とある都市2
彼女は、ああ、現実はこんなものなんだなと理解した。これまでの日々が泡沫のように思えて、現実をきちんと把握できていないようだ。これが、自分の背負ってしまった業なのだとすれば、これまでの境遇なんてものが、陳腐で歪で、腐りきっていたものだと、理解できてしまった。
周囲はやけに騒がしい。人々の営みが日に日に増していると彼女は感じていた。それがたったひとつの犠牲によって成り立っていると、彼女は知っている。いや、彼女以上にそのことを実感できている人間など、この世には存在しない。それを悲しいと思うことはない。それがどうしたと、彼女は思っているだろう。
「あの、すみません。ちょっと行きたいところがあるのですが……?」
彼女は、道行く隣人に声をかける。けれど、そいつは一瞥すら送らず、そのまま雑踏に流れ込んでいく。呆然と、そして仕方がないとばかりに見送る彼女は、ひとつ溜め息を漏らす。どん、と立ち尽くしていた彼女にまた別の誰かがぶつかる。
「あぅ、す、すいません……」
けれど、そいつはまたも何事もなかったかのように自らの道を進んでいく。誰もが、笑っていた。彼女が声をかけた誰かも、彼女にぶつかった誰かも、また別の誰かとの談笑を楽しんでいた。彼女はこの光景を、幸せという概念の体現だとさえ思った。憧れもなく、恨み辛みもなく、ただそう思った。
彼女はようやく自覚した。というより、諦めた。この変化こそが、途方もない奇跡を生んだ代わりに世界を捻じ曲げてしまった結果なのだと、否応なしにわかってしまう。
そして、彼女は振り返る。彼女は何もかもを捨てた。諦めというより、そうしなければいけないと思ったから。そして、捨ててしまったことの後悔をすることをようやく諦めた。彼女の宝物は、あるべき場所に、あるべき姿で存在し続けるだろう。けれど、そもそもの話をするならば、彼女が宝物を手に入れることなど到底不可能であり、置いてきたとしてもそれがあるという事実が支えてくれる。
彼女の行いは、決して理解されることはないだろう。それは、苦労に苦労を重ねて手に入れたものを捨ててしまうことにほかならないからだ。喜びを感じる間もなく、怒りを感じる間もなく。哀しみも、楽しみも感じる間もなく、彼女はそれを捨てた。だから、その行いは、彼女の自己満足でしかなかったのかもしれない。自己の証明、彼女がどれだけ願おうと手に入れられなかったもの、どこにでもある、ありふれた幸福の形。