吉原花魁恋百華
夜の街を、一匹の狐と少女が駆け抜ける。
少女は髪を後ろで一まとめにして狐の腕の中に居、狐は紺色の襟巻きをひらりと翻す。
少女は狐の腕の中で煌びやかに光る源を眩そうに見つめた。
「・・感傷はあるか。」
狐が静かに問う。少女は苦笑いした。
「一応、育った街でござんす。・・・吉原は、狭いものですね。」
少女は寂しそうに笑う。
狐は一時間を置き、口を開いた。
「大きな世界には、また違う苦しみも、喜びもあるだろう。」
「・・来てくれないかと、思いんした。狐さんになって、歩かせに来てくれたんですね。」
花魁言葉と半々に、縁は呟く。
七人兄弟の真ん中。
姉も妹も居るのに何故自分だけが売られたのかは分からないが、理由は自分にある気がして、辛い折檻も、厳しい稽古にも、不躾な客も、全て耐えた。捨てられない為に。
あの日教えてくれた九蔵の本名を心の中で呟けば、不安も苦痛も和らぐ気がして、もう何千回も呟いた。
思えば、名前を教えてもらったその日から縁は九蔵に惚れていた。
九蔵が居れば、嬉しい。幸せ。
九蔵が辛ければ、辛いーーーー
吉原はもう見えない。
夜風が髪を揺らす。
狐が寒いからと羽織った振袖を握りしめた。
狐は地面に降り立ち、縁を立たせる。それから静かに告げた。
「歩かせる?・・・違うさ、自分達の足で歩くんだ。俺達は、恋人の門出を祝福しに来ただけだ。」
草木を掻き分けた先。
そこには少し息を上がらせた、九蔵が居た。
「ーーーー字利!!!!」
九蔵のもとに、一目散に縁は駆け寄り、抱きついた。九蔵も抱き締める。
「ずっと、こうしたかった・・・・ずっと、ずっと。苦しかった。辛かった。でも、それでも、惚れているんです。お慕いしております・・・!」
強く、強く二人は互いを抱き締めた。
女の悲痛な声が、夜の森に響く。
「縁・・・七緒。俺はあの日、お前に耐えることを選ばせた。縁として、生きろと言ったのは俺だ。だが言わせて欲しい・・・七緒として、俺と共に生きてはくれまいか。この先辛いことはあるだろう。だが、もう離さない、一生離さない・・!」
涙でぐちゃぐちゃの二人の顔を、優しい月が照らす。狐は静かに見守っていた。
縁は、最大限の笑顔を見せた。
「・・・はい!」
苦しい恋だ。美しい恋だ。
烈は仮面の下で微笑む。
映画を見せられた気分だ。
「・・七緒殿。どんな責任も、怒りも、受け止める、と申したな。」
閃の言葉に、七緒は九蔵から離れ、頷く。
「・・はいっ!」
「では・・・・・・」
閃は一歩後ろに下がる。
仕込み刀を抜くと、一気に縁と距離を詰めた。
吉原太夫の顔に、血が流れた。
それから一瞬のうちに髪の毛が肩口ぐらいで切り落とされた。
九蔵はぐ、と堪えていた。
すぐさま烈が駆けつけ、止血をする。
「・・これが、今回の一連の騒動全員からの『恨み』だ。これで吉原との縁は終わり。この騒動も終わり。遠くの地で、慎ましく暮らせ。」
閃はそう言い放つと、縁ーーー七緒に、巾着を持たせた。
「お前の姐の半分の生涯の金だ。これで当分は生きてゆけ。」
手当てをされながら七緒は、目を見開く。
「姐さんの依頼金ではないですか!もらえません!」
閃は面のまま、答える。
「半分は貰った。姐もそのつもりだろう。仲良く暮らせ。」
「・・・ありがとうございます!本当に、本当に!ありがとう、ございます!」
七緒は頭を下げた。
烈は手当てを終え、閃の隣へ行く。
「俺はあんたの顔に傷を負わせ、髪を切った。これで終わりだ。ーーー達者で、やれ。」
閃はそう言い、仕込み刀をしまう。
七緒は何度も頭を下げた。
「九蔵、泣かせるんじゃ、ないぞ。」
偉くなったものだ。たったの2日でニートが説教など。だが生憎こんな場面出くわした事が無いのでそれしか言えない。
九蔵は泣きながら笑った。
今度は、良い笑顔だった。
「ーー我ら狐火、これにて失礼す。それでは、さらば。」
「二人で末長く、御幸せに。・・・俺達は、幸せを願ってる。」
そう言って、閃と烈は身を翻す。
閃と共に木を登り、一気に闇に消えた。
* * * *
「ーーっぷはっ!あちーな。」
「ーー湯屋へ行くか。この時間でも空いている銭湯を知っている。」
「あー、湯屋か。いいな。」
そういや、最後に風呂入ったのっていつだっけ・・・?
烈はなんとなく、閃から離れる。
ガス止まってたしなー。あっはっは。
そう思うと身体中痒くなってきて、烈は足を早める。
橋に差し掛かった時、なにやら騒がしい事に気がついた。
なんとなく、集団に耳を傾ける。
「土左衛門だ!おい・・・こりゃあ吉原の千晴太夫でねえか!?」
「ひでえ・・心の臓を一突きだ。なんたってこんな・・・」
「おい知ってるか。今日花魁道中をする予定だった新造の部屋で、血の跡が見つかったらしいぞ。番頭の部屋もめちゃくちゃで、争った跡だとか・・・。」
烈は閃の顔を見る。
身投げ?めちゃくちゃ?
千晴、が?
信じられなくて、人混みを掻き分ける。
そこには、青白い顔をした千晴が横たわっていた。
「・・・っ、うっ・。」
思わず下がる。死体なんて平和な世で見たことなんて一度もない。
閃は烈の手を引き、行くぞ、と言ってずんずんと前を歩いた。
閃は千晴との会話を思い出す。
あの日の晩のこと。
『本当に宜しいのか。貴女は、九蔵の事を・・』
『叶わん恋より、叶う恋でありんす。わっちは、あの人が幸せならそれでいいんざんす。・・・それから、実はわっちは鳥屋(梅毒)についていんす。馬鹿な世ざんしょう、鳥屋につく遊女と遊ぶことが一人前だなんて。』
『・・・・・。』
『あの人と、あの子の幸せがわっちの幸せ。それ以外は、もういりんせん。』
吉原の太陽は、恋人達を見届けて沈んだ。