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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第三章 記憶

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番外編 水門広場

 ラディス=ロイド王子は、その日は朝早くからティセリウス領内の視察に向かっていた。

 ティセリウス伯爵領は、領境の三分の一を隣国との国境になっており、多くの砦を管理している重要な領地である。ここ百年近くは争いがないとはいえ、いまだ領地の奪い合いをした記録は生々と残されており、こうして王族の視察は頻繁に行われる。

 そのせいか伯爵家の方も、王族視察の受け入れは慣れたものだった。

 王子殿下を伯爵所有の屋根のない馬車に招き、中央の席にラディス王子を座らせ、前部に護衛、そして後部座席に伯爵とその夫人、そして若い令嬢を王子の横に座らせた。

 道すがら、領民たちが一行を歓迎するように沿道で王子殿下へ手を振る。まるで見世物のようだと思わなくもないが、それ自体は他領でもよくあることであった。

 ラディス王子が眉をひそめたのはむしろ、あからさまな馬車席の配置だ。王子は冷静をつとめているが、護衛は苦慮している。万が一のことがあれば、王子とともに令嬢も守らねばならない。

 ティセリウス伯爵の年齢は、六十をとうに過ぎている。妻は後妻で、まだ三十代だという。娘は十六、孫娘と言っても通用する年齢である。伯爵領を継ぐ長子が健在なだけに、伯爵がというより、若い伯爵夫人の方がかなり積極的に娘を推すそぶりを見せているのは、この先年老いた夫に先立たれた時の保険でもあるのだろうと、王子は察する。

 事実、令嬢は年頃で婚約者をそろそろ探すのに、ちょうどいい年齢。そこに同じく婚約者が未定の王子がやってきたのである。そう考えない方がおかしいというものだろう。

 そうして最初の視察先である砦に到着すると、ラディス王子は伯爵家の警護兵に案内され、砦の見張り台である塔に登った。攻め込まれた時のことを考え、階段は急で足場は狭い。でっぷりと太った伯爵にはなから登れるとは、誰も思っていない。老年の伯爵はついて来たもののすぐに息を切らして、引き返すことになった。もちろん、伯爵夫人と令嬢は、馬車で待機である。

 伯爵家を除いた一行は、そのまま塔の屋上まで登りきる。


「補修は一応されているようだが、甘いな」


 ラディス王子は見下ろした砦の壁に、剥がれ落ちた部分を見つけたのだ。眼下に広がる深い森と山、その合間に見えるのは同じく砦。そこはもう、隣国ベルゼ王国だ。


「見える箇所だけでも、隙を作らぬよう伯爵に伝えてくれ」


 すぐに王子は、側近ヴィンセント=ハインドへ指示を出す。


「警護の配置はどうだ?」


 そしてもう一人、護衛の男に尋ねると、護衛は声を潜めて答えた。


「今は、充分のように見えます。準備はそれなりにしたようです」

「なるほど」


 ベルゼ王国との交易を広げるよう、国が許可を与えたのは、ほんの二年前だ。それから徐々に物資の面では解放の方向へ向かってはいるものの、王家間の交流は思うように深められてはいない。その理由についてはいくつか考えられるが、一つはラディス王子の定まらぬ立場にあるだろう。

 王子がいつまで経っても立太子しないことで、ベルゼ王国は様子見をしているのだ。王子でも公爵家でも、いざ交流を持てば形式上としても礼を尽くすことになる。それがどちらに付いたと利用されることを厭ってのことか、それとも肩入れした後に失脚された場合の不利益を計算しているのか。どちらにせよ、交流が深まらないゆえにそれもまた、判断がつかない状況だ。

