とある墓
「失礼します」
「ああ、エル坊か。どうした、こんなところに」
その場所は、殺風景という言葉がよく似合う、そんな悲しみを孕んだ場所だった。辺りに高い木々はなく、住宅地があるわけでもない。痩せ果てた土地に無数の騎士剣が刺さっていた。それは墓標だった。大望を抱き、理想に殉じて、奇跡のために命を落としていった名もなき英雄たちの墓場だ。
「いえ、ただあなたはここにいると風の噂で聞いたもので」
その場には五十歳ほどの男と、三十歳ほどの若い男が立っていた。壮年の男は心身ともに充実ぶりが窺えて、逞しさと輝かしさに溢れている。逆に中年の男はどこか覇気が感じられない、きっと一番輝いていた時期を見たことがあるものならばその弱々しさに驚いたかもしれない。
「なあに、そろそろ寂しがっているんじゃないかと思ってな。ただの墓参りだよ」
「騎士団では、ないようで」
「ああ、お前らみたいな騎士団じゃないな。こいつらは、一言で表すなら、奇跡を信じたものだな。不確かなその結末を見ることなく逝けたなら、きっとそっちの方が幸せだ」
「奇跡、ですか」
壮年は不服そうだった。エル坊と呼ばれた男は子供の頃から近衛騎士団に所属し、今では団長の地位となっている。そんな男がエルデ王国の聖女以外の何かを奇跡と呼ばれることに抵抗がないはずがなかった。
「ああ、奇跡っていうと聖女様に失礼だな。なら、未来とでも言おうか。こいつらは、手の届かないところにある未来を守るために、いや、未来をよりよきものにするために命を散らしたんだ」
「なるほど、それを後押ししたあなたは、こうして責任を感じているわけですね」
「責任ってもんじゃあ、ない。ただ、こうして参ってやらないと、こいつらも寂しがるだろうからな」
中年の男の声にはありったけの慈しみが込められていた。エルはそんな言葉をどこか懐かしく感じていた。騎士団に入りたての頃を思い出す、そんな感じに。
「あなたは、まだ責任を感じておられるのですか? 少なからず、未来を壊してしまったから、償おうとしているのですか?」
「そんなんじゃあ、ないさ。いつだってこの国のために、何かをなしてやろうと思っていた。何ができるのか、常に探し回っていた。その結果がこれだ。未来のある若者を殺しちまって、自分だけはのうのうと生き残っている。そんな悲しい現実だ」
エルは口を噤んだ。目の前の男の、一番輝いて時期を知っているから。その身を王国に捧げ、常に最大の幸福を追いかけていた男の正しさを。国王の信が厚く、エルデには彼の男がいるとまで言わしめた男のなれの果てが、これだ。
幸福を追いかけて、何かに裏切られて、その末路がこの墓場。何百もの剣が、男の言う未来を守り散っていった。
「……そういえば、若い衆の稽古をつけてくださっているそうで」
エルは、適切な言葉を見つけられず、苦し紛れに話題を変えた。男は墓標を眺めたまま、エルに対して振り返ることはない。
「大したことじゃあ、ないさ。単に後悔してほしくないだけなのさ。自分が後悔しているから、同じように理想に殉じてしまう若者は、見たくないのさ。だから、力を与えようとした。理想を、理想のままではなく現実のものにする力を、与えただけなんだよなあ」
やはりエルは押し黙るしか、なかった。近衛騎士団団長にまで上りつめた男が、理想を現実にするには力がいると言った。最大の幸福を追い求めた男には力が足りなかったのだ。
だからこそ、男の言葉はエルに重くのしかかる。
「エル坊、お前には理想があるか?」
「理想は国王陛下と聖女様の下に」
「そうか、そりゃあ、よかったな。お前は見失うなよ、その理想を」
男は、理想を見失ったのだろうか。先代の国王と聖女の暗殺を、男は防ぐことができなかった。その責を負い、騎士団団長という地位を捨てた。エルはそう記憶している。
「あなたの理想は、今はどちらに?」
「……理想、理想なあ。自分の中にある理想なんてとっくの昔に、壊れちまってるんだよ。だから、その破片を拾い集めて前途ある若者に分け与えてんだ。そして、殺しちまった。馬鹿みたいな数を殺しちまった」
「…………」
「そういえば、エル坊、何か用か? こんな臭い話をするために、こんな辺鄙なところまで足を運んだ訳じゃあないだろ。団長つー立場は、そんなに軽くないぞ」
