第十二話 ピンチに次ぐピンチ
ええと、呼び止められたのはこの私でしょうか?
と自分で自分を指差すと、その煌びやかな若い男性が頷く。
そうか、侍女の服を借りて着ているからか。そう気づいて、諦めて歩み寄ると。
「ここを通りかかったところ、庭師が倒れているのを見つけた。日陰に移したが、介抱を頼みたい」
「え、倒れた⁉」
慌てて手すりからのぞき込むと、彼の足元に庭師のおじいちゃんが壁を背にもたれて座り込んでいた。
「人手を呼んできます、すぐに医務室に運ばないと」
「いい……だいじょうぶ、そこまではしなくても」
おじいちゃんが私を見上げて弱々しい声で制止する。彼は殿下の部屋とつづく中庭でも一度だけ見かけたことがある。赤い顔をして帽子を仰いでいる様子から、どうやら落ちたり怪我を負っているわけではないみたい。
「今日は日差しが強かったようで、油断してしまいました……申し訳ありませんジョエル坊ちゃん」
「無理をするな、もう年なのだからな」
王宮の奥を管理する庭師は、警護の面から限られた者しか任されないと聞いた。きっと彼はここで長く勤めているのだろう、二人の様子からそんな風に感じられた。
しかし本人が大丈夫と言っても、信用できない。私は渡り廊下から庭への出入り口を探す。前と後ろを見ても、ここからは遠い。ならばと、私は躊躇することなく廊下の縁に手をかけた。
「おい、何をする気だ?」
デルサルト卿が私を止めようと手を出した時には、力をためるように膝を曲げて、思い切り床を蹴った後だった。
そしてこれが侍女にあるまじき行為であることに気づいたのも、スカートを押えながら横向きに飛び越え、着地してから。
見開いたエメラルドの瞳に、純粋な驚きの色、そして次の瞬間にはその目が細められた。
「見慣れない顔だな、どこの担当だ?」
「え、あの……王子殿下つきの侍女頭、アデル様の元で見習いをさせていただいております」
「へえ……ラディスの」
その返答に、私の背筋が凍る。
殿下を呼び捨てにできるのは、王家の血を持つ者しかいない。しかも同年代といったら、たった一人。王弟デルサルト公爵の子息、ジョエル=デルサルト様のみ。
まずい、やってしまった?
そう思った次の瞬間、別の声がかかった。
「閣下、お探しいたしました!」
近衛らしき人物が二人、中庭を走ってきたのだ。
だがしかし、私は別の新たな危機に直面して、慌てて庭師のおじいちゃんの世話をするふりをしてしゃがみ込む。
不味い、不味い、不味い。
あの声は、あの姿は、レスター! なんであんたがこのタイミングでここに来るのよぉ!
「どうした?」
「近衛本部でグレゴリオ将軍がお待ちです。予定が過ぎてもお戻りになられないので、ご心配いたしました」
「大げさだな、おまえたちは」
「……そちらは?」
近衛……いや、レスターよ、私たちのことはいいから、あっちへ閣下を連れてお行き。お願いだから。
そんな姉の心の叫びが届くはずもなく、気配りが自慢の弟は、座り込んだままの庭師と寄り添う私に目を向けた。
「ああ、マリオ……庭師が倒れた。そこを通りかかったラディスの侍女に任せようと思ったのだが……」
「なにか、問題でも?」
くくっと笑うデルサルト卿に、レスターは不審に思ったらしく、俯く私の前に来て同じようにしゃがみ込む。当然、目の前にいるのが誰なのか、気づく訳で……
「え、な……ええ?」
ぎゃあ、知らない振りをしてよ、馬鹿レスター!
小さく睨み、表情だけで叱責すると、レスターは慌てて口を押さえる。
「レスター=バウアー、君の知り合いなのか?」
「い、いいえっ」
レスターは慌てて立ち上がり、直立不動で閣下にお答えしている。
いやいやいや、演技下手すぎるでしょう。雲の上といえる上司に、名前を覚えてもらえるほど頑張ってるのねと、この状況じゃなければ褒め回すところだけど……姉さん、泣くよ?
