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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第一章 新しい職場
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第二話 無職は困ります

本日二話同時投稿

「受け取りようによっては、左遷よりも酷いと感じるかもしれないね。だが仕事内容は至極真っ当なものであると保証するし、これまで以上の報酬を提示する用意があります」

「え、お給金が上がるんですか?!」


 つい食い気味に返してしまって、我に返る。

 咳払いをしながら前のめりの姿勢を正す。本の山の向こうで王子の頬が引きつっているのは、気のせいということにしておきたい。


「レイビィ嬢、給与はまず庶民納税課の頃の、三倍ほどでと考えています」

「さ、三倍⁉」


 叫んでしまってから、あわあわと両手で口を塞ぐ。

 とはいえ、ハインド卿の提案に驚愕してしまうのも仕方が無いと思う。庶民納税課のお給金だって、私のような若い女性の収入としては、破格の金額だったのだ。その三倍というと、あの嫌みな上司よりも高給取りになるかもしれない。そりゃあ、ここに辿りつく前に邪魔されるかもという、上層部の判断は間違ってない。

 だけどそんな高額な仕事、ぜったい怪しくない?

 そんな私の疑念など、お見通しだったのだろう。ハインド卿の言葉を補完するように、王子殿下が自ら説明してくれた。


「高い報酬は、実務の対価だけではない。機密保持を要求する仕事だからだ。業務は私の私財管理。帳簿を把握するということは、王族の動向が筒抜けも同然。公務には予算として公費があてられるが、私的な行動には私財を使っている。だが同じ視察のなかでもそれらは混ざることがあり非常に複雑だ。私財には王族といえども納税義務が生じる、その必要手続きのための知識を有する者を探していた」


 王子殿下が忌々しそうに見つめるのは、今まさに目の前に積みあがっている書類の山。

 なるほど、つまり家計簿管理みたいなものか。でもそういう業務って通常は……


「殿下が早く妃を得てくだされば、レイビィ嬢を雇わなくともこの問題は解決するのですが」


 ハインド卿が横から、代弁してくれた。

 そうよ、貴族家でも家計簿管理は妻の仕事であり、家令とともにこなすのが普通なはず。

 だが当の殿下は、ハインド卿の言葉に、僅かに顔をしかめている。


「居ないものは仕方が無いだろう、いいかげん五月蠅いぞヴィンセント」


 そういえば王子殿下は確か、御年二十二歳。婚約者がいてもいい年齢なのに、そのような話を聞いたことがない……


「すみません、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「なんだ、言ってみろ」

「私は平民です。仕事の都合上、大きな金額を扱うのに慣れているとはいえ、王子殿下の私財を管理するだなんて恐れ多すぎます。他に……例えば貴族令嬢なら、そういう財産管理を学んでおられる方が、大勢いらっしゃるのでは?」

「無理だな」


 王子殿下に即時却下されてしまった。

 私の提案は、決して的外れではないはずだ。貴族子女へ教育を施す学園も用意されており、資産運用と管理はもちろん、国法についても学んでいるはず。貴族令嬢とて、着飾って社交界でもてはやされるのは人生のうちほんの一時でしかない。いずれ嫁ぐ家の財産を上手に管理し、運営していく能力がなければ、実家に戻されることもあると聞く。

 なのに「無理」と断言してしまうその理由とはなにか。


「コレット、残念ながら、それについては殿下の言う通りです。貴族令嬢に財産管理を任せた時点で、その方が殿下の婚約者と受け取られてしまいます」

「ああ……つまり、誤解を生みかねないから、ご令嬢では不可ということですか」

「はい、ですのでレイビィ嬢の任期は、次期王子妃が決まるまでとなります。大変申し訳ありませんが、後任が決まった暁には、誠意をもって次の勤め先を用意します。もし希望があれば、申し分ない相手への嫁ぎ先を……」

「いえ、仕事は助かりますが、嫁ぎ先の斡旋はいりません」


 遮るようにして断りを入れると、殿下とハインド卿が顔を見合わせる。

 けれどもこうして説明されてみたら、ああそうかと納得せざるを得ない。短い期間の仕事だからこそ、給料で上乗せがあるのだろう。短ければ一年、長くても三年だろうか。三年あれば充分すぎる貯金が……

 いやいやいや、計算してどうする私!

 ついお金に目がくらんで……ぐぐぐ。

 気を取り直して、私はさらなる疑問をぶつけてみる。


「でも会計士なら、私でなければならない理由はありませんよね。そのお給金でしたら、短期でも名乗りを上げる男性は少なくないはずですよ」


 これで翻意してもらえなかったら、あとは病弱設定か泣き落とししかない。

 そう考えて構えていると、ハインド卿が王子殿下をチラリと窺い、困ったような顔を見せた。


「それについては、少々事情がありまして……適任がいないといいますか」


 急に歯切れが悪くなった気がするけれど、私の立場でそれ以上突っ込んだことを聞けるわけもなく。

 ええい、ままよ。


「あの、実は私、持病を抱えていまして……お側にお仕えするには差し障りが」


 すると王子殿下の冷たい声が返ってきた。


「……事前調査では、実に健康そのものと報告を受けているが?」

「母が臥せっていて……」

「食堂で人気の給仕だそうな」


 なんでそんなことまで!

