暇潰しが意外と金になる
「まことせんせー!さよーならっ!」
漸く九つになったという子供が、そう挨拶をして木刀を肩に担ぎながら走って行った。
春の桜は散り、直に夏になる。
真、という偽名に自嘲しながらさようなら、と挨拶を返してやる。
藩邸を潰す、という話を聞いて値切って値切って値切りまくって買った家。いつか戻って来るだろうと信じて買ったが、数年前から音信が途絶えたので最早この世にいないのかもしれないし、また別の女を娶ったのかもしれない。
もし後者なら祝福しよう、となんとなく暇を潰すために始めた道場は思いの外好評だった。女らしく仕立て屋にでもなれば良かったのかもしれないが、生憎人より秀でた能力は剣しかなく、鈴谷の名と男装で道場師範を始めた。
剣を握っていれば、彼に会えるかも知れないという淡い未練もあった。
拠点にしようと思っていた朝司の寺は半壊。
仕方なく二人で生計を立て、ここまで生きてきた。
「お涼、風呂の準備出来たから入れ。俺は夜から少し任務が入った。深夜に帰る。」
屋敷の奥から朝司が出てきた。
彼は閃が昔やっていた、なんでも屋、もとい万屋をやっている。頼まれれば大抵の事はする。
「・・・真で、「お涼、早くしろ。」
どういう訳か頑なに彼は女名で呼ぶ。
まるで忘れるな、とでも言うように。
門の角に植えた藤が、紫色の花を咲かせている。
似合わないな、と自嘲して、母屋に入ろうとした時だった。
力強い腕に、囚われた。
反応が遅れた、と攻撃に出ようとするが身体は固まるように動かない。
涼の身体を拘束する二つの腕は、まるで存在を確かめるように強く、強く、苦しいほど涼を閉じ込める。
懐かしい匂い。懐かしい気配。
嘘だ、と脳は否定するが、身体は腕の正体を確かめようとする。
心拍が速くなる。心が苦しい。
耳に少し吐息がかかり、ずっと待ち焦がれていた声が、藤の花の匂いと共に降ってきた。
「ずっと、ずっと会いたかった。ただいま。」
文句を言ってやろうとか、からかってやろうとか、ずっと考えていた事は一瞬で脳内から消え去り、自然と口角が上がるのが分かりながらも抑えられず、振り向く。
「おかえり。」
藤の花と夏の風が二人の間をすり抜けた。




