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第4話 これまでの私、これからの私

今回は「エル」についての話です。


どうぞ見ていってください。

私はこの世界に生まれた時から奴隷だった。


赤子の時から「奴隷養成所」という場所にいた私は、そこで10歳まで育てられる事になっていた。


そこでは他にも多くの子供が過ごしていた。その種族も様々で、私とは身体の作りが違うように見える子もいた。…しかし、その子らと一緒に話したり、遊んだりする事は禁じられていた。


4歳の頃の話だ。


私はもっとこの世界の事を知りたいと思った。この場所に生まれた時から隔離されていた私は、単純にその事に興味があったのだ。


大人の人にそれを伝えると、「図書室」という場所に連れてこられた。そこには数え切れない程多くの本があった。


私は驚きながらもその本の1つを手に取り、試しに読んでみた。殆どが文字のみで、解読するのもその時の私には難しい所もあったが、その本1つから得られる情報量は計り知れないもので、私は読み進める度に1つ、また1つと自分の世界が広がっていくような感覚を覚え、すぐに本の世界に惹き込まれていった。


私はそれから、“図書室”へ行って本を読むのが日課となった。


用意された質素な食事を済ませるとすぐに図書室へと向かい、毎日のようにその本棚に並べられている本を片っ端から読んで読んで読みまくった。


…そうして本を読み進めていく内に、私は“奴隷”とは何なのかを知った。


本に書かれていた事によると、“奴隷”とは主人となる者に己の全てを捧げ、奉仕をする者の事を指すようだ。更に他の本では、「最も低い身分にある者」とも書かれていた。


そこで初めて、私は生まれながらに最も低い身分にあったという事を知った。だが、私は別に悲しくはなかった。寧ろ、やる気が満ち溢れていくのを感じていた。


どの身分に生まれようが、それは神様とこの世界が決めた事だ。それなら自分が気にしても仕方がない。そもそもどの身分に生まれようとも、出来る事が無い訳ではない。


今、自分に出来る事が残されているのなら、それを全力でやればいい。…何より私は人の為に動く事が好きで、憧れだった。


そこで私は主人に認められる良い奴隷になろうと決めた。その為に、この世界の知識を一通り身につけておこうと思った私は、残された年月で出来る限り多くの本を熟読していった。


あっという間に6年が過ぎ去り、私が10歳になると、私は「奴隷商店」という場所に連れてこられた。本で読んでいたので、そこがどういう場所なのかは分かっていた。確か、主人となる者が私のような奴隷を買ってくれる場所だ。


私はこれから始まる新たな生活に期待し、自分が買われるのを心待ちにしていた。





最初のご主人様は30代の男の人だった。その御方は私を買うとすぐに可愛らしい洋服を着させてくれて、更に豪華な食事を用意してくれた。


初めて見る服と料理に胸が躍るような気分になった私は、その御方にすぐに心を許してしまった。そうして買われてから少し経った頃には、私はすっかりご主人様の虜にされていた。


またその御方は、私の身体に触れる事が好きだった。


私は必ず夜中になるとある部屋に呼ばれた。そして服を脱がされて裸にされ、身体の至る所を触られたり、偶に舐められたりした。子供の頃の私にはただくすぐったいだけだったので、私はこんな事でご主人様が喜んでくれるなら良いと思っていた。


不思議に思う事は幾つかあれど、私は毎日が笑顔で絶えなかった。こんな日々がずっと続くと、そう思っていた…だが、そんな楽しい時間が何時(いつ)までも続く事は無かった。


それから5年が経ち、私は15歳になった。その時からだ、何故かご主人様の様子が少しおかしくなっていった。


毎晩夜中にあの部屋に呼ばれる筈が、そうならない日があったり、部屋に呼ばれても「お前の身体が気に入らない」などと言われ、自分の部屋に追い返されたりするような事が何度かあった。


