第二十三話 地下牢
それからどれほどの時が経ったかは分からない。湿気と土、それからカビ臭さで目が覚めた。
体が痺れて酷くだるい。
かすむ目を擦ろうと腕を動かそうとしたが、そこで両手首が縄で縛られていることに気づく。驚いて身を捩ろうとしたが動かない。暗くて見えないが、どうやら足も縛られている気がする。
「う……うう」
固い地べたにくの字になって転がされていたせいか、体のあちこちが痛む。思わず出てしまったうめき声に、暗い中のすぐそばで何かが動いた。
「コレット、気がついた? 大丈夫? 怪我はしていない?」
レスターの声に、安心から涙が滲んだ。
「だい、じょう……ぶ」
掠れて上手く声が出なかったけれど、何とかそう答えられた。辺りは暗く、光が入ってこない。レスターの声は後ろから聞こえてきたので、振り返ろうと体に力を入れるものの、変な薬を飲まされた後とあってか、思うように寝返りすらできない。
「まだ、動かないでください、コレットさん」
次にそう声をかけてきたのは、一緒に診療所まで付き添ってくれた護衛だった。
よかった、みんな無事……と言っていいのか分からないけれども、まずは生きている。
ほっとしたのもつかの間、護衛の彼から「まだ声をあまり出さないように」と忠告を受ける。そして小さな声で続けた。
「コレットさんとバウアー卿は、まだ薬が体から抜けていません、脱出するにしてももう少し後の方がいいでしょう。まだ機を伺うことにしますので、そのまま体の回復に努めてください」
「あなたは、薬を?」
「私は飲んでいません。バウアー卿が不自然にうとうとし始めたのと、お茶を出した女性が動揺しなかったのを見て、すぐに飲んだふりをして合わせました。そうして様子を窺っていたら、奥の部屋でコレットさんも薬を飲んでしまったのが分かり、すぐに助けようか迷ったのですが……私のみで眠る二人を守りながら対処するのは厳しいと判断し、一緒に拘束される方を選びました。このような状況を防げず、辛い思いをさせてすみません」
護衛の彼は、そう説明して私に謝った。けれども、彼が冷静でいてくれなかったら、脱出の希望すら持てなかったろう。
「いいえ、あなただけでも薬を飲まずにいてくださって、助かりました」
「これでも殿下の護衛ですから、この程度の対応はできて当然です。ですが安心するにはまだ早い。コレットさん、今から縄に細工をします。少しの間、動かずにいてください」
そう言うと、護衛の彼は私の腕と足を拘束する縄を、何かで擦りはじめた。
「そんなところに、ナイフを隠し持っていたのか……」
レスターが感心するかのように呟く。回復する前に医師やその仲間が様子を見にくるといけないから、拘束を外すのはできない。けれども脱出するタイミングですぐに引きちぎれるよう、細工をするのだとか。私が起きる前に、レスターのものにも済ませており、護衛の彼は完全に縄を外してあるという。
そうしてしばらく薄暗い中で過ごしていると、少しだけ目が慣れてきた。
じめじめとした室内は、どうやら地下ではないかと思う。あんなに貧相な診療所の地下に、このような空間があるとは想像できないだろう。私とレスター、そして護衛の三人が寝転がってもまだ余裕がある。三方は岩を積み上げたような壁で囲まれ、残る一方は古びた木の格子が一面に張られている。まるで地下牢のよう。
「どれくらい、時間が経っているのかな……私たちが帰らなかったら、殿下は怪しみますよね」
「体感では、三時間ほどだと思います。殿下が視察を終えて帰城されるのは夕刻です。恐らく、耳に入るまであと二時間くらいかかるでしょう」
助けが来るまで、早くてもあと二時間。
仕事をしていたら、あっという間に感じる時間なのに、今はその二時間が途方もない長さに感じられて、くじけそうになる心に「大丈夫」と喝を入れる。けれども。
「助けなんて、来ないかもしれない」
レスターがそう呟いた。
だが間髪入れずに、護衛が小さく鼻で笑ったのが、暗闇でも分かった。いや、暗闇だからこそ、その小さな音を嫌でも拾う。
「その銀の称号は、飾りかね?」
続いた辛辣な言葉に、レスターが息をのむのも。
「信じて命を預ける主もいないから、騎士とは名ばかりの木偶の坊ばかりになるのだ、近頃の近衛隊は」
「そ……そんなこと、ない。我々は一日たりとも訓練を欠かさず、王国の盾に」
「盾が守るべき女性より先に、弱音を吐くな馬鹿者。殿下は必ず探してくださる」
ぴしゃりと言われ、レスターは反論することもできなかった。きっと、暗闇の中で、レスターは不満を隠そうともせずに、むすっとしているのだろう。仕方の無い弟だ。
私は騎士でもないので、ただ黙って聞いてるしかなかったけれど、護衛の彼に頭を下げて言った。
「ジェストさん、あなたが居てくれてよかった」
初めての自己紹介の時から、名前を呼ばないようにと言われているけれど、可愛い弟のためにあえて口にした。
「ジェスト? あんた、もしかしてジェスト=エルダン……じゃ、ないよな?」
