ヒロイン生活は試練のはじまり
悪役令嬢・マデリーン。それが私、のはずだった。「なんでこんなことに?」と嘆きたいのは山々だけれど、グチるのはギルドに戻ってから!!
こうなったらヒロインとして、立派に生き抜いてポイントを稼いでやるわ!
でなきゃ、私のプライドが許さないっ。転生回数94回目、培ったプライドは天に向かってそびえたつ塔のように高いのよ!!
まずは、あの妙に色気たっぷりのイケメン・リオルドから話を聞かなきゃ。
――コンコン。
授業を終えた私は、彼に指定された三階の実験室へとやってきた。
ノックをすると、中から「どうぞ」と涼しげな声がする。
「失礼いたします」
扉を開き、ゆっくりと中へ入る。顔は平常心を装っているけれど、実はずっとドキドキしていた。そんな私の顔を見ると、すべてお見通しだとでもいうように、リオルドは口角を上げる。
「よくいらっしゃいました。こちらへどうぞ?」
彼の示した場所は、アンティーク風の猫足ソファー。ベロア風のエレガントな黒い布張りは、実験室という部屋にそぐわない。
私の心を読んだリオルドは、にこりと笑って言った。
「実験室になったのは、つい先日です。これまでは応接室でした」
「そう……」
つまり、新任教師であるリオルドの赴任に合わせて、この部屋が実験室にあてがわれたということか。彼については事前に調べた。
この春から学園に赴任した、魔法に長けた若手教師。侯爵家の次男で、宮廷魔導士として出仕していたけれどその温和な人柄を見込まれて、この学園にやってきたという「設定」だ。
私は彼に従って、ソファーに腰を下ろした。
さて、何から説明してくれるのかしら?
初めてのヒロイン転生に不安を抱いているなんて悟られないよう、できるだけ優雅に、余裕しゃくしゃくの表情で座った。
そのつもりだった。
「マデリーン、あなたは今、ヒロインの自覚あります?」
「え?」
気づいたときには、リオルドの端整な顔がすぐ横にあった。彼は私のそばに立ち、ソファーの背もたれに手を置き、息遣いが聞こえそうなほど顔を近づけている。
「っ!?」
予想外の展開に焦った私は、思わず背を仰け反らせる。
けれど彼は間髪入れずに私を押し倒し、あっけなく座面に背中がついた。
「ちょっと!?何するのよ!」
ヒロインということも忘れ、悪役令嬢のテンションで私は抗議した。
この変態教師め!生徒にこんなことして許されると思っているの!?
リオルドは、ため息交じりに口を開く。
「不用心ですね。こんなに簡単に捕まってしまうなんて」
捕まえたのはそっちのくせに。不服に思って唇を結ぶと、彼はクスリと笑う。
「こんなことでは、先が思いやられます」
「あなた何言ってるの?だいたい、誰のせいでこんなことに」
文句を言ってやろうとすると、ふいに彼の指が私の首元に伸びてきた。
しゅるんと制服のリボンを取られ、それを指に絡めたリオルドは楽しげに目を細める。
「あなた……」
「おわかりになられました?」
「まさか制服コレクター?転売ヤー?」
おそろしい変態教師だ。
私がドン引きしていると、リオルドはがくっと頭を垂れる。
「この期に及んでそう来ますか」
顔を上げた彼は、私の顎に指をかけ、意味ありげに見つめてくる。
うわ……美形の至近距離、こんなことこれまでの悪役令嬢人生でなかったわ。火あぶりにされるとき、王子様から面と向かって罵倒されるシーンではそれなりに顔が近かったけれど。
こんな状況でぼんやりしていると、リオルドが無言で「まだわかりませんか」と問う。
イケメンに押し倒されるという初体験。冷静に受け止めてしまうと、急激に心臓がバクバクと鳴り出した。
「まさか、なんだけれどね?」
「はい」
「もしかして、その、なんていうか、あり得ないとは思うんだけれど、私のこと襲う気?」
ゴクリと唾を飲み込む。
私はここにきて、ようやく今の自分がヒロインであることを思い出した。悪役令嬢を襲う人なんていないけれど、ヒロインとは非常によく襲われる生き物である。
襲わせていた側の人間がいうのも何だけれど、あの子たちは「よく生きていられるな」って思うくらいトラブルに見舞われる存在だ。
「ようやく気づきました?マデリーン」
リオルドは、まるで正解を褒めるかのように微笑んだ。何だか手のひらの上で転がされている気分。
「あなたナビゲーターでしょ?私のこと襲っていいわけ?」
転生回数93回。年数にすると250年は演じてきた中で、一度もこんなこと起こらなかった。ドキドキしつつも、意外なことが起こりすぎて私は普通に会話してしまう。
彼はスッと身を起こすと、何事もなかったかのように立ち上がった。
私もつられて起き上がる。どうやら貞操の危機は回避できたようだ。ホッとして、ドキドキする胸に手を添えてリオルドを見上げる。
「まさかご自分が襲われるなんて、と思いました?」
「ええ……」
「まぁ、そうですよね。際どいシーンがある作品は、18禁の悪役令嬢さんたちがご活躍ですから。マデリーンはいつも清らかなままでしたね」
彼はそう言うと、ゆっくりとした所作で窓辺に軽く腰掛けた。
清らかって、悪役令嬢に対して使われる言葉ではないと思う。けっこうな重犯罪を繰り返してきたわけだし?それに「いつも」ってどういうことだろう。私のことを前から知っていたってこと?
目をぱちくりさせていると、リオルドは軽くため息をついて言った。
「ヒロインなんですから、警戒してください。そんなことではすぐに狼に食べられますよ?」
「食べられるって」
忠告のつもり?自分がミスして私をこんなところに送り込んだくせに。
彼を睨むと、慈しむような目で見つめられる。くすりと笑う、その余裕が私を苛立たせた。