第十三話 ペアリング?
数日後、私は久しぶりの休日を迎えていた。
とはいえゆっくりしていられる性分でもなく、いつも通り起きると、父さんは既に仕事に出かけてしまっていて、母さんがのんびり朝食を食べているところだった。
「忙しいのは終わったかと思っていたのに、相変わらずなのね父さん。体を壊さなきゃいいけど」
「私もそう思ったのよ、でも今日は付き合いのある得意先……ダディスといったかしら? そこのお偉いさんが、久しぶりに王都に戻って来ているらしくって、その人と朝から会うために仕方が無いみたい。コレットも、ようやくお休みなんだから、ゆっくり休んでちょうだいね?」
「私は大丈夫よ」
ダディス、か。相変わらず手広く商売をしているらしく、父さんの口から今もその名をよく聞く。けれども、どういう人物がダディスを取り仕切っているのかは、さっぱり聞こえてこない。さすが情報を売り買いするだけはある、といったところか。
そんな事を考えながら、自分の分のお茶を淹れる。座って食べ始める頃には、母さんも出勤していった。
独りになってゆっくり朝食を食べた。せっかくのお休みなので、部屋の片付けをして、たまには忙しい両親の代わりに、市場へ買い出しに出かけるつもり。
そして家を出ようとしたところに、郵便配達人がやってきた。
受け取って送り主を見ると、レスターからだった。正確にはレスターの家の使用人の名前が書かれていて、一般庶民の郵便配達で送られてきているのだけれど、これは私たちの知られてはいけない秘密のやり取りであり、いつものことだった。
出かける前に受け取れて良かった。手早く封を切り、中を確認する。すると思いがけない提案が書かれてあり、私はその手紙をポケットに収めて、急いで家を出た。
レイビィ家は市場のすぐそばだ。ここで育った私は、市場通りのほとんどが顔見知り。
だから日用品はそこで買うが、遊びを含むのならば他の通りに向かう。そして今日はかなり離れた場所にある、庶民と貴族の利用する店が混在する、少しだけ上流な商店街へ向かった。
その商店街の中に、開放的なテラスのあるカフェが一軒ある。そこのテラス席は街の人々がよく利用していて、二階の個室は主に庶民の商人と貴族の使者、もしくは下流貴族たちが会席に使用することがあるらしい。
私は飲み物を注文してテラス席に座ると、それほど間をおかずに待ち人がやって来た。
「待たせたかな?」
息を切らしながらやってきたのは、レスターだ。
「ううん、今来たところよ。そんなに急がなくても大丈夫なのに。あなたも何か飲む?」
「いいよ、すぐに姉さんと一緒に行きたいところがあるから」
「そうなの? じゃあ急いで飲むから待って……あ、飲みかけなのに!」
お気に入りのハーブティーを一口攫われ、子供みたいなことをしないのと叱ると、レスターは屈託なく笑って「我慢できないくらい、喉が渇いてたんだ」と笑って隣の椅子に座った。
彼が長い足を組んで座ると、近くにいた婦女子がそわそわとこちらを窺っている。
今日は地味な服装で来ているとはいえ、レスターのハニーブロンド……私にとっては美味しそうなマロンクリーム色の髪は、彼の整った甘い顔立ちをさらに引き立たせるし、その明るい表情には誰もが魅了される。目立つなと言う方が無理というものだ。だから個室を使うつもりだったのに。
私は一気にお茶を飲み干し、立ち上がった。
「行きたいところってどこなの? 早く行って用事を済ませて、ゆっくりお喋りできるところに落ち着きましょうよ」
「そうだね、姉さん。じゃあ行こうか」
上機嫌なレスターが、私に手を差し出す。
いやいや、いくら姉さんより頭一つ分大きく成長したからって、姉さんは姉さんなんだから。お手々繋ぐ年でもあるまいに。
そう思って眺めていると、まるで子犬のようにしゅんとするレスター。
「もう、いつまでも子供なんだから」
仕方なく彼の手を引いて歩き始める。だけどいつの間にか、大きな歩幅に追い抜かれ、結局は私の方が引率される子供に見えるのだから不公平だ。
だが不満を言う間もなく、目的のお店に着いたらしい。レスターが扉を開けて入るよう促してきたのは、なぜか宝飾店。首をひねっていると、背中を押された。
「実は、姉さんにも選んでもらいたくて」
いらっしゃいませと優雅に挨拶をする店員さんの質が、先日レリアナと訪れた宝飾店とは段違い。
「もしかして、レスター、あなたにもようやくお目当ての人ができたの?」
「なんでそうなるんだよ!」
あら、違うの? レスターが頬を膨らませて不機嫌になる。
そして私の手を取って、左手の薬指に嵌まる金細工の指輪をなぞった。
「これと同じようなものを、作ろうと思ってるんだ」
「へ? 私のと?」
「そう、ちゃんとしたのを僕が買うから、姉さんのも新調する?」
「え、ちょっと、なに言ってるのよ。これは単なるダミーだから……」
「ダミーなら、なおさら僕が買ったものでもいいってことでしょう?」
まあ、そう言われれば確かに、何でもいいのだけれど、仮にも男爵家嫡男のレスターは、そういうわけにいくまい。
「……待って、落ち着こうかレスター?」
私は店員さんに謝って、二人で並んだ商品が見たいからと並ぶショーケース前の椅子を借りた。
「なにかあったの、レスター?」
「三日前、王城で偶然に僕と会ったろう?」
「そうね、あの時はビックリしたわ。その後、あなたに何も問題は無かった?」
「僕が言ったこと覚えている? 姉さんが好みのタイプだって言ったことを、閣下が覚えていて……どうも姉さんに興味があるみたいなんだ。まさか本気ではないだろうけど……だったら僕が姉さんに指輪を贈って、受け取ってもらったってことにしたら、ちょうど良いんじゃないかなって思ったんだ」
あの苦しい嘘を本当に見せかけるってこと?
