第三十話 親子二代
静寂を破ったのは、バギンズ子爵が持っていた杖を落としたから。
同時に、厳しい顔立ちをしていた近衛の彼がそのまま顔面蒼白になり、そしてゆっくりと振り返った殿下が眉を寄せている。その顔面が「なに言ってるんだおまえ」と訴えていが、私はある種悟りを開いていた。
しまったと思ったけれども、一度口から出してしまった言葉は拾って戻せない。
お断りしたとしても、こんなことで処刑されるほど、フェアリス王国は独裁でも狂国でもない……と、信じたい。
「は……はっはっは!」
笑い出したのは、国王陛下だった。
「なんとも小気味良い振られ方ではないか、さすが我が倅……くっくく」
「父上……」
苦虫を噛みつぶしたような顔で何かを言おうとする殿下に、まあまあと陛下が手で制する。
「まあ待て、理由を聞いてみようではないか。コレット、自由に発言を許す。ここで口にしたことは、どのような事でも一切不問とする、むろん不敬罪になどにもさせぬ、約束しよう」
陛下の言質を取ったので、私は頷き、改めて殿下に向き直った。
「殿下、私は平民です」
「……だがおまえは、ノーランド伯爵令嬢で」
「もう、ノーランド家はありませんけど?」
殿下が口を引き結ぶ。この人は、噂通り頑固で、でもだからこそ公明正大で『王子殿下』な人だ。そんなことは関係ないと、切って捨てるようなことは言わない。
「私は、両親のように好きな人を見つけて、きちんと恋愛をして結婚したいと願っています。誰かに命令されるわけでもなく、自分の意思で」
「私では不服なのか」
「殿下は、宝冠の徴がある相手だから、私にそう言ってるんですよね?」
再び押し黙る殿下。
「むしろ私の方が聞きたいくらいです、殿下。どうして宝冠とやらが鳴ったくらいで、馬鹿正直に私を妃にと口にするんですか。馬鹿ですか?」
「ば、馬鹿と言われるのは心外だ、しかも二回も」
「だってそうでしょう。平民だった私は、その宝冠の伝説こそ知っていましたが、見たこともなければ、未だ現存するだなんて知らなかったんですよ! それでも、この国の王家は人々の信頼を得ています。それがどういうことか理解していないんですか、殿下」
「分かっている、だからこそ民を裏切らないよう、それを心に留めるようここに宝冠があるんだ」
「まったく分かってないです!」
「何をだ!」
「宝冠なんてなくても、殿下が継ぐなら王家もこの国も、安泰でしょうって言ってるんです!」
殿下が驚いて何かを叫ぼうとして、そしてそれを飲み込んだ。
だから私は彼に今度こそ届くよう、ゆっくりと、けれどもしっかりと繰り返した。
「宝冠の徴なんて、毎日を懸命に暮らす国民にとっては、どうだっていいんです。そんなのに囚われて争いが生まれるのなら、殿下が本当に望む相手と徴が現れたって、嘘八百だろうが素知らぬ顔して発表してくれた方が、よほどいいです。平民だって、ちゃんと見ています。陛下が年月をかけて国を豊かにしてくださったこと、それを引き継いで殿下が努力なさっていることも。だから私は前にも言ったんです。そんな徴に囚われてしまうなら、いっそ壊してしまった方がマシですと」
「コレット……それはさすがに買いかぶりすぎだ。諍いは、既に起きているのだから」
殿下は、ジョエル=デルサルト卿のことを言っているのだろう。まあ、そういう継承争いが生まれる隙……十年前の事件に、私も関わっている。その責任は、出来る範囲で取るつもりだ。
……いや、まてよ? そもそもあれがなければ、殿下はぼんくらに成長したかもしれないから、感謝されるべき?
うん、まあ深く考えるのはよそう。「もし」を突き詰めても、生産性は上がらない。
「殿下が、それら諍いの要因を必ず収めてくださるためなら、私も喜んで協力します。昨日もそういう約束をしたはずですよね。でも私は、私を好きになってくれる人と結婚して幸せな家庭を築きたいんです! だから殿下もそういう方を見つけてください」
仮初めの思い人の件は、了承している。私だって約束を違えるつもりはない、仕事だし。
でも何故か殿下は難しい顔をして、唸っている。何が気に入らないというのか。
と、そこで再び陛下が割って入ってくる。しかも何やら、笑いを噛み殺したかのような顔で。
「宝冠は曲がりなりにも国宝である、壊されたら困るので、私から二人に猶予をやろう」
え、二人って、私もその賭けに巻き込まれるんですか?
