騙されてこそ、ヒロイン?
翌日、私は学園でシリル様に話がしたいと告げ、放課後になって二人きりで会うことになった。用件は、プロポーズの返事だ。
学園の応接室をシリル様が借り、私たちはそこでテーブルに向かい合って座る。すでに空気はピリッとした緊張感をはらんでいて、私がこれから告げる内容をシリル様はわかっているみたいだった。
「今日は、これをお返したくて」
私が差し出したのは、シリル様にいただいた指輪。今もキラリと輝きを放つそれは、どこか物悲しく見える。
シリル様は指輪を見つめ、はぁっとゆっくりため息を吐いた。
「今朝、君がこれをつけていなかったのを見て心の準備はしていたはずなんだが……。私は急ぎ過ぎたんだろうか?何がいけなかった?やはり王家に嫁ぐのが重荷だったのだろうか」
優しい王子様が、捨てられた子犬みたいに見つめてくる。
あなたに非はない。完全に私が悪い。私はぐっと感情を堪えて、首を横に振った。
「シリル様にいけないところなんてありません。物語の中で読んだどの王子様よりも素敵で、かっこよくて、ずっと優しくしてもらって感謝しています。ただ私の気持ちが、どうしてもついていけなかったのです」
これは本心。けれど、リオルドに恋をしてしまったから、という最大の理由は秘めたままにしておく。傷心の王子様に、塩を塗りたくるようなことはできない。ヒロインはある意味で、天然の残虐性を持ち合わせていることが多いけれど、私は生粋のヒロインではないから空気は読むわ。
シリル様はしばらく黙っていたけれど「そうか」とだけ小さく呟いた。さすがは帝王教育のなせる技、取り乱すことはなく、静かに悲しみを抑えているように見えた。
歓迎会の夜、バルコニーで告白された際「これほど人を好きになったことはない」とまで言ってくれたことが胸を掠め、罪悪感で今にも逃げ出したくなってくる。
ごめんなさい、と謝ったところで傷つけたことはなくならないだろう。けれど、言うべきことは言わなければ。私は顔を上げ、今後について切り出した。
「それから私、退学して働くことにしたんです」
「っ!?なぜ!?」
昨日、邸に戻ってから両親と話し合い、私は学園を辞めて働くことにした。
リオルドに肩代わりしてもらった借金を返すためだ。彼は「必要ない」と言ってくれたけれど、ここで「はいそうですか、ありがとう」って受け入れるようじゃヒロイン失格だと思う。
――がんばるヒロインって、ヒロインっぽいでしょ?
リオルドは私の話を聞いて笑っていた。ヒロインらしく王子様と恋はできなかったけれど、せめてまっすぐでひたむきなヒロインとしては物語を終えたい。これは私のわがまま。
シリル様に借金について打ち明けると、彼は当然のように「僕が肩代わりする」と申し出てくれた。けれど、私はそれを断った。
「借金の額は確かに大きい。だが、君が僕と結婚するならそのための支度金は王家で用意する。その額に比べると借金は大したものではない」
「だとしても、やはりこの結婚は無理があります。私は王族に嫁げるような娘ではありません。身分よりなにより、中身が向いていないのです。シリル様はどうか、本当にあなた様を愛してくれて、国民のことを想ってくれる女性と幸せになってください」
政略結婚どころか、王子様とキスのひとつもできない私に王妃生活はできないだろう。魑魅魍魎が巣食う世界に、愛だけで突入するのは無謀すぎるわ。
「今までありがとうございました。どうかお元気で」
私がヒロインで、大変に申し訳ございませんでした!
心の中で盛大に謝罪して、これまで気持ちを深々と頭を下げることで伝えた。
シリル様はまだ慈しむような目を向けていたけれど、最後にはすべて受け入れて笑ってくれた。
ほんっとうに、できた王子様ね!?文句のひとつも言わず、無様に縋りもせず、最後までシリル様は素敵な王子様だった。
――パタンッ……。
私は先に応接室を出て、静かに扉を閉める。あぁ、今頃シリル様、泣いているかも……。今度はかわいくて素敵で、他の男なんて目にも入れないヒロインと素敵な恋をして欲しい。
それを願った私は、もう退学届も出してしまったので長居は無用。シナリオから解放されて軽くなった足取りで、荷造りの残るうちへと戻っていった。
◆◆◆
「今日からこちらでお世話になります。マデリーンです」
学園を去ってからわずか三日後。私はヒロインらしく、元気でかわいいメイドとしての第一歩を踏み出していた。
王都の貴族街にある一等地。メイドとしてやってきた侯爵家は、セラくんの家と同じくらい、いやそれ以上に広かった。
立派な門構えに始まり、どこの美術館かと思う絵画だらけの玄関ホール、そこら中が磨き上げられて輝きを放つ回廊、ずらりと並んだ使用人、とにかく広いこのお邸が私の職場になる。
ここに侯爵家当主の旦那様がひとり、使用人たちと共に住んでいるらしい。私はスカラリーメイドその他として雇われることになり、基本的には皿洗いや洗濯など雑事を担当する契約だ。
この働き口を紹介してくれたのはセラくんで、最後まで彼は私の世話をしてくれた。親切にしてくれる理由については、相変わらず「友達だから」だった。
今日から私の新しい人生が始まるんだわ。といっても、多分そろそろ物語はおしまいなんだけれど。周囲が穏やかな光に包まれて意識が遠のくと、すべての幕引きの合図。転生は終了となる。
「ようこそ、ベイル侯爵家へ。こちらは別宅ですので、ご家族の方もあまり来られませんし、来客もほとんどありません。とはいえ、気を抜かないようにお願いしますね」
きびしそうな初老の侍女長。私は愛想よく笑みを返し、「はい」と短い返事を口にする。
「それでは、まずは主人に挨拶を」
少ない荷物を詰め込んだバッグを持ったまま、私は侍女長に連れられ広い邸の最上階にあるご主人様の部屋に挨拶へ向かう。
――コンコン。
侍女長が、ひと際大きく豪華な扉をノックする。返事はなかったけれど、入ってもいいと言われているらしく彼女は扉を開けて私に先に入るよう告げた。
いいのかしら、私が先に入って。不審者と思われない?