 よって、いまだ砦を蔑ろにできるはずもなく、即時武力対応も可能だと思わせておくことが必要であり、王子の視察はその意思表示でもある。

だが訪れてみれば、当のティセリウス伯爵家は、武人を輩出していた家の当主とは思えぬほどの腑抜けぶり。よほど交易で得る利益がうまいのだろう。

 予想はしていたものの、ラディスの落胆は大きかった。武に長けた家がデルサルト公爵家を推すのは仕方が無いとしても、ベルゼ王国寄りになるのはさすがに見逃せない。


「この調子では、次に向かう砦も、似たようなものかもしれないな」

「今からため息をつくのは早いですよ、殿下。午後からは、例の密出国に関わる水門への視察も予定されているのですから」


 ヴィンセントの言葉に、ラディスはため息を飲み込んだ。


「あの仲介業者が言っていた待ち合わせ場所が、その国境の水門がある街だったな」

「水門は定時に開閉させ、特定の漁業者だけが水門外の大河及び支流から行ける湖での操業が可能になっています。あれらは末端の警護兵の、いい小遣い稼ぎになっているのでしょう」

「捕まらないと思っているのか……辺境と思って好き勝手させすぎたな」


 ラディス王子のその言葉に、側近と護衛の表情が引き締まる。視察後の対応が厳しいものになることが決定した瞬間だった。

 その後二つ目の砦を訪れた後に、ラディス王子は昼食の場に案内された。そこで交わされた会話はいかに令嬢がよく出来た娘なのか、そういったことばかりだった。

 確かに、令嬢は貞節に育てられたのだろう。言葉少なく控えめにしているが、それは母親の操り人形のようでもあった。美しく巻いた黒髪は、白い肌に映える。そこにラディス王子の色ともいえる赤い薔薇を差して、艶やかに着飾っていた。

 馬車で揺れるたびに身を寄せる仕草を黙って受け止めていると、夫人のみならず伯爵も欲が膨らんだのか、こう言い始めた。


「もし娘を選んでいただけますれば、王国が真に一つになれる良い機会ではないでしょうか」


 暗に、ラディス王子の、ひいては王室の権力が弱いと言ったようなものだ。

 反応したのは、側近ヴィンセントだった。


「妃殿下一人の出自に左右されるほど、王室は臣下である貴族家に蔑ろにされているとおっしゃりたいのですか」


 ハッとして、すぐに青ざめるティセリウス伯爵。


「いいえ、とんでもない。陛下とそれに続く殿下の御代に、さらなる平和と繁栄を期待しております。年甲斐も無く子をもうけ、それが初めての娘で、つい浮かれておりました。どうか失言をお許しください、殿下」


 ラディス王子に向き直り、食事の席を立って頭を下げる。それに倣って、夫人と令嬢も慌てて礼を取る。


「会食中の失言だ、目くじら立てる程のことではない。だが伯爵、そなたは他にも娘がいたはずだと記憶しているが?」

「それは……養子でございまして、さらにはすぐに婚姻にて籍を抜けております」

「養子といえど、一度家名に名を連ねた者を、忘れてやるな」

「はい……肝に銘じます」


 そうして会食を終え、一行は領南の水門のある街へ出発した。

 王子の護衛は、会食場に着くと同時に交替を済ませてある。単騎で戻った護衛頭であれば、今頃はコレットと合流しているだろう。

 南部の領地を潤す大きな河川は、同時に国境を隔てるものとなっている。下流の水門を境に、隣国フェアリス王国の両国が共有漁場として協定を結んだ地域があり、その先にもう一つ隣国が管理する水門が設けられている。つまり緩衝水域だ。

