第十章 ムカシストーリー2
「ねえ、本当に大丈夫?もしばれたりしたら取り返しのつかないことになるよ?」と飛鳥は珍しく弱気な声で僕達に話し掛ける。
「大丈夫。ここまでくればいくら天下の役人とも称される福富一族でも流石に見つけ出すことは出来ないはずさ。」とヨダカは自慢げに答える。
あの日、僕達は役人の目から逃れるために傘の外部、城壁沿いを歩いていた。
傘の世界は卵と同じような構図になっている。傘の国が所謂卵の黄身を示していて、その外部の雪平原が卵の白身を示している。それより先へ行くと境界があり、それを潜ると国渡りが成立する。雪平原の雪は半年間は絶対に融けない。傘の世界の一年の半分は冬だからだ。
傘の世界は国によって管理されており、国外の銀世界も全て国が所有していた。
国内では国民の行動が制限されており、常に軍隊による監視があった。
その代わり、国外の警備は手薄だったため、国の出入りは案外簡単に出来た。
国の外に出たところでそこには雪の大平原しかないから警備する必要がないのだ。
「でも、ここまで逃げたところで何も解決しないのよ。きっと、わたしはもう運命を受け入れるしかないの。」と飛鳥は言った。
福富一族は傘の国を支えている役人の一族のうちの一つだ。飛鳥はその令嬢ということになる。
となれば飛鳥は相当な身分ということになり、政略結婚の道具にされることは当然の摂理であった。
飛鳥は来月、多くの政治のスペシャリストを輩出している西園寺家の貴公子である西園寺朱雀との婚姻が決まっていた。望まない結婚だった。だからこの日、鴎とヨダカは飛鳥を助けるために家から引きずり出し、傘の外まで連れてきた。
「大丈夫、飛鳥は僕が守る。望まない結婚なんて絶対させるものか。」と僕は強気で言った。
飛鳥は少し頬を赤らめて「ありがとう。」と呟いた。
「もし鴎が政治のスペシャリストだったら万事解決なんだけどな。」とヨダカは笑いながら言った。
「冗談きついなあ」と僕も笑って言った。
僕の職業は学者だった。学者なんて全然儲からない。何か成果を残さないと一銭ももらえないのだから誰も学者になろうとはしなかった。僕の研究の目的は傘の歴史、構造、社会をあらゆる学問から眺めることによってこの世の仕組みを突き止めるることだった。
かつての研究によって一つ分かったことがあった。それは、傘の人間は皆心の中のどこかに冷たいものを抱えているということだ。その冷たいものはどうやら半自動的に構成されるものらしく、この傘の世界そのものがその要因となっている可能性があるのだ。
つまり、傘は負そのものであるとも言える。
傘の人間である僕達は傘によって負のエネルギーを供給され、僕達の中に負が蓄積される。僕達はあの世界で生きている限り負であり続けなければならないのだ。
僕達三人は話し合って次の日の夜に国渡りをすることになった。
傘の国に居続ければ飛鳥は一族の力によって望まない結婚をさせられてしまう。
そうなるのは僕にとっても、飛鳥にとっても絶対に嫌だった。だから賭けることにした。
国渡りをした人間が化け物になってしまうというのは嘘であるということに。
この国のエネルギー源は負である。僕達傘の人間は気づいていないだけであって、ここに留まっていても結局は外部の力によって本来の自分ではない何かに作り替えられてしまうのだ。
だったら、冷たい人間になって不自由に暮らすよりも、喩え怪物になったとしても飛鳥と共に歩める道を選ぶ方が良い。
次の日、僕達は広場で集合する約束だった。しかし、どれだけ待っても飛鳥は現れなかった。
「飛鳥、どうしたんだろう。」とヨダカは心配そうに言った。
僕も心配だった。昨日きちんと約束したのに来ないのはおかしかった。
案の定、緊急事態が起きていた。飛鳥の結婚が早まって、急遽今日になったそうだ。飛鳥は家に閉じ込められ、準備が進められていた。
「勘づかれたか。」
「いや、そんなハズはない。あの時周りには誰もいなかった。」
「話している暇はない。とにかく急ごう。」
「どうする?」
「俺が飛鳥の家に乗り込み、飛鳥を外まで連れ出す。そして鴎が飛鳥を連れて境界線まで行き、そのまま国渡りをするんだ。」とヨダカは言った。
「その後、ヨダカはどうするんだ?」と僕は聞く。
「俺は援護をする。国の外に出るまでは危険だからな。それからのことは…その時決めるさ。」
僕達二人は飛鳥の家に侵入し、それから飛鳥を連れ出すことが出来た。しかし、その後警備隊が追いかけてきて、僕達は国を出る手前で追い詰められた。
その時、ヨダカは僕達の背中を押して言った。
「行け」
一人でどうにかなるものではなかったが、ヨダカのその眼光からは並々ならぬ決意が感じられた。
僕達はヨダカを置いて走って国外に逃げたが、警備隊はどこまでも追いかけてきた。挙句の果てに力尽きて飛鳥は倒れこんでしまった。
「鴎!先に行って!」と飛鳥は言った。
「飛鳥を助けるためにここに来たんだ。そんなこと出来るわけないだろ。」と僕は答えた。「違うの」と飛鳥は言ったが僕にはその意味が分からなかった。
そこへ警備隊が飛んできた。飛鳥が連れて行かれてしまう、僕はそう思った。
しかし、それは予想に反し、警備隊は銃を飛鳥に向けて撃ち、飛鳥の姿を消してしまった。
警備隊は最初から飛鳥を連れ戻す気はなく、国の利益に反する行動を起こした反逆者としてこの世界から排除するつもりだったのだ。
僕は撃たれず、警備隊はそのままもと来た方角へ帰って行った。
傘の世界は負そのものだ。僕はこの時、そう思った。
傘の世界を抜け出すことで僕達は負の感情をかなぐり捨てることが出来る。
僕は訳も分からず走り出した。
途中、何を言っているのか、自分でも分からない言葉を叫びながら走った。
走って走って走って、走った。
僕は境界線にたった一人でたどり着いた。
そして、一歩を踏み出した。その時、後ろから何者かの気配を感じた。