その時の私にはそれが何故なのか分からなかった。だが、“気に入らない”と言われるようになったからには、私が何か問題を起こしてしまったのだろう。


そう思い、私はまたご主人様に気に入られようと必死に努力した。身体を触られなくなった今、私に出来るのはご主人様の身の回りの世話をする事だけだ。


またあの笑顔を見せて欲しかった、また私の事を褒めて欲しかった…だが私がどんなに頑張ろうとも、ご主人様がそんな姿を見せてくれる事は無かった…。


そして、私が17歳の誕生日を迎えた時である。


ご主人様は私に誕生日を祝うのに相応しいケーキと豪華な食事を用意してくれた。私は嬉しかった。ご主人様が私に何かをしてくれる事は、あれ以来全く無かったからだ。


早速私は席に着いて食事を始めた。その間、ご主人様にずっと見られているのを感じていた。きっと私が嬉しそうにしているのを喜んでくれているのだろうとそう思った…思い込んだ。


だが、どうやらそれは本当に自分の思い込みだったのだと、私はこの後に改めて確認させられる事になる。


食事を済ませて食器の片付けを終えると、私はすぐに腕を引っ張られ無理やり家の外へ放り出された。ご主人様はその後、玄関前に倒れた私を睨むような目で見ながらこう言った。


『お前なんてもういらない。』


その時に気付いた。ご主人様は食事をする間、私を見ていたのではないと。きっと私の事を、今のような目で()()()()()のだと。


突然の言葉に驚いて、暫しの間何も言えなかった私は「どうして」と聞く前に扉を閉められてしまった。


私は諦められなかった。初めての主人にこんな捨て方をされるのは、どうしても嫌だったのだ。玄関の扉を叩き、私はこう叫ぶ。


『ご主人様!どうして…どうしてですか!?』


当然、返事は返ってこない。すると後ろから、誰かが私の肩に優しくてを乗せてこう言った。


『君はまた売りに出されたんだよ。』


後ろに振り向くと、そこには奴隷商人が立っていた。今思えば、その時のその人の顔は酷く悲しそうなものだったかもしれない。だがその時の私は、自分の事で精一杯だった。


『嘘だ…。』


何故また売られたのかは分からないまま私は無気力になってしまい、また奴隷商店へと連れ戻された。…そうして運ばれている途中、私はあの方に買われた時の事を思い出し、静かに涙を流した。





2人目のご主人様はとても高貴そうな服を身につけ、その立ち振る舞いからも何処か気品を感じさせるような方だった。一目見ただけで、とても身分が高い事が伝わってきた。


その方は私の事をじろじろと見た後に、是非メイドとして引き取りたいと言った。そして、商人に代金を払うとこちらに手を差し伸べて私に「宜しくね」と笑顔で言った。


私とは比べ物にならない程に身分が高いというのに、その方は私にそんな姿勢を取った。きっと、とても誠実な人なのだろう。そう思いながら私はその手を取り、再び自分の全てを捧げようと決めた。


その方は想像通り、大きなお屋敷に住んでいた。中に入ると、私はすぐにメイドとしての仕事、礼儀、作法を叩き込まれた。


そこに来た直後は私はまだ無気力だったが、時間が経つに連れて情報の整理や飲み込みが早く出来るようになり、数日後には主人に認められる程に立派なメイドになっていた。


それから私は「もう二度とご主人様に捨てられないように」と思いながらも毎日仕事に励み、努力を積み重ねていった。


…4ヶ月程経っただろうか。その時の私は誰よりも仕事に励んでいた為か、主人以外の他の方々にも一流のメイドとして認められるくらいにまで成長していた。


そうして何時ものように業務をこなしていたある日の事だ。ご主人様が1人のある女性を連れてきた…その御方は途轍(とてつ)もない程に美しいエルフだった。


色白の肌、輝くような金色の髪、細い腕と脚…その整った容姿を見て奴隷である私なんかと比べられたのなら、必ず負けてしまうと思った。肌の色が違うとはいえ、容姿がエルフである私は考えられる最悪のケースを予想した。…そして、見事にそれが当たってしまったのだ。


