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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第三章 記憶

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第二十二話 善良な仮面

 翌朝、誰にも起こされることがないせいか、少しだけ寝坊してしまった。皆だれもが忙しいなか、用事がないのは私だけ。放置されるのも仕方が無い。支度をして部屋を出ると、領主であるティセリウス伯爵夫人とそのご令嬢とともに、領地の視察に向かった殿下を見送った後の侍女たちと遭遇した。

 彼女たちに取っておいてもらった朝食を受け取り、今日の予定を聞かされる。昼には護衛が交替のために戻ってくるから、その一人を伴って診療所に向かうようにとのことだった。

 それならば午前はやることもないので、侍女たちの仕事を手伝った。殿下の身の回りは領主館の者に託すわけにはいかないので、普段はしない洗濯や細々としたものの準備に忙しいらしい。必要なものは替えがきくよう余分に持参しているが、ことデルサルト派閥に与する貴族家の視察の場合は、領主たちに舐められないよう気を遣うのだそう。それで二日の滞在なのに大荷物なのねと、彼女たちを労る。

 そうして侍女たちを手伝っていると時間が経つのはあっという間で、気づけば昼近い。先に食事をいただいて出かける支度をしていると、護衛の者が戻ってきたと知らせが届く。昨夜と同じように町娘の服を着て、金貨の入った革袋をポシェットに入れて部屋を出た。

 領主館から繁華街を抜けると、そこは普通のよくある商店街通りが現れる。人の行き来があり、買い物客にあふれ、昨夜の景色とはまた違うこの領地の顔が見えた気がした。そこをまるで買い物客のような顔で通り過ぎ、水路のある住宅街にさしかかったときだった。


「待て、どこに行くつもりですか?」


 声をかけられ振り返る。するとそこに居たのは、なんと近衛の制服ではないレスターだった。ずんずんと歩み寄る彼に警戒して、私を後ろにかばう護衛兵。そんな緊張に気づいて、私は前の護衛の腕を引いた。


「あの、彼は視察についてきた近衛の一人です」


 しかし護衛は警戒を解かず、レスターに向かって「近衛ならば身分証を」と提示を求める。当然ながら、レスターは服の下にかけてあった銀製のペンダントを取り出し、護衛に見せる。

 そうしてようやく警戒を解いてもらえたので、私はレスターにどうして声をかけたのか問う。すると……


「非番で街を散策しているときに変な噂を聞き、あまり街を歩かない方がいいと思って声をかけました」

「我々は殿下の指示で、この先の診療所へ行くところだ。変な噂、とは?」

「それが……」


 レスターは私の方をちらりと見て、言いよどむ。それを不審に思った様子の護衛が促す。


「教えてください、バウアー卿」

「ここ最近、街中で若い女性が数人失踪しているようです。その特徴が、彼女にも共通するらしく」


 失踪とは、穏やかではない。しかし殿下とともに会った密出国の仲介業者がいるくらいなので、行方不明を失踪として扱われているのだろうか。しかし女性のみではないはずだし、共通する特徴とは…


「レ……バウワー卿、その特徴ってどういったものですか?」

「それが、金髪で瞳が紫、もしくは赤という者が、ここ最近立て続けにいなくなっているそうです。そこの商店の娘さんもいなくなったばかりというのが、たまたま耳に入り詳しく聞いてきたところでした」


 金に紫って、そのまんま私ではないか。驚いて私と護衛さんが顔を見合わせていると。


「急ぎの用事でなければ、領主館へ戻ることを勧めます」

「そういう訳にはいきません。殿下から診療所へ寄付するよう命じられています……それくらいならすぐ済むはずですし」


 レスターの心配は分かるけれど、この機会を逃したら、もうサイラス医師と会う機会は訪れないだろう。そんな焦りが見てとれたのか、レスターが思いがけない申し出をしてくる。


「よければ、私もご一緒しましょう。これでも騎士です、何かあってもお守りします。お二人はどちらまで?」

「この先の住宅街の外れにある、診療所です……しかし」


 護衛が考えあぐねているので、私は「ぜひお願いしましょう」と説得する。昨夜の医師の様子から、治安があまりよくないのは察している。けれども一旦戻ったとしても、護衛を増やすのは容易ではないだろう。

 護衛としても、私を守るためにリスクを犯す必要はないのだ。彼はあくまでも、殿下をお守りするために働いていて、その命に従って今は私を護衛するにすぎないのだから。


「それではバウアー卿、何かあったら私の指示に従っていただけますか?」

「もちろんです、今は非番ですので、近衛という立場は忘れてください」


 レスターも、立場の逆転を受け入れてくれた。

 そうして三人となって、私たちはサイラス医師の営む、診療所に向かうことになった。怪しげな事件の匂いに緊張が高まったものの、今は真っ昼間。そうそう怪しい人物に出くわすわけもなく、すぐに古びた診療所にたどり着いた。

 そこは古い木造の建物で、赤い瓦屋根には苔が生え、壁には補修の後がいくつもある。財政が厳しいのはすぐに見て取れる。かつて貴族相手に主治医をしていた医者の営む診療所なのだから、もっと見栄えのよいところを想像していたのだけれど……