驚いた口調に、レスターが気づいたことにホッとした。
「名前で呼ばないようお願いしたはずですよ、コレットさん」
「すみません、つい」
暗闇の中で聞くジェストさんの声は、いつも通りなので怒ってはいなさそう。彼はきっと私の意図を悟ってくれている。
殿下の側近は、少数精鋭。殿下が自ら言った通り、それは真実だった。彼は殿下の護衛頭、かつて近衛騎士団団長をしていた経歴の持ち主だそう。私は武人のことはよく知らないが、幼い頃から騎士に憧れて鍛えてきたレスターなら、歴代の団長名くらいは知っている筈と賭けたのだ。
私は絶対に、この状況を無事に乗り切りたい。それはレスターを助けたいから。彼自身だけなら、上手く切り抜けられるかもしれない。どんなに青くても騎士の称号を得ているのだから。でも私が足を引っ張るこの状況のなか、レスターは冷静な判断を下せるか分からない。私たちがより安全にここを脱するためには、レスターがジェストさんの指示を素直に受け入れられるかにかかっている。
どうやら私の目論見は、間違いではなかったようだ。
一転して、レスターはごにょごにょと嬉しそうに呟いている。あのジェストさんに会えるなんて、とか、英雄と共同作戦とか。
……うん、逆に振れた気がする。冷静になれ、弟よ。
そんなこんなで私たちは、この状況についてヒソヒソと話し合うことになった。
ジェストさんに手伝ってもらい、ようやく体を起こす。縛られたままで壁に背を預け、二人ともようやく顔を合わせることができた。それでも輪郭が見えるくらいなんだけども。
今回の件で知りたいのはまず一点、サイラス医師の目的は何かということ。ジェストさんの考えでは、あまりに手際がいいのでサイラスが例の、金髪紫目の女性を攫った主犯の可能性があるとのこと。殺すためなのか、またはどこかに売り払うためなのか。
私は、後者だと思った。
なぜなら、私の死亡診断書の偽造で、莫大な礼金を手にしたと自ら言ったから。加えて昨夜の証言でも、薬代と称して悪びれもせず持ってこさせたくらいだ。金に汚いと思っていい。けれどもそれらを正直にジェストさんに言ってしまったら、私の正体がバレるわけで……でも女性たちを放ってはおけない。
「もし助けが来る前に、あの医師がここにやって来るようなら、目的を喋らせましょう。上手くいけば、他の行方不明者の足取りがつかめるかも」
「コレットさんは、他の失踪した女性たちが売り払われたと考えているのですね?」
「彼は過去に診断書を偽造して、大金を得たと自ら言っていました。それくらい、お金のために何でもやる人です。ジェストさんは、彼がなにかお金について喋っているのを、聞きましたか? 私たちが昏睡した後で」
ジェストさんはハッとしたように、言った。
「これが足りない後金になればいいと、そう言ってましたね」
「もしかして、私を売って逃走資金にでもするつもりだったんじゃないでしょうか。殿下からの寄付は金貨十枚。私があと五枚分になれば?」
「国外逃亡、ですか」
ジェストさんはそれも可能性が高いが、決め手に欠けると言いたげだ。だが彼が相当質の悪い医者であることが知れた今、十二分にありえると私は思う。
「お金と引き換えに私をどこかに連れて行くつもりだとしたら、女性たちを得たいと考える相手を、知っているということです。これはチャンスですよ、失踪した女性たちの行方を知るための」
ジェストさんはしばし考え込む。
「そうなると、少々やっかいですね。早めにここを出た方がいい、老人だけなら何とかなりますが、集団でやってこられたら守り切る自信はありません」
思ってもみない方向に彼の判断が動いた。
「え、でも、サイラス医師に逃げられたら、他の女性たちを探す術が」
「私は、あなたを守って領主館まで帰らせるよう命を受けているのです。あなたの安全が第一優先事項です」
「そうだよ、姉……コレット。あなたが危険を冒す必要はない」
レスターも、ジェストさんの味方になってしまった。
「それに、あなたが打たれた薬は少々やっかいだ」
あの時、意識を失う寸前、サイラス医師が叫んだ言葉はうろ覚えだったが、どうやら聞き間違いではなかったみたい。
『針を持ってこい!』
薬を飲まずに寝たふりしていたジェストさんは、そのときになにがなされたのか、しっかり見ていたのだろう。
「……どういうこと?」
レスターが低い声で問う。
先ほどから縄をかけたままに見せかけるよう縛られているが、好きに動かしているレスターと違って、私はいまだ壁にもたれなければ、下半身に力が入らず、座っていることすら難しい。
やっぱり、何かされたんだ。
私の異変に気付いていなかったレスターが、叫ぶ。
「いったい何をされたんだ⁉」
それと同時に、暗い牢獄の格子の向こうから、ガシャンと金属音が鳴り響いた。
私の鼓動が跳ねた。
口を噤んだレスターと、手早く上着で手元を隠したジェストさんが、私をかばうように座り直す。
ゆっくりと階段を降りてくる足音を、私たちは固唾をのんで待ち構えるのだった。




