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何かを追い求めて  作者: 立方体
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とある国

 その頃のエルデ王国、正式な国名としてではなくあくまで前身としてのエルデ地方、を語るには大抵この一言で事足りる。

 地獄。

 あるいは奈落煉獄冥土黄泉濁世穢土。そういう、おおよそにおいてさほど意味が変わらない穢れを纏った時代であったことは間違いない。

 また、こう呼ぶこともできるだろう。

 坩堝。

 戦禍、差別、飢餓、搾取、略奪、簒奪。様々な争いが混じり合い、止めようなどとするものはいない。法律があっても執行するものはおらず、あるとすれば私刑の死刑だけだ。不当にして、ある意味では正当。力のないものが力あるものに怯え身を隠し、暴かれ何もかもを奪われる。そして力のないものは、さらに力のないものから全てを奪っていく。

 怨嗟の声は止むことはなく、積怨は崩れ落ちることを知らない。

 言ってしまえば、そこはまさしく自由の国であった。誰もが縛られることなく、己の器量だけをもって成り上がることができた世界だ。喜びの声も上がった。ここは俺の世界だと声高に主張するものもいたが、三日後には死んでいた。三秒前まで一緒に話していた、仲間だと思っていた人間が死んで、逆に仲間だと思っていた奴らに殺されるなんてざらにあることだった。信じられるものは自分だけ、なんていう殺伐を積もらせた死んだ国だった。

 混乱に乗じた他国の侵略ですら、その国は飲み込んだ。エルデが生んだ地獄は、人種の区別をせず、貧富の区別をせず、見た目の区別をせず、生きるものの区別すらもせず、全てに対して平等に災いを降らせた。「彼の国に行く者を止めてはならない。なぜなら、それは黄泉路の旅だからだ」という諺が流行ったくらいである。それくらいに、その頃のエルデは死んだ国であり、死ぬための国であった。

 南方に海を臨むエルデだが、その海すらも災いは飲み込む。エルデの海は赤い。エルデから見ることのできる海全てに血が漂っている。エルデに近寄れば、血の化身が船を襲う。全て、歴戦の船乗りたちの言葉だ。彼らは口を揃えて言う。「俺たちはどこにでも連れて行ってやれる。ただし、エルデだけは無理だ」と。それは至極全うな言葉として扱われ、むしろエルデという場所自体が一種の冗談となっていった。

言うことを聞かないとエルデに捨ててしまうよ、なんて言葉は親が自分の子供に躾として使っていた。それを聞いた子供は泣き出して許しを請うのだから、エルデという言葉がどういう意味なのか容易に察することができる。

 また、当時のエルデを表す言葉として「エルデの建築技術は世界最高だ」というものもある。無論冗談なのだが、あながち間違いとも言えないのがエルデという場所だった。エルデでは家の建築を指示している人も実際に作業している人も経験としては初めてだからだ。なぜなら、二度目を経験する前に大抵死んでしまうからなのだが、それくらいエルデには死が溢れていた。略奪が溢れていた。家を建てるのをやったことはなくとも、いたるところでやっているのを見たことがある。その経験だけは豊富で、故に建築技術の一般的な水準だけは世界一と言えたのかもしれない。

 そんなエルデに転機が訪れたのは災いが降りかかってから、おおよそ百年後。「エルデでは赤子ですら死体からものを剥ぐ」とまで言われた誰もが正気を失っていた時代だ。 

 不思議な少女が現れた。それまで数多の命を飲み干してきた災いが、彼女だけは飲み込むことができなかった。彼女の周りだけ、エルデは平和だった。彼女の周りだけでは争いは起きなかった。彼女を巡る争いも始まる前に終わる。彼女を利用しようとするものは彼女と一言話せばそうしようなんて思っていたことを忘れてしまったからだ。彼女が力をつければつけるほど、エルデは平和になっていった。争いがなくなっていった。地獄とまで呼ばれたエルデが徐々に浄化されていった。

 彼女に逆らうものなどいなかった。彼女は正しかったからだ。彼女が周りの人間を瞬く間に染めていったからだ。彼女という価値観を、エルデの人々は共有していた。ゆえに争いはなく、エルデは落ち着きを取り戻すようになっていった。

 やがてエルデという場所が命知らずの無鉄砲者の肝試しの場所になってから、エルデは人の往来を取り戻すようになった。帰ってきたものが尽く「あそこは天国か天界のどっちかだ」なんて耄碌した言葉を話すものだから確かめる人が増える。確かめる人が増えれば増えるほど、言葉の信憑性は増していった。

 そしてエルデの人口爆発が起こった。それも当然の帰結と言えた。エルデにやってくるものは増えても、エルデから出て行く人はいなかったからだ。住居が立ち並び、いかに効率よく余地を使うかに心血が注がれ、「エルデの建築技術は世界最高だ」という言葉はもはや嘘でも冗談でもなくなっていた。

 彼女が、人智を超越した存在に祭り上げられるのもさほどおかしなことではなかった。彼女が正しかったからだ。何もかもが、彼女の望む通りに動いたからだ。やがて彼女は聖女と呼ばれるようになった。

 エルデにある法はほぼ有名無実と化していた。それはかつての地獄のような時代とは異なり、法が裁くべき人間がいなかったからだ。罪がなければ罰はない。当然の帰結である。しかし、エルデにおいても唯一機能している法があった。それは一切の明文化はなされておらず、誰が始めたかもわからぬただの慣習法。

 それはエルデに立ち入ったものは聖女に謁見しなければならないという、ただそれだけのこと。エルデに来たものは聖女という価値観をまず習わなければならない。いや、習うではない、理解する。決して言葉にはできないが、聖女という価値観は、聖女に会えばわかる、聖女に会わなければわからないとまで言われた。

 やがて、人々はエルデ地方に国という具体的なものを、その少女には女王という明確な立ち位置を求め始めた。しかし、聖女は頑なにそうしようとしなかった。その当時のエルデを、こう評したものがいた。今のエルデは地獄だと、かつて地獄と呼ばれていた時代の方がよっぽど健全だったと。その人物をエルデに行ったことがないからだと批判するものが多くいたが彼はそんなことを気にも止めなかった。

 エルデにいる人間は全てエルデが楽園だと言った。これはエルデに住む人々の統一見解でもあった。

 聖女は女王となることはなかったが、子を成した。一男一女。聖女は息子をエルデ国王として、娘をエルデの聖女として、国を作った。当時無政府状態だった地域にエルデ王国が誕生した。その言葉に反対するものはいなかった。他ならぬ聖女の言葉であり、息子にも王足り得る素質があり、娘にも聖女足り得る素質があり、聖女という価値観を共有していた国民にはそれを見抜くことができたからだ。これまで聖女が行ってきた謁見の業務は聖女の娘に委譲された。聖女の夫は、息子を助け、王国をよりよいものにしようとしていた。聖女の息子は、母親の器量を十二分に受け継ぎ、王冠を授かるに相応しい人物となった。これ以降エルデは大きな戦争に巻き込まれることもなく、千年以上に渡り栄華を極めることとなるが、エルデ王国の建国以来聖女は表舞台から姿を消した。

 かつてエルデを地獄と称した人物は晩年に、エルデ王国を訪れることとなる。彼が地獄とまで称した地に足を運ぶこととなる理由は定かではないが、彼は始めて足を踏み入れ聖女に謁見して、その認識を改めたようだ。「この国はなるほど、確かに楽園だ。けれど、自分が聞いていた楽園とは少々異なるようだ」この言葉は後世まで受け継がれ、エルデの繁栄を象徴する言葉として扱われるようになった。

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