疑問に思うも侍女長に従って私は中に足を踏み入れる。
そこは本棚や書き机のある書斎で、やたらと広い部屋の一番奥にその人はいた。
「え」
あぁ、これは騙されたパターンね?セラくんったら、「いい働き口を紹介するよ」なんて言うからてっきり彼の親戚筋かと……。
私を見てにっこり笑ったご主人様は、パリッとした紺色のジャケットに黒のトラウザーズ、華やかなアスコットタイを高級そうな宝石付きのピンで留めていて、お昼間なのに纏う雰囲気がムダに色気を放っていた。
さっと振り返ると、すでに扉は閉められた後。侍女長はいなかった。
「ひさしぶり、というほどでもないでしょうか?マデリーン」
「リオルド、なんでこんなことになっているの?私、あなたのお邸で働くの?」
騙された。絶対にこれは騙された。
よくよく考えてみると、借金の肩代わりについて「あなたが頼るのは私だけでいい」とまで言ったこの人が、セラくんの紹介で就職するのを見過ごすはずがなかった。
悔しい!
なんか最後に全部持って行かれた気がする!!
不貞腐れていると、彼はくすりと笑って大人の余裕を見せる。
「驚きましたか?ちょっといたずらが過ぎましたか」
「驚いたわ。あなたがここまで意地悪だったとは思わなかった」
ははっ、とリオルドは笑った。それはもう、うれしくて仕方ないというように。
「ヒロインの仕事は、侯爵邸で私の妻として暮らすことです」
「えええ!?妻って、妻!?結婚するっていうこと!?」
彼は笑顔で頷いた。
「次男ですが伯爵位はありますし、それにもとは宮廷魔導士です。あなたを娶るのは簡単です。ほら、あなたのご両親にお願いして『娘さんを幸せにします』と挨拶もしたので、書類はばっちり」
その手にあったのは、私たちの婚約証明書だった。
頭が追い付かず、ごきげんなリオルドに対して私は声を荒げた。
「どういうこと!?なんでこんな……、一体なぜ!?」
結婚エンドで丸く収まったっていうこと!?
険しい顔をする私に、リオルドは淡々と説明を始める。
「なぜって、まぁ色々と説明はしないといけないんでしょうが、そうですね。端的に言うならば、『私が正キャ員だから』でしょうか?」
正キャ員。彼らは、自由にシナリオを変えられる特別な演者。
ここで私はハッと気づいた。
「リオルドがシナリオを変えて、ヒロインを選んだってこと?」
正解、とばかりに彼はにこっと美しい笑みを浮かべた。
「王子様と結婚した方がポイントは稼げますが、私と結婚したとしても減点にはなりません。お相手をセラくんにすると減点対象ですが、正キャ員である私とならばボーナスポイントはもらえませんが減点にはならない」
何その設定!知らなかった!
ナビゲーターだから、ルールを熟知しているっていうことなのね?
あれ、でもそれなら最初からリオルドが自分を選ぶように私を口説けばよかったのでは。疑問が顔に出ていたのか、彼は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「はじめは、どうこうするつもりなんてなかったんですよ。まさかあなたが、私を好きになってくれるなんて思ってもみなかったので。でも結果的に、私たちは恋に落ちたのですからこれが一番しっくりくるエンドでしょう?」
悪びれもなくそう言ってのけたリオルドに、私は呆れて笑ってしまった。
「ふふっ、そうね。あなたにしては上出来よ?」
「マデリーンは、最後まで悪役令嬢らしい態度が抜けませんでしたね」
「あら、そんなヒロインはお嫌いかしら?」
どこまでも尊大な態度で、私はリオルドに尋ねる。
「いいえ、愛するあなたなら役割なんて気にしません。マデリーンが、マデリーンであればそれでいい」
私の口元は自然に弧を描く。
手に持っていたバッグが床に落ち、どさりと音を立てた。
リオルドの元へ駆け寄った私は、両腕を広げて待っていてくれた彼の胸におもいきり飛び込む。
「あー、もう。言ってくれればもっと幸せな気分で過ごせたのに」
「すみません。驚いた顔が見たくて」
抱き締められて頭を撫でられ、私は恋する幸せを噛みしめる。仮初めの世界で、こうして思い合えたことは奇跡だろう。
あの日、私がリオルドを助けなければ。あの日、リオルドが私をヒロインに転生させなければ。きっとこの幸福な時間は味わえなかった。
顔を上げてリオルドの目を見つめると、惜しみない愛情が伝わってくる。
「還ったあちらで何が起こっても、私はあなたを愛したことを後悔しません」
物語は、もうまもなく終わる。
ギルドのミスとはいえ、それを上に報告せずに自分も転生したリオルドには何らかのペナルティが科せられるだろう。
「私も後悔しないわ。あなたが初めて、恋する気持ちを教えてくれたのよ」
背中に回った腕にぐっと力が込められる。二人の唇が重なり、お互いを懸命に求め合った。
願わくは、この物語が終わっても私たちが一緒にいられますように。
次第に周囲は淡い光に包まれ、抱き合っている腕も、重なった唇も、息遣いも遠のいていく。




