第十四話 尋問タイム
私は咄嗟に、レスターの背に身を隠して反対方向を向く。
殿下がどうしてこのような庶民のカフェに出入りしているだろう、お忍びだろうか。ならば裏口から出入りするはずだから、正面玄関に通じるこちらには来ないはず、いや、来るなと心で祈りながら声が遠ざかるのを待つ。
けれども、足音が遠ざかる気配がなく、それどころか静寂が訪れる。
「そこで、なにをしているコレット?」
ひいいっ、見つかった。
観念してレスターの影から顔を出すと、正面には殿下と苦笑いを浮かべたヴィンセント様。その後方には私室を警護する顔見知りの護衛もいる。皆が可哀想な者を見るかのように、こちらの様子を窺っている中で、ただ独りだけ厳つい顔の殿下。
「何をしているかと尋ねられましても、本日は休暇をいただいておりまして、ここは庶民も利用するカフェです殿下」
殿下はお忍びらしい、普段着ることのないような軽装だった。でも殿下の燃えるような赤銅色の髪は、他に類を見ないものなので、お忍びになっているのかどうかは疑わしい。
その殿下はというと、私というより呆然としているレスターの方をじっと見ていた。
「そんなことは分かっている。そちらの男は……顔を見たことがあるな」
その言葉を受けて騎士という立場のレスターも黙っているわけにもいかず、素早く踵を揃え背筋を伸ばし、右手を胸にあてながら騎士の礼を取る。
「近衛隊所属、レスター=バウアーです」
その名乗りを受けて、殿下は黙って頷く。そしてちらりと私の方に視線を移してから、こう尋ねた。
「知り合いか?」
「偶然、下のカフェで会って声をかけられました」
ぎょっとして振り返るレスターに、私は殿下から見えないよう背中をつねる。
いいから、姉さんに合わせなさい。
「ほう、近衛騎士が下町をもうろつき、値踏みした女性に声をかけているという浮ついた噂は、本当のようだな」
そう言いながら目を細める殿下に、慌ててレスターを庇う。決して、弟は浮ついているわけでもなく、女性をナンパして侍らすような男ではない、これは彼の名誉のために捨て置けない話だ。
「そうじゃなくてですね、殿下。彼は三日前にマリオさんが倒れていたのを介抱した時に、通りかかってですね……」
「三日前、だと?」
殿下とヴィンセント様がなにやらこそこそと相談していると思ったら、殿下がずかずかと私たちに近づく。なにやら怖い顔をして……
「コレット、その件について、明日しっかりと報告させるぞ、いいな?」
「は、はい」
「それからレスター=バウアー。バウアー男爵家は長年、騎士を輩出する王家への忠誠高い家督だと認識している。その上で、あえて忠告をする。コレット=レイビィは家臣ではないが現在は私の部下だ、その意味を重々承知した上で行動するように」
そう告げられて、レスターは渋い表情をしつつも、了承の意を伝えて頭を下げた。
その様子に姉として私はホッと息をつく。
レスターには悪いけれども、殿下がかつて遭遇した私を少年として認識していること、そして生死を問わず今も探していることを知らせていない。だからレスターが私と関わりがあることを、殿下に悟られてはならない。レスターの経歴を辿った先に、どうしても過去の自分、コレット=ノーランド伯爵令嬢に行き着くのだから。
殿下はヴィンセント様と護衛を引き連れて、裏口から退去していく。それを黙って見送るのは私とレスター、そして会談相手だったダディスの関係者たち。
