「望郷」
3月、空は祝うには向かない灰色をしていた。
桜もまだ五分咲きで、裸の枝が見えている。
後輩たちが作る花道を歩いていると、部活の後輩が俺の前に来た。手には色紙を持っている。
「タケルさん!卒業おめでとうございます!」
「おう!ありがとな。」
一応返事はしたが、声は掠れかけていた。
色紙を見ていると、胸に熱いものが込み上げて来る。泣く予定なんて無かったのに…!
正直すぎる自分の涙腺を呪っていたその時だった。
「もー。泣いてんの?ほらほら元気出して!」
あやすような声で俺に話しかけているのは、俺が今一番聞きたかった声だった。
「なんだよ。お前だって泣くだろ?」
「私は大丈夫なの。笑って卒業するって決めたからね!」
賑わいが去り、後者に残った生徒がまばらになると、俺たちも学校を後にした。
「楽しかったな、中学校。」
「まぁね。高校生も面白そうだけどね。」
他愛ない会話。これももう出来なくなると思うと、悲しかった。
「これから、どうするの?」
彼女が言った。明らかにトーンが違う。
「どうって?」
「だって、私たち遠距離になるし。不安で…。」
遠距離…。
正直何とかなるとは思っていたが、いざ離れるとなるとやはり寂しいところはある。
「大丈夫だよ、ハルカ。高校離れても家近いし。ね?」
彼女はうつむいたままでいる。まさかと思ったが、そのまさかだった。彼女の目から、光る何かが見えた。
いつものハルカはそんなタイプじゃない。
何事にも前向きで、明るく素直な女の子だ。
それが涙を流すなんて…。
「大丈夫。俺たち、どれだけ離れてても、心は一つだから。恋愛って、2人の物的な距離じゃないよ。心の距離だよ。だからお互いにずっと忘れずにいよう?心配しないで。」
鼻をすする音がする。肩を抱いていると、ゆっくりとハルカが顔を上げた。目はキラキラと輝いている。
「ありがとう。ずっと一緒だよ?」
ずっと一緒…。
どこでも耳にする言葉ではあったけど、俺たちは本当にずっと一緒だ。今までも、この先も。
「もちろん。ずっと一緒。」
大きくうなずく彼女の顔は、俺といる時に見せてくれる、いつもと変わらない笑顔だった。
中学のことを思い出して、感傷にふける事が、俺にはよくある。
今でも仲のいいヤツとはよくご飯食べに行ったり、遊びに行ったりはする。
けど、何かそれとは違う。
突然生まれた感情に駆られて、ぼんやりとはしているけど懐かしい気持ちになる瞬間だ。
高校3年生になり3年ぶりの受験生を経験している俺、城崎尊は、そんな感情を抱きつつも、毎日を何不自由なく、幸せに過ごしていた。
俺には1人、とても大事な人がいる。中学の頃に出会った同じバスケ部の女の子、間宮遥香だ。俺もみんなも、「ハルカ」って呼んでいる。
彼女と出会ったのは、もう何年前になるだろう。中2の頃だったから、4年前か。その年の8月のことだ。
その頃はちょうど、先輩たちのバスケの引退試合の時期だった。仲の良かったうちの中学の男女バスケ部には毎年、交流戦と称して、男女混合のチームでワイワイ楽しく試合をする、という企画がある。
その交流戦のシメとして行われるのが、先輩が選んだ次期キャプテンの任命だった。
俺はその時、男子の先輩に新キャプテンに任命され、メッセージを聞いて胸が熱くなっていて、女子の方はあまり頭に入って来なかった。
けど、女子の新キャプテンに任命された子が号泣しているのが目に入ると、俺はその子に釘付けになった。
ああ。この子は本当に、先輩たちが好きで好きで仕方なかったんだなぁ。なんて思っていると、その日の夜だった。
その子からLINEが送られてきていた。
〈男バスの新キャプテン頑張れ!私も女子のキャプテン頑張ります。1年間やり抜こうね!!〉
この子が、間宮遥香だ。
その日以来俺は、今まで以上に彼女を意識することになる。
普段は大人しくて、時折優しい笑顔を見せるような女の子なのに、バスケをしてる時はまるで別人。
大好きなものに没頭する姿に、正直俺は惹かれていたんだと思う。
そんなある日のことだ。
それは本格的に始まった冬に、身を震わせていた12月4日。
部活が始まるまでの少しの間に、俺は彼女に廊下に呼び出される。
その時の彼女の顔は、普段の大人しく暖かい顔だったのを、今でも鮮明に覚えている。
顔を赤らめながら彼女が言った言葉は、こうだった。
『私と付き合ってください。』
それ以来、12月4日は、俺たちにとって一番大事な日になった。
初めのうちはお互いに照れてて、喋れないこともよくあったけど、だんだん慣れてくると、2人でいる時間が楽しくて仕方なかった。
遊園地にも行ったし、夜景も見た。もちろんケンカもした。手も繋いだし、キスもした。
そんなこんなで、自覚はなかったけど、俺たちはいつしか学校中が認めるベストカップルになっていた。
このことはずっと変わらないことで、高校が離れても、何があろうとも誰にも変えられないことだと、俺も、ハルカも含めて全員が思っていた。
けど、それもいつしか狂い始める。
始まりは、高校3年生の夏だった。




