表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たまごストーリー  作者: みくに葉月
7/15

第六章 夢のようなストーリー

目を覚ますと朝になっていた。

混濁する意識の中、とりあえずうがいをするために一階の台所に向かい、水を流す。生温い水だった。

外からは若干蝉の鳴き声が聞こえる。梅雨が終わり、本格的な夏が始まろうとしていた。


なんだか季節の移り変わりが僕の中で順序だっていないような気がする。

これも記憶のせいだろうか。なんて朝から考え込むほど僕の神経は衰弱していなかった。

僕はいつも通り顔を洗い、朝食を作って食べる。


ここは喫茶店のオーナーが所有している物件の一つだ。本来なら不動産で競売にかけられるはずだったのだがオーナーのご厚意でここに下宿として住まわせてくれることになった。ここは自由に使っていいと言われているので割と快適に過ごすことが出来ているし、家賃がただ同然なので経済的にとても助かっている。

なんといっても寝室の窓から見る景色は格別だった。

都心から少し離れているとはいえどんな景色も見ているだけで騒がしく、鬱陶しく感じるだろうと勝手に決めつけていたのだが、一度窓の外を見てみると心の底から驚いた。

遠くには無限の彼方まで続くのではないかという位広大で、綺麗な森林が広がっていた。

僕は何ごとも見る前に断定してしまう癖があったのでこの時は本当に目から鱗が落ちた。

最近の僕の楽しみはバイトが終わってここに帰ってきて、一息ついて窓の枠に映る青々とした森林と、それと対照的に明るく光る夕焼けを眺めることだ。眺めているといつの間にか僕自身の体がそこに吸い込まれそうな錯覚に陥ることがよくあった。

何も考えなくていい、空を見ている時だけは救われた気持ちで一杯になるのだ。


今日の予定は何もなかったので家でゆっくりすることにした。

好きな本を読んで、好きな映画を見ているとあっという間に時間は過ぎた。

そうしている間に怠惰は罪だなあという感情が頭の中を支配し始めた。

人間は何か目標をもって初めて充実した生活を送ることが出来るのである。そんなことを言う人がよく居る。しかし、実際のところ一生貫き通せるような目標を持つ人間は多くないであろう。みんな取り敢えずの目標を作ってそれに向かって走っている。

けれど、それはあまり的を射たものではない可能性が高い。徒競走でいうところのゴールテープがスタート地点のすぐ後ろに貼られているようなことだってあり得るのだ。そんな不確かなものに僕達は貴重な時間を使って賭けている。僕はそれが馬鹿らしくてたまらないのだ。確かに、その目標がどんな形であれ達成された時、初めて成長を遂げたという実感がるのだろう。走れば筋肉がつく。それはそうだ。だがどうもそれは僕の性分に合わないのである。僕にとってそれらは不自然極まりない人工的なものと捉えてしまうからだ。

傲慢だ。と僕は世間から批判されるかもしれない。働かざるもの、食うべからず。働けば世間に認めてもらえる。だから怠惰は罪なのである。

また、怠惰は罪であれば、同時に罰でもあるのだ。人間は生まれた瞬間から罪を背負う原罪というものが存在する。人間は生きる限り、罪のために苦しまなければならない。生きる苦しみ、それはどこまでいっても解消し難い事物であり、僕達の影に潜んでいる。それを毎日僕達は引きずって歩いているのだ。それが神が定めし運命なのである。そして怠惰はその罪を、苦しみを直接味わうことになる。僕にとってその苦しみは強大なものであった。しかし、怠惰であるがゆえに何の対策もせずにのうのうと生きているつもりで心の底にそれをため込んでいるのである。底の深さは計り知れない。


しばらくの間、その罪と格闘していると玄関のベルが鳴った。玄関のドアを開けるとそこにはいつもよりお洒落をしている飛鳥の姿があった。いつもはポニーテールなのに今日は髪を下ろしていた。

