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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第五章 塗り替えられる勢力図

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第三十六話 あの日の願い

 和やかだった会食の席が、一瞬にして緊張感に包まれていた。

 殿下はリンジー=ブライスの名を聞いた後、しばし考え込んでいる様子だ。そしてダディス当主、ラッセルさんが後ろに控えていた部下に、何やら確認している。

 どうして、リンジー=ブライスの動向を私が知っているのか、殿下ならばここで聞かないでいてくれるだろう。

 でもラッセルさんは疑問に思うに違いない。殿下は彼に、私が依頼していた探し人、その当人だと知らせてはいないだろう。やっぱり、彼女の名を口にしたのは軽率だったのではと、焦りが生まれていた。


「殿下、私どもからひとつ、情報をお売りいたしたいのですが」


 ラッセルさんが部下と確認した後に、殿下にそう切り出した。それを受けて、殿下は頷いてヴィンセント様に新たな契約書を用意させる。

 がしかし、それをラッセルさんは手で制して言った。


「コレットさんからの情報の対価として、同じく口頭だけでお伝えします」


 すると殿下が私の方を見るので、了承のつもりで頷くと、ラッセルさんはすぐに話をはじめた。


「ブラッド=マーティン商会の、若頭取の動きに注意してください。ブライス伯爵と商談を始めているという情報があります。加えて彼は、つい二ヶ月前まで、ベルゼ王国に長らく滞在していた人物です」

「……若頭取って、セシウス=ブラッドですか?」


 驚いて確認すると、ラッセルさんが頷く。そんな、レリアナの婚約者が要注意人物とは……


「コレットさんは、セシウス氏のことをご存知だったのですか?」

「ちょっと、知り合い経由で……」

「彼は長らく不在だったので、名前を知る者も多くありません。驚きました、さすがレイビィ氏のお嬢さんといったところでしょうか」


 ラッセルさんにレリアナのことまで喋ると、それはそれで怖い気がして苦笑いで返すしかなかった。

 そんな私とは裏腹に、殿下はいつも通り冷静に分析を始めていたようだった。


「精霊石の採掘と、硝石。ベルゼ王国と、ブライス伯爵家とブラッド=マーティン商会か。まだどう絡むのか分からない要素も残っているが、繋がってきたな」

「殿下、硝石の交易をベルゼが正式に持ちかけてくるのならば、まだ分かります。それを一部の貴族家が占有するには、物が物だけに危険です。これは放置することはできません、すぐにご対応を」


 ヴィンセント様の言うことはもっともだ。難しい政治のことは分からないけれど、これが普通の穀物などの交易だとしたら、まあ不正の温床だろうなと思う。つまり……


「私も同意見です。秘密で交易を始めたら、出た利益を少なめに申告し放題になるのはよくあることです。商品の数を誤魔化して横流し、もしくは備蓄して高く売るとか、まあ質の悪い商売人のよくやる手ですよね。穀物ならまだしも、それが火薬で、売り先が外国だとしたら……問題は、そんな馬鹿な真似を、ブラッド=マーティン商会ほどの大店が、やるかってところなんですが」

「コレットさんの言うとおりです、さすが納税課で鍛えられただけはありますね」


 さらっと言われたけれども、はじめましてな私の経歴を知っているって、やっぱりダディスは怖いっ。

 

「ダディスの持っている印象としては、ブラッド家はどの代も権力欲というか、特権主義的な人間が多いのですよ。少々歪んだ劣等感が邪魔をして、強引な商売に走りやすい。それが今、商業組合の方でのもめ事の一端ですしね」

「もめ事、とは?」

「殿下、それ今日、父さんからも聞きました。城下の市場から大きな商会まで、商業組合が長らく一つにまとめてきてたんですが、ついに二つに分裂されようかという危機みたいです。その分裂を煽っている方がブラッド=マーティン商会、残るはゼノス商会をはじめとする現在の役職を引き受けている側、といった対立になってるようです」