レスターは私に危険が及ぶことを心配して、自分の立場を顧みずに守ろうとしてくれているのか。相変わらず、なんて優しい子なんだろう。でもそんなことをしたらレスターを私の事情に巻き込んでしまう。
「レスター、あなたがそこまでしてくれなくても大丈夫よ? 私は滅多に仕事場から出ることはないし、殿下とデルサルト卿は互いを訪ねるほど親しくないって聞いているわ。それに庭師のマリオさんも、デルサルト卿は悪い冗談を言ってからかう癖があるって笑っていたもの」
「姉さん、甘いよ」
甘い? そうかしら。
しかしレスターはいつになく真剣な面持ちだった。
「なにも閣下のことだけじゃないんだよ。姉さんのそのダミーのリングの相手が誰なのかと、身分の高い人物に問われたら、どう答えるつもりだったの?」
そう問われて初めて、何も考えていなかったことに気づく。
「そうねぇ。市場の幼なじみ、ダニエルくらいを生け贄にすればいいかなって」
「ダメだよ! 貴族にとって平民の口約束の相手なんて、吹けば飛ぶくらいのものなんだぞ。そのダニエルにお金でも渡しに行かれて、嘘がバレたらどうするつもり?」
「いやいや、姉さんの相手が気になってそこまでする人なんていないから。そもそも殿下やヴィンセント様、どう見ても妻帯者な護衛さんたちくらいしか関わりないし」
「だから、閣下がなぜか、姉さんに興味津々なんだってば。いいかい姉さん、貴族なんてどこか変わった人ばかりだ。姉さんみたいに平べったい体でも……痛っ!」
変な趣味にマッチした体型で悪かったわね。頬を思い切り摘まむと、レスターも失言に気づいたようで「ごめんってば」と謝る。
「もう冗談じゃなくてさ……姉さん、閣下にいったい何をしたんだよ、僕が行く前にさ!」
ええと……もしかして、飛び越えたアレのことかしら。
気まずくてレスターから視線を外す。
「心当たりあるんだね、分かった。今回ばかりは、僕の好きにさせてもらうから」
レスターは私の手首を掴み、店員さんを呼んだ。
「すまないが、彼女のリングとお揃いに見えるような似たものを探して欲しい」
「金細工のものですね、女性用、男性用のどちらを?」
「できれば両方、少なくとも男性用を必ず」
「かしこまりました」
店員さんがにこやかに頭を下げ、去って行く。
「ちょっと、レスター?」
「姉さ……いや、コレット。僕たちの絆の証だよ」
急に名前で呼ばれたので、ぎょっとしていると、レスターは私の手を持ち上げ、その薬指に唇を寄せた。
店員さんたちの、吐息のみの声に出ない悲鳴を聞いた気がした。
や、ちょっと、姉さんになにするのよ。そう言い募ろうとしても、小さな囁きがそれを邪魔する。
「外で呼び方を失敗しないように、これからは名前で呼ぶからね」
ぎゃーー、その長い睫を利用した流し目は、なに! 女の私より色っぽいってどういうこと?
いったいどこで教わってきたのか、後でじっくり姉さんに教えてもらおうじゃないの。覚えてなさいよ、弟のくせにーー!
そうしてまんまと嵌められたような形で、レスターはまるでお揃いのような指輪を購入してしまった。
運よく……いや、良いと言っていいのだろうか。たまたま今まで嵌めていた指輪と似た細工の、男性用リングがあったのだ。それを手早くサイズ調整をしてくれて、めでたく退店時にはレスターの薬指に嵌まっていた。
何故だ。
薬指のダミーでなくとも、私はいつだってレスターとお揃いを持つことには不満はないのに。いつも一緒にいてあげられなかったからね。
ふと隣を歩くレスターを見ると、自分の指に嵌まる指輪を見て、とても嬉しそうだ。
「……まあ、いっか。レスターが喜んでいるなら」
「なにか言った?」
「ううん、ところで元のカフェに戻るの?」
「ああ、個室を予約しておいたんだ。ゆっくり喋れる場所に行こうって言ったのは姉……コレットだろう?」
「そうね、ここじゃ詳しくは話せないものね」
そうして私たちは宝飾店を出てから人通りの多い道を歩き、最初に待ち合わせたお店に戻る。
二人で会う時は、レスターからは仕事のことや、養い親であるバウアー男爵夫妻のこと、それから継母の様子などをよく聞く。私からは仕事のことは話せないけれど、レスターの話が聞けるならばそれで満足だ。
そうして再び訪れたカフェの個室に向かうべく、二人で階段を上がっていた時だった。
前を行くレスターが急に足を止めた。それに気づかなかった私は、彼の背中に顔をぶつけてしまう。ただでさえ大きいのに、階段で止まられたら前がまったく見えないじゃないか。気をつけてよね、そう言おうとして、レスターの異変に気づく。どうやら前方の個室からぞろぞろ出て来た客たちを、注視しているみたい。
レスターの、知り合いかしら?
だがその中から、聞き覚えのある声が届き、私の全身がギシリと固まる。
「急な要請だったにも拘わらず、時間を取ってもらい、感謝する」
「とんでもございません、殿下。こちらこそ、仕事の都合に合わせてこのような場所までご足労いただいて、恐悦至極でございます」
「いや、ダディスにはこれからも協力を願わねばならぬからな」
で、でで、殿下……ここでいったい何をーーーー⁉




