私が私であるために。
誰かが言っていた。それだけは覚えている。
白く塗りつぶされた視界の中、彼女はそっと囁いた。その誰かが言っていた言葉を口にした。
それだけでこの世界は瓦解する。急激に回り始めるセカイの音は、キュルキュルキュルと一昔前のビデオを巻き戻す音によく似ていた。
「私が私であるために」
そう呟く少女の姿は今にも消えてしまいそうに透き通っていた。伸ばした手の向こう側が見えるのは、なんとも不思議な体験だった。それすらおかしくて、ふっと口角が上がる。
私が私であるために。そう、誰かが言っていた。それだけは、確信を持って言える。
彼女に名はない。誰かが囁いた言葉がそれだとしても、彼女はそれを名として認めなかった。
故に、彼女に名はない。個として不完全に成り立つ彼女は、だからこそ今にも消えそうにその体を透明にしていく。
彼女を個として確立させていたのは、一つの事象だけではなかったはずなのに。それすら巻き戻る時間によって消えていく。彼女が消えていく。
けれど、彼女はそれを嘆いてはいなかった。これでようやく始められる。新たな一歩を赦してもらえる。そんな気持ちさえ芽生えていた。
これからどうしていこう。そんな囁きすら、甲高い巻き戻る音に掻き消されてしまう。
「さぁ、今度はどうなるかな」
「私を見つけられるかな」
「私は私を覚えていられるかな」
「……ねぇ、」
彼女の色を失っていく目がこちらを向く。それに驚いて、体の一部が揺れた。
「キミも、私とおんなじだったんだね」
彼女は口角を上げている。つまり、笑顔を浮かべている。気付くはずのない存在に笑みを向けている。
「ごめん。道連れにして。今度は、引き分けでもない、勝ちでもない。本当の負けを、取りに行こう?」
彼女が囁く言葉は、甘くて甘くて仕方なかった。だからこそ、猛毒だと思った。
体を保てていない存在は、口にすることもできない。ただ、ゆらりとその体を揺すった。
「ありがとう。そして、またね」
彼女が消える。光の粒子となって、始まりの地へと戻っていく。それを見ていることしかできない存在は、光の粒子の流れに寄り添うように消えていった。
ここは、何処だろう。
貴方は誰だろう。
貴方が生きていた意味は何だろう。
貴方が存在していたセカイは、本当に存在しているのだろうか。
自分が生きている道を疑問に思うことはある?
その問いかけは、誰に問うでもなく宙に融けていった。
歯車にもなれない。自分の生を。淘汰されるだけのセカイに存在していた生を。知らない振りをするしかない死を。今、見つめていた。
死とは何だろう。
生きるとは何だろう。
答えのない疑問。尽きることのない、また、人によって違う答えを有するもの。
貴方の答えは何ですか?