「こんにちは、サイラス先生はいらっしゃいますか?」


 患者も一通り診終わっているのだろう、人気のない玄関から声をかける。

 すると奥の扉から老婆が出てきて、頭を下げている。どうやら彼女が最後の患者のようだ。感謝の言葉を受けているのは、昨夜も会ったサイラス医師だったから。

 玄関まで出て老婆を見送ると、サイラス医師は私に「中へどうぞ」と招いた。

 診察室のような部屋は、簡素なベッドがひとつに、椅子がいくつか。それから木製の古い机が置かれているだけだった。


「もしよろしければ、そちらの護衛の方々にはお茶を……おおい、リイザ」


 呼ばれて奥から出てきたのは、とても痩せ細った若い女性だった。医師に言われて頷くと、どうやら彼女がお茶を出してくれるようだ。


「あの、寄付の話をしたいので、お二人は外で待っていてもらっていいですか?」


 そう切り出すと、護衛兵は素直に頷くが、レスターは「え?」と躊躇している。けれどもリイザさんがお茶の乗った盆を手に二人を、待合に導くと結局素直に従うしかない様子で渋々出ていく。

 それを見送り、私はサイラス医師と向き合った。


「約束通り、寄付をお渡しに来ました」


 私は用意してあった革袋を取り出し、彼の机に置いた。もちろん、金額を交渉すると言ったのは冗談で、殿下からの指示通りを用意した。

 サイラス医師はそれを手に取り、中を見て驚いたような顔をする。


「ごらんの通り、経営が苦しい市民診療所です、助かります」

「薬代などに、役立ててください」


 そこでリイザさんが戻ってきて、私にもお茶を出してくれた。それを受け取って、ようやく椅子に座る。


「ひとつ、お聞きしてもいいですか、サイラス先生」


 すると彼も分かっていたとでも言いたげに、背もたれのある椅子に深く腰掛けた。


「どうぞ、コレットさん」

「誰の指示で十年前、令嬢の死亡診断書を書いたんですか?」


 単刀直入すぎただろうか。サイラス医師は目を見開き、そしてしばらく考えた後に小さくため息をこぼした。


「少し、長い話になる。どうぞ飲んでください」


 サイラス医師も出されたお茶に口をつけ、私にも勧める。


「かつて私は、どうしても金が必要だったのです。妻が……重い病にかかってしまいまして」


 彼の話に耳を傾けながら、私は香ばしい風味のお茶に口をつけた。


「当時は治療法として唯一有効とされていたのが、非常に手に入りにくい薬草でしかも高価、ほとほと困り果てていた時に、知人から紹介されたのがリンジー=ノーランド伯爵夫人でした。それまでも金にがめつい医師と揶揄され、仕事が出来にくくなっていたので、まさに渡りに船でした」

「リンジー=ノーランド、伯爵夫人」

「当時からあまり良い噂のない女性でしたな。かつての婚約者だった男の後妻におさまり、財産を思うがままにしている毒婦。末端の医師である私の元にも……いや、私のような不良医師だからこそ、耳にしたのかもしれませんが」

「その話題は聞きたくないので、経緯を話してください」


 私の拒絶に、サイラス医師が察するには充分だったのだろう。彼は眉を寄せて頷いた。


「主治医として契約するのと、ほぼ同時でした。娘……伯爵家の唯一の生き残りである令嬢を、死んだことにしたい。いくらでも金を積むから嘘の診断書を書けと言われ、その要求をのんでしまったのです」

「病気の奥様のために……?」

「はい、それがどんなに酷いことなのかは、分かっています。結局妻は、それから半年足らずで亡くなってしまい……儂は自責の念に押しつぶされそうになりながら、この地に逃げたのです」


 うつむき、ぎゅっと握られた拳は震え、揺れる肩。

 どれほど後悔の中にいたのだろう。大丈夫、それは医師としては許されない罪だけれども、私はむしろ…………

 そう老人を慰めようと思うのに、口が動かない。それどころか、肩を揺らす老人の姿が、かすんでいく。


「……サイ、ラス、せんせい、なんだか、私……おか、し」


 ろれつが回らないなかで、懸命に不調を訴える私に、サイラス医師が顔を上げた。

 驚くことにその顔には、はっきりと笑みが浮かんでいた。

 震えていた肩は、堪えきれない笑いとともに、激しく揺れる。その顔には殊勝な色は一切なく、愉しそうに歪んでいて。


「あんたの死亡診断書を書いてやっただけで、見たこともないほどの報酬を得られたよ。本当に悪い女だ、噂通りイカレてる……ははは」

「や、っぱり、あなた……私に気づいて……」


 私はふらつきながら、後ろを振り返る。倒れる椅子に、足を取られそうになるけれど、這うようにして扉にしがみつく。

 おかしい、大きな音がしたのに、隣にいるはずの二人が反応しない。

 まさか、女性の出したあのお茶にも……?

 倒れ込むように待合室に出ると、床に倒れている護衛とレスターが目に入った。


「レ、スター……」


 いやだ、レスターを助けないと。どうして連れて来てしまったのだろう。あの子は、私の大事な弟で、姉の私が守らなくちゃならないのに。


「薬の効きが悪いな、おい、追加の針を持ってこい!」


 低い怒鳴り声が後ろから聞こえた。病気の妻の話は嘘だったのだろうか。貧しい診療所を運営する、善良な医師の姿は、仮面?

 とにかく今はレスターを守らなければ、そう思って手を伸ばした時だった。肩に鈍痛が走るのを感じると、振り返る暇もないうちに、私の意識は闇に落ちたのだった。

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