 怯む私に、殿下は続けた。


「役場に内緒で、露天市場の店主に帳簿指導の副業を……」

「わー、わー、やめてください!」


 なんでそんな事まで調べてるんですかっ!

 青くなった私に、王子殿下がヒラヒラと紙を掲げて見せる。


「近所の評判では、金の計算だけ(・・)は嘘をつかないそうだな」


 目を細めて口角を上げる殿下は、まるで獲物を追い詰める獅子のよう。

 殿下が厳格で人嫌い、偏屈で気難しいお方らしいという巷の噂を、ふいに思い出した。


「ええと、このお仕事をお受けするかどうか選択権は……」


 私にあるのだろうか。

 まるで猫に追い詰められたネズミのような心境で、恐る恐る訊ねると。


「もちろん好きに選べる。三倍の給金を取るか、元の職場の上司に頼み込んで復職するか……それを厭い結果的に無職になるか」


 ひ、酷っ!

 でもそれもそうだよなと、納得する部分もある。一国の王子様から直々の徴用を、平民が断ればまあそうなるよね。元の職場に戻りたいと言っても、あの上司が私のための判子を押すはずがない。ちなみに、庶民納税課の会計士任命は、課長の推挙による本院への書類提出が必須だ。

 降参のため息をつくと。


「何が不満だ? 報償が足りないならば、一定期間で査定を実施し、その評価次第で更に上乗せしてもいいぞ」

「ええ、これ以上にですか⁉」


 っと、つい大声を出してしまい、ハッとする。


「あ、いえ……その、それは結構です」


 お金は大好きだけれど、あまり欲をかくとろくな事は無い。

 私は気を取り直して、危うく罠にかかって緩みかけた頬を引き締める。

 王子殿下の側に移動したハインド卿の肩が揺れている気がするのは、この際気がつかなかったことにしたい。

 こうなったら、腹を括るしかないだろう。


「あの、私の方から条件というか、お願いが一つあります」

「内容による、話してみるがいい」

「ありがとうございます……なるべく、人と出会わずに済むような仕事場をいただけたら、助かります。私は平民です、それも下町と呼べる地区で育ちました。いくら学ぼうと、いざという時に身分の高い方への接し方で、失敗をしてしまいそうで怖いのです」

「堂々と私と交渉しているどの口が、それを言うのか」


 散々、出まかせで回避を試みたせいか、信用してくれないようだ。


「いいえ殿下、今でも緊張で心臓が口から飛び出そうです、平気な振りをしているだけで……どうか、ここよりももっと奥まって容易に人が出入りできないような、目につかない隅っこに置いてください」


 私は口元を指で押さえて、伏せ目がちに足先前方二メートル地点に、視線を落とす。

 これ、庶民納税課の人気受付嬢レリアナ直伝の、追求回避技。ただし多用厳禁との注釈つき。


「……まあいい、その条件は許可しよう。元々、溜まりに溜まった仕事の仕分けから入らねばならない、問題はないだろう」

「ありがとうございます、ご期待に添えられるよう、務めさせていただきます」


 私はそう言いながら、深々と頭を下げた。内心ではレリアナに向けて……

 そうして思いもかけない上司との対面から、ようやく解放されることになった。


 ……ああぁ、びっくりした。

 肩の力が抜けたのは、来た時と同じくハインド卿に案内されて、城門を出たところだった。

 まさか、王子殿下の元で働く羽目になるなんて、誰が想像しただろうか。


「レイビィ嬢、本日はこちらを持ち帰ってください」


 手を取られて握らされた小さな革袋には、ずしりと覚えのある感触が。


「ハインド卿、これって……」

「支度金です。毎日城門をくぐって殿下の執務室まで通うには、色々と準備が必要でしょう。こちらも経費として、受け取ってください」

「ありがたい申し出ですが、さすがにこれは多いと思います」


 押し戻そうとした革袋を、逆にハインド卿の大きな手で握り込まされてしまう。


「初出仕日は、明後日です。業務もかなり溜まってしまっていますので、しっかり準備をしていらしてください。それでは当日、またこちらでお待ちしています」


 穏やかながらも有無を言わさない微笑みに、今後の未知なる日々への緊張感が増す。今までのような、イヤミを言うがどこか足りない上司や、ちゃっかり目端がきくが気の良い商人たちを相手にするのとは、訳が違うだろう。

 嫌が応にも、ため息が出てしまう。

 ああ、やっぱり断ることは許されなかった。なんでこんなことになったのだろう……いやそもそも、軽率に推薦状を書いたバギンズ子爵もどうかと思う。


「父さんと母さんに、このこと何て報告したらいいのかしら」


 私は大きなため息をつきながら、重くなる心と足を引きずり帰路についたのだった。


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