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♭ 17人目

 サイモン・ガーフレックスは、一人、窓から外を見ていた。夜間外出禁止令が出されているため、ここから見える街路には人ひとり歩いていない。だが、それはあくまでも表向きだということを、彼は知っていた。


 ひとたび、視線を部屋の中へと向ければ、そこでは多くの人々が宴を楽しんでいる。ドミノマスク(※仮面舞踏会で、貴族が自らの顔を分からないようにするためにつける目元を覆うマスク)をつけた貴族達が、会食を楽しんでいる。壁掛け時計は、12時は遥か昔に通り過ぎていたが、この場にシンデレラなどいない。貴婦人たちは色鮮やかなドレスを身に着けており、その傍らに立つ男たちはタキシード姿だが、幾分どちらも襟を緩ませている。中には、はだける、というよりも、脱ぎ捨てる、に近いような者までいる始末だ。


 サイモンは、見てられないな、と思うのと同時に、しかしこの状況を好ましくも思っていた。

 貴族と言うのはこうでなくてはならない。

 質素も倹約も我々には似合わない。まして、夜間外出禁止令など、言うに及ばずだ。


「ガーフレックス公」

「どちらの方かな? 」

 声をかけられ振り返ると、背の高い男が立っていた。60代くらいの男だ。この場にはあまり似つかわしくない。サイモン自身も同じくらいの年なのだが、自分はまだまだ現役だ、と思っている。


「ああ、なんだ、グレッグじゃないか。ガーフレックス公なんて、やめてくれ。俺たちの間柄だろう、サイモンと呼んでくれ」

「そういうわけには参りません。あなたは貴族、私は平民です。本当ならこんな場所に来るのも憚られるような身分だ」


 その通りだよ、まったく、とサイモンは思ったが、そんなことはおくびにも出さずにグレッグを見つめた。会うのはもう何年ぶりだろう。数年どころの話ではない。おそらくは十数年ぶりだ。髪は全て白髪になっており、頬にも深いしわが何本も刻まれている。


「君も老けたな」

 サイモンは、とりあえずそう声を掛ける。

「ガーフレックス公は、お変わりなく」

「サイモンだ」

 グレッグはしばし躊躇うような顔をしていたが、呆れたとも、諦めたともつかない微妙な表情をして、

「サイモンも、変わらないな」

 と、言い直した。


「それで、どうしたんだ。こんなところにまで」

「昼間に尋ねても、君はなかなか捕まらないのでね。迷惑かとも思ったが、ここまで来てしまった」

「そうか、それは悪かった。昼間はいつも出ていて屋敷は空けている。一応これでも領地を預かる身だからな」


 もちろん、それは真っ赤な嘘だった。昼間は来客を全て謝絶し、部屋で惰眠をむさぼっているか、もしくは娼婦を呼んで快楽に身をやつしているだけだ。戦後のごたごたでガーフレックス家は領地こそ失いはしなかったが、地位や権力と呼べるものは何一つ残っていなかった。


 だが、それはそれでいい、とサイモンは考えてもいた。

 地位も権力も、あればあったで面白いものだが、もう老い先短い人生だ。今更権力闘争の中に身を置こうとは、露ほども考えてなどいない。

「で、君が来た理由は何だね」

 サイモンがそう問うと、グレッグは沈痛な面持ちで口を開いた。


「何故そんなに余裕ぶっていられるんだ、サイモン。君も気が付いているだろう。今帝都で起きている連続殺人が、一体何なのか」

「ああ、そのことか」


 サイモンは、思わず笑いがこみあげてくるのを抑えることができなかった。

「なにがおかしいんだ、サイモン」

「いや、君は本当に長い間帝都の中心から離れていたんだ、とそう思ってな」


「当たり前だ。僕はもう関わりたくなかったからな。僕は、僕たちのしたことを後悔しているんだ。勝利のため、技術発展のため、なんてお題目の下で、僕たちは一体何十人の人を殺してしまったんだろう。いや、何十人なんかでは済まない。百人は軽く超える」


 サイモンには、グレッグが言っていることの意味が分からなかった。グレッグは確かに百人以上の人間を殺しはしたが、それは彼が決めてやったことだ。他の誰かが命令したのだとしても、直接実験の計画を立案したのは彼なのだ。後悔するなら、彼一人で良い。


「グレッグ。確かに君は多くの人間を殺した。だが、遅かれ早かれ彼らはそうなる運命だった。たとえ43番島あそこで死ななかったとしても、死に場所が変わるくらいの違いしかない」


 サイモンは思い出す。43番島に集められた、数百人を超える兵士たちの姿を。彼らは戦場に送られるはずだったのだが、サイモン達によって、その島に集められたのだった。そして、そこで一生を終えた。人体実験の材料として。


「まるで、僕が一人で殺したみたいな言い方じゃないか。それは違う。君だって実験に賛同していたんだ。集められた兵士の内の幾人かは、君の領地から供出されたんだから」

「なんとでも言えばいいさ。直接手を下したのは3人だけ。他の人間は、無関係だ」


 サイモンはそう言い、グレッグに背を向けた。そして、片手をあげる。

「衛兵、つまみ出せ」


 その言葉に従い、彼の隣に控えていた数名の男たちが、グレッグの腕をつかんだ。

「サイモン! 君は分かっていない。だったら何故、あの実験の関係者ばかりが殺されているんだ。もう残っているのは、僕と、君と、スーヴェンと、それから」

「それから、誰だ? 裏切者はもう死んだ。それに、スーヴェンは私に恩義がある。戒厳令を出したのが誰かわかるか? 私だ。スーヴェンに頼み込んだら、すぐに政府に掛け合ってくれた。私を守るためにね。だが、残念ながら、彼はすっかり君のことは忘れていた。実験を途中で放り出した奴のことなど、彼は覚えちゃいない」


 もう、サイモンは振り返らない。

 グレッグは口を塞がれ、衛兵に引きずられていく。何かを言おうとしているようだったが、それはもう明瞭な言葉にはならなかった。


 その光景を、集まっている貴族たちが眺めている。サイモンは急激に怒りが込みあげてくるのを感じた。

「まったく、ああいう貴族に取り入ることしかできないハイエナのようなやつには困りものですな。大変お見苦しいところをお見せしてしまった。どうぞ、今の光景はお忘れいただいて、残りの時間をお楽しみください」


 サイモンはそう言って、自室へと戻った。

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