「あからさまな、対立構造ですね……」


 ヴィンセント様が、頭が痛いといった風にため息をついている。

 けれどもそんな憂慮など吹き飛ばすかのように、ラッセルさんはあっけらかん笑った。


「商人も馬鹿ではありません。そのような目に見える形での対立は、いうなればあがきに近いと見ている者も多いのが現実です。殿下、我々はティセリウス伯爵への処分内容次第では、勢力図ががらりと変わるのではと見ております」

「……そのつもりで動いている。おまえたちもそれを期待して、あの闇医者を売ったのだろう」

「いえいえ、私どもは単なる情報屋ですので、活かすも殺すも買ったお人次第」


 やだなあ……殿下とラッセルさんの容姿だと、表と裏の権力者が悪巧みしてる図にしか見えない。これがあの妖精王のごとき華やかなジョエル=デルサルト卿なら、そうは見えないんだろうに。

 そんな風に思って見ていたら、殿下はもうこれからのことを組み立てたようだった。


「早急に硝石の流通に制限をかけさせる。幸いなことに、採掘地は南部の乾燥地がほとんどだ。そちらは私が押さえることができるだろう」

「はい、ですが問題は塩硝は自然採掘が不可能な地から、硝石を取り出すためのもので、乾燥地が少ないベルゼで真っ先に発達した技術です。元から北部はベルゼとの交易がありますので、既に手を広げている可能性も」

「分かっている。同時にブラッド=マーティン商会への警戒を強める」

「……それがよろしいかと」


 そうして殿下とダディスとの会食は終える。

 席を立つ殿下に、ダディスの三人は見送りをしようとするが、殿下がそれを「目立ちたくない」として断った。ラッセルさんはその代わりとばかりに、私が食べられなかった食事を、持ち帰るよう手配してくれている。

 給仕を呼んで支度をさせている間に、殿下とラッセルさんがヒソヒソと話を続けていたようで、ふと気になる言葉が耳に声が入った。


「それではあの者は、お嬢さん方の行方を吐きましたか」


 お嬢さん方って……まさか攫われて行方不明の人たちのこと?

 ハッとして殿下の方を見るけれど、こちらに背を向けているせいか、声が聞こえない。代わりにラッセルさんと目が合い、話が中断されてしまった様子。

 そのまま準備が整ったと給仕に告げられ、ラッセルさんたちとはそこで別れてしまった。

 それからは慌ただしく馬車に乗せられ、王城へと帰り着いた。

 日はもう暮れているというのに、殿下とヴィンセント様はそのまま中央棟へと向かい、関係各所の責任者を呼び出して緊急会議をするという……

 私はそんなお偉いさんたちに同情しつつ、持たせてもらった食事を部屋でいただく。たくさんあるし、気をきかせてデザートのパイをたくさん詰めてくれたので、残っていたアデルさんや侍女さんたちと分けて食べたのだった。



 ふと目が覚めたのは、日も昇らない早朝だった。久しぶりにたくさんお酒を飲んだせいか、喉が渇いて部屋を出る。すると暗い廊下の先から、明かりが漏れている。

 そこは殿下の部屋。

 ゆらゆらと揺れる灯りに誘われて近づくと、扉が少しだけ開いていた。そこから冷たい風が、顔に吹き付けた。

 きっと、窓が開いているのだろう。そっと扉の隙間をすり抜けるように入ると、明かりは私の仕事机の方に一つ。その先にあるカーテンが揺れていた。

 私は羽織ってきた上着の前を寄せ、扉に向かう。裸足で来てしまったから、大理石を歩くと大層冷たい。

 早朝のこの時間は、もうずいぶんと冷え込む季節になった。扉を閉めようと手を伸ばすと、庭の向こうから物音がする。驚いて寝台の方を向くと、ちょうど衝立が開いていて、そこがもぬけの殻なのが見て取れた。


