第十四章 たまごストーリー
冬の風はとうとう本番に差し掛かり、外にある上りや自転車などはことごとく吹き飛ばされてしまった。もしかしたらこの風は誰かが怒っているせいなのかもしれない。
僕は何となくそう思いながら喫茶店までの道を歩いていた。
この日はヨダカが喫茶店に来る日だったがいつまで待っても来なかった。
もしかしたらヨダカの身に何かあったのかもしれない。もしくは何かを予期されたのかもしれない。
とあれこれ考えていたがとうとう彼はやってこなかった。
次の週も、その次の週も彼は来なかった。
もしかしたら彼はもう僕達と会わないことを決意したのかもしれない。僕はそう思った。
しかし、ある時偶然彼と遭遇することになった。
ある日僕は喫茶店で勤務を終えてから歩いて中心街に向かっていた。
その途中で家電屋さんがあったのだがその展示コーナーにヨダカの姿があったことを認めた。
その瞬間、ヨダカの方もこちらに気づいたようで手を振った。
「ヨダカ、今まで何をしていたんだ?」
「迷惑をかけたようですまなかった。でも、俺はもう鴎も飛鳥とも会わないって決めたんだ。もう関わりたくないんだ。俺はもう一人で生きていく。」
「矢田さんから何か言われたのか?」
「いいや、あの人に会ったは会ったが特別何かを吹き込まれたわけではない。ただ、俺の中の本当の自分を呼び起こすヒントをくれただけだよ。」
「ヒントって?」
と僕は少し控えめに質問した。
それは、最初は気が付かなかったが、ヨダカの様子が前に会った時とまるっきり変わっていたからだ。
変わっていた、というレベルではない。それはまるで、彼の全身細胞が全く違う遺伝子に組み替えられたのではないかという程に異化していた。
「こんな話を知ってるか?傘の人間は高い知能を持っているが故に、かつて賢者と呼ばれていた時代があったらしい。傘の人間は全員何らかの専門分野に対して深い知識を持っていた。それは今でも同じで、俺の場合は脳力学、飛鳥の場合は心理学を深めていたな。無能な人間なんていない。俺達はそういう人種なんだ。たまに、賢者は自己陶酔の代物だとかあることないこと言って「知の極意」をひけらかし、賢者達を揺さぶった大バカ者も居たがそれは過去の話だ。今は賢者こそが絶対的な正義だ。膨大な知識こそが全てなのだ。それ以外には何もない。この世界の人間達は傘の人間からすればゴキブリのようなものさ。それを矢田さんは教えてくれた。それを知るとお前たちがさぞかし馬鹿野郎に見えた。そしてこの世界に順応して生きることが可笑しく感じてしまったのだ。だから、本当の自分を知ってしまった以上お前たちと関わることは出来ない。だからもう会わない。」
ヨダカはそう言い終えると僕のことを見下ろした。
ヨダカのそれは害虫を見る目そのものだった。
「ヨダカ、それがもし本当だとしよう。でもそれは傘の人間の性質の問題であってヨダカそのものの問題ではないだろう?だから、そんな話をしたところで僕は納得できない。君が矢田さんから何を吹きこまれたかは知らないがそれは間違っているだろう。」
「間違っているとは何か。お前が何を知っているんだ。」
「何も知らない。何も知らないけれど僕は君の友達だ。友達がゆえに君が間違った方向に進まないように止める責務がある。」
「ふざけるな」
と言うと、ヨダカはせきをきったようにまた話し始めた。
「あの国渡りの日、俺は警備隊とグルになってお前たちを裏切った。それはお前たちが憎かったからだ。お前が飛鳥と関係を築き始めた時、既に俺の中では刻々と憎悪の風船が固まり始めていた。ずっとお前たちを軽蔑しながら生きていた。隙あらばお前たちを陥れてやろう。そう思っていた。そして国渡りの日、俺はお前たちをこの世界に送り込んだ。」
