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《お金じゃ買えないものがある》ってありきたりなタイトルを私はつけることができない

作者: 阿比千

【第1章】


働きもせず、だらだらと平凡な毎日を過ごしていた時、見知らぬ黒い封筒が家のポストに入っていた。

宛名もなく、住所も書かれていない気味の悪い封筒に普段であれば捨てるものの、なぜだか興味が湧いた。

上部をハサミで切り、中のものを取り出すとそこには一枚の紙と一枚のカードが入っていた。

恐る恐る手紙を開くと、手紙にはこう書かれていた。

「○○様へ

"人生を変える体験をあなたに"キャンペーンをご利用いただきありがとうございます。

本日より30日間、毎日○○様の口座に10万円を振り込まれせていただきます、ご自由にお使いください。

ですが細かな条件がございますのでこちらをご確認ください。

①毎日10万円は振り込まれますが、夜0時を過ぎると残高が残っていても強制的に除去されます、ご注意ください。

②お金は朝6時に振り込まれます。

③お金は引き出すことができません。付属のカードでお支払いください。このカードはSuicaやクレジットカードといった様々な形式に対応しております。


ご確認いただけたでしょうか。


残高はこちらのURLから確認できます。

URL:_______________________________


カード暗証番号:※※※※


30日後、自動的にカードの機能は停止します。当日、カードを回収しに参りますのでご自宅でお待ち下さい」


"人生を変える体験をあなたに"キャンペーンだって?

こんなキャンペーンに参加した覚えはない。

だが、なんの捻りもない長ったらしい名前は、俺の記憶の片隅に存在した。

一週間前動画を見ていたときに出てきた広告だ

ただニックネームや年齢を入れるだけの、個人情報を一切書かないキャンペーンだったから興味本位で応募したのだ。

だがそれを思い出したと同時に身震いした。

住所を書いておらず、本名も書いていない、ましてや銀行口座なんて、俺のもとにどうやって届けたというのだ。

危険だ。直感でそう思った。携帯のデータを抜かれたのか、はたまた位置情報に不正にアクセスしたのか、考えてもキリがなかった。

とりあえずは確かめてみよう。

まずは指定のURLにとぶことにした。

サイトに侵入したことでさらなる被害が生まれる可能性もあったが、これ以上抜かれるものはないだろう

URLを検索すると簡易的に作られたサイトに入った。そこには名前と手紙に記載されていたように残高100,000円と書かれていた

そこで1つの疑問が浮かんだ。

手紙には確か[あなたの口座に]と書かかれていた、俺の口座と連動しているということなのか。

この疑問はあっさりと解決した。

携帯で本物の銀行口座を確認すると10万円は振り込まれていなかった。

だとすると、この10万円が振り込まれている口座は架空口座または送り主が作成したものだと推測する。

ますます怪しさが増した。

だがこのカードが本当に使えるのであれば………

このクソみたいな生活から抜け出せるかもしれない。

実際に使ってみればこれが嘘か真か分かるだろう

俺はカードを手に取り車を走らせた。


【第2章 】


近くのショッピングモールに到着した。

ここでは、ほぼ全てのテナント店でカードの使用ができる。俺は入り口近くにあったアパレルショップへ入りTシャツをレジに持って行った。


「1980円です」


「カードでお願いします」


「かしこまりました。ではこちらにお願いします」


運命の瞬間だ。これが成功すれば毎日10万円を使うことができる。震える右手を抑えながらカードをスライドさせた。


「4桁の暗証番号をお願いします」


恐れることはない、出来なかったとしてもただのイタズラだったということ、いや個人情報が抜かれている時点で犯罪だ、すぐに警察に行き取っ捕まえてやる。

番号を打ち込むと店員は何食わぬ顔でサインを求めた。


「ありがとうございました」


店員から商品を受け取ると一目散にショッピングモールを出た。

真夏ではないのに額に汗をかき、心臓は激しく鼓動した。

慌てて残高を確認した、[残高:98,020]

1980円しっかりと引き落とされていたのだ。

買えてしまった、つまりあの紙に書かれていたこと、そもそものこのキャンペーン自体が本物なのだろうか。

だが信じるにはまだ早い。詐欺の常套手段、初めは信じされ頃合を見計らって騙すというのはよくあることだ。

使用するのは控えたほうがいいか

だが目的はなんだ?詐欺をしたとして俺から取れるものはなにもない。

とりあえず判断材料を揃えることにしよう。

1つ目は0時を過ぎたら本当に除去されてしまうのか、つまり0円になってしまうのか

2つ目は、0時が過ぎたときカードが使用できるか否かを確認する

3つ目は朝の6時に10万円が振り込まれるかどうか

この3つを確認してから判断することにしよう。


しかしそう心に決めた時、[0時を過ぎると強制的に除去される]ということが気になった。

30日間あれば10万円×30=300万円が最大で手に入る。だが綺麗な数字で売られている商品は少ないし、消費税もある。10万円をピッタリ使うことは不可能だ。

そしてなにより、今ここで残りのお金を使わないという選択肢をとることは目先の98,020円をドブに捨てるということ、このカードが使えるとわかった今、残りの98,020円をできるかぎり使うというのが正しいのではないだろうか。

