第十三章 飛鳥ストーリー
試験勉強が終わった飛鳥は晴れて自由の身となり、頻繁に顔を合わせるようになった。
気づけばもう十二月だった。外の気候は一気に冷え込み、街路樹の木の葉はみるみる剥げていき、今では秋の面影を感じ取れるものは何一つなかった。
思えば十一月は読書の秋というように、僕も飛鳥と会えない悲しみを振り払うように読書に耽っていた。読書というものは耽っているうちに永遠とでもいえるのではないかという程の時間の長さを感じるものであるが一旦過ぎてみると何のことではない、秋の景色など一瞬であるような気さえした。
僕はオーナーが買い出しに行くというので飛鳥と二人で喫茶店の店番をしていた。
僕と飛鳥が二人で店番をするのは初めてのことだったが、逆に言えばそれ以外は全て日常通りだった。
相変わらず昭和感丸出しの店内の雰囲気、窓の外、客の入っていなさ、全部が僕の中の一部と言えるほどそれらは僕になじんでいた。
しかし、飛鳥だけは特別だった。どれだけ接していても決してなれることは無かった。それは悪い意味ではなく、いい意味でだ。きっと、慣れた時が僕達の最後なのだろう。
「鴎君、ちょっと休憩しない?ちょっとくらいなら平気だよ。」
そう言って飛鳥は自分でコーヒーを作って客席でそれを飲み始めた。僕も溜息を吐きながらも彼女に合わせて椅子に座った。
「鴎君、なんだか久しぶりだね。」
「そうだね。」
窓の外は相変わらずだった。外を歩く人たちは何も変わらない。変わるのは季節と彼らが着ている服だけだ。冬の風が空気を切っていた。その音は中にいても手に取るように感じることが出来た。
「鴎君。」
「なに?」
「なんだか嫌な予感がするの。怖いの。」
「大丈夫、きっと何も起こらないよ。起こっても最終的には君の納得のいくようになるさ。」と僕は言った。
そう言ってからどれくらい時間がたったのかは分からないが、次に窓の外を見た時に真っ暗になっていたことには大層驚いた。まるで時間が誰かによって操作されたかのような不気味さだった。
僕達はただぼーっとして椅子に座っていただけなのであった。
暫くすると店のドアが数時間ぶりに開け放たれた。
僕はドアが開け放たれるまで、店の中だけの世界を構築していたので一瞬何が起こったのか分からなかった。僕はドアの方を見ると、それが矢田さんだったことに気が付いた。
「いらっしゃいませ。」と飛鳥がそう言って慌てたようにカウンターの方に走っていったが、それを矢田さんが制した。
「いや、そんなに慌てなくて大丈夫だよ。ゆっくりでいいから紅茶を一杯だけ頼むよ。」
「かしこまりました。」
飛鳥は怪訝そうな顔をして奥の方にいくと矢田さんは四人掛けテーブルの僕の隣に座った。
「矢田さん、急にどうしたんですか?」
「客が店に来たら悪いかね?」
「…」
奥の方からやかんが沸騰する音が聞こえる。
「いや冗談だよ悪かった。それだけじゃない。わたしは今まで君の色々な部分を見透かしてしまった。そのことも含めてわたしは君に大変申し訳なく思っているよ。」
沸騰したやかんの音が店内を包み込む。
「…謝りに来たんですか?」
「いや、残念ながらそんなことをしている暇はないね。今日は君に伝えないといけないことがあってきた。」
音が止まない。
「それは飛鳥がいるところでじゃないと駄目なのですか?
