とある出会い
「俺はこいつに決めた、こいつを育ててやる」
男は道端に捨てられた赤子を拾い上げる。赤子を見つめる瞳には悲痛な色が映えていた。
「堕胎児、ですか」
「おう、悪いか? 堕胎児だろうが何だろうが、一人の人間だ。生きていく資格はあるし、こいつは理不尽にそれを奪われかねないからな。きっとこいつは世界を変えてくれるよ」
ちょっと離れた場所でその女は、男を見据えていた。女はきっと男の気持ちを理解することはできないだろう。
男が生真面目な性格であることを女は知っていた。そして誰より、できるだけの、大きな幸福を願っていることを知っていた。そのためにはどんなことだってやってのけてしまうことを、知っていた。
「別に、それがあなたのなりのけじめのつけ方だというのなら、わたしは否定しません。ですが、考え直してもらえませんか?」
「あいつは頼りになるやつだよ。少なくとも俺はそう思ってはいるが、お前はどうなんだ?」
「それは卑怯というものです。頼れることが一番信頼できるという理由にはなりません」
「すまんな」
「謝らないでください」
女は泣きそうになっていた。男に対してこんなふうに接してしまうなんて思ってもみなかった。
それは、ずっと憧れていた何かがふっと消えてしまう感覚。思い出が残滓になって断片になって、美化してしまう。
「相方とはうまく行ってるか? きちんと、引っ張れてるか?」
「あなたに言われるまでもありません。何もかも、あなたから学んだことです。男女の違いはあれど、役割こそ違えど、根底に宿るものはまったく変わりません」
「……それだけはぁ、俺から学ぶべきことではないと思うんだがな」
女はその、純白の袖で目元を拭うと安堵を覚えた。こういう状況でも、泣いていないことに。
「あの方はよく言っていました。あなたの忠義は正しいと」
「けど、結果はこれだ」
「そして、エルデのことを一番考えているのは、あなただと」
「…………」
男は、抱き上げた赤子を見つめた。まるで言葉を無視するための仕草であるように、その赤子だけを見つめた。左腕には紋様が刻まれている。不吉の象徴たる堕胎児。
この赤子を待ち受ける過酷な運命を男は容易に想像できる。
「戻ってきてください。あなたを待ち望んでいる方は大勢いる。現に、見捨てていないのは未練があるからなのではありませんか?」
「さぁてね、どうだろう?」
はぐらかすような言葉に女は歯噛みする。悲しくはなかった。心のどこかではもう戻ってくることはないのだろうと、きっと理解していたからだ。
男はどこか遠くを、女が見ていたものとは全く違うものを見ていたのではないかとそんなふうに感じることが多々あった。
「名前は、どうするのですか?」
全く違う話をし始めたのは説得を諦めたからで、立ち去らなかったのはまた一緒に話していたかったから。
だから、赤子の名前なんてただの方便にすぎない。
「……決めていない」
「あなたはその子にどう育ってほしいのですか?」
「堕胎児だから、辛く厳しいこともあるだろう。だから、知っていてほしい。色んなことを――」
男はそこで、言葉を切った。
女はそこまでして堕胎児を育てる意味を見つけられないでいた。だからこそ、男は違うものが見えているのだとそんなふうに思った。
「そのままでいいでしょう。シル、そのままで。色んなことを知って、その後、やがて大人になるその子にどうなってほしいのか、それはゆっくり考えていけばいいではないですか」
「それもそうだな」
「わたしがこういうのは変かもしれませんが、あなたとその子が歩く道に幸福が敷きつめられんことを」
「ありがとう」
かつて、もっとも信頼しあっていた二人はここで道を違えることとなった。