「おはよう鴎君。今暇?」と飛鳥が尋ねた。

「暇だけど」と僕はやや疲れ気味に答える。

「じゃあ上がってもいい?って、お父さんの家だもの、別に聞かなくてもいいよね。」と飛鳥は冗談交じりで言って微笑んでいた。


おいおいと言いながらも僕は飛鳥を家に上げてリビングで紅茶をもてなした。飛鳥が紅茶を嗜むのはバイト中の会話で把握していた。この紅茶もオーナーから貰ったもので、「飛鳥がどうしてもこれが良いというものだから…。」と愚痴をこぼしながら仕入れていたのをよく覚えている。


飛鳥は美味しそうにそれを飲み干すと、そわそわと周りを見回して言った。

「実は私、ここに来るのは初めてなの。お父さんの所有物と言っても一応商売で使う予定の物件だったし。だから一目見ておかなくは!と思って来ちゃったわけ。でもいきなりは迷惑だったかな…?」

「迷惑じゃないよ。飛鳥がしたいようにすればいいさ。」と僕ははっきりした声で答えた。

飛鳥は落ち着かない様子で小動物みたいに部屋の観察をし始めた。部屋にあるのは必要最低限のものだけだ。彼女が部屋の中にあるものを把握し終わるまでに多くの時間はかからなかった。そして暫くすると、部屋の隅に置かれたギターに目が留まったようだった。

「鴎君ってギターを弾けるの?」

「ああ。昔はね。今は弾いてないよ。」

昔っていつだろう。いつから弾いていないのだろう。

僕はそう思いながらギターを手渡すと、飛鳥は絨毯に座り、丁寧にチューニングをし始めた。僕も彼女に合わせて座った。

「飛鳥はギターを弾けるの?」

「うん一応。昔ある人に教えてもらってたんだ。」と飛鳥は言った。


チューニングが終わると飛鳥はビートルズのスタンドバイミーを弾き始めた。

彼女の指がはじく一音一音は綺麗に折り重なり、完璧なアルペジオを醸し出していた。

僕はその音に包まれながらその一音に僕を映し出してみた。メジャーコードなら幸せな顔、マイナーコードであると悲しい顔が浮かぶ。しばらく意識をそこに集中させていると、不思議とその投影図がいつの間にか僕から飛鳥へと変わっていた。飛鳥はまるで自分自身を音だけで表現しているかのようだった。一音一音に映った飛鳥はどれも綺麗だった。


演奏が終わると飛鳥は照れながらも「ありがとうございました!」と演者みたいに言った。

僕はぱちぱちと手を叩いてノリに乗った。

そんなこんなで僕と飛鳥は色んな話をした。オーナーの昔の女の話や、奈津美さんのこと、最近よく来るお客さんの話など、二人に共通する話題を選んだ。時間が早く進むには簡単すぎるほど僕達は意気投合した。

「あら、もうこんな時間。」と飛鳥は部屋に時計があるにも関わらず腕時計を見て言った。

「何か用事?」と僕が尋ねると。

「うん。奈津美と二人でご飯を食べに出かけるの。あとちょっとしたら出かけないと。」と飛鳥は言った。

「なら最後に見せたいものがあるんだ。」そう言って僕は彼女を二階に連れて上がった。部屋に入ると僕は閉めていた窓を開け放ち、彼女を外が良く見える位置に立たせた。

「すごい。夕焼けだ。」

「僕が一番好きな景色だよ。」

「すごい。あんなところに森があったなんて知らなかった。本当に綺麗。」


飛鳥はそう言って持っていたギターを弾き始めた。曲名はよく覚えていないが多分オアシスの曲だ。

その曲はメラメラ燃えるように光る夕焼けとよくマッチしていた。

僕と飛鳥は演奏が終わってもずっと夕焼けを見ていた。それはまるで、夢のように美しい眺めだった。この時間が一生続けばいいのに、と僕は心の底から願った。しかし、その願いはかなわず、パッっと辺りが暗くなった。夜だ。

僕は虚しくも目をつむり、「もう降りようか」と言おうとした時、彼女は僕の頬に口づけをした。

そして、「ありがとう、鴎君。わたしは鴎君から大切なものを貰ったよ。君は何が欲しい?」と飛鳥は言った。

彼女は微笑むとそのまま帰って行った。僕はまるでマネキンみたいに、時間が止まったように、あるいはセメントで固められたようにその場に立ち尽くしていた。

時間は本当に止まるのだ、と一階に降りて時計を見た時にはじめてそう思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