自分を指差していたら、陛下が和やかに頷く。
えええー、嫌な予感しかしない。
「コレットに断られたということは、二つ目の賭けは私の勝ちだ。ラディスが使えないまま成長するくらいならば、ジョエルにこの王位を渡しても同じと考えていた。だがジョエルは、ラディスが立太子しないのをいいことに、配下の者たちを好きにさせすぎた。今回のティセリウス領で起きていた事は、報告を受けてジョエルにも通達してある。よって、賭けを延長する。期限は半年後、隣国ベルゼ王国との和平条約締結三十年の式典が執り行われる。その祝いの場で、誰を次期国王とするか発表するつもりだ」
「半年後、ベルゼ国王の立ち会いの下、ですか」
「ちょうどよかろう、そもそもあの宝冠は、ベルゼ王国からの贈り物でもある。それまでに私のみならず、他国の王に侮られぬだけの足場を固めてみせよ」
気を引き締めた殿下に、陛下は満足そうに頷いた。
へえ、そんな式典が予定されていたんだと、私は他人事のように聞いていたのだけれども。
「コレット、そなたはラディスが賭けに勝ったあかつきには、無罪放免とする」
「……負けたらどうなるのでしょうか」
「偽りの死亡届け、また身分を詐称した者への処罰は、どうなっておったかなバギンズ?」
陛下がバギンズ子爵に問いかけると。
「ええ、確か、貴族であっても禁固刑、または金貨一万枚の支払いでしたな。払える者はほとんどおらず、禁固刑が定番となっていたかと」
「禁固刑⁉ 一万枚⁉」
私の計算能力をどう働かせようと、一生かかっても払えない金額だ……それに禁固刑だなんて。どうしよう、脂汗が滲む。
すると側の殿下が呆れたような様子で言った。
「そこが最も、焦るところなのかおまえは」
「だって!」
「気にする必要はない、勝てばいいのだから。お前は俺に協力していればいい」
……あ、そうか。みんなが幸せになる道を、殿下が背負っているのか。
なんだか殿下の背後に後光が……見え……見えない!
殿下が、いつもの殿下らしく、悪魔の微笑みを浮かべている。
「半年後、覚えておけよ、コレット」
「何をですか、私の自由を祝ってくださるってことですか?」
「違う!」
自分で言ってから、ふと不思議に思う。なぜ、陛下は私にも猶予を与えてくれたのだろうか。こんな平民となった私が、殿下の伴侶となるのはありえないけど、それにしたって……
気になって陛下を見ると、私を手招きしていた。
「ラディスは少し外せ、コレットと話が残っておる」
「ですが……」
渋る殿下だったが、陛下が繰り返した。
「徹夜で帰城したのだろう、とっとと戻って休むが良い」
あ、そういえばそうだった。ただでさえ一週間の視察があったのに、最後は徹夜。さすがに殿下も疲労困憊なはず。
その指摘に、ため息をつきつつも従うことにしたようだ。
殿下が改まって、父親である陛下の前で、胸に手を置き臣下の礼を尽くすと、来た道を戻っていった。
「へえ……あちらで、殿下のお部屋と繋がっていたわけですね」
「そうだ。さてコレット……早めに用事を済ますかな。あの様子ではそなたが戻らねば、心配で寝るどころではなさそうだ」
陛下がしょうがないといった風に笑った。はじめて見せる、父親らしい顔だ。
「私も、陛下にお尋ねしたいことがありました」
「言ってみるがいい」
「はい、どうして、私にまで猶予をくださるのかなと……本当に契約が解除できないのでしたら、ご命令で一旦は形式的に婚姻を結ばされるのも可能だったのでは」
なのに、私なんかの意見を聞き、条件付きで自由を保障してくれた。
陛下は、私の言葉に頷いて見せた。そして側にまだ控えていた、バギンズ子爵を振り返る。
「そなたがラディスの求めに応じるつもりならば、手を尽くすつもりでバギンズを伴った」
「私は、あらたにもう一人、娘ができるものだと喜んでここに参りましたが……残念ですよ。
コレットさん」
バギンズ子爵の言葉に、困惑するしかなくて。
「どうして……そこまで?」
「罪滅ぼしを、したかったのだ」
「陛下……? どういう、ことですか」
「かつて、私は強く結婚を望んだ相手がいたのだ。それは王妃ではなく、今のそなたとよく似た女性であった」
あまりの驚きに、私は空いた口が塞がらなかった。
確かに、聞いている。お母様がお父様と恋をして結ばれる前に、強く結婚を望まれた相手がいたと。その求婚から逃れるために、一度ティセリウス伯爵家に養子に入ったのだと。
まさか、その相手が……?