その日の内に私はご主人様に呼び出された。そのすぐ隣には、先程見た美しいエルフが立っていた。そして、私はこう告げられる。


『今日からはこの子が俺のメイドをしてくれる。だからもう君は必要ない、出ていってくれ。』


私はもう無理だと分かっていたが、必死に訴えた。


『私は今まで全身全霊を尽くして貴方様のメイドを務めてきました。これからはこれまでよりももっと頑張りますので、どうかここに住まわせて下さい…お願い致します。』


そう言って頭を下げる。だが、ご主人様は舌打ちをするとこう言い放った。


『しつこいな、俺が要らないと言ったら要らないんだ。…奴隷は奴隷らしく、命令に従ってればいいんだよ。』


私はそうして屋敷から追い出され、また奴隷商店に連れて行かれた。出ていく途中、屋敷にいた多くの方々が私に感謝の言葉を述べてきた。「貴女がいないと…」や「行かないで」とも言われたが、私にはどうする事も出来ないと伝えると、その方々は俯いた。


悲しみは無かった…ただ悔しかった。私が奴隷ではなく…平民だったなら…とそう考えていた。





3人目のご主人様はとても綺麗な顔立ちをしている貴族の方だった。私は今度は()()()()()()()()()()()()と思っていた。


だが…その考えすら、甘かった。


私はその御方のお屋敷の地下室に連れてこられると、突然檻の中に閉じ込められた。そこは汚れた布のベッドにトイレだけが備え付けられている牢獄のような場所だった。


これから何をするのか檻の向こうにいるご主人様に聞いたが、その御方はそれに答えもせず、その場を去っていった。私は暗い檻の中で、不安と恐怖に押し潰されそうになり、縮こまっていた。


…昼と夕方の丁度中間ぐらいだろうか、何やらご主人様は腹を立ててているのか、大きな足音を立て、愚痴を漏らしながらもこちらに歩いてきた。そして檻の鍵を開けると無理やり私の腕を引っ張り、再び何処かへと連れていこうとする。


『こっちにこい!』


怒鳴るようなその声に一体何をする気なのかと怯えていると、ある部屋に辿り着いた。そしてその部屋の扉をご主人様が開き、中が見えた瞬間、私は絶句した。


そこには鞭や鈍器などの数多くの拷問器具が一通り揃っていた。それを見て、ここは拷問部屋なのだとすぐに理解した。そして、これから私がされる事も…。


私は裸にされた後、その部屋の中心に両手に手錠を掛けられた状態で吊るされ、()()()をされた。


最初に鞭で思いっきり身体を叩かれた。初めて感じたその猛烈な痛みに耐えられず、私は思わず叫び声を上げた。


その叫びを聞くとご主人様は喜ぶような笑い声を上げた。そして今度は鈍器でまた思いっきり殴られた。


襲い来る痛みに私は泣き叫んだ。…後はその繰り返しだった。


様々な物で殴られ、叩かれ、剥がされ、刺され…あまりの苦痛に私はおかしくなりそうだった。


そうしてある程度の時間が経つと、満足したのかその御方は私を下ろし、また檻の中に閉じ込めた。


痛い…辛い…苦しい…。耐え切れない苦痛に私は怯え、同時に恐怖した。私の体は寒い訳でも無いのに、酷く震えていた。


それから2ヶ月の間、同じ事をされ続けた。少し経つと、私の体の至る所に痣や傷跡が見えるようになった。毎日の苦痛に耐えるのにも必死なのに、自分の心にまで傷が付くのを感じていた。


…そんなある時、私は思った。叫ぶから喜ばれる、泣くから嬲られる…ならもう、何も思わなければいい。どんなに痛くても辛くても、感情に出さなければいいのだと。


それからの私はまるで人形のようだった。例えどんなに痛かろうが、どんなに辛かろうが、人形のように声も出さず、何も思わない。ご主人様は当然、そんな私を見て喜びも笑いも出来ず、満足していない様子だった。