彼らもまた、そこに留まる理由がないのだろう。立ち去るのを私はレスターの影に隠れて見守る。その人だかりの中心に、長い黒髪の男性がいた。彼が、ダディスの長なのだろうか。
いや、知らない方がいいだろう。これまでも、これからも、権力のまっただ中で過ごしたくなければ。そう考えて、私は踵を返す。
今日はもう、レスターと二人で会うのは止めた方がいい。誰に見られているとも知れない。レスターには後で必ず手紙を送ることを約束し、そこで別れた。
翌日はいつも通りに出勤日。気が重いけれども、私はいつも通り殿下の私室にある、仕事場に向かった。
当然ながら、殿下の尋問が真っ先にあるだろうと覚悟して行ったのだけれど……
「留守、なのかしら?」
いつもの裏口に立つ護衛兵からは、部屋の主が不在であるとは聞かされていない。それとも既に執務室だろうか。肩すかしを食らった気もしないでもないが、少しだけ安心して仕事の準備にとりかかる。
殿下が留守の時は、たいがいヴィンセント様もそれに付き添っていることが多い。常に二人はセットで居る。実際にお忍びなはずの昨日もそうだ。あの殿下に常にくっついているだなんて、大変だなぁとヴィンセント様に同情する。他にも人を置けば、変な誤解をされることもないだろうに。
いつも通り仕事を始めようとしたところで、中庭に続く窓を叩く音がして振り返る。
誰だろうと近寄ると、庭師のマリオさんが私を呼んでいた。
「おはようございます、マリオさん。今日は殿下の庭でお仕事ですか?」
「ああ、おはようお嬢さん。そうなんだ、殿下の要望で庭を造り替えることになってね。それより、お嬢さんは儂を介抱してくれたことを、殿下に報告していなかったのかい?」
「大したことじゃなかったし、結局は介抱なんてしていないわ。マリオさん、もしかして殿下に問い詰められたりしちゃった?」
「問い詰めるって、そんな乱暴なことをしないお人だよ。ただ、何があったのか聞かれただけだ。だが……」
「ただ?」
「儂に会ったことは言わなくてもかまわんが、ジョエル坊ちゃんに会ったことは、話しておいた方が良かったかもしれないよ」
「え、そうなんですか?」
マリオさんが困ったように微笑む。額と眉間、目尻の笑い皺がとても深いのは、長年に渡る日の下での仕事の結果かしら。
「親方、これはそこの倉庫にでも運びますか?」
「おい待て、そこは庭師用の倉庫じゃあない、端に積んでくれ」
親方として厳しい口調で話すマリオさんは、さっきまでとは別人のようだった。けれどもお弟子さんたちは慣れた様子で返事をすると、きびきびと石材を運び込み、庭の端の邪魔にならないところに積み上げていった。つるはしや木槌などの道具も持ち込んでいる。
庭を造りかえると言っていたけれど、ずいぶん本格的みたいね。
「あの小さな建物は、てっきり庭師のための倉庫かと思っていたわ」
殿下の庭は芝生を囲うように、白い幹の大樹が植えられ、その合間を中程度の高さの常緑樹があって、外から隔離されたような状態だ。小さな花も植えられてはいるが、ほぼ緑で彩りは少なそう。淡々と仕事をこなす殿下のイメージと合うというか、面白みがないというか。
「知らなかったのかい? あれは武器の保管庫だから、お嬢さんは近づかないようにな」
「武器? こんな城の奥に?」
「奥だから、必要なんじゃないのかね?」
殿下でもその身を狙われることなどあるのだろうか。
そう考えていると、マリオさんが倉庫を見つめながら、小さくため息をこぼす。
「昔は、あんなもの必要無かったんじゃがなぁ」
今は、必要ということ?