「……じゃあ、あの音は殿下?」


 こんな夜明け前に、何の音だろうと気になって庭に出た。日はまだ登っていないが、空は白みはじめている。

 庭の奥からは、鈍い何かがぶつかるような、それでいてたまに金属音と、荒い息づかい。垣根の向こうに、誰かがいる。茂みを手で寄せて視界を広げると、その先にいたのは殿下だった。

 殿下だけじゃない、ジェストさんもだ。

 茂みの向こう側は広けた芝生で、そこで二人が剣を持って組み合っている。

 ずっと前だけど、訓練生だった頃のレスターの鍛錬を見たことがある。剣を持ち、仲間と並んで型を繰り返すものだった。でも目の前で行われているのは、以前見たそれとはずいぶん様相が違った。

 剣を合わせたかと思えば、ジェストさんが殿下に足をかけて倒そうとして、それを防ぎながら殿下が空いた方の拳で、逆にジェストさんに殴りかかっていく。

 なんというか、泥臭く、それでいて二人とも見たこともないくらいに真剣で、汗に濡れて息を切らしていた。

 呆然と茂みの間から眺めていると、殿下と目が合った気がした。

 でも次の瞬間に、殿下が振り払った剣が、ジェストさんの剣を弾いた。そしてそのままジェストさんの手から放れて飛んだ。

 「あ」と思った時には、その剣が私に向かっていて。

 思わず目をぎゅっと閉じることしか出来なくて。


「……大丈夫か、コレット?」


 剣は飛んでくることなく、代わりに殿下のため息とともに出た言葉に目を開くと、そこに落ちた二本の剣と、殿下の心配そうな顔。

 あまりの出来事にへなへなと座り込みそうになると、殿下が足と腕で枝が折れそうなくらい茂みを押しのけ、私を引っ張り出してしまったのだった。


「わざとだろう、ジェスト? コレットに何かあったらどうする」


 殿下は私を芝生に座らせながら、ジェストさんに文句を言う。でもジェストさんは肩をすくめて、笑うのだ。

 いやいや、笑うところじゃないですよ。


「二人分、強くなりたいからつきあえと言ったのは殿下ですよ」

「それはそうだが……」

「そろそろ私は上がらせてもらいます、殿下」


 そう言うと、ジェストさんは落ちていた剣の一本を拾い鞘に収めて、さっさと茂みを回って出て行ってしまった。

 それを見送ってから、殿下が剣を置いて私の前にあぐらをかいて座った。まだ肩で息をしている。それでも、私を気遣うように様子をうかがっているのが分かった。


「こんな早くに、どうした?」


 え、そこから?