そうして1週間が経ち、全てを失った私にご主人様は飽きたのか、私を売りに出した。


あの場所から抜け出せた私は嬉しかった。あの酷い苦痛をもう味わなくて済むのだから。…だがどうしてだろうか、喜べない。笑えない。嬉しい筈なのに、心は躍らない。


自身の心が完全に失われた事が分かっても、私はそれを悲しむ事すら出来なかった。





奴隷商店に戻った私は、誰にも心を開けなくなった。優しくしてくれる奴隷商人も、嘲笑(あざわら)っているようにしか見えない。私を買おうとしてくれる人々も、更なる苦痛を与えようとしているようにしか思えない。


出来る事なら、もう誰も私を買わないで欲しいとそう願っていた。だが、そんなある日…


「ガランガラン」と入口のベルが鳴る、誰か来たのだろう。その足音は商人の前まで来ると1度止まった。


扉を1枚挟んでいては話は良く聞こえない。だがその話の長さから、恐らくその御方は奴隷を買いに来たのだと分かった。私は自分を選ばないでと無い心で祈る。


「奥に入って見てもいいか?」


知らない男の人の声がする、これが今日来た客だろう。


その御方は黒いローブを身につけていて、貴族にも平民にも見えない。一体どんな人なのか、それすらも推測出来ない。


すると、その御方は私が入れられている箱を恐る恐る覗き込んできた。そうして私と目が合った瞬間、その御方は目を輝かせた。そしてこう声を出した。


「いくらだ。」


商人がその声に反応する。


「…はい?」


「この子はいくらで売ってくれると聞いている。」


「は、はい…!でしたら精算を…」


…どうやら私を買うみたいだ。もう誰にも買われたくないというのに…また傷付けられるのは嫌なのに…。


その後に、何やらお金について2人は話し合っていた。その話し合いの途中で、その御方が金色の丸い硬貨のような物を持っているのが見えた。


本で読んだ事がある。昔、この世界ではギルではなく“金貨”が通貨として利用されていたと。だがそれが使われていたのは何年も前の事だ、誰かがまだ持っているとは思えない。…でもあれが本物だとしたら…あの御方がどんな人なのか、余計に分からない。


私がそう考えている内に話し合いが済んだのか、私はこの御方に付いていくことになった。一見、悪い人には見えない…でも、私は何度もそう思わされて、何度も裏切られてきた。もう誰も信じられない。もう誰も信じようとは思わない…そう私が思っていると、商人が新たなご主人様にこう言った。


「度重なる奴隷としてのお仕えのため…心を閉ざしてしまっております…。」


そうだ、私はもう誰かに心を開く事は無い。だから、諦めて…


「そうか…だが例えそうだと分かっていても俺は心を開いてくれるまで諦めない。俺はこの子を"奴隷"ではなく"仲間"として買うのだから。」


その時の私には、ご主人様が何を言っているのかあまり分からなかった。だがどうせこの人もまた酷い捨て方をすると、そう思っていた。





…このご主人様は()だ。


レストランでは奴隷である私に椅子に座れと命令をするし、決して奴隷が食べていい筈のない料理を注文した。更には私の事を“可愛い”と言う。


その上、私に名前を付けた。「エル」という名を。名前を付けられたのは初めてだった。だから私はどうしたらいいのかあまり分からなかった。だから取り敢えずこうお礼を述べた。


「これから私は『エル』として生きていきます。お名前を付けて下さりありがとうございます。」


その後に料理が運ばれてきた。思えば、こんなしっかりした食事を出されたのは酷く久し振りで、空腹だった私は今すぐにでも料理に手をつけたいくらいだった。だが目の前に料理が置かれようとも、私は怖くて手を出せなかった。


“奴隷は奴隷らしく、命令に従っていればいいんだよ”


