料理人と大黒柱には逆らうな
どうやら銀は晒しの最下層の奥深くに挟まっていたらしい。思わず溜息が出る。
あれから娘に礼を言われ、何故だか患者に励まされてしまった。嘉六は暇を見て烈の手当てーーといってもただの軽い打ち身だが。をしてくれた。
そして診療所が閉まった後に、嘉六は烈に包帯の巻き方を教えた。烈は元々医学部志望なだけあり、手先は器用で、一回目からかなり綺麗に包帯を巻くことが出来た。
だが動くとずれてしまう。嘉六に付きっ切りで教わった。それから迎えに来た閃とうどんをすすり、現在暮れ六つ。夜風が肌寒い。
閃の後をひたすら付いて行く。
江戸の夜は女子は出歩けない程危ない。
だが烈は、吉原の入り口に着き、思わず目を見開いた。
煌びやかな光。
客引きの声。
そして、美しく艶やかなーーー女達。
着物を着飾り、優雅に笑う遊女達が自分を売るべく魅せていた。
「う、わぁ・・・。」
思わず感嘆の声を漏らす。
まるで、別世界。
外界から、隔離された世界。
これなら江戸の男達が夢中になるのも分かる。
浮世の事など、忘れられるだろう。
「・・驚いたか。」
閃が優しく笑いながら問う。
その質問にこくり、と烈は頷いた。
驚いた、なんてもんじゃない。
「・・・色々な男が浮世を忘れに、身分など関係なく集まる所だ。大名の会合にも使われる。」
閃は遊郭を見上げ、そう解説した。
知っては居たが、百聞は一見に敷かず。
ここに来て、良かった。
唯一そう思った瞬間だった。
閃は一件の茶屋に入ってゆく。
烈も後ろに続いた。
楼主らしい人に閃は挨拶をする。
「・・加鞍井さんの仲介で来た、用心棒の八ヶ代だ。」
楼主は書面を一通り読むと、お待ちしておりました、と閃と烈に頭を下げた。
「お部屋は物置ですが、此方を御使い下さい。何かありましたらなんなりとお申し付けを。」
使用人らしい人が頭を下げる。
閃は使用人を呼び止めた。
「・・ここの、間取り図はありますか。」
その言葉に少しお待ちくださいね、と使用人は出て行く。
暫くして、ドタバタと慌ただしく戻ってきた。
「此方になります。本日の会合場所は最上階。貴方がたはこの近辺の警護をして頂くことになります。」
使用人の言葉に、烈は間取り図を凝視する。
大きな部屋。窓は南に一面。出口は東。ここを、二人?しかも、会合?
「分かりました。ありがとうございます。」
「いえ、またなんかありましたらお呼び下さい。」
使用人が笑顔を浮かべ、去った後に烈が閃に詰め寄る。どういう事だ。ただの用心棒ではないのか。
「まさか、今日って・・・。」
「大名の警護に腕の立つ用心棒を一人、出来れば二人欲しいそうだ。居ないよりはマシだからな。」
居ないよりはマシって、おおい。
「今日は幕府の要人と公家の会合だ。どちらにしても好機。刺客が来る可能性も高い。」
横で閃は冷静にそう述べる。
待って待って待って。
「やっぱり降りる。一人で・・「・・木偶の坊。」
・・・・ん?
更に閃が舌打ちをする。
「・・やりますやらせて頂きます明日ご飯食べたいです」
その言葉に閃は頷く。
・・・チキショウ!早く現代返してぇええそれか夢なら覚めてええひいた人の事恨まないから!お願いだから!
そんな烈の思考を遮るように閃が口を開く。
「大丈夫だ。たいていは俺がどうにかする。仕込み刀はあるな?」
閃の言葉に烈は頷く。これまた晒しに大切に入れてある。
「時間だ。俺は彼方の物置に居る。此処は見つかりにくいだろう。合図は口笛。一斉に取り掛かるぞ。勘違いするな。俺たちの目的は争いを止めて遊女を守り、被害を最小にすることだ。」
真剣な眼差しに烈は黙って頷く。
大丈夫だ。ちょっと切れても死なない。ハズ。うん。止血の方法くらい分かるし。
涙を飲みながら腹をくくる。
明日ご飯にありつく為だ。
明日、生きる為だ。
こうでもしなきゃ釣り合わない。
子供の頃やったかくれんぼのように身を潜め、最大限息遣いを小さくする。
吉原の喧騒が遠くに聞こえた。