ヨダカはもういつものヨダカではなくなっていた。
いつも柔らかな笑顔で周りを和ませてくれていたあの表情はどこにもなく、無表情で冷徹な顔がそこにあった。その雰囲気は完全に傘の人間としてのヨダカであった。
僕はそれに意識を澄ましていたせいでヨダカが何を言っているのかもう分からなかった。
しかし、今口を止めるわけにはいかないのだ。
「ヨダカ、聞いてくれ、僕は君に感謝しているんだ。それは僕が飛鳥と居ても何も文句を言わずに居てくれたからではない。毎週喫茶店に来てくれていたからだ。もちろんただ来ていたわけではないだろう?僕達の身を心配してくれたからじゃないのか?本来僕達がここに追い出されても君がここに来る必要はなかった。それは後から己を見つめ直して後悔した時にまた連れ戻そうと僕達を追いかけてきたからじゃないのか?」
「やめろ。」
「やめない。」
「やめろって言ってるだろ。」
「やめ…。」
「黙れ!」
この時初めてヨダカの顔に表情が出た。まるで鬼のような顔をしていた。
「もうお前たちとは関わりたくないんだ。俺がお前たちと関われば関わる程俺の中の何かが壊れていく。もう嫌なんだ。自分が自分でなくなるのは。だから、もう終わりにしよう。」
そう言うとヨダカは風のように去ってしまった。
それはあっという間の出来事だった。
僕には何もすることが出来なかった。これがもし自然な成り行きのせいだというものがいれば僕は神を恨むことになるだろう。僕はこのやり場のない虚無感に襲われ、長い間立ち尽くしていた。
それが何時間か何日かも分からなければ、そこからどうやって歩いて喫茶店まで行ったのかはもう覚えていなかった。
あの警備隊は福富家がよこしたものではなかった。
あれらは全て不知火ヨダカが用意したもので、全て茶番劇だったのだ。
しかし、それに対して僕は怒りも、悲しみも何も感じない。
ただ感じるのは彼に対する罪悪感のみだった。最後まで何も出来なかった。いや、何もしなかったのだ。ヨダカの苦悩に薄々気づいていたはずだった。
しかし、僕に有利な状況であったがために僕はそれを無意識のうちに封じ込めてしまったのだ。
彼の罪を生んだのは僕の罪のせいだ。
罪は罪を呼ぶ。
僕は傘の人間よりも冷たい人間だ。
そう思った時、僕は初めて悪魔になっていることに気が付いた。
何もしていないことが罪になり、それがゆえにたくさんの人を傷つけた。
飛鳥だって、本当は僕となんか付き合いたくなかったのかもしれないのだから。
「………!」
「…」
「…!!」
遠くから僕を呼ぶ声が聞こえる。
また夢を見ているのだろうか。そう思い、目を開くように努めた。
目を開くとそこには飛鳥の姿があった。度周りを見渡すと喫茶店にいることが分かった。
「良かった。鴎が遅刻してきた、と思ったら急に気絶するんだもの。本当に驚いたわ。」と飛鳥は言った。
「大丈夫だよ、心配かけてごめん。」
僕はそう言って飛鳥にヨダカの全てを伝えた。その間、飛鳥は真剣に話しを聞いていた。
「やっぱり、ね。」と飛鳥はそう言ってため息をついた。
このことを飛鳥に伝えることはとても辛かった。飛鳥にとってもヨダカは親友だったのだから。
しかし、飛鳥は優しく応えてくれた。
「でも、これはいつか起こることだったのよ。だから誰のせいでもない。鴎は何も悲しむ必要なんてないわ。」
「そう簡単に割り切れないよ。」
「割り切らなくてもいい。でも、前は向かないといけない。私達は記憶を失ったと同時に居場所も失ったの。なら、ここで新しい居場所を作っていけばいい。私達の手で。」
「僕たちの、手で。」
そう言った時、僕は心の中で苦笑した。この時、僕の中では既に新しい世界が構築されていたのだから。
人間は馬鹿野郎だ。