その言葉が頭の中に浮かぶ。奴隷である私には、自分から何かを願うような事はあってはならない。ただただ命令に従う…そうしないと何をされるか分からない。いつの間にかそれに怯えるようになってしまった私は、ご主人様に食べてもいいのかと聞けなくなっていた。だが…


「食べていいぞ、それは俺が()()()()()注文した料理だ。」


この方はまるで私がそう思ってしまったのを()()()()()かのように、そんな言葉を掛けてくれた。そして私は、初めて言われたその一言が聞き間違いではないと、自身で確認するように繰り返した。


「私の…為に…。」


そうして私は恐る恐る料理に手をつけようとするが…何故だろうか、食器の使い方が分からなくなっていた。


どう食べれば正解なのだろうか…従者である私が間違った事をすれば、恥辱を受けるのは他でもないご主人様だ。だが、全く思い出せない。故にどうすれば…と私は迷っていた。


そんな時、私は不意にご主人様の方へと目を向けた。…無意識に助けを求めていたのかもしれない。そんな保証など無いという事は分かっている筈なのに。…しかし、その時のご主人様はまるで私に「こう食べるんだよ」と教えてくれているかのように、分かりやすく、ゆっくりと食事をする様子を見せてくれた。


私はそれを真似て、料理を口へと運んだ。瞬間、幸福感が全身へと広がった。こんなにも美味しい料理を食べたのは何時ぶりだろうか、こんなにも安心して食事を出来たのは何時ぶりだろうか。例えこれが束の間の休息だったとしても、私はそれでも良いとさえ思った。


そう食事に夢中になっていると、ご主人様の視線がこちらに向いている事に気付いた。こんな事をしてはいけないと分かっているが…怖くなった私はご主人様にばれないように、目の端で少しだけその顔を見た。…もし睨まれていたら、どうすればいいだろうかと思いながら。


…その時に見たご主人様の表情を、私は絶対に忘れない。あんなにも温かくて、あんなにも優しくて、あんなにも柔らかい微笑みを向けられた事など、初めてだったからだ。





食事が終わると今度は服屋に連れてこられた。私は奴隷服以外要らないと言ったがご主人様曰く「女の子は可愛い格好をするもの」らしい。ますますこの御方がどんな人なのか、良く分からない。私のような汚れた奴隷には普通そんな事、思いもしないだろうに。


店員に次々と洋服を着せられていく。私は少し戸惑いながらも、様々な服を試着した。


そうして、私は最後に綺麗な純白のドレスを着させられた。こんな格好、奴隷である私にはとても似合わない。それに、私だけの為にわざわざ値が張るような服を買おうとはしないだろうと、そう思った。


そしてご主人様にその姿を見せにいった時である。期待している訳ではないが、何故か私は緊張していた。そんな私に、ご主人様はこう言った。


「とても似合ってるよ、凄く可愛い。」


そういえばレストランでも“可愛い”と言われた…あの時はあまり気に留めてはいなかったが、今回は違った。面と向かって言われたその言葉は、とても温かかった。それに…少しだけ私は喜びを感じていた。だから、私はこう返事をした。


「それなら…良かったです。」


結局私は、15万ギルとかなり値の張る高価なドレスを買ってもらった。私の為にこうして何かを買ってもらうというのは初めてで、それにまた喜びを感じたが、私はご主人様に何とお礼を申せばいいか分からなかった。


店を出た後、ご主人様の命で宿へ向かう事になった。その道を歩く途中、私はご主人様に言われたある言葉を何度も思い出していた。


“可愛い”…あれは本当にそう思ったのだろうか。こんな傷だらけで汚れた身体の私が、本当にそう見えるのだろうか。でも…


『最悪な世の中だな…こんなに可愛いのに。』


『とても似合ってるよ、凄く可愛い。』


そう言った時のご主人様の表情は、とても嘘を言っているようには見えなかった。なら、あれは心から私の事を…


突然、顔が熱くなるのを感じた。知らない感情だ。私にはもう心は無い筈…なのに、何故だろうか。胸がキュッと締めつけられて、苦しくなるような感覚を覚えた。それに…恥ずか…しい?もしこの姿を見られたらと思うと、胸の鼓動が大きく、早くなって…


