03. わがままメイドの依頼
〇前回のまとめ
・気付いたら異世界。
・モヴィーという少年と出会った。
・おっさんだったハズが、なぜか女の子になっていた。
スポーン地点からも建物の陰が見えていた街へ向かう道中、エリンはモヴィーからこの世界に関する情報を聞き出そうとしていた。
今いる世界は【シネック王国】ということ。これから向かう街は【フェケテシティ】ということ。
モヴィは反対側にある【シャールガシティ】とかいう街からの帰路でエリンを発見したこと。
街名はもちろん、シネックとかいう国名なんぞ聞いたこともない。
高校の地理の授業で世界中の国名を暗記させられるという、全く意義を見出せない無駄な時間を費やしたこともあったが、少なくともその時の記憶の中にこんな名前は入っていない。
言語による差異や、時代の変化に伴う移り変わりがあるかもしれない。それでもやはり、この世界は地球ではない場所と考えるのが妥当であろう。
元の世界に帰る方法や(別に帰りたいとも思わないが)、これからどうやって生計を立てていくかなどが分からず、不安な点も多い。
ただ、モヴィーという親切な少年に出会えたことだけでも肯定的に捉えて前を向くしかない。
♦
(と、遠い…………!)
そりゃ、多少覚悟はしてたよ。だってうっすらと高い建物が見えるくらいだから。運が良ければ通りすがりの車とかに乗せてもらえないかなとか安易な発想も無かったことも無いよ。
けど、この長い道を他に歩いている人なんて後にも先にも自分たちだけであった。
ようやく街の入り口が見えてくる。今二人がいる地点と街の丁度中間くらいのあたりから横道が生えており、その道はあちらの山につながっているみたい。
そして、その横道上に人影が見えた。どうやら女性が街に向かって走っているようだ。
「あの人、あんな恰好なのによく走れるね」
「スゴイよね。何かあったのかな?」
それなりに距離があるが、あんなに飛ばして体力が持つのだろうか。それとも、この世界の人はあれくらい何てことはないのかな、とも思ったが、異世界人であるモヴィーから見てもやはり特異のようだ。
まぁ、いずれにせよ自分には関わりのないことだ。
だんだんと女性の姿が大きくなってくる。
あ、大きくなってくるとはいたものの巨人っぽいとかではない。どこぞのガリバーみたいな体験はごめんだ。あの街は馬の国とかじゃないよね。
その女性は何というか、『アルプスの少女ハ〇ジ』にモブキャラの町人として出てきそうな服装をしていた。白と水色のふわっとした感じの恰好のおば、ゲフンゲフン……女性。
生憎、エリンはレディースファッションに疎かったので、ああいうのをどう呼べばよいか知らない。知らない事柄をいくら考えても答えは出ない。
それに年齢不詳なのにおばさんと一方的に決めつけるのは良くない。この国の人は老けて見えがちで、実は女学生とかかもしれないし……いや、それはないか。
ただ、その異世界人ナンバー2が普通の人間のように見えたことは、エリンに安心感を与えた。
もしこの国の住人が、獣人かエルフみたいなファンタジーな生物だったらどうしようかと心配だった。
エリンは動物がそこそこ苦手だから、そういうのが住む世界での身の振り方に自信が無い。
に、苦手と言っても、テレビに映る犬や猫にギョッとする程度だよ。え、重症? なな何言ってんの? ソソソソソンナコトナイヨー。
それに隣を歩くモヴィーや、あの女性が街を支配する獣人の奴隷とか間者とかいう可能性だって捨てきれない。
もしそうならヤバイね、うん。
おば……女性の方が先に丁字路に着き、そこでハァハァと息を上げながら一旦停止した。
疲れたのかな? ほれ、街までもうひと踏ん張りだぞ。
他人事のエリンとは反対に、モヴィは心配そうに見つめている。
しかし、彼女が街に進む様子はない。
それどころか、エリンと女性との距離が10メートル程というときに女性がこちらへ歩いてきた。
えー、何何。あれですか、疲れ果てた自分の代わりに走ってくれと。
もしそうならお断りしよう。なんせ体力無いし、街のことなんて全くの無知なんだし、知り合いもいないし。返って迷惑になるリスクの方が高いし……うん、これは親切なんだ、きっとそう。
「すみません。」
「!?」
ゲルマン系っぽい女性が話しかけてきて、エリンは一瞬だじろいだ。
ずっと日本人として生きてきた身にとって、慣れない外国人に声をかけられると若干の緊張が生じてしまうものだ。これが排他的な島国根性か。
さっきはおばさんとか言ってたけど、よく見ると30歳前後っていうところのごく普通の一般女性だ。危うく初対面の人に失言を投げつけるところだった。
「どうかされましたか?」
エリンがは一応の紳士的、否、淑女的対応を試みる前に、モヴィーが応じた。すみません、コミュ症なものでして。
