで仕事ができるとは思っていなかった。
「それとも、石の縛りがなければ、契約を履行できないとでも言いたいのか?」
「と、とんでもないです! もちろん、約束は必ず守ります。ただ……」
「ただ?」
「必要とあれば、仕方ないと覚悟をしていたので」
「覚悟、か」
「はい、会計士をしている父ですら使ってるので、石の重要性を知っているつもりです。ですが私個人としては、あまり好きではないものなので……」
思ったままを口にした。だが王子殿下の僅かに驚いた様子に、それが失言だったことに気づく。
精霊の加護を受けて国を興したフェアリス王が戴く王冠が、まさに約束の石で作られている。つまり王権の象徴でもある。それを好きではないと否定するには、相手が悪かった。
だが一転して、王子殿下の顔に笑みが浮かぶ。
「気が合うな、俺もだ」
は、い──?
「精霊王も約束の石も、クソ食らえだ」
ちょっと待って、善良な一般市民になんてこと聞かせるのよ、この王子様は。