どうすればいいのか分からないが、何故かこれをご主人様に伝えられない…伝えたくない。だから今はただ、これを気付かれないようにと、俯いていた。





宿屋での対応も変だった。店主が「奴隷はこちらで預かる」と言うと、ご主人様はそれを拒み「2人部屋を頼みたい」と返した。…奴隷の私と、一緒にいたいと言うのだろうか。


するとその後、ご主人様は私に「一緒にお風呂に入ろう。」と言ってきた。…やっぱり、この方もそういった目的で私を買ったのだろうか。それなら、私に“可愛い”と思えるような服装をさせたのにも納得がいく。


拒む事も私には許されない。…だから私はこう返事をする事しか出来なかった。


「はい、分かりました…。」


だが、それは私の思い違いだった。一緒にお風呂に入ったその目的は、私の傷付いた身体を癒す事だったのだ。ご主人様は魔術を使って傷を癒しながら、丁寧に体を洗ってくれた。


身体にあった痣や傷が、跡も残さずに消えていく。それを目にした私は感動していた。もうあの悪夢のような記憶を思い出さずに済むと思うと、思わず涙が溢れそうな気持ちになった。


ふと気になった私は、どうしてこんな事をするのかご主人様に問い掛けた。


「どうして…こんな事を…。」


すると、ご主人様は最初にこう言った。


「折角こんなにも可愛くて美人なんだ。例え誰から見られようと、そう思われるような君でいて欲しい。」


可愛くて、美人…この方は、本気でそう言っているのだ。その目を見れば、誰だって分かるだろう。こんなにも真っ直ぐな瞳をした人を目にするのは、初めてだった。そして更に…こう言葉を続けた。


「…その傷跡を見る度に、きっとエルは嫌な記憶を思い出してしまうだろう。」


まさか、この御方は…


「勿論、無くなったからといって、完全に受けた苦痛が消える訳では無い事も分かっている。だけど…その上で、君には笑っていて欲しいんだ。」


最初から、私の事を考えていてくれて…


「過去の事を完全には忘れられなくとも、責めて思い出す事が少なくなるなら、俺は君の為に何だってしてあげたい。…まぁ、なんて言うか…自分勝手な俺の願いなんだよ…よし、これで腕と足も綺麗になったな。」


全部、私の為を思って…


「じゃあ後の残った部分は自分で洗ってくれ。その後はゆっくりお湯に浸かって、疲れをしっかり取るんだぞ。」


そう言って離れようとするご主人様を見て、私は咄嗟にこう思った、「行かないで」と。


「…待って。」


気付いた時にはご主人様の腕を掴んでいて、言葉も出てしまっていた。私は自分が何故こんな事をしたのか、明確には分からなかった。…でも、私はもう少しこの御方と一緒にいたかった。またそうすれば、自身のこの行動の理由も分かるような気がした。