「実は、坊ちゃまと山へ遊びに行ったのですが、山の中腹で大きな穴に落ちてしまいまして……」
女性は息を上げながらも答えた。
「それは大変ですね。すぐ街に行って救助を呼ばないと。オイラたちが街まで走って言っておウチの方に知らせてくればよいのですか?」
(オイラ“たち”って…………。一緒に行く前提なのね)
胸の前で両の拳を握って走り出そうとするモヴィーを、女性は慌てて引き留めた。
まだ家の詳細とか聞いてないのに焦っちゃいかんよ。
「お待ちください。できれば家の者には知られたくないのです」
「「え?」」
想定外の言葉に、思わず2人の声が重なった。
坊ちゃまとか言ってたから、良いとこの方なんだろう。それなら、お金使って人集めて捜索隊出すくらい造作もないはずだ。それともあれか、没落貴族の家で悪評が広まるのを恐れているのか。
エリンが怪訝そうな表情を浮かべていると、女性は恐る恐る切り出した。
「あのー、家の者に知られると、私も坊ちゃまも旦那様から厳しいお叱りを受けますので……」
「あぁ、なるほど」
「いや、何納得してんの!」
「…………」
まさかの自己保身目的。それにあっさりと納得してしまう少年に反射的に突っ込んでしまった。
いやいやいや、万が一にも坊ちゃんに何かあったらどうすんのよ。そっちの方が大変でしょ。ちょっとナニ視線逸らしてんのよアンタ、こっち見なさいよ。
「できれば家の者に知られることなく助け出して、何事も無かったことにできればいいなと」
「はぁ……」
バカなの? アホなの? 自己中なの? それとも旦那様ってすごくおっかない人なの?
モヴィーはそういうもんかと言わんばかりだが、エリンはどうも腑に落ちない。
「あ、もしお力添えいただきましたら、相応のお礼はさせていただきます」
「…………」
ただ、いくら相手がこんなのとはいえ、エリンにとっては渡りに船だった。モヴィよりもこの世界についての情報が得られそうだし、コネ……知り合いもできる。
それに何より今晩の食事と寝床を何とかしてもらいたい。使用人を雇うくらいだから金銭的な余裕もあるはずだ。良家の御曹司の恩人とあらば、何かと恩恵を受けられるだろう。もちろん、この人の旦那様にも知られるようにして……。
失敗したところで自分とは関係ないと白を切れば、この世界でエリンを知る者はこの場にいる2人だけ。彼女が騒ぎ立てようが、モヴィーと口裏を合わせてしまえば、見ず知らずの人間に責任を擦り付けようとしているとしか思われない。自分が失うものは無いはずだ。
ゲスい? いえいえ、ただの合理主義者ですよ。
「分かりました。手伝いましょう」
「本当ですか、ありがとうございます!」
モヴィーたちが一回瞬きをする間に、エリンの頭の中でリスク&リターンの計算が行われたことなど露ほども知らず、女性は顔を輝かせた。知らぬが仏。
「それで、坊ちゃんの特徴を教えてください」
「はい、坊ちゃまのお名前はシデラとおっしゃいます。あ、私はラトナと申します」
そういえば自己紹介もまだだったな。ま、いいか。ラトナもこちらの名前など伺うゆとりは無いだろう。
モヴィーが自分も名乗ろうとしたが、ラトナは相手にスキを与えずに続ける。
「シデラ様はまだ幼いのというのに聡明かつ上品でして、目がクリっとして髪はふんわりで、それはもうかわいらしい方です。お食事の時など――」
「もっと具体的にお願いします。年齢とか、髪の色とか」
ラトナの説明はあまりにも抽象的だった。さすがにこれだと情報がほとんど無いに等しい。
「あ、そうですねぇ。坊ちゃまは御年9つになられます。髪の色は黄金色です」
「…………、え?」
「え?」
「終わりですか!?」
「え?」
「早く行こうよエリン!」
「アンタはちょっと黙らっしゃい!」
ラトナはきょとんとしている。
やっぱりこの人アホなのか!? アンタにとっては当たり前のことでも、こっちにとってはそうじゃないんだよォォォ……。
「えっと、せめて服装を教えてください」
「はい、坊ちゃまは普段白のシャツに紺色の短パンをお召しになられています」
「で、今日は?」
キレていい? ねぇ、キレていいよね?
エリンは怒りというか呆れを相手に悟られないように配慮しつつ、この頭が残念な人にさらに質問した。
「水色のポロシャツに黒のズボンですが?」
「はぁ」
ラトナが何言ってんだこの人と言わんばかりの顔をして答えた。
アホだ、この人どうしようもないアホだ。
「わ、分かりました。とりあえず行ってみます」
「よろしくお願いいたします!」
もうこれ以上尋ねまい。ストレスが蓄積される一方だろうし。諦めと決意は違うようで本質は共通するところがある。
エリンたちはラトナに見送られて山に向かった。
「急いで!」
「…………はい」
キレそう。
異世界なんだから、バカに付ける薬くらい探せば出てこないものか。