どうにも、よくない。男と話していると、エルはどうしても感傷に浸ってしまう。ついつい、ここに来た本当の目的を忘れてしまう。
「常闇の森。ご存じですよね」
「当たり前だろ。騎士団団長じゃなくとも、エルデに住んでいるなら、常闇の森なんて誰だって知ってる」
「魔女が住んでいるという伝承。どう思われますか?」
「どうしてそれを聞く」
男の声からは湿っぽさが抜けて、往年の鋭さを取り戻しているとエルには感じられた。
「あなたは史家の生まれだと聞いています」
「そうじゃあないだろう。そうじゃあ、ないだろ。それは理由であって、目的じゃあない。何のために、常闇の森に魔女がいるなんて確証を探しているんだ?」
その剣幕に、エルは思わず怯む。その声音は間違いなくエルにとっては聞き慣れたものだった。力強さと、頼もしさに溢れた近衛騎士団団長の言葉だ。
「最近、部下にせっつかれております。常闇の森を排するべきだと。あんなものはあってはならないものであると」
「そりゃあ、過激だな」
「あなたもご存じのことかと思いますが、国王はあれを排することを是としません」
「ああ、散々頼みこんだもんだよ」
「けれど、若者の不満をそのまま放置しておくわけにもいきません。騎士になって間もない彼らは下手をすれば国王陛下に不振を抱きかねない」
「だからこそ、若者を止める言葉をほしいってのか?」
「ええ、仰る通りです」
「無理だな」
男の言葉は明確だ。溜め息混じりに吐き出されていたそれは、半ばエルが予想していたものだった。男がそれを語りうるのならば、常闇の森は既に存在しているはずがない。
エルがするより先に、ひょっとすれば男がするよりも先に、取り除かれているはずだから。
常闇の森の影響で一番大きいのは交易路の問題だ。海に面したエルデは東の山脈と北の常闇の森に蓋をされており、他国と交わるには西か南の海路しかない。
「ならば、あなたの考える常闇の森を排すべき理由を教えていただきたい」
「へえ……」
男は、そのとき初めて振り返ってエルの顔を眺めた。その瞳には敵意が宿っていた。
「理想は国王陛下と聖女様の下に。さきほどの言葉は偽りだったか?」
その問いかけは全うなものだった。国王は常闇の森を排してはならないと言う。けれど、エルは常闇の森を排する理由を探している。それはつまり国王の御心に背くと捉えられてもなんらおかしくはない。
「無論、偽りではありません。ですがこの問題をこのまま放置すれば、やがて騎士団の内部に亀裂が走ります。一度亀裂が走れば、そう易々と塞ぐことはできず、いざというときにあっさりと崩壊します」
「己の力のなさを棚上げにするなよ」
エルの言い訳を、男はばっさりと切り捨てた。いや、エルからすれば言い訳だったという認識もなく、正当な主張だったはずだ。
「自分が騎士団をまとめ上げられずにいることの後始末に国王陛下のためだのと言うな」
「くっ……」
その言葉に、エルは項垂れるしかなかった。男の言葉は正しい。
騎士団が分裂すれば国王の求心力も薄れるし、下手すれば国王自身が危険に晒されることだってありうる。だから、適度に不満を発散させるために常闇の森を排除すべきだ。
一見正しいように思えて結局はエルが騎士団をまとめあげられていないことが問題なのだ。
「すいません……」
エルはその場を立ち去ろうとする。
「まあ、待てよ」
しかし、男はそれを呼び止めた。
「常闇の森には魔女がいる。それは間違いないだろう。いや、それはお前にとっては大した意味をなさない。だがな、魔女の手によって、無辜の民が幾人も犠牲になっているぞ」
「情報、ありがとうございます」
「ああ、頑張れよ。団長サマ」
エルは男に感謝を述べると、足早に去って行った。残された墓地に男は視線を這わせた。ここには男にとってかけがえのない仲間たちが眠っている。彼らは同じ志を共有し、同じ道を歩いたものだ。されど、生き残ったのは男、ただ一人。
男が生き残ることができたのは、器量の問題ではない。ただ、誰よりも強くはっきりと未来を見つめていたからだ。男にはエルデの未来がはっきりと見えていた。




