猫は人見知りする
猫化体質は確かに私にとって、少しばかり、面倒なものではあったがそれだけでもなかった。
まずなんといっても、身体能力のそれも格段に猫のそれと近くなったのだ。
夜の暗闇の中でも、おそろしく目が見えるようになったし、遠くの音もさらえるようになった。
足は速くなった。ジャンプも、着地も、人としてはおかしいレベルで上手く出来る。
魔法が人より使えるだとか魔力が多いだとかそんなことは無かったがそれでもこの身体能力は有難いなぁと心から感じた。
兄からの逃走成功率が格段に上昇するからだ。
そして、いいことがまたひとつ。
人に撫でられるというのが、とても心地いいものだと知ったのだ。
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10歳のちょうど夏、王国の北に位置するノーゼンメイデン城に避暑目的でお客様が来ることになった。
その関係で城内は忙しなくなり、一応は姫であるらしい私を見張るような目も俄然少なくなった。
猫化を覚えたばかりの私はよく猫になって城の中の行ったことのないような部屋や、隠し扉や、内緒の通路、日当たりのいい安全な木や、城下の街が一望できる場所など、探すのに明け暮れた。
母様のお墓に行く近道なども見つけた。
これは私の人生における最大の手柄といっても過言ではなかった。
(もちろん勉学やマナーレッスンをさぼったりはしていない。お茶会や、ドレスの採寸などは適当にした気はする。)
「シャル、おいこら、逃げようとするな。」
「わっ」
兄に背中を引っ張られる。
朝ごはん後の、少し眠くなって油断したときだった。
「…なんだ兄さん」
「お前、なんか最近隠し事してないか」
「兄さんに隠し事など、してるに決まってるだろう!」
「そうやってのらりくらりするな、こらシャル、シャーロット!」
兄はさすがといってはなんだが、カンが鋭く、まぁしかしいつものようにその質問は躱していた。これから永遠にこの躱し方をするだろうと10歳ながらに思った。猫は身軽なのだ。
「今度来る客だが、リアムと言う。
王都にいる俺の友人だ。迷惑かけるなよ」
兄であるシャンテは幼少のころから、ノーゼンメイデン公爵である父に連れられたびたび王都に行っており、今度来るお客様とはどうやら知り合いであるらしかった。
「昔、俺達も王都にいただろう?そのときから友人なんだ。シャルも会ってるはずだが、覚えてないか」
まだ母様が生きていたときは王都の邸宅に住んでいたらしいということは知っているが、私には母様との記憶があまりなく、王都暮らしのことも覚えてはなかった。
なんでもいいからとにかく大人しくしてろよシャル。
兄はそう捨て台詞を遺し、そして私は、兄の背中に向かってアッカンベーをしてから、父に泣きついて父から兄へ鉄槌をくだすことを企んだのだった。
その日のうちにお客様とやらがきた。
金髪碧眼の、いわゆる物語に出てくる王子様だった。
馬車でなく、馬に乗ってきたようだった。
何人かの従者だけつれていた。
父が優しい笑みで、この地は暑さも少ないですから、夏の間、ゆっくりなさってくださいと言った。
兄が、リアム久しぶり!と走り寄っていった。
私は、恥ずかしながら、人見知りをした。これまで父兄、侍女、執事、親戚以外あまり交流してないことが仇となった。
「こんにちは姫君。リアムと申します。ひと夏の間、よろしくお願いいたしますね」
兄と同年のくせにこんな……柔らかな対応だと……。
私の人見知りはさらに爆発した。
コクコクと壊れた人形のようにうなずくことしかできなかった。
父に促され、名を名乗ることを思い出せたのは本当に良かったと思う。
「しゃーろっとと、もうします。
りあむさま、よろしければ、しゃると、およびください。」
あまりの緊張に、私はいつものような私でいられなかった。
「美しい銀の髪だね。それと、深い深い、海の青の瞳だ。シャル、小さなお姫様」
!!!
「りあむさまも、その、おそらのような、あおいひとみ、きれいです!!!」
そう言うだけ言って、走り逃げた。
「ノーゼンメイデン公爵、シャンテ。あなた方の大切な小さな姫は、たいそう恥ずかしがりやで、たいそう足が速いようだ」
「殿下、申し訳ありません。
娘はお転婆で、毎日城を走り回っておりますゆえ」
「父上が甘やかすからです。
…リアム、すまない。あれには俺がきつく言っておくから」
残された3人の会話は聞こえなかった。