「あの頃はまだ若く、断られるなどと考えていなかった。まるで先ほどのラディスと同じようにな」
陛下は殿下の去った方を見ながら、そう言って再び笑った。
「だがこっぴどく振られ、落ち込みもしたが、私は王妃を得てラディスを授かり、かつての傲慢だった自分を恥じた。だが償いたい相手は、気づいて後悔した頃には既におらず。ならば、その忘れ形見の希望くらいは、叶えてやろうと思ったのだ。ラディスが連れて来た時にはな。だが……まさか自らここに舞い戻ってくるとは思いもよらなかったが」
「それは、バギンズ子爵のせいで、私の意思じゃありません」
責任が飛び火して、バギンズ子爵は「私は一切知らされておりませんでしたぞ」と苦笑いだ。
「コレット、シャロンは安らかに眠っておるか?」
その言葉に、ハッとする。
親族がいない母を、悼み、こうして惜しんでくれる人は、もうレイビィ家の両親の他にはほとんどいない。
だから私は泣きそうになりながら、何度も頷いた。
「父とともに、母の名を冠した修道院に……」
「そうか、私から花を手向けることを、許してもらえるだろうか?」
「……はい、はい、もちろんです。きっと両親は喜びます、ありがとうございます」
そうして、陛下との不意打ちの面会は終了した。
まさか殿下のように庭を突っ切るわけにもいかないので、ここまで送ってきてくれた護衛さんとともに、来た道を帰る。
途中、イオニアスさんに全力で謝られたけれども、彼とて国家最高権力者には逆らえる道理はない。「大丈夫でしたよ」と笑って誤魔化しておいた。
そうしてたどり着いた、というか王城で帰る場所といえば殿下の私室しかないわけで。
仕事場に出勤しただけなのに、なぜか初日のように緊張する。
そろりそろりと様子を伺いながら、いつものように裏口から入ると、室内はしんとしている。殿下がお休みなら、はなからアデルさんかジェストさんに止められていただろう。
けれども、いつも通り「どうぞ」と通される。
一週間ぶりの私の机には、視察の荷物とともに届けてもらった、視察中に使った仕事道具が山積みとなっている。それらが、ふいに風で舞った。
「あ、ちょ……わああ」
追いかけて拾って回っていると、追い風でまた舞っていく。
元凶はテラスに通じる窓だ。まったく、いい迷惑だと閉めに行くと、テラスの長椅子に家主が寝転がっていた。
「ちゃんと寝台で寝ないと、疲れが取れませんよ」
朝の冷たい風も、よくない。側に放り出してあった膝掛けを手に近づくと、背もたれ越しに睨まれた。
そしていつの間にか腕を掴まれている。
「どうしたんですか、殿下」
ただ手首を掴まれているだけなので、どうってことはないけれど、なんだか昔を思い出す。だから笑っただけなのに。
「また逃げられた」
酷い言いがかりだ。
「目の前にいるじゃないですか」
「絶対に捕まえる、覚えておけ」
「だから何のことを…………って、ああああ!」
「なんだ」
私の叫びに、殿下が驚いて手を離した。
「殿下、殿下、半年後って、半年後ですよ!」
「……だからなんなんだ」
「納税申告ですよ! 今年の会計書類をまとめて、申告をするんです!」
「そんなことは知っている。だから会計士を雇ったのだから」
「なんでそのくっそ忙しい時期に、式典なんてやるんですか、国中の会計士を殺す気ですか! 信じられません!」
なぜか殿下が膝に肘をついて頭をかかえ、大きなため息をついている。
いやいや、ため息つきたいのは私ですよ。だいたいねえ、あの膨大な私財の管理だけでも大変なのに、締めの時期に合わせて、死ぬほどお金のかかる行事するんじゃないっての!
「ん? あ……ひゃあっ!」
気づいたら、視界がひっくり返っていた。
殿下にぐいと腕を引かれ、あっという間に殿下が寝そべっていた椅子に、背をつけていた。
そして転がった私に覆い被さるように、殿下が腕をついてきて……
至近距離だから、その琥珀色の瞳に、焦る私が映っている。
「ちょ、あの……殿下?」
「俺は、執念深いんだ。知ってるな?」
私はその迫力に負けて、うんうんと頷くしかできなくて。
殿下の左手が私の右耳の後ろを撫でた。だからそこはくすぐったいってば!
身を捩ると、殿下の手が離れる。
「まあいい、時間はある。今日はここに戻ってきただけで、許してやる」
そう言うと、側にあった膝掛けを私の頭にばさりと掛けた。同時に、目の前に迫っていた圧迫感から解放された。
頭から被せられた膝掛けを取ると、殿下は既にテラスから部屋に戻るところで。
「寝る、一時間後に起こしてくれ」
後ろ向きのままそう言って、去ってしまった。
…………私はというと。
少しだけ背中が温かい気がする長椅子と膝掛けに包まり、しばらく動けなかった。
なんか、顔が熱い。
一時間じゃなくて、もっと寝てくださいっていつものように叫びたかったのに、それどころじゃなくて。
それが、ちょっと悔しかった。




