とある騎士
エルデ王国近衛騎士団団長、エルデリック・カートンは苛立ちを隠せないでいた。人民からの信頼も厚く、気軽にエル、エル坊、エル様と呼ばれている。エルはエルデという国を愛していた。国名が入っている自らの名前を誇らしく思うし、実際に国を守る立場にいるのだ、これ以上の望みは不相応というものだろう。エルは国益を守るためなら、エルデのためになるならば、自分はどれだけの泥をかぶってもいいと思っていた。しかし、団長という立場がそれを邪魔する。自分がかぶるべき泥を、先の長い若者が代わりにかぶるのを見続けて、それでもエルデのためになるのならばと我慢を重ねていた。心のどこかで組織というのはそういうものだとも思っていたからだ。
エルは人一倍、国王に対して忠誠を尽くしていた。先王は何者かに暗殺され、その責を受けた前騎士団長はその身を捨てた。暗殺の危険を察知した団長が王宮に入ったが、先王は既に息絶えていた。その代の聖女も同じだった。副団長として付き添ったエルは、死を確認し悔恨の表情を浮かべる団長の顔をよく覚えていた。そして若くして即位した国王から直々に指名を受けたのがエルだ。だからこそ、その信頼関係はかつて地獄と呼ばれた海を泳がされようと揺らぐことはない。
だが、今回のことは、エルには理解できない。エルデ王国の北方を塞ぐ巨大な森。通称常闇の森。それの排除を国王はお許しにならない。あれのせいで、エルデの物流は大きな石に塞き止められたように遅れてしまう。国王の施策で、海運が発展しているエルデは今現在一大発展を遂げている。そこにさらに北からの往来が増えれば、さらなる発展が見込めることは疑いようのないことだ。無論、あの森を排除するに至り、国王にも何らかの反対しなければならない理由があるのだろうことも察せられる。でなければ、自分などより遥かに聡明な国王が反対する理由がないからだ。
常闇の森は魔女の住処であるとの噂が立っている。エルはそれを根も葉もない妄言に過ぎないと思っているが、入ったものの多くが帰ってこないという事実は何らかの理由があるはずだ。魔女などというあるかどうかもしれない存在はエルにはわからないが、あの森が物流を制限しているのは歴然たる事実だ。
「不機嫌そうなツラをしていますね。エルデリック様」
「セラか。私には国王陛下の御心がわからない」
エルが振り向いた先には、メイド服に身を包んだものの、驚くほど服とあっていない不機嫌な顔を貼りつけている女性が立っていた。セラ・カーミラ。聖女の世話を行う侍女の長だ。エルは王家に仕える以前から親交があり、立場が変わってもこうして慇懃無礼な態度を崩したりはしない。自分の悪しき点を惜しげもなく批判してくれるその言葉はありがたい。
「……聖女様にもお頼みしましたが、やはり首を振られるだけで、理由を教えてはくれません」
「常闇の森には何があるのだ?」
「返事がわかっている相手に無駄な質問をするほど、貴方は無能ではないでしょう、エルデリック様」
常闇の森には何もない。これはエルたち騎士団が確かめた事実だ。万全を喫して、長い紐を命綱にした騎士を何度も派遣したが、彼らは何も見つけることなく、そして無事に生還している。あまりにも規模が大きすぎて、全域を調査できていないが、少なくとも帰って来られないという事実は否定されている。
その報告は国王にもしていて、何度も危険性はないとの訴えはしているのだが、それでも首を縦に振ってはいない。
「しかし、聖女様と国王陛下。エルデの神柱たるお二方が揃ってよしとしないのです。常闇の森には何かがある。こちらには確かめようがない何かが」
「ならば、我々に話していただけぬ道理がない!」
「……エルデリック様、淑女を怒鳴りつけるのは紳士たる騎士にあってはならぬことです」
「……すまない」
「わかっているなら、しないでください。侍女よりも堪え性がないというのは、騎士としての素養に欠けるのでは?」
「前団長なら、お話くださっただろうか」
「わかりません。前国王からの信頼の厚さは万民が認めるものでありますが、当代の国王から同じものが得られるとは限りません」
侍女長たるセラ、騎士団長たるエル。どちらも聖女、国王からの信頼は厚い。いや、そうでなければ、この位置にまで上り詰めることはできないだろう。だが、その二人ですら、全く事情を知らされない。それは人民たる存在には話せない内容にほかならないのでは?
騎士団には血気盛んな若者もいる。むしろ、エルデに絶対の忠誠を誓っている人間しかいないため、常闇の森に良くない印象を持っているものばかりだ。エルはまだ年を取っているだけまだ冷静に考えていられるが、国王の意図も考えずに森を焼くべきだと主張するものもいるのだ。そういう浅慮を咎めたとしても、エル自身が森をなくすべきだと考えているため、どうしても止められない。納得できる理由がなければ、それはそのまま国王への不信へと繋がりかねない。
「ところが、そういうわけにはいかないのです」
ぽつりと、セラは顔をしかめながら話す。
「侍女たちの中からもそういう考えを持っているものが増えています」
苦虫をすり潰すような顔でセラは睨みつける。エルには、心当たりしかなかった。
「うちの若い奴らが、火種か」
「ええ、何とかしてください」
騎士団は、国王だけでなく、聖女の警護も任務のうちだ。そして、侍女は聖女の世話をしているのだから、必然話す機会は多いだろう。いや、同じような忠義の士だ、国を憂う気持ちを共有していてもなんらおかしくない。
だが、エルはどうやって説得すればいいというのだ。そういう無垢で純粋な国を想ってくれる人間を。
説得というのはつまるところ、代案の提示なのだ。元々悪感情を抱かれている場所に立ち寄ってはならないと理解させないといけない。厄介なことに、彼らには力がある。よって、悪しきものがある、というだけでは血気盛んな連中を刺激してしまうのだ。
エルは国王から説得できる材料をもらわねばいけないのだが、それすらない。こんな現状では言葉を交わせば交わすほど、意見はより強硬になってしまう。
「苦労は大金を叩いてでも買えと言われているではないですか。苦労なさっているようで、何よりです」
「もう、若者でもない。ましてや、こんな苦労は売り物にもならない」
若いうちは気楽だった。いや、もっと単純なことで悩んでいられた。どうすれば国王の、国のためになれるか。そんな綺麗なことで悩めていた。それはきっと、セラも同じだろう。
「でしたら、若者に地位を譲られては? きっとしがらみからも開放されるでしょう」
「隠居など、若い連中が許してくれんよ。それにお前もそうだろう? 二代続けての侍女長だ。何より、投げ出してしまう程度の忠誠心ならば、国王陛下は私を投げ出せる地位にしないさ」
「それもそうですね。こちらは両人のご期待に応えなければなりません」
その言葉を飲み込んで、セラと別れる。これからの面倒な説得の時間にエルは思わず溜め息を漏らしてしまった。




