番外編 そして話は 2
「新八と中村達が襲撃された。闇夜でよく見えなかったが、荒木田がよく焚いている白檀の香の香りがしたそうだ。更に、御倉の肩に新八が付けた切り傷があるのを確認した。・・・・荒木田と御倉達を斬れ。」
それは髪結いを呼んだ日の事だった。
土方から突如下された命令で、よく晴れた日、縁側に足を投げ出して庭の松をぼんやりと見つめている荒木田と、髪結いに背後を任せている御倉達を襲撃した。
ぽたり、と血が滴る刀を払い、鞘に収める。夕刻、何気なく足は島原へと向いていた。
「荒木田と御倉を粛清した。」
襖が開き、頭を下げた状態の彼女にそう言葉を投げかければ、彼女は頭を下げながらそうですか、と呟いた。
「・・お前は、誰だ?何故ここに居る?」
「・・・名は、天華。一介の遊女どすえ。」
にこ、と明け透けに笑えば、目の前の男ーーー斎藤 一が、全てを見透かすような、真っ直ぐな目で見返してきた。
(やめてよ)
やめて、やめて。
そんな目で見ないで。折角飾ってきた上辺が崩れてしまう。生きるための、道具が。話を変えようと、猪口に手を伸ばす。
だが次の彼の言葉で、手は止められた。
「お前が居るべき所へ、帰れ。」
どうしてだ?何故、この浪人はこんなにも自分につっかかる?
適当に愛想振りまくから、騙されたふりして笑ってよ。
(分かってる。この人はただ、何も知らないだけーーーーー)
それでも連日の疲れもあってか、感情が黒い渦となって溢れ出す。
「帰れるなら・・・とっくに、帰ってる・・・・・私だって・・・私だって、好きで遊女やってるんじゃない。」
ああ、ついに感情を出してしまった。
悔し涙かは分からないが、涙が止まらない。
女の涙は価値を安くする。早く止めなきゃ。だが止めようと思えば思うほど涙は溢れて止まらない。
「偶々拾われたのが、楼主夫婦で。でもそれしか私には生きる道はないから、必死に、楼主も、姉さんも、客も、愛嬌でひらりひらりと閨を共にするのは、交わして。必死に、必死に今までいつか帰れる、って生きてきた。でももういい。諦める。」
ああ、八つ当たりをする女なんて最低じゃないか。彼には嫌われてしまっただろうか。けれど、溢れ出す涙は止まらない。
涙だけが、止まらない。
目の前の彼は彼女の告白を一通り聞いた後、真っ直ぐ、彼女の瞳を見つめた。
「なら、少なくとも帰るまでは面倒を見てやる。お前が願うなら、ここから出して普通の町娘くらいの生活はさせてやる事は、出来る。・・・どうする?選ぶのは、お前だ。」
斎藤自身、何故するりとこの言葉が出てきたかは分からない。だけど、彼女を、彼女の本当を、放っておく事が出来なかった。
差し出した手を、戸惑いながら震える手で、彼女が掴んだ。
島原の遊女達にある一つの噂が流れた。
『あの愛嬌があってよく働く座敷持ちの天華が、医者に身請されるらしい。』
(なあんだ。結局、あれも嘘か。)
知り合いの遊女に泣く泣く見送られて来た場所。
この人が、旦那になる人かぁ、と顔を上げる。名前は知らされたが、聞いたこともない名前だった。
(もう、いいか。)
必死に守ってきた貞操も、あの時流した涙も、全部、全部無駄だったような気がして。
もう、諦めよう。全部。
一度全てを諦めれば楽になれる気がした。
期待しなければ、傷付かないーーーー。
「本日から宜しゅうお頼もうします。天華どす。」
背を向けていた、旦那になると思っていた人が、くるりと体を翻して此方を向いた。
「久しぶりですね。元気でしたか?」
そこには、川に落ちた時に世話になった医者が居た。長髪を水晶の紙紐で結っている彼は、この世界では珍しく背が高い。
「驚くのは無理ないでしょうが、仕方ないんです。貴女の身元が分からない以上、下手に新撰組の組長が身請けした、と伝えられるよりただのしがない医師が身請けした、と伝えられる方がいい。貴女を身請けすると決めた日から、斎藤さんは暇も惜しんで貴女の引き取り相手を探していました。・・・新撰組は、危うい存在ですから。」
「・・・・本当に、つれ出してくれたんですね。」
ぼんやりと呟く。何度置屋の格子窓から空を眺めただろう。何度、鳥になりたいと、思った事だろう。
あの黒衣の、筋を通った彼。
もうダメだと思ったのに、彼が救ってくれた。
探るような視線が医者から放たれている事に気が付き、思わず裾を握る。
「貴女は、この世界の人間ではありませんね?」
彼の口からゆっくりと呟かれた言葉に、きゅ、と心臓を掴まれたような気がした。
「・・・この世界?何を言っているんです?」
相変わらず誤魔化すのが美味いらしい彼女が、表情一つ変えず真っさらな笑顔で笑った。
成る程、彼女はどうやら頭がいいらしい。それと愛嬌で今までのらりくらりと閨を交わして生きてきたのだろう。
一つの巾着を出し、彼女に投げてやる。
今まで肌身離さずこれだけは持ってきた。
彼女はmy phoneを巾着から取り出すと、震える手でホームボタンを押した。
「貴女の時代で、まだ残っているかは分かりませんが、my phone・・・携帯電話です。貴女は、腕時計型の通信機器を持っている筈だ。」
「・・・・・あなた、誰・・」
驚愕したような顔。彼女の形の良い唇は真っ青になり、きゅ、と結ばれていた。
「私は、平成ーーー西暦2015年から来ました。五百夜 烈。貴女と同じ、この時代の者ではない。」
この言葉を告げた時の彼女は酷く悲しそうだった。
「今日から君はうちの子だ。よく今まで頑張って来たね。丁度、うちにも娘が居てねえ。時尾、挨拶しなさい。」
会津藩大目付・高木小十郎の養女となる事が決まり、連れてこられたのは高木邸だった。
「あ・・・高木 時尾、ですっ。今日から私が貴女のお姉ちゃんになるのね、よろしく!」
優しい父、別嬪な母。
愛嬌のある姉に、元気な弟。
幸せを形にした家族だと思う。
(ーーーーそこに、私もーー。)
「・・・挨拶をしろ。天ー、」
呼び方が分からなかったのか、仲介人の斎藤がちらりと此方を見てきた。もちろん天華は偽名だ。
"ーーーー◯◯ちゃん!"