当然ながらデルサルト卿は挙動不審なレスターと私を見比べているようだ。私は素知らぬ顔をしながら、庭師の手から帽子を奪うと、二人に背を向けて扇ぎ、看病のふり。
「本当か?」
「も、もちろんです。少し……いえ、とても好みの女性でありましたので、動揺してつい」
言い訳、もっとマシなのがなかったのかしら。でもまあ、これ以上レスターに期待してはいけない。素直で嘘がつけないところが、彼の魅力なのだから。
しかし次の卿の言葉が、私を後ろから殴りにかかる。
「そうか、気が合うな。君とは女性の好みが同じなようだ」
はあああぁあっ⁉
思わず振り向いた私の目に入るのは、したたかに微笑むデルサルト卿の鋭い目と、ぽかんとアホのように口を開けたレスター。
さすが、王族の血は侮れない、殿下と同じ匂いを感じる。きっとわざと言って、こちらの反応を窺っているとしか思えない。
どうしたものかとたじろんでいると。
「すまないがお嬢さん、腰についてる水筒の水を飲みたいので、外してもらえるかな」
庭師のおじいちゃんが、か細い声で割って入ってくれた。
「はい、今すぐ!」
慌てて腰に縛り付けてある水筒を取り外し、おじいちゃんの口に添えてあげる。
すると蚊帳の外だったもう一人の近衛が、デルサルト卿を促す。
「閣下、お時間があまりありませんので、庭師のことは侍女に任せてお急ぎください」
「……そうだな」
この場を切り抜けられそうで、私は心からホッとする。
「それでは行くが、もう無理はするなよマリオ」
「ありがとうございました」
おじいちゃんが頭を下げるのと同時に、私も卿の方に小さく頭を下げる。すると。
「次に会えたら名を聞こう、身軽な見習い侍女よ。庭師を頼むぞ」
頭を下げたまま固まっていると、デルサルト卿はそのままレスターたち近衛を連れて中庭を歩いていった。
しばらく見守り、遠くで建物の影に入り見えなくなったところで、私はようやく大きく息をつく。
「人を脅かすような悪い冗談が好きなのも、お変わりないようだ」
庭師のおじいちゃんがそう言って笑う。
「大丈夫ですか? 動けないようなら、本当に人を呼んできますけど」
「ああ、いい、いい。大丈夫。ここは日陰だし、もう少ししたら弟子が回ってくるから。迷惑かけたね、お嬢さん」
「いいえ、こちらもおじいさんのおかげで面倒にならずに助かりました」
そう言うと、おじいさんは少し驚いたように眉を上げ、そうしてからニッと白い歯を出して笑った。
「お嬢さんと会うのは殿下の庭と、これで三回目になるかな」
「いいえ、たぶん二回目じゃないかしら?」
「そうだったかな、どうも呆けたかの。それより、急いで戻らんと、また人に会うことになるから、お行きなさい」
「でも……」
「いいから」
後ろ髪を引かれるけれども、彼の言うことはもっともなのだ。
私はくれぐれも気をつけてとおじいちゃんに繰り返し、私はその場を離れることにした。さすがに二度も手すりを飛び越えるわけにはいかないので、遠回りして渡り廊下に戻ったのだった。
そうしてたった二棟越えるだけの道のりでのピンチに次ぐピンチは無事に乗り越え、ようやく職場に戻る。
慣れた机に突っ伏して、はあーーーっと大きくため息をつく。
いやまて、そもそもこの職場こそが大元のピンチ、ピンチの源だった。
そう気づいても、一向に抜け出せる方法すら見つからない本職に、精を出すしか私に道はない。どうしてこうなった。
辞めてやる、こんな職場。
絶対に、早期退職してやるんだから。
 