首を傾げていると、その倉庫の横の茂みをかき分けるようにして、人影が二つ現れる。
庭師たちがその人物を見て、慌てて道具を置いて庭を後にしていく。マリオさんも、殿下に頭を下げてから、弟子たちの後を追った。
「コレット、来ていたのか」
「はい、出勤時間ですので」
「もう、そんな時間だったか」
時間を忘れていたのだろうか、殿下らしくない。汗を拭いながら歩いてくる殿下と、その後ろから着いてくるヴィンセント様は顔が上気してほんのりと赤い。汗ばむというより、拭いきれないものを袖で拭き取っているくらい。
……二人で何をしていたのだろう。
というか、あの庭の奥にまだ先があったのは知らなかった。
そんな探る視線にすぐ気づくのは、殿下で。
「あの先には、絶対に入るなよコレット」
「言われなかったら、奥がまだあるのを知りませんでした」
「返事は?」
「はい、分かりました」
なんか、気になるんだよね。あの先が……
なんとなくそう思えて見ていると、殿下が私の頭に手を乗せて、ぐいぐいと引き寄せながら部屋に入る。ちょっと、いくらなんでもモノ扱いしないでください。文句を視線に乗せていると。
「あの先に、例の宝冠がある庭への隠し通路がある」
「え、あの先に⁉」
「そうだ、だから決して近づくなよ」
「わ、分かりました、絶対に、何があっても、近寄らないと誓います」
慌てて言い募る。もう二度と、失敗を犯してはならない。触らぬ神に祟りなし。
そうして部屋に戻ると、待ち構えていたようにアデルさんがやってきて、殿下とヴィンセント様に手布を渡す。殿下は既に涼しい顔だが、ヴィンセント様はまだ息が荒い。
「大丈夫ですか、お水をどうぞ」
少しだけ可哀想になって、グラスに水を注いで手渡す。それを受け取って一気に飲み干すと、ヴィンセント様は大きく息をつく。
「死ぬかと思いました」
「死なないよう訓練をしているのだろう、弱音を吐くなヴィンセント。お前は俺の鞘の役目を全うすると誓ったのだろう」
「確かに、誓いましたが……」
ヘトヘトな風でも、ヴィンセント様は色っぽい。元々優しげな顔立ちで丁寧な口調だからっていうのもあるけれど、殿下の物言いが……なんとも。
そんな違和感は私だけではなかったようで。
二人に汗拭き用の水桶と布を持ってきたアデルさんも、ほんのりと頬を染めながら口を挟む。
「殿下、男性からのその鞘という表現は、俗世では女性に対して使うものですので、お控えください」
それに対して殿下は怒るわけではないが、少々ムッとした顔で「分かっているが、真実なのだから他に言いようがない」と言い訳をしている。
「そんなことより、早速始めようかコレット?」
殿下がいつもくつろぐソファに座り、足を組む。そして顎で向かいの椅子を示す。どうやら、尋問タイムが始まるようだ。
私は素直に座るが、気分はまな板の上の鯉である。
「マリオから詳細を聞いたが、おまえからも一応、確認をしておく。ジョエル=デルサルトに会ったのは事実だな?」
「はい、お会いしました。ですがマリオさんの介抱を頼まれただけで、他にはなにも」
「渡り通路の手すりを、侍女のスカート姿で飛び越えて見せたのが、なにもないと?」
ぐう、そ、それは……つい。
「そこでジョエルを探しに来た、近衛騎士バウアー男爵令息に見初められ、ジョエルもまたおまえに興味があると直接告げたというのも?」
え、それはマリオさんから、デルサルト卿は悪い冗談を言う人だって聞いたから!
「ヴィンセントと別れてこの部屋まで、おまえのその短い足で歩いても約二百歩足らずのこの距離で、どうしたらそこまでの出来事に遭遇するんだ、おまえは!」
「そんなの私に言われても困ります! それに短くありませんので百八十歩くらいで着きます!」
「なお悪い!」
殿下はこめかみに指をあてて、ため息をつく。
いやいや、ため息つきたいのはこっちです。レスターと私の命がかかってるんですから。
「それで、昨日は訪れたカフェで、そのバウアーに何を言われた?」
「なにって……そんなの殿下に言う必要がありますか、休日ですよ、プライベートの保証があるはずです。それとも殿下の趣味は出歯亀ですか」
「出歯……おまえの恋愛になど、興味はない。だがジョエルが関わっているとなったら、話は別だ」
「デルサルト卿……?」
「ああ、あの者のことは私はよく知っている。おおかた、部下の好意を利用して、私の手の者に近づくよう煽ったのだろう」
「煽る? どうやっ……」
私はレスターの言葉を思い出す。
──閣下がコレットに興味があるみたいだった。
まさか、ねえ?
「そこで確認をしておきたい」
殿下がじっと私を見る。いったい何を確認するというのだろう。なんだか緊張感で喉が渇く。キョロキョロと周りを見回していると、アデルさんが水差しを交換してきてくれた。飲んでもいいかと殿下に尋ねると、好きにしろとのお返事が。
安心して受け取り、カップに口をつけた時だった。
「コレットはあの男、バウアー男爵令息の求婚を受けたのか」
ごぼぼぼぼっ
む、むせ、た…………苦しい。
 