理屈では整理できたものの、気持ちはそうはいかない。人には欲望があって、それを取り巻く濁流はそう易々と抜け出せるものではない。

俺は車を出て再びショッピングモールへ向かった。


【第3章】


夜中の0時ちょっと前、携帯を片手にその時を待った。ショッピングモールで99,782円を使い洋服やら電化製品が部屋中に散乱していた。残りは218円、残高はしっかりと218円を示しているのを確認済みだ。このお金がどうなるのか、判断材料として確かめる必要がある。

0時を回った。

持っていた携帯の電源を入れ、急いでURLを入力した。手紙の内容が本当ならば残高は0円になっているはずだ。俺は期待と不安を抱きながらメーターが完了するのを待つ、メーターが最大まであがりページが切り替わった。

そして俺の抱いた複雑な心境は好転した、残高は0円に変わっていたのだ。

1つ目の確認は済んだ。そうすると次はカードが使用できるか確認する必要がある。

俺は自転車に乗り、近くのコンビニへ向かった。

コンビニへ着くと再び残高を確認した。画面には変わらず0円と表示されている。おにぎりを1つ持ちレジへと向かった


「いらっしゃいませ、108円になります」


「Suicaでお願いします」


「かしこまりました。それではこちらにお願いします」


受信機にカードをかざした


「すいませんお客様、カード残高が不足しているようなんですけど」


2つ目も確認できた、サイトに記載された数字は本物のようだ。


「―――じゃあ現金でお願いします」


「ありがとうございました」


すぐさま家に戻り、床に入った。

明日の6時に入金の確認をしなければならない。否、既に時刻は0時を回った。正しくは、今日の朝6時前に起床し10万円が振り込まれるかどうかを見届けなければならない。

昨日は色々あった、謎の手紙に10万円、俺の頭では処理しきれないほどのことだ。今日はゆっくりと休もう。携帯でアラームを設定し、俺は吸い込まれるように眠りについた。




聞き慣れたアラーム音が部屋中に鳴り響いた

時刻は早朝5時55分

歯磨きをして顔を洗い完全に目が覚めた状態にした。

目がさめるとカードは消え、手紙は残っていなかったと言った夢オチにならぬように、しっかりとカードと手紙を確認し、スマホを片手に持ちその時を待つ。これが最終段階だ、確認が取れればこのキャンペーンは本物であると自分の中で決めつけることができ、そうすれば残りの29日間、毎日10万円を使うことができるのだ。

そうこう考えるうちに時間はせまり、5時59分になった。

今のうちに確認しておこう、残高のサイトにとぶと寝る前と変わらずその数字は0のままだった。そして6時を迎えた。サイトの更新ボタンを押し、再びそのサイトが姿を現した。

[残高:100,000円]

俺は高々と拳を上げた。吾輩の勝利である。




そっから俺は残された29日間、毎日最大限10万円を使った。普段行ったことのない高級料理店に行き、家のほとんどの家電を最新に変えた。行ったことのないキャバクラに行きボッタクリにあうこともあった。

色々なことがあったがどれも新鮮で今までにない体験だった。それもこれもこのキャンペーンのおかげだ"人生を変える体験をあなたに"と名付けられたこのキャンペーンは文字通り、俺の生活に変化を与えた。

