雨の街で
「そんなものを注文した覚えはないんだが? 」
背後に立つ何者かに、俺はそう尋ねた。
街はずれの喫茶店『Pierre』。
その窓際の席で、俺はなぜか、首筋にナイフを突きつけられていた。
「野良犬ね」
知らない女の声が返ってきた。
まだ10代後半くらいだろう。
「おいおい、人の首にナイフを突き刺して、野良犬? ふざけているのか」
「まだ刺してないわ」
ああ、確かにまだ刺されてはいない。
「いいから答えて」
「人違いだ」
俺はすぐさまそう答え、すぐにそれが間違った答えだったことに気が付いた。
「あら、それが人だなんて一言も言ってないはずよ」
仰る通りだ。
「旧貴族街のPierreって喫茶店に行けば会えるって聞いたんだけど」
「仰る通り、ここはPierreだ。」
「こげ茶色の髪、黒いコート、それと、首筋の傷跡。この店には、そんな人間あなたしかいないわ」
俺の口からため息が漏れた。確かに、それは俺の特徴だった。
「誰に聞いた」
「それは言えない」
「なら、話はしない」
俺は、話を打ち切って立ち上がろうとした。しかし、それは失敗に終わった。首筋に、鋭い痛みが走ったからだ。
ナイフが、俺の首の皮を薄く切り裂いたのだとすぐに分かった。
血が、首から背筋を伝って下りていく。
「先に言っておくけれど、私は本気よ」
俺は仕方なく、再び背もたれに深くもたれかかった。
そして、しばらく沈黙が下りた。
「バロン」
俺が何も言わないでいると、背後の女がそう言った。
「あ? 」
俺はすぐに聞き返した。
「貧民街の男爵と言う店で、あなたの名前を聞いたわ」
「女教皇か」
「プリステス? 」
「俺の名前を漏らしたクソアマの名前だ」
「ああ、赤い髪の」
「いくら払ったんだ。高かっただろ」
「負けてくれたわ」
「あいつが? 」
俺の記憶にあるプリステスというやつは、そんな甘い女じゃなかったはずだ。子供からだって平気で金を巻き上げる。払えないやつに情報をくれてやるようなお人よしではない。
「お前、何を売った」
となれば、彼女は何かを引き換えに差し出したのだろう。プリステスは金になるものだったらなんだって扱う。情報と引き換えに内臓を買った、なんて話まであるくらいだ。
「教えられない」
やけにきっぱりと、彼女はそう口にした。まぁしかし、彼女の言うことはもっともだ。情報は金になる。彼女が換金できる何かを持っている、という情報は、それだけで金になる。
「そうかよ。で、何の用だ」
「あら、聞いてくれるの」
「お前は対価を支払った。だったらそれに応じてやる必要がある。俺はそういう男だ」
「立派な心掛けだわ」
「ふん」
そして、一枚の封筒が机の上に置かれた。