 漁猟で栄えた街であるため、この共有漁場の管理は死活問題だ。街のほとんどの者がその恩恵に支えられて生活をしているため、協定を破る行為は見逃せるものではなかった。

 馬車が街に入り、沿道に人が集まってくる。水門前には大勢の警護兵が並び、王子の視察を待っていた。その中には、漁業を管理する大船主の代表もいる。

 そして出迎えた列の中に、不審な動きをする者がいたのを、馬車を降り立ったラディス王子は見逃さなかった。


「ヴィンセント、確保しろ」


 すかさず側近に指示を出し、王子の護衛たちが一斉に動き出した。

 何があったのかと知らされていない伯爵が周囲を見回しているなか、一人の男が拘束されてラディス王子の前に連れて来られた。

 その者は、伯爵も顔を知っている者のようだった。


「殿下、この者がなにかご無礼を働いたのですか? これは水門の向こうの漁場での操業をしているうちの一船で船頭をしている者です」

 両手を後ろに拘束され、膝をつかされた男は、青ざめながらラディス王子を見上げてわなわなと口を震えさせていた。


「後金は二人合わせて現地で十五枚だったか……おまえには悪いが、契約破棄させてもらうことになった」

「ひいいっ、申し訳ありません、まさか王子殿下とは露知らず……いえ、ほんの出来心ですどうかお許しを」


 男が悲鳴を上げながらそう言い、石畳に額を押しつけて許しを請う。


「……どういう、ことですか殿下?」

「この者に、密出国を頼んでみた。相場は一人金貨十五枚で請け負っているらしいな。貴殿は承知しているのか?」


 その言葉に、伯爵は一瞬で青ざめる。


「ま、まさか船頭が……そのようなことをしていたなんて」


 階段を登った時よりも、脂汗をかきながらうろたえる姿を、ラディス王子はじっと観察する。


「知らなかったのなら、それはそれで問題だな、伯爵」

「不徳の致すところです、本当にそのようなことが行われているとは……殿下、早急に取り調べをいたしまして、こちらからきっちりと報告をさせます。ええ、密出入国は極刑ですので、斡旋した者も重罪です」


 慌てて水門管理の護衛兵を呼ぼうとした伯爵を、ラディス王子が制する。

 そして真っ青になって震えだした男の前に膝をつき、こう尋ねた。


「視察があるのを知っていながら、こうも大胆に今日を指定してくるとは思わなかったな。相当、前科があるのだろう。どれくらい荒稼ぎをしている? これまで何人を渡らせた?」

「い……いいえ、今日が、初めてで……」


 後ろから腕を拘束していた護衛が、男の髪を掴んで石畳に押しつけた。

 うめき声が上がるなか、王子は更に追求する。


「質問を変える。今日は何人を乗せるつもりだった? 連れ出す方法は? こちらの尋問に正直に答えるなら、処分の軽減を考慮する。だが今のように見え透いた嘘を繰り返すなら、この場で即刻切り捨てる」


 王子の側に戻った側近ヴィンセントが、腰に下げていた長剣に手をかけた。

 頬を押しつけられたままその様子を見て、男は涙目で王子に向かって、震えながら何度も頷いた。それを受けて王子が護衛に指示をして、男の拘束は少しだけ緩められる。


「さ、三人です。あなた様と、サイラスという闇医師。夜になったら三人乗りのカヌーに潜ませて水路を渡り、金を握らせた警護に門を開けてもらう予定でした」


 その言葉に、ラディス王子とヴィンセント、それから護衛が顔を見合わせる。


「待て、なぜ三人なのだ。女が居たのを忘れたわけではあるまい?」


 男は言いよどみ、一瞬だったが王子の後ろに僅かに視線を移したのを、ラディス王子は見逃さなかった。


「言え、女をどうするつもりだった⁉」

「女の特徴が揃っていたから、出国ではなく別に引き渡す予定だと、闇医者が……俺は詳しくは知らないんです、そいつが言ったから金も貰うつもりはなかったんだ」

「女を引き渡すとは、どういうことだ?」

「殿下、この者の言い分を聞く必要はございません、罪から逃れようと口から出まかせを言っているのですから」


 ティセリウス伯爵が激高しながら、船頭の男に掴みかかる。それを護衛が制止しようとするが、伯爵は鬼のような形相だった。

 そこに視察団に同行していた近衛兵のうちの一人が、困惑気味に報告を上げる。


「あの、殿下。これは城下町で耳にした噂なのですが……」


 若い女性、しかも金髪、紫の瞳を持つ娘が行方不明になっていることを聞かされる。ラディス王子は立ち上がると同時に険しい声を、騒然とした水門前広場に響かせた。


「ヴィンセント、馬を用意させろ。護衛は全員私に同行せよ。近衛はこの者を拘束し、関係者すべてへ聴取にあたれ!」

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