そして時は過ぎていき、期間終了の30日目を迎えた。


【最終章】


「カードを回収しに参りました」


玄関の鐘が鳴り、ドア越しに俺に告げた

玄関を開けると奇妙な仮面を被り、フードを被った怪しい人は黒野(くろの)と名乗った

外では季節外れの大雨が降り、黒野の服はびしょびしょに濡れていた。


「少しアンケートも取りたいので上がってもよろしですか?」


「まぁ、どうぞ」


渋々中に入れることにした。

このキャンペーンを執り行っている人間だ、俺はそれを信じてカードを使った。見た目は怪しさ満載なのだが入れないという選択肢はなかった。

タオルを貸してリビングに座ってもらい、もてなしの茶を入れた


「では〇〇様、アンケートをとらせていただきます。

このキャンペーンをご利用になりいかがだったでしょうか」


「どうもなにも、素晴らしい体験をありがとうございます」


素直に礼を言った。このキャンペーンのおかげで外にも出るようになった。これまでの毎日は家に篭ってテレビを見て携帯をいじり、クソみたいな生活だったからだ。


「他には?」


「他ですか?―――お金の大切さというか、働いてお金を稼ぎたいって思えるようになりました」


「なるほど、お金は重要ですもんね。お金はなんでも買うことができて、ほとんどのものに代用できます。物だったり、幸せだったり、地位や人間でさえも買えてしまうのです。

ですが〇〇様、お金じゃ買えない物があるのをご存知ですか?」


「お金じゃ買えないものですか…」


しばらく考えた。黒野の言う通りお金はなんでも買うことができる。他に思いつくものといえば………

部屋中に目をやり精一杯考えていた時、ふと窓の外を見た。

未だに雨はザーザーと音を立てて降り続いている


「天気ですか?」


「なるほど天気ですか、面白い答えですね」


一瞬黒野が微笑んだ気がした、仮面に隠された素顔から読み取ることはできないが雰囲気でそう感じ取った。


「でも、もしかしたら天気を買えることができるかもしれないですよ」


「いや天気は買えないでしょ?黒野さん」


しばらく、二人の間を沈黙が包み込んだ

聞こえるのは、ただ雨が打ち付ける音だけだった


「ハハハハハハハハハハハハハハ」


沈黙に待ったをかけるように黒野が大声で笑い始めた。

時に手を叩きながら、動物園の猿のように笑う黒野を見ていると不格好で可笑しかった。


「いやー〇〇様、失礼致しました。なんせ久々に人と話すものですから、やはり会話は面白いですね」


そういうと黒野は服を整え、椅子に座りなおした


「では気を取り直して、ほかに思いつくものは?」


気を取り直すもなにも取り乱したのは黒野なのだから。

全く、調子の狂うやつだ


「ほかにですか?」


他に思い当たることはあるのだろうか

ようやく思いついた答えが間違いとすると、もう打つ手がない。この質問は答えのない、なぞなぞのように感じた。


「なぞなぞでしたとか実は答えはありませんとか、陳腐なことを私は言いませんよ。私は答えのない質問をしたりするほど意地悪ではありません」


俺の心を見透かしているかのような発言だった。

そして黒野は器用に仮面の下からお茶を飲んだ


「わからないですかねぇ、それではヒントをさしあげます」


勿体振る黒野と話しているとイライラが積み重なってくる。


「ヒントも何も、答えを教えて欲しいんですけど」


「答えは教えられません。答えを教えてしまうと物語が終わってしまう、これはあなたが気づかなければいけないものだ」


初対面の奴にこれほど頑固でいられるだろうか

骨が折れたのは俺の方だった


「じゃあヒントお願いします」


「よろしい、ではヒントです。あなたは毎日10万円を最大限利用しました。それは1日経つと残りのお金がなくなってしまうからです。これはなにかと似ていませんか?」


そして黒野はこう続けた


「この答えとキャンペーンの本質は同じものです。そしてそれは〇〇様、いや世界中のみんなが疎かにしていることだとも言えます。ここまで言って思い当たることはないですか?」


必死に考えた

今日使わなくても、明日に再び使えるようになるもの

それを次の日に繰り越すことはできないし、貯金のように貯めることもできない。


………ようやく理解した。それは俺に一番欠けていたもの


「―――時間ですか?」


「その通りです、ようやく気づくことができましたね」


再び黒野は声を上げて笑った


「〇〇様、時間というのは表現が非常に難しいものです。時間は無限にありますが有限です。

あなたがキャンペーンで体験したことはこの時間を分かりやすく表現したものだと言えます。

時間つまりこのキャンペーンでいう10万円は使わなければなくなり、次の日にまた10万円という時間がうまれる。その時間をどう使いどう活かしていくのかはその人の自由なのです。

そして、その時間を人はお金で増やすことはできません」


ひとしきり言い終えたあと、黒野は立ち上がった。

そして選挙のために演説する議員のように両手を広げ再び話し始めた。


「時間は皆に平等にあります。あなたは最大限利用しました、それを明日からはお金ではなく時間として無駄にせず、最大限活用することはできるでしょうか?私が行ったキャンペーンの理由はそこにあるのです。人はお金であれば使うのに時間というものを最大限使える人はごく僅かです。それを分かって欲しかった」


ここまで言われて俺は日々の生活を振り返った、俺はこれまで時間の無駄遣いをしていたのだ。働きもせず、テレビや携帯を見る毎日に明け暮れていた。

ようするに何もしてこなかったのだ、特別前に進もうとせず現状維持を繰り返していた。いや、この場合だと退化という言葉が相応しいだろう。現状維持なんて言葉は綺麗事にすぎない、人は進むか戻ることしか出来ないのだ。


「分かっていただけましたか?では私はそろそろ行くことにします」


玄関を開けると黒野はこちらへ振り返った。


「"人生を変える体験をあなたに"というのはこれから始まるのです。今までのはただの前置きでしかありません。

あなたは時間の存在に気づくことができた、それはもう何かが変わり始めているということです」


「―――ほら見てくださいよ」


そういうと黒野は空を見上げた


土砂降りだった雨はいつのまにか綺麗な晴天へと変わっていた。


「あなたは天気すら変えることができるのですよ」


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