「…私もご主人様のお背中を流したいです。」


感情を失った筈の私が動いた理由、その答えがきっとこの人の温もりの中にあると、そう思っていた。





私には分かっていた。


男たちに連れ去られながら思う。何故あの時、あんな事をしたのか…いや、あんな事が()()()のか。


私には分かっていた。


ご主人様の中に確かにあった、あの温もりの正体が何であるのか。


「(助けて!グレム様!)」


そう強く願った瞬間、あの人は私を助けに来た。


「待ってろエル、今こいつらを片付けるから…。」


そう言ったあの人は、襲いかかってきた3人を容易く蹴散らし、巨漢と対峙する。


「なぁ、お前は“奴隷”ってなんだと思う?」


「奴隷はなぁ!人間の欲望を満たすように作られた“物”だ!」


あの人から感じたあの温もりは…


「…俺はその考えが正しいとは…とても思えないな。」


「はぁ?」


巨漢の声に対して、彼はこう言う。


「お前らは“己の欲望を押し付けるだけの存在”と言うが、俺は寧ろ彼女から大切な“もの”を貰った。」


傷付いた私の身体を、心を癒してくれたあの温もりは…


「…だから俺が思うに、奴隷というのは…“自分に最も大切なものをくれる、()()()()()()()()()”なんだ!」


彼はそう言って、巨漢に強烈な一撃を放った。


…きっとそれは…()だ。


そう確信した瞬間、私が長く閉ざしていた心の扉が開け放たれた。


彼は私を大切に思ってくれた、私を優しく愛してくれた。身分など気にせず、私をただ1人の女の子として見てくれた。それがどんなに嬉しい事だっただろうか…言葉ではとても表せない。こんなにも心を満たしてくれる人が主人になってくれるなんて、夢にも思わなかった。


彼は私の元へと駆け寄り、心配するような口調で声を掛けてくる。


「エル!大丈夫だったか!?怪我してないか?痛いところは無いか?服は…新しいのを買ってやる!ドレスでも何でも…ってあれ?エル…?エル!」


あれ?おかしい…この時、名前を呼ばれたのは1回少なかった気が…


「…エル、お〜い、エル!起きろ〜!」


そうご主人様の声が聞こえた私は目を覚ました。…今のは、夢でしたか…。


「おはようございます…ご主人様。」


「おう、おはよう…というか、どうした?少し涙目だが…あまり良くない夢でも見たのか?」


心配する彼に向かって、私は微笑みこう返事をする。


「ふふっ、秘密です。」


「そう言われると気になるな…。まぁ、そんな事より今日はギルドに行くから準備を…って、準備出来てる!?そういえば、エルも着替え終わってるし…まさか、準備しておいてくれたのか?」


そう言ってこちらに振り向いた彼を見て、反省しながらも私はこう返答する。


「はい…ですが、もう少しご主人様の寝顔を見ていようとしたら、私もまた寝てしまったようで…申し訳ありません。」


そうして少し俯いていると、彼は私を優しく抱きしめ、頭を撫でながらこう言ってくれた。


「いや、謝らないでいい!寧ろありがとう、エル。このままずっと抱きしめていたいくらい…って!」


彼はそう言うと私から体を離した。そしてその後にこう謝る。


「…あ、す、すまない。つい、褒めようとしたら体が動いてしまって…嫌だったなら謝る…。」


()()()()、もう思わない。


私は思い切ってご主人様の体に抱きついた。すると彼は顔を赤く染め、「エル!?」と声を上げた。私も自身の体が熱くなるのを感じていたが、()()()()()()()のだ。


「…“嫌”だなんて、私は思いません。私はご主人様に言った筈です、“私は、ご主人様の全てを全力で受け止めます”と。だから…」


ご主人様の体温を感じながら少し上を見上げ、彼と目を合わせる。そして私はまた、それを誓う。


「…ご主人様になら、私は何をされても構いませんよ?」


ーーー私の全てを、この人に捧げると。


私がそう言うと、彼の顔は真っ赤に染まる。そして彼は両目を手で隠すと、私にこう言った。


「…本当に可愛いな。やっぱりどうしようもないくらい、君が好きだ。」


彼の仕草1つ1つが、私には愛しくて堪らない。…今なら、私も言える。私も、貴方様の事が…


「…私も大好きです、ご主人様。」


そう言って、私は顔までも彼の胸元に密着させた。彼の鼓動が加速していくのを感じる。出来る事なら、ずっとこうしていたい。片時も離れたくない。それくらいに、この人の事を愛している。


この人に仕える身となった私に、もう過去の私は必要ない。これからはこの人だけの私になろう。だから私は、これまでの私にこう告げて、未来へと歩み出した。


「…さようなら、これまでの私。宜しくね、これからの私。」

話が進むにつれどんどんストーリーが思いついてきます。それなりに皆様がお楽しみいただけていたら幸いです。


これからも続けていくので是非、今後もよろしくお願いします。

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