「そうだとも。君の彼女がいないと何もかも説明が出来ないんだ。」
ようやく沸騰の音が止まった。
「…それで、どんな話をするんですか?」
「いや、実のところ君に用事はないんだ。少し黙っててくれるかね。」
と、矢田さんが言ったその瞬間に僕の意識は閉ざされた。それは何が起こったのか、誰がやったのか理解する前になされた。とにかく僕はそのお陰で長時間意識を失うことになったのだ。
喫茶店からは遥か遠いどこかで僕は夢を見た。
僕は罪を犯してしまい、追われる身となっていた。
僕はあちらこちらへ逃げ迷い、誰にも依存しない生活を余儀なくされていた。
そんな中、警察の罠に引っかかり、僕はとあるショッピングモールで袋の中の鼠の状態になった。
そんな時、たまたま僕が好きなバンドのライブがフリーステージで行われていたのでそこで鑑賞することにした。しかし、それは程なく、最後まで見ることが出来なくなった。僕は警察に捕まり、パトカーに乗せられてどこかに行ってしまった。
そこで目が覚めた。僕はその時自分が本当に犯罪者になったのではないかと思い、恐怖を抱いた。
自分が鴎という人物であり、犯罪の「は」の字も起こしたことがないという事実を思い出すのに多少ばかり時間が必要となった。
「気が付いたかね。」と矢田さんが言った。
「一体僕に何をしたんですか。」
「わたしは飛鳥さんと二人で話をしたかったのだ。そのために多少強引でも一時的に君の意識を落とさせてもらった。」
矢田さんにぶつける怒りのエネルギーは僕の内部のどこを探しても見つからなかった。あるのは僕と矢田さんの、ある面での圧倒的な能力の差であり、一種のジェラシーであった。
「飛鳥は…」と僕が尋ねる。
「ああ、彼女なら奥で寝かしているよ。少しショックが大きかったからね。」
「何をしたんですか。ちゃんと教えて下さい。」
すると矢田さんは少し首を振ってから答えた。
「ヨダカ君が君に言ったことと同じようなことを言ったのさ。それだけだ。」
「すると、飛鳥は記憶が戻ったのですか?」
「戻った。というには少し語弊があるかもしれない。彼女の中にある記憶を呼び起こすことには成功した。しかし、それを今の彼女の記憶と合わせて定着させるにはまだ時間がかかりそうだ。そのためには君の努力が必要だろう。」と矢田さんは言った。
「僕は一体これからどうすればいいんですか?」
「鴎君にはもう見えているはずだよ。記憶が戻ったからね。」
「飛鳥のですか?」
「鴎君のだよ。」
矢田さんはそう言うとドアを開けてどこかに行ってしまった。それから矢田さんの姿を見ることは二度となかった。
暫くすると奥の方から飛鳥が歩いて出てきた。
特に見た目は何も変わっていないようだったが、明らかに雰囲気がさっきと違っていた。それは昔の飛鳥そのものだった。そう思った時、僕は初めてこの世界で一人じゃないということを認識したような気がした。
「思い出したわ。何もかも。矢田さんっていう人は私達の何もかもを知っているようだった。発信機を仕掛けられているのかしらね。」と飛鳥は言った。
「思い出したんだね。良かった。」
僕がそう言うと飛鳥は本当に嬉しそうな顔をした。しかし、すぐに真剣な顔になって言った。
「私のお父さんが本当のお父さんじゃないことを知らされた時は流石に驚いたけどね。けど不思議と悲しくなかった。それはもういいの。それよりも、私は鴎に言わないといけないことがあるの。あの国渡りの日のことを。あの日、ヨダカは私達を庇って警備隊に捕まった。そう思っているわよね?でも実際はそうじゃなかった。…グルだったのよ。あの警備隊はヨダカが雇った偽物。ヨダカは私達を傘の世界から追い出そうとした。どうしてかわかるかしら?」
「いや、分からないな…どうして?」
「ごめんなさい。それは私の口からは言えないわ。これは私達三人の仲に関わることなの。だから予感や思い込みで間違ったことを言いたくない。けれど、思い当たる節はあるつもりよ。鴎くんだってそうじゃないかしら?とにかく矢田さんはそう言っていた。それだけは確かよ。」
「ああ。」と僕は言った。
「それに、人を好きになること自体は罪じゃないもの。」
飛鳥はまるで喉の奥から言葉を絞り出すようにそう言った。本当はそんなことを言いたくもないだろう。しかし、言わなければならないのだ。
「罪じゃない、ね…」
僕は天井を眺めながらそうつぶやいた。出来ることなら天井と同化したかった。