「ええと……お酒のせいで喉が渇いて。廊下に出たら、殿下の部屋の明かりが見えて」

「おまえなあ、仕事中ではない夜に……」

「だって、明かりが揺れてて、窓が開いてるのが分かったから、殿下が風邪引くと思って」


 殿下は少しだけ私から視線を外し、小さく何かを呟いてから再び私を見下ろす。


「コレット……昨夜はしっかり食べて、よく眠れたか?」

「小さな子供じゃありません、お母さんみたいなこと聞かないでください」

「お前こそだろう」


 殿下が、困ったような、でも悪戯が成功した子供のような、変な顔をしている。

 私は、座ったまま自分の胸を手で押さえる。まだ、ドキドキしている。さすがに、自分に向かって剣が飛んでくるのは怖かった。


「怖い思いをさせて悪かった」


 珍しく、殿下が殊勝だ。


「こっそり覗いた私も悪かったです。でもいつも、あんな鍛錬をしてるんですか?」

「……護衛の数を減らしているからな、彼らの負担を軽くするためだ」

「もしかして、前にこっちから戻ったあの時も、ヴィンセント様と鍛錬だったんですか?」

「ああ、あれは……」


 殿下が遠い目をする。


「ヴィンセントは戦闘に向かない。だがそのままではいざという時に対応できない、それでは困るだろう。だから定期的にしごいているんだ」

「戦闘に向かないって、じゃあいつも携えてるあの長剣は飾りですか?」

「あれは……私の剣だ。言っただろう、ヴィンセントは鞘として、側に置いていると」

「殿下の? ならなんでわざわざ……」

「武はデルサルトの領域だ。分を弁えてくれさえすれば、その領域は侵すつもりはなかった」


 そう言いながらも、殿下は自嘲しながら「思うようにはいかなかったが」と付け加えた。

 なんだか、落ち着いてきたと思っていた胸が、今度はざわざわと波立つ。

 殿下は、自分が鍛えていることは、表沙汰にするつもりがないのだろう。なんだか、殿下のことを知る度に、不思議な人だと思う。

 すごくわかりにくい、不器用な優しさを持つ人だ。


「殿下は、努力の人ですね。あの時は、木も登れなかったのに」

「情けない姿を思い出させるな、十年も前のことだろう」


 不服そうな殿下に、私は笑いがこみ上げてしまう。


「おまえが言ったのだろう、コレット。出来ないなら、これから鍛えればいいと。だからそうした」

「私が……?」


 そういえば、そんなような事を言ったかもしれない。だけど、それを馬鹿正直に実行するなんて思わないですよ。だって私は……


「殿下は、私を恨んでたんじゃなかったんですか」

「恨む? どうしてコレットを恨まねばならない」

「だって、王宮に変装して忍びこんで、殿下を騙して逃げて、意図してなかったとしても十年、殿下の継承権を脅かして……」


 殿下が手を伸ばして、私の髪を一筋すくった。


「恨んだり怒ったりしたのは、おまえにではない。あらぬ噂を流した馬鹿者と、友人として仲良くなろうとした少年を怪我させてしまった己にだ」


 殿下が近づき、掬われた髪に唇を寄せられる。髪に感覚なんてないのに、全身にくすぐったさが駆け巡る。

 その感覚に困惑して固まっていると。


「あの日、王城に危険を冒してまでやってきた理由を、聞かせてくれ」


 真摯な瞳に見上げられ、私は素直に言うことを躊躇われてしまう。

 この人が動き出したら、確実にすべてが置き換わっていきそうで。そのきっかけを託されている気がして、畏れから逃げ出したくなる。


「たいした理由じゃないです」

「コレット」


 名前を呼ぶだけで、人を思うとおりにさせるなんて、ずるい人だ。


「助けて、欲しかったんです。お城の偉い人なら、私の家に蔓延る悪いものを、追い出してくれると……そう信じてたんです。あの頃はまだ、世間知らずの子供だったから」

「そうか。遅くなったが、聞けてよかった」


 それだけ言うと、殿下は私の髪を離し、立ち上がった。

 昇ってきた朝日が、枝葉の向こうから庭園を照らし始める。その光を背に受けながら、殿下が手を引いて私を立たせると。


「十年待たせたが、必ず叶えよう」


 殿下がそう言ったその日の夜、ティセリウス伯爵への処分が国王陛下から言い渡された。

 ティセリウス領における領兵、つまり国境を護る警護兵の解体と、国王陛下直下としての再編。爵位降格こそ免れたものの、独自に他国との交易権も一定期間はく奪となり、領主としてはほぼお飾りの状態になった。防衛を任され兵力で地位を固めてきたティセリウス家は、事実上両腕をもがれたと言っていい。

 これは、王子殿下と次期公爵の継承権争い、ひいては両者を推す貴族界の、勢力図を塗り替える最初の一手となった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 後半のコレットと殿下のやりとりが素敵。 朝日がのぼる情景と、十年越しでコレットの願いを叶えるべく救いの手を差し伸べる殿下の姿とか。 物語がひとつ、大きな転換点にたどり着いたなーと思わされる…
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