「やそ。ーーー篠田、やそと申します。今日からよろしくお願い致しますわ、お母様、お父様、お姉様、盛之輔くん。」
にこり、と営業スマイルを向ければ、暖かい家族は安心したように息を吐き、笑ってくれた。
「様子はどうだ。」
偶々隊士募集に来たらしい斎藤と烈が、丁度三味線の稽古が終わったやそを甘味どころに連れ出してくれた。
「とても良くしてくれる両親ですわ。本当にありがとうございます。お侍様。」
静々と頭を下げれば、斎藤は表情一つ変えずにそうか。とつぶやいた。斎藤の横では複雑そうな顔をした烈が、団子を頬張りながら茶を啜っていた。
(どうしてだろう。)
あの狭い格子からは抜け出せたのに、何かが足りないような、そんな感覚。あれだけ焦がれた空も、暖かい家族も、ここにあるのに。
暗い気持ちを押し込めて、にこりと微笑んで茶を啜れば、苦味がほんのり口に広がる。まるで水に溶かされた墨汁のように、それは広がる。よく味わって茶を啜っていれば、団子を食べ終わったらしい烈が立ち上がり、金を斎藤に渡した。
「ご馳走様。俺は先に先生の所に戻って、また隊士募集してみるよ。斎藤さん、今日は貴方は休んでください。このところ東奔西走して疲れているでしょう。やそさん、高木さんには言っておきますので斎藤さんに紅葉狩りの名所でも案内してください。」
「・・?まて烈、俺も・・。」
「いいかついてくんなリア充。」
怒りと悲しみ、羨望を含んだようなものすごい表情で烈がけっ、と吐き捨て、気迫に押された斎藤は残されたやそと、ぽかん、と顔を見合わせた。
季節はすっかり秋で、少し肌寒い風が二人を包む。くしゅん、と隣でくしゃみをしたやそに、斎藤が羽織をやそに被せる。
「この辺りは大分、秋が深まって来ましたね。」
見事な紅葉の彩りにそう呟けば、斎藤がああ、と返事を返した。
さあ、と風が吹く。
ちらりと横目で盗み見た彼の横顔は、紅葉の紅の中、一際美しく見えた。
「・・・本音ではないのだろう、先程の言葉。」
静かに紡ぎ出された斎藤の言葉に、心臓がどきりと高鳴る。
「いや、言葉自体は本音かもしれない。だが、お前はまだ、哀しい目をしている。」
(どうして。なんで、この人は全て知ってるんだろう。)
つきり、と痛む胸を隠して、下手くそな笑顔で笑うやそは、嘘を1つ、紡ぎだした。
「帰れる手立てが見つかりましたの。だから、もうお別れですわ。私のことなど放っておいて。今まで、ありがとうございました。」
この男は、知ってる。歴史好きな友達が言っていた。新撰組3番隊隊長、斎藤一。何回か結婚していた。そんな彼が自分などに時間をかけてはいけない。自分は、彼の未来の弊害だ。
「・・・行くな、と、言っても、お前は行くか?」
彼にしては珍しく、弱々しい語尾で、彼が呟く。
ざあっ、と枯葉が舞い上がる。
紅の中に垣間見えた彼の表情は、辛い、とも、哀しい、とも違う。
切ない顔をしていた。
「お前が、物憂げな表情をするのも、哀しい目をするのも、俺は、その理由が知りたい。・・・お前の全てが、欲しい。」
この人は、なんてバカな人なんだろう。
なんで、なんで。
恋をした表情をしているの。
(私は、帰る・・・・)
でも、どこに?
「・・・私達、今、同じ表情を、しているのかな・・・。」
(今わかった。ずっと、ずっと足りなかったものーー)
「私、は。私、も、貴方が欲しい。」
上手く空気が吸えない。たどたどしい言葉で、漸くそう吐き出した頃には、目の前は彼の黒衣で一杯で、抱きしめられていると理解出来たのは一拍遅れてからだった。
「暇を見てお前に会いに来る。・・・もう、哀しい顔をするな。」
願うように耳元で囁かれた言葉に、やそは下手くそな笑顔で笑った。
「貴方が居るなら、もう大丈夫。」




